2009年12月18日金曜日

〝エレレレ〟完成!


昨日衝動買いした
「大人の科学マガジン」の「ミニエレキギター」
完成でござる〜

以前作ったウクレレキットとは比べ物にならないほど
簡単な組み立て作業なのだが
今回は“木工”作業ではなく“電気配線”作業がメイン
というところが
わたくし的には非常に新鮮であった

でもそういう作業に慣れてないから
作成図を見ても「あ〜あれね」みたいに
すぐ飲み込めるわけではないので
かなり完成まで時間がかかってしまった
ハンダ付け作業があったわけでもないのに
そしてかなり疲れた
ふ〜ぅ
  
   
しかしネックなんてもう
完全にウクレレキットだ
フレット間隔もほとんどウクレレだなと思って
手持ちのソプラノウクレレと並べてみたら
ほぼピッタリ

作業を終えて
ウクレレ・チューニングをして
ついに電源スイッチをオン
ボリュームを上げて弾くと
おぉ〜エレキのディストーションサウンドが小さく炸裂
結構いい音というか
エレキギターっぽさのある歪んだ音がちゃんと出てる

スチール弦だけどウクレレ風に指で弾くと
不思議な感じ
ウクレレの静かなプライベート感覚と
エレキギターのノイジーなライヴ感覚とが一緒になって
トリップしたような世界

まだ弦を張ったばかりだから
ピッチが安定していないけど
これはオモチャとしてかなり面白いぞ

写真ではガンメタリックっぽいカラーに見えるが
本体は黒とベージュのプラスチック
これでもう少しネックに幅があると
弾き易いかな

アンプ用の基板やミニスピーカーが
むき出し状態で覗いて見えるのも
ちょっとサイバーっぽくてカッコイイのだ

エレクトリック・ウクレレ(electric ukelele)
略して“エレレレ”(elelele)誕生である

“レレレのおじさん”のほうきと取り替えてあげたくなる名前だな

2009年12月17日木曜日

ミニエレキ〝ウクレレ〟!

店頭で発見し
その場で買ってしまいました
大人の科学マガジン Vol.26 ミニエレキギター
(学研教育出版、2009年、3,675円)

このシリーズは「Vol.17 テルミン」が
ずっと気になっていて
いつか買ってしまうんじゃないかって思いつつ
ちょっと迷い続けていたのだ

先日実際にテルミンの演奏を聴いちゃったし
ホンモノのテルミンに触っちゃったし
にゃ〜こから“テルモン”とか呼ばれてるし

ところがこの「ミニエレキギター」は 
迷う間もなく即買いしてしまった

なぜかというと
内蔵アンプ&スピーカー付きの弦調32cm全長42cmという
ミニギターが付いているのだ(実際は“作る”のだが)

それだけではない

それが通常のギターの
1弦から4弦までを張る4弦ギターなのだ
4弦と言えば
そう“ウクレレ”である

実際書籍の中に
サザン・オールスターズのベーシストで
ウクレレ愛好家でもある関口和之氏が

「大きさがウクレレ・サイズだし、
   4弦といえばボクは何でも
   ウクレレに見えちゃうんです。」

と言いながら
このミニギターを 
ウクレレ・チューニングで使っている
という記事まで載っている

これはエレキ・ウクレレになる!
と思った瞬間に
レジに持って行っていたのであった

やっちまったぜ衝動買い

        給料ゼロに
        なったその日も
        また散財
        テルモン門絵門



無給生活初日の印象

今日から無給になったわたし

不思議なもので
何が変わった訳でもないのに
職場との距離が遠くなった気がする

復帰したいとかしたくないとかじゃなくて
もう復帰できない場所になったんだなぁっていう感じ

もちろん実際にはそんなことはないんだけど
自分の中ではまた一つ
気持ちの整理がされようとしているんだろう

次の仕事
塾の講師とかでもいいのかな
とか考えてみたりして
でもせっかく新しいことやろうっちゅうのに
今更な感じもするしなぁ

吹っ切らないと次へ行けないのかもしれない
体調が回復してくれさえすればなぁ




2009年12月14日月曜日

ドラムレッスンで基本のフィルインを練習

メロディーの切れ目やメロディーからサビへ移る時などに
ドラムがリズムを刻む以外にちょっと違った動きをすることを
フィルインと言う
“おかず”などとも呼ばれる

今日は基本のエイトビートから
“裏打ち”のフィルインを入れるという
わたしにはなかなか手強いコンビネーションをやった
チッダッ、チッダッ、チッダッ、チッダッ」って感じ

チッ」はハイハット、「ダッ」はハイハット&バスドラ
でも次のステップとして
ダッ」をクラッシュシンバル&バスドラに
その次に左右のシンバル&バスドラに
さらにハイハット(オープン&クローズ)&バスドラに変えていく
つまりどんどん難易度が高くなる

わたしはハイハットに乗せた左足に
右足のバスドラと同じタイミングで力が入ってしまう
つまり一緒に踏み込んでしまうクセがあるのだ
だから「ダッ」の“裏ウチ”のバスドラに併せて左足の力を抜き
ハイハットをオープンにすることがなかなかできない

でも何回も繰り返し練習しながら
少しずつ新しい回路ができていくことはとても面白いし
30分以上ドラムを一心不乱に叩いているというのは
ストレス発散と適度な運動の面でもイイ感じなのであった
スネアの音も気持ち良いしなぁ

そして今日は講師の先生に頼んで
教室で売っているスティックを新しくゲットした
今使っているもののチップ(先端)が少し割れてしまったのだ

先生ご推薦の逸品がこの
VIC FIRTH(ヴィック・ファース)5A」であった
先生曰く

「今お使いになっているものと違って、スティック表面がコーディングされていないから、手にフィットする感覚があると思いますよ。」

とのことだった
確かに手に吸い付くような感じ

後でネットで調べた宣伝文句によると

「コンピューターペアリングシステムで木材の微妙な個体差を読み取り最適なペアマッチング。高度な技術と洗練された品質を誇るVIC FIRTH。そのなかでも5Aは定番中の定番で、もっとも人気のあるモデル。」

だそうである

しかし新しいスティックかぁうれしいなぁ

今のスティッックは現任校に異動した時に
教員バンドでもできるようになるといいなと思って買ったものだから
2年半ぶりってことか

ちょっと大げさに言えば
スティックも過去を引きずらないモノになったってことだな

  

2009年12月10日木曜日

なぜかカセットテープでビートルズな夢

にゃ〜こと旅行に行くため
駅のホームで電車を待っている

でも電車が来るのにはまだ大分時間があるせいか
みんなまるでベッドの上で本を読むみたいに
寝転んで好きなことをしている

お客さんの数もそんなに多くない

後から来たお客さんも
「ここいいですか?」と言って
隣に寝転ぶ

すると待っていた電車がやってくる
と思ったらおもちゃの列車で
貨物車のところに色々な品物が積んである

それがホームに停車しないで
回転寿しみたいなスピードで
目の前を動いていく
好きなものがあったら取って下さいとでも言うように

わたしはにゃ〜こと顔を見合わせ
「どれにしようかねぇ」と相談する

結局わたしの好きに選ぶことになり
手に取ったのはなんと
1本のカセットテープであった

ところがこの1本に
ビートルズの全アルバムが収録されているという
透けて見えるテープの量はカセットケースに
ようやく押し込んだみたいになっている

すげぇなぁ〜よく入ったなぁ
でも例えば「アビーロード」聴きたいなぁとか思ったら
延々早送りしなきゃいけないのかなぁ
長時間テープはきれいに巻けなかったり
切れちゃいそうで恐いなぁ
などと思いながら
取りあえず曲を聴く

するとテープがぐちゃぐちゃに乱れそうになりながら
なんとか普通に音が流れてくる

そんなテープの巻き具合を心配していると
やっと電車がやってくきて
にゃ〜こと乗り込む
二人の旅行の始まりだ
わ〜い

そこで目が覚めた

取りあえず学校の夢シリーズは終わったみたいである
シーズン2が始まらないことを祈ろう

 

2009年12月8日火曜日

「再婚生活 私のうつ闘病日記」に思う

 
再婚生活 私のうつ闘病日記」(山本文緒、角川文庫、2009年)読了。そして、わたしはまだきちんと「休んで」いないのかもしれない、そう思った。

自分は「うつ病」ではないと思いながら、「うつ病」体験者の本にはとても興味がある。前向きに人生頑張ろうっていう気合いの本も、こうしてビジネスシーンを生き抜けみたいなハウツー成功術本も、スローライフ&リラックスお勧め本も、今ひとつピンとこないのだ。

むしろ「うつ病」や「アルコール依存症」などの、闘病生活を綴った本の方が、とても身近に感じるし共感したり、納得したり、安心できたりすることが多い。

そしてこの「再婚生活 私のうつ闘病日記」も、日記形式なのでその日その日のココロとカラダの揺れ具合が細かく記されていて、読み出したら止まらなくなった。

わたしは本の種類に限らず、気になった表現や文章があると、そのページの上の角を折るという習慣がある。英語でdog ear(犬の耳)というらしいが、今回はdog earだらけとなった。

日記形式のエッセイとして開始し、前半部分が約半年、入院生活に至るまでの記録。間に2年2ヶ月のブランクが空いて、後半も約半年間の、回復へ向う記録だ。間の空白期間は、文章を書くことも出来ない最悪の時期をさまよっていたという。

その中で「結果的にはこの実家で過ごす数ヶ月が大きなきっかけになりました。」という一文がとても印象に残った。そして次のように述懐する。

「わたしは実家で来る日も来る日もこんこんと眠りました。食事も少ししか摂らず、風呂にも四日に一度くらいしか入らず、ただただ眠っていました。(中略)そっとしておいてもらえたので、話をしないでいいというのが楽でした。夫にはやはり気を遣っていろいろ話をしていたのです。もちろん夫との会話は楽しいもので、それが苦痛だと思ったことはありません。でもそのときの私はただじっと眠っていたい時期だったのだと思います。そしてものすごく久しぶりに「休んでいる」という実感を持ちました。
    この病気になってから専門家にもそうでない人にも全員に『ゆっくり休め』といわれましたが、休むということがどういうことか、それまでまったくわからなかったのです。体を休めても頭はぐるぐると目まぐるしくネガティブなことを考え続けていてちっとも休んだ気になれませんでした。この時私はやっと何も考えずにぽか〜んとすることができました。」
(同書より)

そういう状態にわたしは残念ながらまだ至っていない。「うつ病」ではなく「適応障害」だという思いから、むしろ現場を離れた今はもう大丈夫みたいな気になって、前へ進もう進もうとしている。これは違うんじゃないかと思ったのだ。

著者自身、「わたしは長年不健康な生活を送ってきて、その結果身も心も病んでしまったんだと思います。」と振り返り、胆のう炎により胆のうの摘出手術を受けている。そう言えばわたしも胆のうにストレスがかかっていると指摘されたではないか。

だから「うつ病」であれ「適応障害」であれ、わたしもストレスで歯車の狂ってしまったカラダの回復に時間が必要なのだ。その部分は同じなのだ。現場を離れたからOKみたいな簡単なことではないのだ。わかってはいたつもりだったが、本書を読んでそれを実感したのだった。

しかしわたしには「帰るべき実家」はない。実家は「老老介護の場」で、これ以上心配や迷惑を増やすことは決して出来ない。

だから少しずつ少しずつ今の生活の中で、自分を休ませていくしかないのだろう。昨年の病休時に比べれば、確実に気持ちの安定度は高まってきている。でも昨日今日みたいにカラダの不安定感はまだまだだ。そしてカラダの不安定感はココロの不安定感を引きずり出す。

これは長期戦なのだと思ったのだった。



2009年12月6日日曜日

不祝儀袋を聞かれたわたし

安売りで名高いドンキ・ホーテが近くにあるのである。

あの落ち着きのないディスプレイと、ヤンキー割合の多い客層はあまり好みではないんだけど、安いものがあることと珍しいもの(妖しいもの)があることから、割と良く立ち寄るお店なのである

昨日のこと、ふらふらとこのドンキの店内を物色していたら、若いOL風のスーツ姿の女性から突然声をかけられた。もう超びっくり。だって店内だから道を聞かれるわけではないだろうし。いったい何事?

そうしたら

「あのぅ、すいません。香典袋で『御霊前』と『御仏前』て
   二種類あるんですけど、どっちがいいんでしょうか?」

と聞かれてしまったのだ。

うら若き女性から突然声をかけられてドギマギするわたし。
 『御霊前』と『御仏前』の違いがわからずオタオタするわたし。
すいません、この歳になっても常識がなくてと反省するわたし。

そして、いやもう申し訳ないんですが格好つけて“知ったか” して、

「『御霊前』の方が一般的ででいいんじゃないですかねぇ。」

とかいい加減なことを言ってしまったのだ。

後で家で速攻調べたところ、「御霊前」は49日の法要までで、49日の法要後は「御仏前」だそうな。なぜかと言うと、亡くなった方は、亡くなってすぐに「仏」になるのではなく、「49日」の間は「霊」としてこの世で、生きている間の「垢【あか】」を落とし、仏になるための色々な準備をするというのだとか。

また、地方に寄っては1周期の法要後に初めて「御仏前」を使うところもあるらしい。また浄土真宗で執り行われる葬儀にお供えする場合は必ず「御仏前」なのだと。おかげさまで大変勉強になりました。

そしてその女性は、雰囲気からしてこれからお通夜かお葬式に出席されるような感じだったので、結果的に香典袋は「御霊前」でOKであったのだ。デマカセとは言え恐らく結果オーライである。よかったぁ。

わたしが適当なアドバイスをしたのを聞いた後、その人は突然照れ始めて微笑みながらさって行った。我に返って、店員さんじゃなくて突然見知らぬお客さんに質問した自分にびっくりしたみたいな感じだったのが初々しかったです。

しかしなぜわたし。
きっとかなり無害・無防備に見えるんだろうなぁ
それは恐らく良いことなのである、と思いたい。

ちなみにそこに「ご香典」袋があったらパニクっていたに違いない。実際はこれが一番宗派に関係なく使える万能香典袋であったのだが。もちろん仏式でなら、だけど。

さらにちなみにわが家(父親)は神道なのである。そうすると「御榊料」「御神饌料」「御神前」「御玉串料」などというものになるらしい。知らなかった…

新しい曲「NOHiLi E(ノヒリエ)」

ウクレレ教室での新しい曲「NOHiLi E(ノヒリエ)」が、とても良いのだ。静かなリズム、美しいメロディー、ゆったりと開放感に満ちた世界が広がる感じ。

曲が気に入ると歌詞が気になる。そこでハワイアンサイト「HUAPALA」で見つけた、ハワイ語の英語訳から、歌詞の内容を調べてみた。

Nohili E(ノヒリエ)Muriel Amalu作

霧が立ちこめ、ぼんやりしたような気持ちがやってくる
モキハナの愛を求めて
(この感覚)は今まで知らなかったもの
今始まりつつあるこの愛

   ノヒリ
   吠える浜辺の砂
   心に響く
   陽気な曲

なんと華やいでいるんだろう
パハパハ(海藻)が生い茂るポリハレの浜は
そこでは海の水しぶきは
二つの霧が崖を這い上るかのように飛び跳ねる

いつでも美しい水
それはわたしの肌をぞくぞくさせる
この名高い水
それは青草の茂った山々からやってくるのだ 

A misty, foggy feeling comes to me
For the love of the mokihana
(This feeling) is unfamiliar to me
This love that is happening

    Nohili,
    The barking Sands
    A merry tune
    For the heart

How festive is Polihale
With the lushness of pahapaha (seaweed)
Where the sea spray seems to leap
Like two mists that creep upon the cliffs

Always beautiful
Water that makes my skin tingle
This famous water
That comes from the lush mountains

ハワイの島々で最も古いカウアイ島の美しい情景を唄った曲。

モキハナはハワイを象徴する植物。カウアイ島にノヒリ岬とポリハレビーチがあり、ポリハレビーチは、バーキング・サンズビーチとも呼ばれる。

昔は砂浜から聞こえてくる音を、静寂を破られたことに抗議する亡霊によるものだと考えられていたらしい。

神話では、主人のノヒリが漁から帰ってこないことを心配した3匹の犬が、吠える(bark)声とされているという。

という背景はともかく、歌詞にどことなくエロティックな感じが漂うのもハワイアン風。この曲はメロディーを弾くんじゃなくて歌いたい曲だな〜。

2009年12月2日水曜日

「再婚生活 私のうつ病闘病日記」山本文緒

   
再婚生活 私のうつ闘病日記」(山本文緒、角川文庫、2009年)を、読みながら休職から1年、病休から1年半のこれまでのことをつらつらと考えてしまった。

心身症的傾向の強い適応障害の身としては、カラダとココロの両方を休ませることが大事なのだが、最初はココロを休ませるのが大変だった。

突然大きく予想もしない生活の転換だったから、混乱し自責の念にかられ不安定になり、ぐるぐると思いが同じところに留まることから、やっと少しずつ前へ前へと目を向けることができるようになってきたこの頃。

周りの人の理解や応援のお陰なのはもちろんだし、こうやってブログを書きながら、一生懸命「前向きな物語」を自分に語り続けて来たことも大きい気がする。

予想外だったのはストレスが体調に強く出ること。それもそうした回路の根がかなり深いこと。ココロが上向いてもカラダはそれがカラ元気だと見抜く。そして敏感に警報を鳴らす。ちょっと調子に乗ってビール飲んだりすると、すぐ不調信号が出たし。

だから今は気持ち的に安定してきたとは言っても、ストレスの度合いはカラダの反応を見て判断する、そんな感じになってきてるかなと思うのだ。

夜2時前には寝て朝8時までに起きることを目指していたが、夜1時までに寝て朝7:10に起きるというパターンがだいぶ定着した。起きたらちゃんと着替え、洗濯干しをする。

「七時過ぎに顔を洗い、知る内儀に着替えて簡単に化粧。別にすっぴんでもいいのだが『起きたこと』を意識しないと果てしなくだらだらしてしまうので。」(同書より)

という入院中の生活の部分を読んで、わたしにとっての「起きたこと」への切り替えスイッチは洗濯干しだなと思った。でもカラダが要求してきたら昼寝もする。

これまで「気合い」で色々乗り越えて来たけれど、今はカラダの声に耳を傾け「気合い」は封印したい。しかしこの「気合い」でこれまで生きて来た歴史があるから、頭で考える程なかなか簡単には封印ができない。

負けず嫌いなところがあるんですよかなり。でもそうやって自力で試練を乗り越えて来たという自負もある。だから基本的に自分の力を信じているのだ、大した根拠でもないのに。

であれば「気合い」を封印するというよりは、できなさそうなことをやってしまうための「気合い」から、できそうなことを敢えてストップする「気合い」に変える、というのが気持ち的には自然でいいのかもしれない。

「うつ病」もその症状の現れ方は様々だという。「適応障害」もわたしはカラダに来るタイプ。でもその方が恐らく「うつ病」化には向わないに違いない。実際「抗うつ剤」服薬は2/27日に止めてるが問題はないし。この間ウクレレ発表会前にちょっとだけ安定剤として復活させたけど、眠くて仕方なくなったっていう印象の方が強い。

だから今はカラダがバロメーター。にゃ〜こと話していたのだ、来年の夏にはまた一緒にビールが飲めようになるのを目指そうって。