2011年4月30日土曜日

「昭和記念公園」春の風景

昨日ウクレレ「青空パーティー」を行なった
国営昭和記念公園は
広大な敷地に様々なコーナーが設けられているが
なんと言ってもきれいに整備され
至る所で咲き乱れている
花々の数と種類の多さが圧倒的なのだ

特に今は新緑の時期だから
周囲の緑も初々しく鮮やかで多彩である
花々の美しさもいっそう引き立つのだ

遠くから見て芝桜かと思ったきれいなブルーの「ネモフィラ」

ことしも日本庭園に咲いていた迫力ある大きな花の「八千代菊」

すずらんみたいな花がかわいい「ドウダンツツジ」

ハナミズキの白い花もあちこちで満開

ハンパでなく一面「菜の花」で埋め尽くされた場所

ハンパでなく一面「ポピー」で埋め尽くされた場所

群生しているのもきれいだけど一輪一輪もきれいなポピー

そしてとてもたくさんの品種が植えられているチューリップ
とにかく広くて広くて
写真を撮っているだけでかなりの運動になるくらい
  
来年はその一角の今は工事中になっている場所に
合掌作りと思われる古民家まで作られるようなので
またそれも楽しみである

毎年写真を撮っても撮り切れない
飽きない魅力がいっぱいの場所
ウクレレパーティーで行く昭和記念公園は
毎年恒例のお楽しみの場所だ
  

2011年4月28日木曜日

「死ぬまで薬を飲み続けていもいいんですよ」

昨日の検診で久しぶりにジェロ先生と
なかなか中身のある話が出来た
基本的に体調はそれほどひどくはならなくなった
それはメイラックスのお陰(と思い込んでいる)ことが大きい
だからこそ聞いておきたいことが合ったのだ
  
「この3週間も、花粉症の鼻炎薬を止めたあたりで、ちょっと不調の波が来ましたけれど、全体としては落ち着いていたと思います。不調になっても一日あれば復活できましたし、安定剤(メイラックス)があると、安心ですし。

ただ心配なのは、それだけ今の自分の回復が安定剤に依存しているんじゃないかと思うんです。つまり次にこの安定剤を止めようとした時に、禁断症状というか、非常に苦しいいんじゃないかって。」

するとジェロ先生は久しぶりに
諭すような感じで話し始めた

「ここに通われている方は皆さん同じようにおっしゃるんですね、薬を飲まなくなった時が、本当に病気が治った時ですよねって。

でも人が健康であるっていうのは、必ずしもそういうことではないと思うんですね。人それぞれ弱い部分とかを持っている。年齢やお仕事などで特にある部分を酷使する場合もあります。

だからその弱い部分や予防が必要な部分を、薬でうまく補っているって考えてみてはいかがでしょう。薬を飲まなくなることを目標とするんじゃなくて、体調が良く元気でいられることが本来の目標のはずなんですから。

幸いこのメイラックスというお薬は、用法を守っていただければとても安全な薬ですから、極端な話、予防も含めてこの先死ぬまで飲み続けてもいい、ぐらいに思ってらしてもいいと思います。

むしろ薬を飲んでいるからまだ治っていないんだと自信がもてなかったり、薬に打ち勝たなければいけないって自分にプレッシャーをかけたりする事の方が、ずっと良くないと思いますよ。うまく薬ともつき合ってい、くぐらいでいいと思います。」

実に納得の説明であった
つまりメガネみたいなものだ
弱ったところを補ってもらっているのだ
必要ない時ははずしてもいい
でも死ぬまでお世話になるモノではある
それと同じくらいに考えて
むしろ安定している自分を認めてあげて
その先に進む気持ちを大事にしてあげることが
自分のココロにもカラダにもいいっていうことなんだな

頓服用メイラックスもまた処方していただいた
今度は1/2錠に割って
1回の服薬量を細かく調節できるようにしていただいた

よし考え方をあらため
メイラックス断薬に向けてではなく
メイラックス有効活用をしつつ
体調をコントロールしながら
次の3週間を乗り切ってみたいと思うのである
  
とっても気持ちが楽になったのだった
ありがとうジェロ先生
  
  

2011年4月23日土曜日

手作り腕時計9号制作開始!

7号と8号の完成から
楽天オークションでの販売なんてことに
ちょっと興味が移っていたので
時計作りそのものは休止状態だった

オークションも反応無しなことがわかり(涙…)
これは地道に好きな時計を作っていくことにするかと
我に返ったのかもしれないが
今日は突然腕時計をまた作り始めたのだ

まだまだ“駆け出し”なので
時計作りには自分なりに
毎回新しい試みを少しでも取り入れようとしている
スクエアタイプとラウンドタイプを作ったり
ベルトをボディに留めるタイプと
ボディーの下をくぐらせるタイプにしてみたり
ベルトの接続部分のデザインを変えたり
飾りを付けたりと
技術的&デザイン的なチャレンジをしているのだ

そこで通算9号にあたる今回の時計である
今回の試みはフラットレンズの時計作りである
曲面を作るレンズに比べると型抜きの難しさはなくなるが
今度はガワにピッタリはめ込むために
レンズを微妙な手作業で削って成形しなければならない

今回の文字盤はまた違った雰囲気でいくのだ

アクリル板を大まかにアクリルカッターでカットしたら
金属ヤスリの上でひたすら角を取っていく
さらにガワの内側にピッタリはまるように
少しずつサイズを小さくしていく
そしてできあがったのがこちらである
ガワの内側から接着剤で固定して完了だ
  
ガラスがはまっているのがおわかりだろうか

フラットなレンズにするともう一つ問題なのが
文字盤までのスペースを作る必要があるということである
球面レンズならレンズの端が
ガワに沿って内部に入っていくので
そのままレンズに文字盤を当てればいいのだが
今度はそうはいかない

そこで2mm棒線を叩いて板状にし
それをガワの内側ピッタリに回して
文字盤がレンズから約3mmぐらいの位置で止まるようにした
これなら針もレンズにぶつからず問題なく動くはずだ

ガワの内側にもう一つ板をまわして文字盤を固定しているのだ

最後に全体をアンティーク溶液で“汚し”て
今日のところは取りあえず作業終了である

ガワの横にリューズ用の穴も開けたので
後はバンド用の留め具を作っておけば準備OK
残りは水曜日の時計教室で仕上げだ

教室ではバンドとムーブメント&針乗せを一気にやって
9号が完成できるようにガンバルぞい
出来上がったら今度は4,000円ぐらいから
オークションにかけてみようかな
  
もうオークションとか止めて
欲しい人にあげちゃおうかとも思ったんだけど
いくらなら売れるのか
それともはなっから売れないのかっていうのも
ちょっと気になるのである



2011年4月7日木曜日

腕時計7号&8号完成!

昨日の腕時計教室で
できれば販売品としたい念願の7号と8号が完成した

まず腕時計7号は
前回すでにムーブメントを含めて
ボディは完成していた
ただレンズのゆがみとか文字盤のズレが気になって
それぞれ自宅で作り直したものだ

レトロ調文字盤に合わせて
渋い色のベルトにしようと思っていたが
深い緑色が気に入って採用した
文字盤の薄い黄色にもマッチしているかな
バンドサイズは細めだ

  
続いて8号は6号の改良版あるいは姉妹版
文字盤を大きく見やすくし
全体に黒っぽいアンティーク感をもたせ
ベルトを細めにしてボディのインパクトを強めた
近くのユザワヤで買った黒いカシメで
バンドをボディに留めているのがワンポイントとなっているかも
  
  
バンドは2mm厚の牛皮に革用染料で色付けしたもの
トコノールで仕上げ処理もしてある
ムーブメントはSeiko Epson製の純国産品
手首サイズは約14cm〜18cmで男女兼用である

さて初の売り物となりますかどうか

  

2011年4月6日水曜日

「リポ○タンDをあんまり飲んじゃいけないよ」

見知らぬ男がそう話しかけてくる
わたしはちょっと不審に思いながら聞き返す

「どうしていけないんですか?確かに1日1本て書いてあるけど…」

その人は声をひそめて言う

「それはね、リポ○タンDには、ワニの……が入っていてね…」
   
「えっ、もう一度言って下さい、もっと大きな声で。ワニの何ですか?」
   
「だからね、ワニのね……」
  
そこまで
そういう夢

非常に知りたい
しかしなぜワニ?
まぁ例え何が入っていても飲むんですけど
  
わたしが何か?

  

2011年4月2日土曜日

「世界大戦争」(1961)

  
世界大戦争」は1961年(昭和36年)、戦後16年を経た年に作られた東宝渾身の反戦映画である。

1954年に「ゴジラ」で間接的に核の脅威や戦争の恐ろしさを描いてから7年、ゴジラに続く怪獣映画路線とも、その後に作られた「ガス人間第一号」を頂点とする“変身人間”シリーズとも、「妖星ゴラス」などのSF物とも異なる超大作だ。シリアスな雰囲気は後の「日本沈没」に近い。

ストーリーはシンプルである。東西冷戦の緊張関係がやがて世界大戦へとなだれ込み、世界中の主要都市が核ミサイルにより消滅。その放射能の影響で全人類が滅亡することが暗示されて終わる、極めて悲劇的な重い内容だ。

しかし撮り方を間違えれば、軍事シミュレーション的な映画か、大パニック映画にしかならなかったものが、フランキー堺演じる平凡な一家族に焦点を当てることで、戦争の理不尽さが強烈に浮き彫りになり、感動的な作品となっている。

当時の東西冷戦という状況を反映させて、連邦国軍と同名国軍による緊張が続く世界。第二次大戦から奇跡の復興をとげ、やっと平和を謳歌しは始めた日本は連邦国に属している。

朝鮮半島北緯38度線で展開される衝突。連邦国側ではコンピュータの誤作動による核ミサイル発射のカウントダウン。同盟国側でも同様の核ミサイル発射事故を防ごうと、ギリギリまで努力がなされ間一髪で発射は阻止される。どちらの陣営も核ミサイルのボタンを押したら、相手だけでなく自分たちを含めた世界全体が終わってしまうことを知っている。

この「戦争をしたいと思っている人はどこにもいない」という視点もこの映画の大きな特徴である。「悪」がいて「善」がいて、「悪」を倒せば世界は平和であるという、勧善懲悪的な図式はそこにはなく、だからこそ全編に渡り両陣営のピリピリした緊張感が張りつめる。

平和に日常の中で、酒を飲み、食事をし、恋愛をし、未来を語る人々の丁寧な描写がいい。明日があることを信じて、来年の春にチューリップが咲くことを信じて、日々の生活をしている人々。疎開をあきらめ死の瞬間を待つ一家。理不尽さに「娘はスチュワーデスに、息子はオレが行けなかった大学に入れてやるんだい!」と叫ぶフランキー堺演じる父親の望む、ささやかな幸福が胸を打つ。

保育園にあずけた子どもを避難する人の流れに抗って必死に迎えに行こうとしながら力尽き果てる母親。無線で船上の恋人と最後のやりとりをする東京に残った娘。最後に交わされる胸が締め付けられるような言葉。登場人物が皆いい演技をしているのだ。

今見ると両陣営とも英語をしゃべっているとか、ミサイル施設や基地内部が安っぽい感じがしてしまうとか、外国の地図も日本を中心に描かれているとか細かな難点は確かにあるけれど、それらを忘れるほどに、平和が一方的に踏みにじられる側の描写に重みがある。

映像的には、避難する人々のモブシーンの迫力が凄い。さらに円谷特撮の見事さ。精巧な主要都市の風景。ベーリング海での両陣営の戦闘機の空中戦の迫力、水中の潜水艦から発射されるICBMの海上に出た瞬間の炎のリアリティー。

そして最後の大都市壊滅シーンの恐ろしさ。核爆発の爆風、高熱(炎)という威力を丁寧に描き分け、大カタストロフを映像化している。そこにはミニチュアワークとか合成とかいった手法を越えた、愚かさへの怒りが込められているような、強烈な迫力がある。

ヒーローもヒロインもいない。奇跡も起こらない。超人的な行動や愛の力も存在しない。ただただホームドラマにでもなりそうな家族が次第に戦争の恐怖に巻き込まれ、やがて核のキノコ雲の下で無念の思いを残しながら消えていく物語である。

怪獣映画の影に隠れて今ではあまり目立たないけれど、これは傑作である。

  

2011年4月1日金曜日

学校の夢


開校して2年目に入ったなぁと思っている
授業は実習室のような場所で
わたしはメインの先生に付くサブのような存在だ
でも授業で何をやるのか
自分が何をすればいいのかは
わかっていない
でも焦るわけでもなく気楽な気持ちで
生徒と雑談をしながら授業の始まりを待っている

いやもしかするとわたしは
生徒の一人だったのかもしれない

教室の壁を見ると
クラスの時間割が貼ってある
そこに「2時間目:ボランティア」とある

「あっ、そうか今日はボランティアがある火曜日か!」

わたしはボランティア担当として
授業を立案・計画・準備しなければならない
でも1年生の「ボランティア」の年間授業案は作ったけど
2年目の生徒のための「ボランティア」は作ってないぞ
それに2年目にはもう「ボランティア」はないはずだけど…
どうなっているのかわからずちょっと気持ちが焦る

この授業に出ていていいのかな
今からで何か準備しないといけないんじゃないかな
それとも誰かがすでに2年目の「ボランティア」の
計画やら準備やらを済ませておいてくれたのかな

そして授業が始まる
わたしはいきなり自転車こぎ発電機に乗って
自力発電のデモンストレーションをやらされる

という夢
退職校で病休になったのは開校2年目
職業訓練的な実習も多かった
その前任校で「ボランティア」の担当をし
毎週火曜日に1年生の科目として「ボランティア」の授業があった
年間指導計画も外部との交渉も当日の準備も
ほぼ全部わたしが行なった

うまい具合に2校の雰囲気が混ざった夢だ
夢の中のわたしはちょっと焦っているけど
追い詰められ感はさほどない

でも最後の自転車発電はなんだろう?
そんなこと体験したことなんかないのに
震災がどこかで影響して出てきたイメージなんだろうか

そしてまたなんで久しぶりに
学校の夢なんか見たんだろう
  
と思ったら
今日は4月1日新年度開始の日
そうきっとそれが心のどこかに残っていて
学校の夢を見させたに違いない
平和な夢だったけど