2014年6月30日月曜日

幻想世界CG画ArtDeliファブリック・パネル

先週末に届いていて、箱を開いて取り出して
絵にすりすりしたくなるほど感激していたのだが、
なかなか写真を撮る時間と気力がなかったので
遅くなってしまった。

週末が終り一息ついたので一挙公開である。

大きさから開け方までまさにピザ。でもデザインはオシャレだ。

わぉっ!開けてみるとこんな感じだ。箱は卓上用のついたてにもなる。
 
表面はキャンバス地。でもプリントは実に美麗で階調表現も豊か。色味も正確だ。

暗い廊下/白い壁/暖色ダウンライトという場所で撮ってみた。
巻きの柔らかさや厚みの影が良い感じだ。
 
箱の一部が壁掛けパーツになっている。軽いのでピン一本でも支えられる。
 
今回は比較的大人しめのものを選んだのだけど
キャンバス地の肌合いとか巻き処理の暖かみがあって
あまり強く自己主張せずに部屋に馴染む感じが良い。

追加してもっと買いたくなっちゃうなぁ。




2014年6月29日日曜日

「あしながおじさん」の表紙を作ってみたのだ

「あしながおじさん」の翻訳も佳境である。
大学生活も年を重ねて、
今四年生のクリスマスにさしかかるところだ。
ジャーヴィー坊ちゃんともそれなりにあったし、
出版社へのアプローチも大きな話題である

しかし一見地味で単調に見える大学生活を
手紙文でこれだけバラエティー豊かに描き、
そこにちょっと青臭くても力強いジュディの言葉が加わり、
中だるみとかすることなしに
密度の濃い文章が続いていくことに驚く。

変に説教臭くもなく
話題に事欠いている苦しさも微塵も感じさせず
心の機微もきちんと描き
ユーモアは常に忘れず
それでいてジュディが少しずつ成長していることを
読者に感じさせてくれるというのは、
やっぱりジーン・ウェブスターの才能を
ひしひしと感じてしまうのである。

昨日は一日籠って作業をしていたので
昨晩はアタマが興奮していたのか
夜中の3時頃に目が覚めて眠れなくなり、
結局そのまま2時間くらい翻訳をやったのだ。

今日も結局昼寝もせずに翻訳三昧だったが、

さすがにちょっと息切れがしたので、表紙を作ってみた。
今回はシンプルで可愛いものにした。
なかなか良い感じに仕上がって満足満足。
  
さてこれがそのまま完成版の表紙になるかどうか
それはまだ分からないけど
完成に向かって一歩一歩進んでいる実感は
かなり味わえたなぁ。




2014年6月28日土曜日

久しぶりにPIXTAで絵が売れたのだ!

PIXTAから忘れた頃にやってくる
「あなたの作品が購入されました!」
というメールが
今日久々に届いたのであった

今回は

“エクストラライセンス”
(TV / 販売商品 / 販売出版物 / 有料配信に使用)
というものなので
もしかすると、どこかのなにかで目にするかもである

売れたのはこの絵である

すっかり忘れていたのだが
ワタシ「妖怪城」というタイトルを付けていたのだった…



2014年6月26日木曜日

ArtDeliのファブリックパネルが送られて来るぞ〜

オンデマンド生産だから、希望した2点の商品を
その時点から制作していたわけなのだが
今日メールで発送準備が整ったという連絡があった。
  
6/20に注文したので完成まで約一週間、
お届けまで10日見ておけば良いという感じかな。
サイトのは「6営業日ほどで発送」とあるから、
そのあたりは看板に偽り無しである。

この週末に届くくらいな感じだろうか。
届いたらさっそく写真を撮って載せたいものだ。
  
オリジナルを知っている…というか、オリジナルの産みの親のワタシが
この製品の実物を見てどう思うかというのは
ワタシがこれをどれくらいの熱意を持ってプッシュできるかに
大きく関わって来るのである。

ちょっと先に楽しいことが待っているというのは、
なかなか嬉しいものである。

情緒的に安定している人

先日テレビのトーク番組に、阿川佐和子がゲストとして出演していた。
その時に挙げていた「理想の男性像の条件」が面白かった。
取りあえず3つ上げて下さいというリリーフランキー氏に答えて、

 1.情緒が安定している人

 2.ユーモアの感覚が近い人
 3.大らかな人

阿川佐和子は確かにチャーミングだと思うけど、

取り立てて好きというわけではない。
でもこの三つはかなりワタシ的にもツボであったのだ。

一見すると1と3はその人の性格とか人間性みたいなもので、
2だけがプライベートなことのように見えるけれど
恋愛対象として見たなら、どれもプライベートなことである。
つまり、“自分と一緒にいる時の相手の姿”ということである。

だって実際には恋人とか夫婦になった途端に、
横柄になったり自分勝手になったり、
果てはDVみたいな面が噴出したりすることもあるのだから。

ワタシの場合は6年前にダウンしてから心身ともに不安定なので
まさにこの3つはとても重要なのである。
  
情緒が安定していない人だとワタシ自身がすぐに疲れてしまう。
以前は不安定な生徒だらけの職場で頑張っていたわけだけど、
今は不安定な人を広い心でグッと受け入れる余裕はないのだ。
大らかでいてくれるのも大事だ。
細々と指図されたり、自分ルールに合わされたりすると困るし、
予定外・想定外に弱い人でもやっぱり困るのだ。

ユーモアの感覚が近いというのはつまり、
笑いのツボが同じってことであろうなあ。
自己嫌悪で笑うことも難しかったワタシ的には
これもまた非常に大事なのである。

ということで
あらためてな〜こがスゴいというお話なのである。

1も2も3も楽々クリアーである。
特にこんなに情緒が安定していて
一緒にいる時に穏やかに楽しくしてくれる人は
ワタシは他に知らない。
仕事をしていて色々大変だろうに、
疲れて帰って来ても愚痴を言うこともなく不機嫌になることもなく
とにかく一緒にいると二人で笑ってばかりいるのだ。

おかげでワタシはこうして毎日生きていられるのである。
いや大げさな言い方ではなく、真面目な話。

リセットしてからの人生は始まったばかりなのだ

頭から首に掛けて、鉛がつまったような頭で考える。
今日も一年365日繰り返す洗濯をつつがなく終えて、
この鈍い頭と重苦しい首とダルい身体を持て余しつつ
どうやって今日一日を過ごしたものだろう、と。

ネットラジオをかける。
最近のお気に入りは自然の音が入ったアンビエント系だ。
ピアノやフルートやハープのシンプルなメロディーの後ろで
鳥の声や小川のせせらぎ、波のくだける音がしている。

実に安易な音楽である。
であるのだけれども、
思わず身を乗り出すような音楽ではないから
仕事の邪魔にならない。
アーティストが次々変わるのも良い。
煮詰まるのを少し防いでくれる。
頭の鉛を少し忘れさせてくれる。

「あしながおじさん」の翻訳は2/3くらいまで進んだ。
ジュディの小説が初めて雑誌社に売れて、
大学では奨学金がもらえることになった。
自分の力で世界を切り開き始めたところだ。
  
もちろん小説が次々に掲載される保証は無いし、
まして自分の作品が人気を博すなんてことは夢の夢である。
大学の奨学金だって大学在学中だけのものだ。
でももがきながら一歩を踏み出す。それが大事である。

翻訳は妥協したくなる自分との戦いでもある。
苦しい戦いだけれど、妥協せずに積み上げて行って、
最後までやりきった時の喜びは
売れる売れないとは関係なく、大きいものなのだ。

今できることをやる。少しずつ積み上げる。
何歳になってもリセットはできる。
できると思っている限りはできるのである。

エレキギターの弦を張り替えたのだ

実家の洗濯機買い替え手続きはどうにか終り
今週金曜日に配送&取付&引取を行なってくれる予定だ
時間指定ができないと言われたのだけど
午前中は訪問看護婦さんが1時間半来てくれるので
わたしは午後から行くようにするつもり

特に何をするでもなく見守っているだけだから
母サマ1人にならなければ良いのである

ということで翻訳作業を少しずつ進める
文章が長くなり話題が抽象的になってきているので
訳すのが少し大変になってきている感じである

すると突然中三君がエレキギターを抱えて
わたしのところにやって来た
弦が切れてしまったので張り替えて欲しいとの事
彼はワタシが言うのも何だけどピアノはかなりの腕前である
でもギターはまったくの初心者だ
秋に軽音部で発表することになっているので
ワタシが昔勢いで買った安物エレキで練習しているのだ

ワタシはギターは挫折したので
(またやりたいとは思っているけど)
弾き方を教える事はできないのだが
ギターやベースやエレクトリック・ドラムが
家にあるという環境は羨ましい限りである
弾きたいと思ったらすぐ手に取れるというのはスゴいことだ
あれこれ手を出して楽器を買ったのも役に立っているか…

それで弦の張り替えである
挫折した身だからそれほど経験はないけど
せっかくなのでヘタクソながら目の前で見せて上げる事にした


一本一本ペグに巻き付けてはチューニングして行く
巻き方がちょっと難しいのだが
それでも何とかダマにならずにきれいに巻けたのは良かった
彼も真剣に見ている
見た経験があれば次に弦を張り替える時には
自分でやってみようという気になる
それが大事である

時間はかかったが6本全部の弦が見事に新しくなった
われながらきれいに張れたのは嬉しかった
でも人に見られながら作業するっていうのは疲れた
はぁエネルギー使いましたですよ


2014年6月23日月曜日

「風立ちぬ」をDVDで見たのだ

映画館で見た時も
何だかよく分からない涙が
ずっとじわじわ出て仕方がなかった

DVDでもう一度じっくり見た

やっぱり良かった
感動を盛り上げる構成にはなっていない
だからラストで大きなカタルシスはない
でも逆に言えば全編見どころである

とにかく絵の密度がハンパではない

動きの繊細さも質感や重量感の豊かさも
画面構成の安定感も
俯瞰を多用した圧倒的な情報量も
息をつけないほどに凄まじいものがある

特に次郎と菜穂子が絡むシーンはどれも素晴らしい

抱き合った時の顔の距離感や
身体の動き表情の変化がぐいぐいクル

一つ実感したことがある

次郎はかなり早い段階から
菜穂子が早晩死ぬことを悟っているということだ
菜穂子の父親から知らされたのかもしれないし
本人から聞かされたのかもしれない
でも次郎は知っている

「ぼくらには時間が無い」というのはそういうことだ

だから上司の黒川も妹の加代も
その言葉の前には絶句してしまうのだ
そしてその残された時間を
二人は“普通に”生きようとするのだ
もうエゴだとか可哀想とか言うレベルでは無かったのだ

だから病気がうつることもいとわずに

菜穂子はサナトリウムから次郎の元にやって来て
同じ部屋で生活するしキスもする
病気が悪化することもいとわずに
次郎は煙草を吸う
二人はそうやって一生懸命に
二人の時間を“普通に”生きたのである

そして医者になった加代が

医者として菜穂子を診に来る日に
診断を受けて病状が知れるのを避けるように
サナトリウムに帰っていくのである
そして次郎が泊まり込みで家を空け
ついにテスト飛行に成功した瞬間に
遠い山の病院で一人息を引取るのだ

いろいろな時代的要素が含まれている上に

次郎の性格が分かりづらいこともあるのだが
何か一つを取り上げて理屈で解釈したり批判したら
そこでこの作品を味わう旅は終ってしまうのだ
ちょっとした動き一つ取っても
ここだけにしかない美しさがある

いやこれはすごい作品だと

あらためて思った次第である



Mac OS 10.9で特殊文字を入力する

翻訳を進めていたら
⒜という文字を入力する必要に迫られたのであった
半角英数で(a)とするのではなく
全角一文字で⒜としたいのである
そうでなければKindleで縦書き表示にすると
文字が横に倒れてしまうからだ

ところがデフォルト状態だと入力メニューに

文字ビューアが表示されていないのだ



ネットで調べたところ次の手順で解決した


まずリンゴマークにある「システム環境設定...」を選び

表示されたアイコンの中にある「キーボード」をクリックする



開いたキーボード設定画面の下の方にある

「メニューバーにキーボードビューアと文字ビューアを表示」に
チェックを入れる
あとはもうウインドウを閉じて構わない


これで入力メニューにメニュー項目が追加される




さっそく文字ビューアを表示させてみると一覧が表示され

ダブルクリックかドラッグ&ドロップすれば
その文字が入力されるようになる



設定は極めて簡単なんだけど

知らないとえらく困って悩んでしまうものである

さて翻訳を続けるとしようかな


 

2014年6月22日日曜日

ジュディの違い

「あんれまあ!ニューヨークってでっけいなぁ!ウースターなんて問題にならない。あなたはほんとうにこんなごちゃごちゃのなかで生活してらっしゃるの?二日いただけでぼうっとなってしまって、何ヶ月かかったってなおりそうもないわ。」
(谷川俊太郎 訳、1988年)

「たまげましたわ!ニューヨークって、大きいところですのね。ニューヨークに比べたら、ウースターなんて町じゃありません。あんなめまぐるしいところに、ほんとにあなたはすんでいらっしゃるのでしょうか?わたしは、二日間で目が回ってしまって、一月やそこらでは、回復しそうにありません。」
(前田三恵子 訳、1973年)

「もうびっくりです!ニューヨークって大きいのですね。ウースターなんて全然たいしたことありません。あなた様は本当に、あのごちゃごちゃした街に住んでいらっしゃるのですか?わたしなんてわずか二日で目を回してしまった上に、数ヶ月程度では回復は難しいと思っているところです。」
(拙者訳、2014年)

手紙文というのはその時代の言葉遣いを如実にあらわす気がする
翻訳者の個性や意図もあるだろう

ワタシとしては原文のニュアンスをできるだけ伝えつつ
不自然な回りくどい訳にならないようにするという
バランスをとにかく考えている

加えて「あしながおじさん」の場合はジュディという女性を
知的でまじめで純粋でユーモアにあふれるつつ
決して馴れ馴れしくならないという
大人の女性として描きたいのである

しかし言葉選びにとても時間がかかるのだ
まだやっと半分行くか行かないかである
がんばれワタシ!梅雨が終ることにはきっと完成しているから


Kindle本作りはアニメ制作に似ている…かも

翻訳をしていて何の知識もないけどふと
アニメ制作ってこんな感じなのかなぁと思ったのだ
自分が一人のアニメーターになったような気分である

原語のオリジナルはいわば“完成された絵コンテ”である
でもそのままでは表には出せないので
監督や脚本の意図するところを汲みながら
それに動きを加えていくわけだ

骨格は変わらないけれど
アニメーターの個性や力量で
アニメーションは変っていく
翻訳だって絶対的な存在としてオリジナルがあるけれど
翻訳者によってその日本語版の印象はかなり違ってくる
「あしながおじさん」なんて手紙文だからそれが顕著で
ジュディの性格や幼さや
「おじさま」との距離感も違ってくるのだ

そして連日の修行のような作業の積み重ねである
作業中は作品世界にどっぷりと浸かり
現実時間とは別の作品内時間が流れ出す

例えばワタシにとって今リアルなのは
二年生になったジュディと三月を過ごしている
ペーパーチェイスという追跡ごっこをして
丘や畑や沼地を抜けて8kmも歩いて来たところなのだ

そうやって少しずつ少しずつ全体像が見えて来る
それに従ってルビが入る
挿絵が入る
脚注が入る
そして仮のkindle本を作って全体を検証する

アニメも声優さんの声が入る(先の場合もある)
効果音が入る
音楽が入る
ラッシュチェックで全体を検証する

などと強引にアニメーション制作に例えばみたけど
多分この長時間黙々と少しずつゴールに向かっている感じが
一番似ているんじゃないかと思う
体力勝負の持久戦である
でも集中力を落とすこともできない

翻訳で集中力が落ちると変なミスをするだけでなく
例えばジュディの性格が変わってしまうとか
ウキウキした話なのに文章の流れがぎこちなくて
実はウキウキしていないかのような印象を与えるとか
そんなことにもなりかねないのである

少なくとも〆切に追われていないワタシはすごく恵まれているから
集中力メインでやるためには適度に休まないと…
でも早く完成品が見たいという
はやる気持ちも強いから困ってしまうんだけど

2014年6月20日金曜日

今日はダウン寸前

実家詣での日である
洗濯機を新調したいのだが
どのメーカーも大型化してしまったのか
現在のスペースに入るサイズが見つからず
ギリギリどこまで広げられるかを確認せねばならない

だからぜひとも実家には行きたいと思っていたのだが
朝から不調なのであった
最近はありがたいことに首痛が出ないから
頭痛や吐き気に苦しむこともないのだが
今日は全身のひどい疲労感&倦怠感であった

朝ベッドから起き上がるのもつらくて
何とか動き出しても
まるで高熱の時のようにからだがダルくて仕方ない
特にひざから下に力が入らないみたいな感じで
普通に歩いているだけで
辛くて立ち止まりたくなるのだ

もしかして小さな脳梗塞か?
なんてことも心配するくらいであったが
どこかが動かないとか感覚がないとかいうわけではない
とにかくダルいのである

それでもボロ雑巾を引きずるように
どうにか実家まで行って来て
目的も果たして来た

実はお腹の調子もあまり良くないから
これはいわゆる“熱の出ない風邪”みたいなものかしら
本当なら横になっていなきゃいけないくらい
カラダの調子は乱れているのかもしれないな

明日は養生日にするとしよう

ArtDeliに注文してみたのだ

何より現物を拝みたいということで
ArtDeliに2点ほど注文をしてみた

オリジナルを知っているとどうしても
トリミングされた“足らない感”みたいなものが出てしまうが
オリジナルを知らないでこのパネルだけ見ると
また印象は違うんだろうなぁと思いつつ
自分的に“足らない感”が少ないもので
かつ
比較的どこにでも飾れそうな
個性があまり強過ぎないものを選んでみた
な〜こにも手伝ってもらった



別売でフレーム(ホワイト/ブラウン)もあるのだが
オリジナル状態だとキャンバスの厚み部分にも絵が来て
横から見ると絵が木枠をくるむ感じになる
それもまた今までに無い感じで面白そうである

2,700円表示だったのが2,500円表示に変更されたり
商品ナンバーが違うのに同じ絵が並んでいたりと
最初はちょっと混乱していた部分もあったようだけど
facebookの方でもご紹介いただいて
やっと販売体制が整った感じである

ワクワクドキドキしながら
届くのを待つことにしよう

2014年6月19日木曜日

翻訳作業は実にストイックだ

翻訳作業と言うのは実に忍耐がいる
一気に短時間集中で終るものではないから
延々と毎日作業を行なわなければならない
それも自分で自分を鼓舞しつつ
適当に休憩や気晴らしや食事などをはさみながら
一歩また一歩と作業を進めていくのだ

何とストイックな作業であろう
そして
何とストイックな生活であろう

ありがたいことに
一時期少し根を詰めると出ていた首の痛みは
連日の長時間作業にも関わらず出なくなった
体調がさらに改善されたのかもしれないなぁ

年始から二月あたりまでけっこう好調で
三月〜五月あたりはちょっと下降気味になり
冷えピタや頭痛薬にもまたお世話になったけど
今の好調さは年始よりも安定している気がする

とにかく時間があれば体調を心配せずに
翻訳を進められるというのは
ありがた過ぎる状態である

さてその「あしながおじさん」であるが
さすがに人気のある名作だから訳もいくつか出ている
それはとても参考にさせていただいているのだが
やっぱり訳によって主人公ジュディの描き方が違ってくるのだ
手紙だからそのあたりが如実に現れるのが面白い
だからこそワタシなりの訳を出すことにも意味があると思うのだ

幼さも残るけれど苦労を経験して大人びてもいる女子大生が
見たこともない恩人に書く手紙である
その手紙を今の人たちが自然に読めるものにするのだ
またまた新たな“定番”目指して頑張るよ
大きく出たなぁ〜

梅雨が明けるまでに完成させられるかな



あれこれArtDeliの宣伝など

ArtDeliでファブリック・パネルの販売が開始されたので
facebookやサイトやブログで
宣伝しまくってみたわけだけど
今一番欲しがっているのは
何を隠そうこのワタシであろうと思うのである



パネルになる絵には

油絵風な表面の模様が付いているが
データにフィルターかけて印刷するのではなく
キャンバス地に印刷するからこうなるのである
このどことなく油絵風な感じがまた良いのだ

とにかくどれか一つをまず買ってみて

飾りたいのである
楽しみだなぁ

2014年6月17日火曜日

Design Festa当選 & ArtDeli販売開始!

本日Design Festa No.40の当落発表があって
ありがたいことに当選とあいなった次第である
いやぁうれしい!

出展は今回も土日両日で

11月8日(土)・9日(日)である

出展ブース料の41,000円も

今オンライン決済が完了した
これで出展決定である



前回出展費用と売上がほぼとんとんのところまで来た

次回はさらなる売上を狙いたい
それがデザインフェスタに出展し続けるためにも
とても大事だからである
だからちょっと戦略的に準備&販売を行う予定だ
頑張るよ〜!

さらにおそらく例のArtDeliで目下準備中の

壁掛けキャンバス地商品も持って行けるだろう
と思ってサイトをのぞいてみたら
もう商品が並んでいるではありませんか!
ワタシのページもできております



オンデマンド商品だから
完成した商品自体の写真がないのが残念だけど
いずれワタシ自身手に入れて飾りたいので
サンプルでも何でも写真をお見せできると思う

キャンバス地に美麗印刷したものを木枠にはめたもので

30cm四方というかつてのLPジャケットサイズで
2,500円である(初めて知ったのであった)
ぜひご覧下さいませ

2014年6月16日月曜日

実家の洗濯機が壊れたのだ

突然実家から電話である
何かあったんじゃないかと心臓に悪いのだが
今日の電話は洗濯機が壊れたというお話であった
  
脱水ができなくなってしまったので
出来るだけ早く買い替えたいそうで
当然のように弟クンは
「忙しくてそんなことやってられない」そうで
わたしにお鉢が回って来たのである…はぁ…

実家のあたりは高齢化&過疎化が進んでいて
家のそばに昔あった駄菓子屋的小売店鋪や
町の八百屋さん的なお店はことごとくなくなり
当然のように町の電気屋さんも無くなった

さらにスーパーやホームセンターも近くにはないので
電気製品を買い替えるのは一苦労なのである
ネットで注文しても良いのだけど
古いヤツは引取って処分して欲しい
そのあたりはどうなんだろう?

取りあえず明日の実家詣では
母サマの入浴の見守りに加えて
洗濯機スペースの採寸が
新たなミッションとして加わった

家電製品の出し入れも大変な
半ゴミ屋敷であるからして
たぶん納品&セッティングの時にも
ワタシはいた方が良いだろうなぁ
まったくもって大変である

生活介護っていうと
こういうことを含めていろいろ出て来るのだなぁ
まあある意味平和な電話で良かったんだけど

デスクワークとお食事

教員というのはデスクワークの時間は少ない
多い学校もあるだろうけど
会社でデスクワークと言ったら
本当に一日机に座ってパソコンとにらめっこという
ほとんど動かない仕事も多いだろうから
それと比べればはるかに動く

授業とその準備というイメージとは全然違って
分掌の仕事(教務とか生徒指導とか)もあるし
部活の顧問としての仕事もある
何か事件が起これば分掌に関係なく
当事者に加えて担任や学年主任などは大わらわだし
教材研究以外にもあれこれと雑務をせねばならない

生徒と話し込むこともあれば保護者と相談することもある
文化祭や体育祭などの行事だって大変だし
何かの研究指定校などになっていたら
その研究や発表や報告書作りもやらねばならぬ

そう思うと教員というのは実に
マルチタスク&臨機応変な動きを求められるのだ
だから落ち着いて机に座ってる時間は非常に短いし
常に分断されるのを覚悟している状態なのである

ひるがえって今の自宅翻訳生活はまったくその正反対なのだ
邪魔されるとしても宅配便の受け取りぐらいである
一日ほとんどパソコンの前から動かないで
人とも話をしないで作業に没頭している
雑談も相談も会議も発表も何もないのである

何が言いたいかというと…
こういうデスクワーク中心の生活をしていると
ご飯がとても楽しみになるということである
何を食べようかという前に
食べること自体が待ち遠しくなるのだ
息抜きとかいう以上の重みを持ってくるのである
束縛からの解放
苦行の合間の快楽か

すると何だか食べたい食べたいという気持ちが強くなる
間食はしないワタシでも
食事と食事の間がとても長く感じられてしまうのだ

デスクワークが中心な人って
こうやって太って行くんだなきっと
気をつけねばなりませぬ

2014年6月15日日曜日

アメリカンなこぶしが嫌い

演歌のこぶしは違和感がない
でもあのソウル・ミュージックの影響なんだか何だか
コロコロとこぶしを回して歌うのが大っ嫌いである
いわゆる“鼻につく”というやつである

上手い下手の問題ではないのだ

技術的にはスゴいのかもしれない
いやもしかすると本場のシンガーを凌駕していたとしても
やっぱりマネはマネなのである
っていうか
本人気持ち良いんだろうなぁ以外に
何も伝わって来ないのである

あとあれもヤダな

「〜が」を「〜ぐぁ」みたいに発音するやつ
「あなたが〜」じゃなくて「あなたぐぁ〜」っていうの
日本語が汚く感じるから
「ぐぁ〜」じゃなく「んが〜」だろっていうのとは
ちょっと違うのである

これまた英語訛りの日本語をワザと使っている風なところが

ムシズが走るほど嫌なのである
あぁ自分に酔ってるんだって引くだけで
上手いともカッコイイとも全然思わない
むしろ曲が良かったりすると超残念である

桑田佳祐ぐらい確信犯なら問題ないのだ

それに彼の場合はどうだ上手いだろって感じが無いのだ
これはすごいことだと思う
だって同じようにイヤラシさなく「ぐぁ〜」って歌おうとすると
それはもう桑田佳祐のモノマネにしかならないのだから

「あしながおじさん」の翻訳は楽し

手紙を書いているジュディの気持ちに
ちゃんと寄り添わないと
訳文がつまらなくなってしまうので
そういう意味では気の抜けない作業である
でもキツいけれども楽しい
それはやっぱりジュディーの書く文章が楽しいからなのだ

節度を守りつつも自由奔放に
そして情感豊かに身の回りの話をするのだ

無礼でごめんなさいとちょっとだけ開き直ったり
「慈善箱」に入れられた他の生徒の服を着る
「魂まで腐ってしまいそうな」悔しい思いをした
高校時代のことなど思い出しつつ
とても無邪気に新しい服を喜んだり
何と言うか
そういう厳しい現実を耐えて乗り越えて来た
芯の強さとかたくましい明るさが感じられるのである

それでいて卑屈になるでもなく
思い上がるでもなく
恨みつらみを吐き散らすわけでもなく
目の前の一つ一つを
精一杯慈しんでいる感じがするのだ

それはジュディ(作者のJean Webster)が描いた
カットの脱力加減からもうかがえるのである


この英文も日本語に直すべきか悩み中だけど
少なくともカットはすべて収録するつもりである

中々進まないけれど
逆にこの世界に浸っていられるのがシアワセって感じだな
一方でもちろん少しでも早く本として完成させたいとも思う
文章の間にこのカットが入った完成版を
KindleとかNexusで読みたいなぁ

2014年6月14日土曜日

手紙文翻訳の難しさ

「あしながおじさん」頑張ると言っておきながら
いきなり難しいという話である
  
なぜ難しいのかと言うと
この話がイントロの「憂鬱な水曜日」をのぞいて
全編手紙文になっているという点なのである
それもジュディーからの一方的な手紙だけなのだ
  
今日常の生活で
わざわざ手紙をしたためるということは縁遠くなった
それは手紙の文章というものに縁遠くなったことでもある
具体的に言えば今書き手も読み手も
絵文字も顔文字も使わずに微妙なニュアンスを伝えたり
それを読み取ったりすることが
とても難しくなっているという気がするのだ
文章自体もメールのような短く簡潔なものが好まれる
  
だから
こういう風に訳すと自己チューな感じがしてしまうのではないか
あるいは皮肉に聞こえてしまうのではないか
そういう気遣いを
翻訳しながら常にし続けることになるのである
  
手紙を書くという条件だけで
自分の学費と生活費を出してくれている恩人に対して
年齢的にも立場的にも節度の感じられる文でなければならない
でも一方でそれが恋愛に発展して行くような
ジュディの魅力が感じられるものでもないといけない
  
訳文から感じられるジュディ像が
媚びてるみたいとか偉そうだとか失礼だとかいうような
魅力の無いものになってしまったら
せっかくの名作を台無しである
  
そういう格闘を全編に渡ってしていくことになるのだ
  
いやいやこれは面白いしやりがいがあるけど
大変だぞ〜

   

翻訳第六弾は「あしながおじさん」

またまたチャレンジングな名作である
個人的にも思い出深い作品で
たぶん中学時代だったと思うけど
この「あしながおじさん」や「赤毛のアン」を読んで
わたしは生きる術を身につけたと言っても
過言ではないのである

まず言っておきたいのは
「あしながおじさん」なんて
金持ちのオトコがその金にモノを言わせて
身寄りの無い孤児の中から
自分好みの女の子を見つくろって
囲う話じゃないかと毛嫌いしている人がいたら
それは大間違いであるということだ

あるいは
いつか白馬の王子様が
不幸なわたしのもとにやって来てくれるという
少女の淡くも非現実的な夢を描いた
ご都合主義的シンデレラストーリーだろうと思うなら
それもまた大間違いである

主人公のジュディーも“あしながおじさん”も
そういう独りよがりで自分勝手な人で無いことは
本を読んでもらえば分かるわけだけれど
では何が一番若き日の自分の支えになったかというと

“ツライ時や悲しい時にも、
想像力&空想力の助けを借りて
何か面白いことをささやかにでも見つけることで、
自分を奮い立たせて行く”
  
という明るい生き方なのだ

わたしが子どもだった頃の1970年代というのは
スポ根ものが流行ったりして
正面から苦悩にぶつかり戦い乗り越えるという物語が
幅を利かせていた時代であった
ワタシはそういう生き方にとても居心地の悪さを感じていた
そんな時にワタシを救ってくれたのが
この本のジュディー・アボットでありアン・シャーリーであったのだ

恩返しのつもりで頑張ってみようと思う次第である



2014年6月13日金曜日

次の翻訳本候補を絞り中

短編ホラーのアンソロジーとかも面白そうだ
と一瞬思っては見たものの
19世紀頃のホラー作品は
古い歴史やそれにまつわる地理的建築的知識がハンパ無い上に
錬金術などの特別な知識や用語も出てきたりするから
一編だけでも大変なのに
アンソロジーともなればもう大挑戦になってしまうのだ

だからと言って中/長編モノでも

もちろん訳せそうなものを見極めないといけない
マニアックな読者が少なくないと思われるジャンルなので
そういう点でも気が抜けないであろう

ということで多分ホラー系作品の翻訳は

今後時間をかけて考えることになりそうである

そこでやっぱり児童文学系に戻って来そうなのだが

今回はカラー図版にこだわらずに
読み物として楽しめるものを選んでみたい
 
などと考えつつ実家詣でに行って来た
ついでに若かりし頃に読んだ本などを
本棚から物色していたら収穫有りだった
しかし内容は全然覚えていない本とかでも
箱や表紙を見ただけで何とも懐かしいのだ
その挿絵を眺めた記憶は残っているんだなぁ

参考資料として注文した中古文庫本も

毎日のように家に届いて
そろそろ候補作品が出揃いそうである

さて何にしようかな

こうやって選んでいる時っていうのも楽しいのである

2014年6月12日木曜日

木曜昼は「サラメシ」再放送を見る

色々な職業の人たちの昼ご飯やお弁当を
中井貴一の軽妙な語りで紹介するNHK「サラメシ」

本放送は月曜10:55からなんだけど

木曜日にお昼ご飯を食べながら
昼のニュースに続けて見ることが
ここのところ小さな楽しみである

仕事をしていた頃にお弁当を作ってもらった記憶は無い

基本的にほぼずっと定時制高校勤務だったから
昼ご飯は1人でインスタントモノかコンビニ弁当だったし
夜は生徒と一緒に給食を食べていたのである
行事の時とかも作ってもらった覚えは無いなぁ
  
そう言えば
保護者面談の雑談で昼ご飯の話しをチラッとしたら
生徒のお母さんが気の毒がって
お弁当を作って来てくれたことがあったなぁ…
あれには恐縮してしまったし
増々寂しくなったものだった

「サラメシ」を見ていると

お弁当を嬉しそうに作る人とか
作ってもらったお弁当を感謝しながら食べる人とかが
毎回出て来るのであるが
自分の知らない憧れの世界である

世の中には旦那さんの好みや栄養バランスや

見た目の美しさとかまで考えて
日々お弁当を作っている人もいるんだなぁと思う
もうそれだけでありがたくて仕方ないだろうなぁ

思えば20年ほど仕事を続けて

ワタシが日々仕事を頑張っていることを
家族から一度も褒められたり感謝されたりしたことが無かった
だから「お仕事がんばってね♡」的なお弁当とか
栄養や彩りの心配りとか見ると羨ましくて仕方ないのだ

そういう点では

昔なら寂しくて見られる番組では無かったんだけど
今はな〜こに愛情たっぷりのご飯を作ってもらっているから
「サラメシ」も楽しく見られるようになったのだ
弁当ではないけれど
ウチだって…ふっふっふって感じである

愛情込めて作ってくれる食事というのは

ワタシにはとってもとっても大きなことなのだ
単純なのだ…でもそれを単純だと軽んじてはいけないのだ
少なくともワタシ的には最高の幸せの一つなのである

読書三昧しながら思うデジタル本の意義

パソコンに前に座って
面白動画を見ているのにも疲れて
イスに座ったりベッドで横になりながら
紙の本やらKindle本やらを読んでいるのである

その時の気分で同時並行に読んでいるのは

「怪奇クラブ」(アーサー・マッケン)
「ピノッキオの冒険」(カルロ・コッローディ)
「Daddy-Long-Legs」(Jean Webster)
「The Voyages of Dr. Dolittle」(Hugh Lofting)
「When Marnie was There」(Joan G. Robinson)

最後のは「思い出のマーニー」の原作である

本を読むことが好きだと思っていながら
ここのところ本当に本を読まなくなっていて
手に取ったとしても軽いエッセイとか
モダン・ホラーだとか
有名作家の新作だったりしたのだが
思えば時の試練に耐えた名作を読むというのは
10代の頃以来なかったのかもしれない

スピーディーで刺激的な内容に
グイグイページをめくらされるというのと違って
しっかりしたプロットと丁寧な描写で
じわじわと物語に引込まれていくというのは
何だかとても懐かしくて楽しいのだ

もちろんKindle翻訳本第6弾の“実地調査”が
含まれていないわけでもないんだけど
そういうことをきっかけとして
隠れていた名作に向き合える気持ちになったとも言える

そして思うのは
ここにあげたような怪奇小説や児童文学類は
作家や作品の評価は高いにもかかわらず
邦訳が出ていなかったり
出ていても数十年前の言い回しの古いものだったり
すでに廃刊になって手に入りづらかったりする場合が
とても多いということである

紙の本だとどうしても廃刊・絶版になりうるけど
Kindle本ならそういう心配はない
そう考えると
Kindle本に限らずだけれど
デジタル書籍化する意義っていうのは
実はとても大きいんじゃないかと思うのである

さて昼ご飯を食べたら何を読もうかな

2014年6月11日水曜日

ストレス発散と養生の日々

金曜日にKindle申請して土曜日に出版開始となり
やっと肩の荷が下りたと安心したところで
木曜日あたりからの風邪がぶり返してダウンであった
今回はまったくもって分かりやすい体調である

最初はとにかく止まらない咳や

だんだんひどくなってきた頭痛などに
気を取られていたけど
ストレスも相当たまっていたようで
Youtubeで見つけた「ゾッとする話」を
数十回分を数時間に渡って見まくった

「心霊動画集」みたいなものにしよっかなぁとも思ったんだけど
ちょっとヨレヨレになっている今の状態には
インパクトが強過ぎちゃうかもしれないからということで
適度に恐かったり面白かったりする感じが
ちょうど良かったのであった

さすがにあそこまで自分を追い詰めて本を一冊完成させたら
ダラダラしても許される気がするなぁ

やっとカラダもココロも落ち着いてきた気がする
1週間ぐらいはダラダラしながら
次回作翻訳第6弾の企画を練ることにしよう

今のところオズに児童文学数種類に
ホラーなんかも候補に挙がっているのである

2014年6月10日火曜日

CG「永劫回廊」

デザインフェスタから約1月を
集中して翻訳作業に費やしたので
1ヶ月半ぶりくらいの
久しぶりの作品となった



ずっとこの果てしなく続く回廊を飛び続けていたい

天国っていうのはこういうところなんじゃないかな

2014年6月9日月曜日

出版社としての矜持みたいなもの

Kindle書籍を売る場合
在庫を抱える心配がないからこの本の山をどうしようとか
保管するのも費用がかかるとかいうこともないし
それがもとで借金を作ったとか倒産したとかいうこともない
だからとても敷居が低く気軽に本を出せてしまうのだ

でもお金を払っていただいている点では

現実的にはもう立派に“出版社”である
“超零細出版社”だから知名度はゼロだけど
Kindleの棚に並ぶという点では同じなのだ
  
だから“翻訳者”から“編集者”にチェンジして
“翻訳者”の原稿をチェック&手直ししたり
“イラストレーター”から上がって来た表紙案を見るのは
とても本気な作業なのである
  
そうした時にいつも頭に浮かぶのは
20年前にパソコン関連の本を出させていただいた時の
編集を担当して下さった方々のことなのだ
特にお二人の女性の方にとてもお世話になったのだが
その丁寧さと真剣さと粘り強さと明るさを
いつも思い出しながら作業するのである
  
本当に地道な作業だと思うのだが
とにかくコツコツと一つずつ終らせて前に進むという感じで
決して怒ることも急かすこともなく
必要な確認作業や手配なども機敏に動いてもらって
とにかく良い本を出しましょうという話しを一緒にしながら
楽しく楽しく本を作らせてもらったのだ
  
週刊誌にちょこっと連載していたことがあって
そちらは担当の人も服装や言葉遣いが
いかにもギョーカイって感じがして
その雰囲気にけおされ気味だったけど
本を担当して下さった出版者の方々は
とても真面目で誠実で力のある人たちであった
  
いやもちろん週刊誌の担当の人だって
基本的には一生懸命で力もある人だったけども
やっぱり一緒に仕事をする上では
接する時の態度の好き嫌いは大きいのである
  
実際の編集作業を目の前で見ているわけではないんだけど
あの一生懸命さとか誠実さとかは
お手本としていつも自分の中にある気がする
“翻訳者”からチェンジする時は
自然とそういう“編集者”になろうとしているのだ
ありがたいことだなぁ 
  
皆さんお元気でしょうかしら