2015年2月28日土曜日

ついに花粉本格襲来!

まだ「非常に多い」まではいかない「多い」レベルだが、
今日は花粉襲来を実感である。

屋内にいてもくしゃみが出る。

目がゴロゴロする。
おまけに、朝方鼻血まで出た……。

昨夜「ストナリニS 」を飲んで寝たから、

多分この程度で済んでいるんだろうな。
辛くて仕方がない、というレベルではない。
でも明らかにからだが反応しているのがわかる。

昨日のうちに「アルガードクリアマイルドEX 」という

アレルギー専用目薬も買っておいて良かった。
ちなみに選んだのは
“すっきり爽快なさし心地”(清涼感レベル4)である。

 

今日外出するかどうかはまだ未定だけれど、
鼻炎薬、目薬、マスクが揃っているのが心強い。

さあ、花粉症にもめげずに
「ジャングル・ブック」翻訳第1稿を
この週末に仕上げるぞ。


2015年2月26日木曜日

Aquila Red Series(アクイラ赤弦)を張ってみた!

とりあえずLow-Gセットを
セミアコ・ウクレレに張ってみた。
それを弾いて感触などを確かめながら
Kamakaはどうすか考えるのである。
レギュラー弦セットは買ってあるんだけどね。

まだまだチューニングがグイングイン狂うので、
とりあえずのファースト・インプレッションである。

まず、漆のような赤が印象的である。
カラー弦ではあるが、ポップさとか軽さとかはない。
血のような赤、という感じもしないでもない。



Low-G弦も良くある巻弦ではなく同じ材質なので、
全体の統一感もばっちりである。

妖しく独特な存在感。けっこう好きである。

弦は細めで、テンションは高め。
さらに弦の表面が少しざらついている。
肌触りが個性的だけど、弾きづらいことはない。
音は張りがあってサステインが長めだ。
特に1弦あたりはクリアーな音が印象的。

いやあ面白い弦である。気に入ったぞ。

Kamakaに張ったらどんな音になるんだろう。
Kamakaは正月に張り替えたKamaka弦に
今回のセミアコほどの不満はないので、
思い切って張り替えるか悩ましいところだなぁ。

もう少し様子見である。

SoftBankBBモデム到着&ネット復活!

無事ネット環境復活!
本日午前中に代替最新モデムが届き、
電源やLANコードの配線をしたら、あっけなく繋がったのだ。
ほっと一安心。
やっぱりネットはインフラだなぁと実感である。

当初は問題箇所がわからず、

知らないうちに初期化みたいなことをしちゃったのかとか、
WiFiルーターが壊れたかもとか、
SoftBankBB側の障害かとか、
ウイルスか何かに感染したのかとか、
遠隔操作みたいに侵入されたのかとか、
あれこれ考えてどうして良いかわからなかった。

モデムが壊れたかもとも、ちらっと思ったのだが、

それをどうやって確認すれば良いんだ?と思いつつ
困っていたのである。

やっぱりカスタマーサービスに相談して正解だった。

カスタマーサービスに連絡したら、
あっさり交換することが決定した。
使い倒したモデムだったということもあるだろうけど、
この対応の速さは
Amazon Kindle paperwhite交換と同じくらい迅速で
とても気持ちの良いものであった。

特筆したいのは、


「これを機会に、フレッツ光サービスに移行しませんか?」


的な、宣伝&勧誘的な言葉が

一つもなかったこと。素晴らしい。

まぁ、ワタクシ的にも、迅速&的確に対応したわけだ。

なかなか偉かったのである。
  
久しぶりの自画自賛だな。

アクイラの赤弦が来た!

Kamakaウクレレとセミアコウクレレを
この正月にKamakaの弦に張り替えて、約2ヶ月弱。
実は、どうもしっくりこないのである。

全体のバランスは悪くないんだけど、
やっぱり以前のAquila弦の華やかさが懐かしいのだ。
特にセミアコの方の音が寂しいのである。
メロ弾きした時の美しい高音が聞けなくなってしまったのだ。
サステインも短くなったように思うし。

そんな時、音楽教室ウクレレレッスンの先生が、
Aquilaの赤弦を使ったら思いの外良かったので、
持っているウクレレを全部それに張り替えんです、
という話をされていたのだ。

そしてワタシのセミアコウクレレと同じやつに
赤弦を張ったものを弾かせてくれたのだ。
そうしたら、綺麗な音にノックアウトされたのである。
以前の透明弦よりも繊細な感じ。
サステインもさらに伸びる快感。
赤い弦というのも、個性的。

ということで、Kamakaコンサートも一緒に
2台とも張り替えちゃおうかなと思い、
通常セット「Aquila AQR-CR」と
Low-Gセット「Aquila AQR-CLW」を
購入したのである。


ちょっとお高い弦だし、
Low-Gは切れやすいという書き込みもあったけど、
ウクレレを楽しむことは、
ワタシの生活にとって大事な大事なことだから、
そこでケチることはしないのである。

さて、どんな音になるか、楽しみだなぁ。

2015年2月25日水曜日

インターネットが繋がらない!

設定をいじったわけでもなく、雷が落ちたわけでもなく
昨日の午前中に、いきなりネット接続ができなくなった。
WiFiネットワークはきちんと表示されているし
電波も十分届いている。
でも「サーバーに接続できません」と出るだけなのだ。

つまりWiFi無線ルーターの問題ではない。

実際、ケーブル接続してみてもやっぱり繋がらなかった。

去年の今頃なら、きっとちょっとしたパニックであろう。

不具合の改善法を探そうにも
カスタマーサービスに連絡しようにも
そもそもネットが繋がらないと、どうしようもないからだ。
スマホの小さな画面でちまちま探すのは
想像しただけでもかなりツライ。

ところが運良く今はiPhoneがあるのだ。

それも、テザリング(iPhoneの場合“インターネット共有”)を
すでにお試し済みなのだった。
ということで、すかさずiPhoneでiMacをネット接続し、
カスタマーサービスにメールで連絡したところ、
 
モデムの不具合と考えられるので最新型と交換します

というご返事をいただいた。

対応が早くて素晴らしいぞ、SoftBank BB!

今まで使っていたモデムは、なんと2004年のものであった。

あの、店頭や街頭で無料貸し出ししていた頃のやつである。
つまりちょうど10年で寿命が尽きたってことだ。

2004年より長期にわたり、

弊社モデムを大切にご利用いただきまして、
誠にありがとうございます。

と書いてあるのを読むと、

良く今まで無事だった、という感じが漂ってくるな。

届くのは明日である。

原因がほかにあったりすることなく、
どうかこれでネット接続ができますように!
それも、できれば最新型らしく、少しでも快適に!

それにしても、テザリングのありがたさを

心からしみじみと実感したなぁ。
ちなみにWiFi接続ではなくUSB接続にしたら、
体感的に、いつもより速くなった。エライぞ!

2015年2月23日月曜日

「ビフォー&アフター」を見て思う

あ〜あ、こんな素敵な家を建ててくれるんだ、
うらやましいなぁ、と思いながら
“思いもよらない事態”に驚き、
匠の“秘策”に感心し、
依頼者の“感極まった涙”に共感してしまうのだ。

特別な力を持った匠という人間が現れて、
不幸のどん底にいる隣人を
その秘めたる思いまで汲み取って
大逆転的大幸福にまで押し上げるという
ノンフィクション的ドラマである。

おもてなし的に善意を重ねていくところが
特に日本人の琴線に触れるのであろうなあと思いながら、
何となく見てしまうのである。
最後30分見ればOKという感じを昔から抱きつつ。

ただ、ちょっと思うのだ。
これはとても微妙なことなんだけど、
“危険と隣り合わせ”な家で
頑張って生活しているお年寄りのために、
生活しやすい空間を作るというのは
もちろん正しいのだけれど、
ふと、ああ、これでこの人はもう
二階へ上がる脚力が無くなるんじゃないだろうか、とか、
洗濯物を運ぶ腕力が無くなるんじゃないだろうか、とか。

つまり何もかもが楽になることが、本当に良いことなのかと。
微妙な部分なのはわかっているのだ。
今できているからと言っても、危険過ぎたらもちろんまずい。
でも、危険をどんどん排除して、
ほとんど動かなくても済むようになったら、
やっぱりほとんど動かなくなるんじゃないかとも思うのだ。

だからと言って、動けるギリギリセーフのところで家を作ったら、
すぐギリギリアウトになってしまうことは確かだろうし、
依頼者は、きっと喜んではくれないよなぁ。
難しい。

あと気になることが一つ。
最後の“幸せな様子”が、必ず
「家に人を呼んで食事をする」 っていうのも
どうかと思うなぁ。
住んでいる人がゆっくりゆったり幸せを感じられる家、
それで良いじゃないの。

でもそれじゃあ“絵的”に、
幸せな感じが漂わないのであろうなあ。
と文句を言いつつ、やっぱり見てしまうワタシである。

2015年2月22日日曜日

「ゾウ使いのトゥーマニ」クライマックス!

一冊の本を訳していて、
終盤に差し掛かり、ゴールも見えてきたあたりが
いつも非常に苦しいのである。

集中力が持続しなかったり、
ひどく翻訳スピードが遅くなっているような気がしたり
とにかく格闘しながら少しずつ前へ進むのである。

今ちょうどそういうところなのだ。
それもこの「ゾウ使いのトゥーマニ」という話は
情景描写の多い話だから、
会話が多い話に比べて、なかなかページが進まない。
まさに悪戦苦闘、忍の一字である。

でもようやくクライマックスが終わるところまで来た。
あとは物語の締めと、詩を訳せば終わる。
そうすればオーラスの
「女王陛下の召使たち」に突入である。

まだ鼻炎薬がからだになじんでいないなぁ。
今日は少し頭痛もあったのだ。
来週の日曜日には
「ジャングル・ブック」第一稿が完成していることを
心から願うのである。

ああ、2月ももう終わっちゃうからね。


やっと温泉に行けるぞ〜!

行きたい行きたいと思いつつ
前回が夏だったから、
もう半年が経とうとしているのであったが、
ようやく温泉に行けそうなのである。
うれしい〜!

湯河原/熱海/湯沢/飛騨高山/伊香保/

別府/湯布院/箱根/館山/鬼怒川/
伊東/下田/草津

今までこれくらい温泉に行った。

どこも思い出深いし、
ほとんど激動の7年の歴史とも重なる。

温泉に行っても体調が悪くなったり、

人混みに入れなくて遠いお宿から花火を見たり、
今思えば、宝物のような思い出の数々だ。

体調は完全復活には至っていないけど、

でも温泉を味わえるようになってきたのは、
やっぱり体調や気分に余裕が生まれたからだろうな。

今から温泉旅行を楽しみにしながら、

お仕事がんばるぞ〜!

白川郷は最後に雨になったっけ

2015年2月21日土曜日

鼻炎薬効きすぎ〜!

十年来と言いながら、忘れていた。
ストナリニS」はけっこう強い薬なのだ。
1日2錠の薬が多い中で、1日1〜2錠をうたっているのだ。
だからワタシはこの薬に行き着いたのだけれどね。

そこで、ワタシなりの飲み方があったのである。
ワタシは1日1錠で良いのだが、
飲むタイミングが重要なのだ。

昨日朝イチで飲んだら大変だった。
寝ても寝ても眠いのである。
眠すぎて1日があっという間に終わってしまった ……。

タイミングは夜、寝るときに飲む、である。
昨夜寝る前に飲んだら、
夜の睡眠もけっこうイイ感じであったし、
今日1日も、昨日ほどネムネムにはならずに済んだ。

ということで今日は翻訳の仕事ができたのだが、
できたらできたで、目が乾くのである。
あ〜、もう今日は限界かな〜。

ちなみに今訳している「象使いトゥーマニ」は
野生のゾウを捕まえる、イギリス占領下のインドのお話だ。
「白いオットセイ」と同じで、
身勝手な人間に蹂躙される動物を描いているが、
それをストレートに主張せずに、
物語として魅力あるものになっているところが
とっても良いのである。

当時の様子を描くスケッチ(作者不明)



2015年2月20日金曜日

今日の朝イチ・メールはスパムメール

おはよー。
もう風邪は治った? (>_<)
今の時期は冷え込みがすごいし、お互い体調には気をつけなきゃね(汗)

あと携帯変えたから登録ヨロシクです♪

また時間がある時にご飯でも行こうね(^ ^)v

という携帯メールが突然届いたのが朝の9時過ぎである。
もちろん差出人は登録されていないアドレスである。

朝から超気分が悪いぞ。

何が「もうヽヽ風邪治った?」だ!
何が「またヽヽ時間がある時」だ!
オマエのことなんか、これっぽっちも知らんぞ!
馴れ馴れしくするんじゃねえい!
ぬあにが「ヨロシクです♪」だ〜!

世の中の花粉症情報がどうであろうと、
ワタクシ的花粉症アンテナは今日もビビッと反応し
朝起きて速攻で鼻炎薬を飲んだのだ。

基本的に朝は心身ともにドロドロなのに
鼻炎薬の効果で口や唇が渇いて不調感倍増である。
普段は笑ってピッと削除するスパムメールにも
思わず怒ってしまったのだった。

2015年2月19日木曜日

今年の初鼻炎薬

朝からくしゃみ。
懐かしの花粉症型くしゃみである。
あの“あられもない”爆発型くしゃみである。

昨日とは打って変わって良い天気になり、

気温も上がったせいで
多分花粉飛散量が増えたのであろう。

ということで

今年初めて鼻炎薬を飲んだのだ。
マイ・フェイヴァリット鼻炎薬「ストナリニS 」である。
この薬とも、もう10年来の付き合いになるなあ。

 

とは言っても、やっぱり薬は薬である。
前回から9ヶ月ぶりくらいともなると、
いくら10年来であっても、
カラダにとっては異物の衝撃があるらしい。
目や鼻のムズムズは見事に消えたが、
強烈な眠気が襲ってきたのだ。

もともと集中して仕事をすると、

昼頃にすごく眠くなるのだが、
今日はその前に睡魔に襲われ、あえなくダウンである。

でもこれで、今年もこの薬が有効なことがわかったな。

  
新しい薬も次々に出ているから、
ちょっと目移りしちゃうのだが、
どんなうたい文句が書かれていても、
結局自分のカラダを使って人体実験しないと
有効かどうかはわからないのだ。

そうしたら、効果が実感できているものに

自然と手が行ってしまうのである。
1日1錠というのもポイント高いしね。 

そしてこの薬を飲まなくなる頃、

デザインフェスが目前に迫ることになるのだ。
一年がどんどん過ぎていくなあ。

2015年2月18日水曜日

今日は水曜フラ・ウクレレで弾きまくり

水曜のカルチャー・センター・ウクレレ教室は
ほぼフラ色・一色になったようである。
童謡とかポップスとか洋楽とかジャズとか、
その他のジャンルを扱う雰囲気は無くなったなぁ。

それは確かに残念なのだが仕方ない。
フラも踊るフラ畑の先生であるからして、
当然と言えば当然の流れなのである。

まあ、余裕があればまた
ちょっとした譜面を作っていっても良いだろうけど、
今は気持ちの余裕が無いかなあ。
「ジャングル・ブック」を訳し終えたら考えるのである。

ではつまらないかと言うと、そんなことは無いのだ。
まず一時間半みっちり弾きまくるというのが良い。
やっぱり少しでも音を出すことが大事だからね。
  
それも安定したきれいな音とリズムを心がける。
疲れてきても、乱れないように気をつける。
そしてボディが良く鳴っているか意識する。
もちろんコードやメロディは間違えないようにするんだけど、
間違えても動揺してガタガタにならないようにする。

何かの曲が弾けるようになりました、というのを
楽しみに行く場所ではなく、
与えられた課題を、きちっとこなせるように
訓練する場であると思っているのだ。
とても大事な場なのである。

そして理屈中心になりがちな音楽教室ウクレレとは
違う楽しさがある。
弾き続けていると、ちょっとした陶酔感を味わえるのだ。

うん、二つの教室は、うまく役割分担できている感じだな。

しかし、特にカルチャー・ウクレレは
終わると、どっと疲れるのであった。
もの凄く集中しているのでありましょう。

よし、今日も良く頑張りました!

2015年2月16日月曜日

「リッキ・ティッキ・ターヴィ」翻訳終了!

マングース対コブラ夫婦の格闘を描く
「リッキ・ティッキ・ターヴィ」が訳し終わった。
リッキ・ティッキ・ターヴィというのが
主人公であるマングースの名前で、
その鳴き声から取られたものなのだ。

こちらのお話は、またインドが舞台だ。
ただしイギリス軍駐屯地でのお話。
モーグリの話も、オットセイの話もそうなんだけど、
今回もまた動物の擬人化の具合が絶妙である。

リアルな生態にもちらっと触れながら、
決してデフォルメはしない。
でもそれぞれの登場人物がとても個性的なので、
現実にあるマングース対コブラの話を
とてもファンタジックでスリリングな物語として
ワクワクしながら読んでしまうのである。

これは実際の映像にアフレコをつけている感じに近いかも。
だから挿絵がリアルでも全然違和感がないのだ。


それぞれ詩についている詩を本編に含めると、

全部で7話が収録されている「ジャングル・ブック」だが、
これで、そのうちの5話まで翻訳が終わったことになる。

いやあ、いつもながらに長く険しい完訳への道である。
目が乾いて仕方がないが、それもまた仕方がない。
完成が待ち遠しいなあ。

そろそろ表紙も作ってみようかな。

2015年2月15日日曜日

温泉に行きたいなあ

子どもの高校受験が無事終わったのである。
第一志望に受かったのだ。はあ、良かった。

ワタシは温泉に行きたいのである。
ベッタリ付き添っていたわけでもないし
祈るように過ごしてきたわけでもなく、
わりと淡々としていたつもりだったのだが、
やっぱり無事終わってみるとどっと疲れたのだった。

今の「ジャングル・ブック」が訳し終わったら
お疲れさま記念温泉旅行に行くっていうのが
まあ、スジだろうと思うんだけど、
昨年の「ハイジ」が終わったあたりから
ずっと、温泉、温泉と思っていたのである。

体調が思わしくなかったり
うまく行く日が決められなかったりして
自分をだましだまし、
ここまでズルズル来ちゃった感があるのだ。

疲れているにも関わらず、
大きなストレスを抱えているにも関わらず、
だましだまし仕事を続けて
息がつけなくなったあの頃と
ちょっと似ているかもしれない。

はあ、温泉……。
ゆっくりゆったり浮世を忘れて過ごす時間……。

じわじわと花粉症か

体調が悪いのはまあ基本である。

夜になると、早く今日を終わりにしたいと思い、
朝になると、ああまた今日が始まったかと思い、
それでいてやりたいことは多く、
あれこれ考えると時間が足りないと思い、
一方で、もう何もやりたくないとも思う。

いまだに朝起きると、気分は落ち込んでいるけれど
ああ、今日もその気になれば
このまま寝ていても良いのだと、ほっとする。
それほどあの頃の、
朝起きた時のストレスは大きかったのだ。

ちょっとでも座ったら、心が挫ける。
だから動き続けて、勢いで家を出る。
それでも職場近くの駅で降りてから
職場へ行けなくなったりもしたし、
電車の乗り換えができなくなったこともあった。
そんな時は自販機コーナーで何かを飲みながら、
ボォーっと立っていたのだった。

いまだに朝の時間は
どこかそういう辛い時間なのだ。
職場から離れ、仕事から離れても
いまだにそうなんだから、
その当時の悲壮感がいかに凄まじかったかがわかる。

だから、ああ今日も仕事に行かなくても良い、
家で寝ていても誰にも何も言われないと
一度気持ちを落ち着けることで、
やっと生活を始められるのである。
ああ、わが心の傷の深さよ。

だからして、今風邪をひいているのかがわからない。
特に今の時期は、基本の体調不良なのか
風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
つまり、風邪薬を飲むべきか、鼻炎薬を飲むべきか、
そういう薬を飲んでも意味がないのかがわからないのだ。

頭が思い、からだがだるい、くしゃみが出る。
とりあえずどうしようもなくなるまで
放っておこうかとも思うのだが、
花粉症は結構先手を打った方が良いのである。

悩ましい今日この頃だ。

2015年2月14日土曜日

ハンドメードマーケットminne(ミンネ)

たまたまコマーシャルを見て知った
ハンドメードマーケットminne(ミンネ)
アート/ハンドクラフト系直販サイトである。

こうした直販サイトは他にもたくさんあるし、

実際に登録したこともあるけれど、
TVCMまで打っているのは初めてである。

サイトをのぞいてみたら、

小物にフォーカスしている点が新しい感じだ。
絵画も、ポストカードが中心みたいである。
それはART-Meterとはまたターゲットが異なる。

Design Festaでそれなりにポストカードが売れているので、

その売り場としてなかなか良いぞ、ここは。
10枚1セットで1,000円とかね。

登録料0円、販売手数料10%


これも魅力である。


ちなみにART-Meterの販売手数料は45%。
個展とかやった時の、画廊の取り分と同じくらいかな。
PIXTAはランキングで異なるけれど、
ワタクシはまだランク1なので80%近く持っていかれるのだ。



人の家で夕飯が始まってしまいそうな夢

電車に乗っている。降りて歩いて別の駅に行く。そこははるか昔の故郷の駅だ。黒っぽい木造の駅舎が見える。

そこから電車に乗る。家に帰るのは山手線の新宿・渋谷方面なのだが、今日は親戚の家に行かなければならない用事がある。それは上野方面なのだ。どうやらワタシは池袋で電車に乗ったらしい。

親戚の家につく。自閉くんと一緒だ。でも自閉くんは子どもではなくワタシの弟なのだ。そこはワタシの実家である。ただしきれいに片付いている。もう午後も遅い時間だ。

いとこ兄弟がいる、ような気がする。もう夕食が近いけれど、適当に食事を作ってもらおうと甘く考えていると、いとこのおじさんが

「ああ、お腹すいた、お腹すいた。」

と言いながら外から帰ってくる。

ああ、もうおじさんも定年退職だから、家にいるんだな。ワタシみたいに体調が不安定でもなく、こうやって呑気に平和に、ぶらぶらできるなんて本当にうらやましいなあ、と(皮肉でもなんでもなく)思う。

そう思っていると、おばさんが台所で夕食の支度を始めている気配がする。 これでは、いとこの家族の夕食の場におじゃますることになる。それも、突然二人も加わってしまっては申し訳ない。いや、まだワタシたちは気づかれていないかもしれない。夕食の頭数にカウントされていないかもしれない。
  
夕食いただいて帰りますとこちらから言った方が良いのか、それとも何も言わないで、このままさっと自閉くんを連れて帰ってしまおうかと思う。外はもう夕闇だ。そこには広々と畑が広がっているはずだ。帰るとすれば、またあの暗い木造の駅に行かなきゃだな。

気まずい思いで、どうしたら良いか決めかねていると、知人から電話がかかってくる。ケータイ(スマホではない)を取り出して電話に出ると、その知人本人は無言で何も言わない。用事はあるのだが、直接ワタシと話したくないんだと、直感的に思う。ますますいたたまれない気分になる。


電話が一度切れてから、メールが届く。おそらく今の知人のお母さまからで、お歳を召しておられるので、メールの字がやたら大きい。

「子ども(孫のことだろう)にケータイを持たせたいのだが、専用のメアドを決めなければならない。どういうものにしたらよいだろうか。ちなみに子どもの名前は○□△◇で、必ず数字(一覧)と絵文字(一覧)を入れなければならないのです。」

というようなことが書かれている。ああ、この方はいつもこういう、わりとどうでも良いようなことを聞いてこられるのだよなぁ。そう思いながら、それでもちゃんと返事をしようと思うのだが、久しぶりのケータイ(ガラケー)なのでメールがうまく打てないのだ。


そこで目が覚めた。
また夢の中で、じわじわと追い詰められてしまったか。


2015年2月13日金曜日

「白オットセイ」の次はマングースのお話

「White Seal」のお話を訳し終えた。
現実を知っていると、
夢か幻のようなハッピーエンドが悲しい。

でも悲しい話ではあるが、

それが面白おかしく書かれているのである。
例えば、ちょこっと出てくる、主人公コチックの両親の
シー・キャッチ(父)とマツカ(母)のやりとりが、
まるで落語に出てくる長屋の夫婦みたいで
実に面白いのである。


「ねえ、あんた。」とうとうマツカが言いました。
「この子、白くなりそうよ!」
「そりゃ、空っぽのハマグリ、からっからの海草ってもんだ!」
シー・キャッチが鼻を鳴らしました。
白いオットセイだなんて、今までこの世にいたためしがねえぜ。」
「あたしにゃ、どうしようもないわよ。」マツカが言いました。
「今までいないなら、この子が最初ってことだね。」

という具合に、調子に乗って
落語風に訳してみたりしたのだ。

さて次はまたまた別の話である。
ジャングルでも海でもないお話だ。
一言で言えば、ヘビとマングースの戦いの話である。

共通点と言えば、動物どうしがしゃべるということだけである。

少し休憩して、取り掛かるとしようかな。


2015年2月10日火曜日

「白アザラシ」ではなく「白オットセイ」

「ジャングル・ブック」の
モーグリと関係ないお話の一つが
『White Seal』である。

これ、「白あざらし」と訳されているのだ。

手元の完訳本でもそうだし、
別の“モーグリ物語選集”みたいな本の解説にも
そう書かれている。

ところが原作本文中にちゃんと

“fur seal”と書かれているのだ。
つまりこれはオットセイ・・・・・の話なのである。

舞台となるセント・ポール島だって

オットセイが集まる場所として有名なのだ。
それを正せるだけでも、
今回「ジャングル・ブック」を完訳する意義はあるぞ、
と、思っているのである。

ちなみに、その話の中に

「カイギュウ(Sea Cow)」が出てくるのだが、
これも単純に

「カイギュウってことは、ジュゴンとかマナティーとかだな」


では、間違いだと思っている。


これは乱獲によって1768年(以降)に絶滅した

ステラー・カイギュウのことだと思うのだ。
文字通り“カイギュウ”という名前の動物がいたのである。

その“幻のカイギュウ”か、“カイギュウの幻”に

主人公のコチックが出会うから、
この物語に神秘性とか神話性が出てくるのである。


初版本の挿絵 しっぽはジュゴンに似ているが、
出会う場所(生息地)的にステラー・カイギュウである。

「ジャングル・ブック」が刊行が1894年。
ステラー・カイギュウを絶滅させてから126年後であり、
まさに今度はオットセイとラッコの乱獲真っ只中である。
その結果絶滅寸前まで数が減り
1911年に「膃肭獣おっとせい保護条約」が
ロシア、日本、アメリカ、カナダで結ばれるに至る。

だからどうしても、そういう時代背景から生まれた話であろうし、

そうした現実が反映されたものとしてとらえたいのである。

やりがいが、さらにアップしたぞ!



2015年2月8日日曜日

「Live at The Orpheum」King Crimson

 
2013年に復活宣言がなされ、
2014年に予定通り復活したKing Crimsonの
2014年アメリカ・ツアーのミニライヴ、
Live at the Orpheum」が届いた。
 
・41分と収録時間が少ない。
・Mel Colinsが参加した「Islands」期の曲中心。
・トリプル・ドラムの効果が疑問。
・音に凶暴さや、良い意味での危うさがない。
・ハットさせられるような新しいモノが無い。
 
などなど、不満点はある。
あるのだけれど、
Frippの“あの”ギターの音が聴けるのだ。
それだけでもう涙が出そうである。
この音を聴きたかのだよ、ずっと。
 
思えば80年代以降はアンサンブル中心であった。
70年代が個性のぶつかり合いだったことを思うと、
80年代以降どうしても物足りなく
残念に思ってしまう部分とは、
その個性の薄さだったと思う。
 
いや、メンバーの個性は十分濃かったのだ。
だからそれはプレイヤーの問題というより、
コンセプトの問題だったのだと思う。
つまり“無記名性”が大きなコンセプトだったと言って良い。
 
もちろん本作にそういう個性のぶつかり合いは無い。
でも「The ConstruKtion Of Light」を聴けばわかるように
Jakko JakszykのギターはAdrian Brewと違う。
同じことをやっているようでいて、
無機質さというか、人力シーケンサー感が薄いのだ。
 
まあMel Collinsが入っている時点で
Metal Crimson路線はもう無理なのだが、
全体的に記名性が復活していて
叙情性が増しているのである。
 
そう考えるとこのトリプル・ドラム編成は
無記名性志向の最後の名残りであり、
まさに過渡期的な編成なのだろうと思う。
 
つまりこのドラムスが一人になる時、
もう一度、各メンバーの個性やプレイが前面に出た
本当の新生Crimsonが立ち現れるんじゃないか、と
そんな気がするのだ。
 
70年代のようなぶつかり合いは無理にしても、
個々のプレーヤーが際立つバンドになったら、
待っていた甲斐があったというものだなぁ。
 
とりあえず、本作を聴きながら
妄想たくましく、新作を期待したい。
 
 

“売れない月”2月

Kindle完訳文庫の売れ行きがぱったりと止まった。
いやあ、2月は本が売れない月。
さらに二八にっぱちの法則に則れば
一般的にもモノが売れない月である。

ワタシの“完訳文庫”だけが売れないのかと思ったら、
それぞれの本の売れ行き順位は
あまり変わっていないので
つまり全体的に動いていないということである。
ちょっと安心なのである。

バレンタインがあるから、
それがらみの物語とかなら反応あるかなぁ、
とか思ってみたりして。
そんな話が1900年前後くらいに
あったとは思えないけども。

ちなみに今、パブリック・ドメインとして
翻訳が自由にできる本は
初版出版年が1923年以前というのが
一つの大きな区切りなのだ。

「ジャングル・ブック」の翻訳は
半分くらいまできたところだが、
もうすでにモーグリ少年の話は
終わってしまったのだ。
そういう短編集なのである、本来は。

焦らずにぼちぼち行きますよ。

「商売は、“商い”ってえくらいだから、飽きちゃあいけねぇよ、
 こつこつやってりゃあ、そのうち良くなるからね。」

と、落語のご隠居さんたちも言っているのである。

2015年2月7日土曜日

「Triangle Motion」Kennedy


泉陸奥彦(g/programming)率いるKennedyが、
29年ぶりの新譜「トライアングル モーション」で、
今年2015年に、奇跡の復活である。

亡くなったJuJu北岡に代わりWolliというキーボードが加入、
新しいトリオ編成によるドラマチックなインスト作だ。
過去曲も新アレンジで収録されている充実の一枚である。

実はKennedyの作品はライヴ「Kennedy!」しか聴いていないのだ。
この時のメンバーから、ドラムスの安田隆が
今回のメンバーに名を連ねているのが嬉しい。
あのパワフルなドラミングがまた聴けるのである。

ただしライヴとは音楽的な印象は大分異なる。
おそらく未聴の1stの延長なんだろうと思うけれど、
キーボードが雄大に鳴り響く、シンフォニックな世界に、
パワフルなドラムスとハードロッキンなギターが絡むという
ドラマチックな音である。

つまりサックスが暴れまくっていた
あのライヴの破天荒さはここにはないから、
あの怒涛のパワーや
ジャズロック的ソロ&インプロヴィゼーションを
期待してはいけないのだ。

とは言え、「トゥインクリング・ナサ」とか
楽曲自体がカッコ良い曲は
むしろこういうアレンジの方が似合うかもしれない。

1980年代の日本のインディーズ・プログレが
ちょっと懐かしくなる音なのは、
ケレン味のあるメロディーやアレンジのせいかな。

Kensoもそうだけれど、
やっぱりギターの音はこういう音が好きだな。


ライヴが見てみたいのであった。


2015年2月6日金曜日

人頼みにあれこれ嘆くのではなく

惨殺の話題が映像ととも連日のように流されるなんて、
なぜこの世界はこうも殺伐としているのだろう。

理不尽さは異なるけれど
2011年の時もそう思った。
というか、2011年以降、ずっとそういう感じがしていた。

でもさかのぼれば、多分1995年が発端だという気がする。
「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」があった、
20年前の、あの年である。

それまでは漠然と、この世の中やこの世界に対して
いろいろあるけど、それでもたぶん大丈夫、
毎日がんばっていれば、きっと上手く行く、
そんな思いを抱けていたように思う。

定時制高校で教えていた時期の中でも、
個人的には多分一番キツイころだったと思う。
でもそういう自信とか希望を
根拠もなく持てた時代だったと思うのだ。

今は違う。何か自分を支えていた
大きなものが失われてしまった気がする。
この世の中は結局、無残に人が死ぬだけの、
それだけの世界なんだ、
そんな気さえしてしまう。

でも、そうであるとしても、
いや、そうであるならば、
ワタシは、何か人に夢を与えられることをしたい。
一瞬でもホッとできたり、
生きることも悪くないと思えるような何かを、
ささやかながら、世の中に送り出していきたい。

倒れてから7年経って気づいたのは
そういうことかもしれないな。

嘆いていても仕方がない。
恨んでみても仕方がない。
人頼みにあれこれ文句を言うのではなく、
それなら自分で何かを生み出せ。

それで何かが変わるかもしれないのだから。
誰かが救われるかもしれないのだから。
そういう可能性を信じろ。
自分を信じろ。

そうやって前に進むことにしたい。

2015年2月4日水曜日

iPhoneのテザリングでデスクトップMacを繋ぐ

そう言えばタブレットのNexusでは試したことがあるけれど
いつも使っているデスクトップでは試していなかったと
ふと思ったのだ。iPhoneのテザリングによるネット接続。

かつてはノートパソコンを
PHSやケータイでネットに接続したりしたことはあったが、
どちらかというと、接続できたことを喜ぶ、みたいな感じで
それで実際に仕事をしようという感じではなかった。

当時は今のようにUSBもWiFiも一般的ではなく
専用ケーブルと専用ソフトが必要だったり、
Macへの対応商品がいつものように少なかったりしたから
iPhoneがWiFiで簡単に繋がったのはびっくりだった。

1.iPhoneの「設定」で「インターネット共有」を「 オン」。
2.パソコンのデスクトップ上部のメニューバーから
  WiFi接続先を「iPhone」にする。
3.“WiFi”のパスワードを入力する。

これだけ。簡単なのねぇ。

そしてこの簡単さとWiFiという自由さが
“繋ぐ”こと自体の面倒くささや儀式っぽい重々しさから
ワタクシを解放してくれて
あくまで環境設定をちょっと変更しただけで、
さあ、お仕事をしようか、という気分にさせてくれるのだ。

すでに仏間イルームのデスクトップ はWiFi接続である。
電波干渉でたまに不安定になる時間帯があるが、
二階から一階に電波を飛ばしているこのだが
今の作業環境としては十分実用的である
いまだにネットにはADSL接続なんだけどね。

その環境と比べても、iPhoneテザイング接続は
速度的に十分合格なのだ。
電波干渉がない分、安心して使えるくらいである。
普段光接続とかしていたら、遅い!って思うかもだけど、
そういう不満は感じないのである。

つまりこれで
今の仕事をするためのネット環境が
どこでも作れることがわかったのだ。
個人的に言えば、ADSLを解約しても良いということだ。
例えば一人暮らしするとか、作業場を持つとかしても、
引っ越したその日から仕事ができるということである。

なにを今さらな話題だろうけど、
ワタクシ的にはその便利さに感動なのだった。

2015年2月2日月曜日

天覧山に登る

実家に行ったら母さまは風邪気味で、
今日は風呂には入らないと言うので、
早目に出てくることができた。

ということで、突然思い立って

今日は懐かしの天覧山に登ってきたのだ。

高さ195mで頂上まで約20分程度という小さな山だけど、
ふもとから中間地点の「中段」まで
ほぼ休みなく坂道が続くのが意外とキツイのである。

確か小学生の時に何回か遠足に行ったような気がするけど、

通っていた小学校からは遠いから、
子ども会みたいなものだったのかも。

中学校でここから奥へハイキングに行ったような気もするし、

大学受験の時には、近くの図書館で勉強して、
疲れると気晴らしに河原へ下りたり、この山に登ったりもしたのだ。
けっこう懐かしさを感じる山なのである。


ちなみに天覧山という名前は
明治天皇がこの山で陸軍演習を統括したのが由来だそうだ。

実家の近くで見た梅。2月になった。あとは春を待つばかり。

天覧山のふもとの公園。冬らしい寒々とした景色だ。

登山開始。緩やかだけどずっと同じ傾斜なので休めない…

「中段」で一休み。ここからの眺めもまずまず。

頂上に到着。低い山なのにこの眺望の良さは格別。
遠くには東京都心部が見える。

山並みに目を向けると、実は遠くに富士山も見えていたのだ。

 登山道わきに並ぶ「十六羅漢」。

冬らしさあふれる、陰影の濃い木漏れ日。

天覧山を降りてから、飯能河原わきをお散歩だ。

 なんと受験勉強をした図書館が移転していて、ここは閉鎖中なのだった。

昔はこういう蔵造りの家が並んでいたんだけどね。

帰りは八高線を使って立川へ。名物&好物「おでんうどん」を食べた。 

トータル2 時間程度の地元散策。
突然思い立ったにしてはなかなか充実した散歩であった。

そしてこうしてこの街を散歩すると、
2008年に仕事に行けなくなった
その直前のことを思い出す。

あの時、どうにか自分を奮い立たせようとして
この街をぐるぐる歩き回ったのだ。
でもそこで庭先の植木に水をやっている人を見て、
どうしてワタシはこういう穏やかな生活ができないんだろうと
本当に悲しくなったのだった。

こうして歩き回るのは、思えばそれ以来かな。
体調はまだ十分とは言えないけれど、
パワーをもらえた気がする。