2016年1月31日日曜日

季節は記憶を思い出に変えてくれるのだ

去年の夏の旅行写真を見ていて
やけに懐かしいのである。
もう、わぁ〜って言うくらい懐かしいのだ。
  
半年前のことだし、
ついこの間まで、まだまだ夏だって
一人で頑張っていたくらいだから、
そんなに懐かしく感じるはずはないと思うのだが
妙に懐かしいのだ。
  
それでふと、それはきっと
季節が変わったからだなと思ったのだ。
空の色、空気の感じ、気温、湿度、
そういう季節の記憶が今ととても違うから
あの時のあの場所と、今のこの場所は違うんだと
いう思いが実感されるんだな。

それが時間が経った気持ちにつながるのだ。
それだけ冬が深まったから
一気に夏が遠くなって
懐かしさが吹き出してきたのだ。

だから考えてみれば、
これだけ変化の激しい季節があることは
なかなか大事なことなのかもしれない。
これほど季節にメリハリがないと、
記憶はこれほど劇的には
思い出にならないのかもしれないな。

もちろん夏がとても楽しかったから
懐かしい思い出になるんだけれども。
  
少しメランコリックな気分で
そんなことを思う
一月のみそかの夜であった。

鳴門の渦潮

  

2016年1月30日土曜日

「ブラタモリ」で懐かしの場所登場!

前回の「ブラタモリ」は熱海だった。
ああ、懐かしい!
な〜こと何回も花火を見に行った場所である。

頭痛と吐き気でヘロヘロになりながら

フロントに冷えピタもらいに行ったり、
そんな不調に耐えながらも
素敵なショー&海を見ながら夕食を食べたり、
館内外を散策したりした
ホテルニューアカオが出てきて嬉しかった。
2009年、倒れた翌年の夏のことだ。
  

あの頃はまだ薬も何種類か飲んでいて

それなのに体調も気持ちも不安定で
浜辺周辺の人混みに混ざって
近くから花火を見る気になれなくて、
遠くのホテルの部屋から見たのだ。

沖の方から浜を見る感じだったから

臨場感は欠けていたけど、
それはそれで風情があったな。
波が打ち寄せる音もしていたし。


今日放送の松山城や松山商店街が、またまた懐かしかった。
焦げるような暑さの中、
徳島から高松へ行き、さらに松山まで、
すべて電車を乗り継いで四国を横断した
昨夏の旅だ。

テンションが一気に上がった松山城のリフト。

石垣、天守閣、そこから見下ろす風景。
楽しかったなぁ。
  

そして活気にあふれた大街道おおかいどう商店街。

な〜こにシャツを買ってもらったなぁ。

やっぱり実際に行った場所だと見入ってしまう。

場所への親近感が全然違うし、
ちょっとした風景にも記憶が刺激されるのだ。

次回は道後温泉だ。こちらも楽しみ〜!


2016年1月29日金曜日

「ジキル博士とハイド氏」第一稿完成!

「ジキル博士とハイド氏」翻訳の第一稿完成なり。
スゲェ集中力であった。

前半はゴシック・ホラー的な世界。
昼なお暗き霧の都ロンドンを舞台にした
怪しい怪奇物語。

後半は謎解きになるわけだが、
濃密な内省・自己分析による
告白文&遺書。

作品としてはそれほど長いものではないけれど、
前半の動きのある展開から
後半のどっぷり内面に踏み込んで行く流れが
構成的にも実に素晴らしい。

特にジキル博士の告白が濃い。
事件の種明かしがされた後も
読み手をぐいぐい引っ張り続ける魅力がある。

しかし、さすがに疲れた……。
そのジキル博士の告白の訳が難しかったし、
体調的にも風邪だか花粉症だかわからない状態が
ずっと続いているし。

でも、次は第二稿完成を目指して、
訳文のチェック&手直しだな。
  
語り手の気持ちの流れを
ちゃんとつかんだ訳になっているかが
特に後半部分のキモである。
 「吸血鬼カーミラ」の時の意気込みに近いぞ。

2月中旬までには販売開始まで持って行きたいものだ。

ジキル博士


2016年1月27日水曜日

ワタシの勝手な思い込み

安住紳一郎の日曜天国」を
ポッドキャストで聞いているのだが、
先日の放送分がメッセージコーナーの紹介で
内容が『私の勝手な思い込み』であった。

自分の両親をずっとパパとママと呼んでいて

 小学4年生になるまで名前を知らなかった人とか、
北極は寒く南極は暑いと思い込んで
 高校生になって真実を知った人とか、
『焚き火』の歌の歌詞で
 「あーたろうか、あたろうよ」の部分を
 「(お前は)ア太郎か?」「(おう、こちとら)ア太郎よ!」
だと中学生まで思っていた人とか出てきて、
腹を抱えて笑ってしまったのだった。

そういうワタシも、勝手な思い込みがあった。

教員になりたての頃に、クラス通信にも載せたこともあって、
いまだによく覚えているのだ。
  
うちは親も自分も車に乗らないこともあってか、
駐車場に良く掲げてある「月極」が何だかわからなかった。
  
何だこの〝ゲッキョク?〟っていうのは?

と不思議に思っていたのだ。

そして……

   
この辺りにきっと
「月極」というキャバレーみたいものがあるのだ。
でもこうやってあちこちに駐車場を確保しているのに
お店を目にしないなぁ。
きっとオトナ・・・にしかわからないような密かな場所で
お店を開いているんだろうな……
   
なんて思っていたのですよ。

しかし「月極つきぎめ」というのは大仰な文字だよなぁ。



 


2016年1月25日月曜日

「あしながおじさん」に2つ目のコメント

Kindle書籍として販売開始してから1年半、
「あしながおじさん」に2つ目の、
今度は好意的なコメントがついた。

「ら抜き言葉、敬語の間違い」などを指摘された

最初の否定的なコメントがついたのが
発売1ヶ月後くらいだったが、
やっとそれに対抗する好意的なコメントがついて
印象として、買っていただき易くなった気がする。

校正をし直して改訂版を出しても、

一旦ついたコメントは
コメント内容に明らかに誤りがあるなど
よっぽどのことがないと消えないようなので、
低評価コメントはとても恐ろしいのである。

改訂版を出すたびに、
Kindle側にも

コメントの削除をお願いしたが
結局何も変わらなかった。
となれば、高評価コメントがつくのを
祈るようにして待つしかないのだ。
  
そして我慢して待つこと1年半、
やっと「あしながおじさん」が
プラマイゼロみたいなところに
戻ってこれた感じだ。
  
結局コツコツと続けていくしかないんだなぁ。
あれでショックを受けて、腐ったり投げたりして
Kindle翻訳に身が入らなくなっていたら
今の《望林堂完訳文庫》はなかっただろう。

大事なのは、打たれてもやり続ける力、だな。

   
そうすれば、いつかいろいろなことを乗り越えて
何かの形になってゆくのであろう。
例え最初思い描いていたものとは
多少(あるいは大きく)違うものになったとしても。

雪止めを見に足場に登ってみたのだ

工事はもう先週中終わっていて
あとは今週半ばに
足場を撤去するだけである。
  
上の自閉くんの目の前で足場探検をすると
登って良いのだと思って、きっと真似するのである。
ここでやられても困るが、たまたま見つけたよその家とかで
登られてしまったら非常に困る。
  
そこで土日の探検は見送って、
今朝、郵便局にCDを出しに外に出たついでに
足場探検をしてきた。


二階建ての屋根の工事なので、足場は三階建てである。
足場の骨組みが手すり代わりだから
手で体を支えるところがあるような無いような感じだ。



ぐるっと一周回るのはちょっと怖かったので、
階段近くをうろうろしつつ、三階まで登って、
屋根の雪止めを見てきた。
こんな感じなんだな〜。

足場は、道幅は狭いし、隙間だらけだし、
壁はないし、手すりも頼りないし、
さらに下までスケスケなので、
フィールドアスレチックとしてはかなり危険で
その分結構スリリングである。
(だからこれは工事用の足場ですって)
  
ささやかなアドベンチャーだったけど
楽しかったのであった。


2016年1月24日日曜日

夜中に外に飛び出したのだ

屋根の雪止め工事を行うために
先週から家のまわりに足場が組まれている。
ちょっとしたフィールドアスレチックみたいで
思わず登ってしまいたくなるのだが、
それは同時に、誰かに登られるんじゃないかという
心配でもあったのだ。

工事はすでに終わっているが、

足場撤去まではまだ数日あるのだ。

そして昨晩のこと、

2時半頃にトイレに起きた。
ベッドに戻ってうつらうつらしかけた時、
外でドサっという音がした……ような気がしたのだ。

ベッドの中で緊張しながら耳をすます。


足場を歩いている音ではないが、

明らかに塀の内側から聞こえたのだ。

しばらくして、ちょっと離れた場所で

またガサッという音がした……ような気がした。

行くしかないぜ!

ベッドから出て、下だけジーパンを履き
上にダウンジャケットを引っ掛けて、
な〜こと白川郷に行った時に衝動買いした
木製の刀を引っ掴む。
そして、刀の部分は置いて、鞘だけ手にして
外に飛び出した。
  
  
眠気も吹っ飛び、なぜか戦う気満々である。
でも、手にしてみるとお土産の木刀の鞘は意外と短く
ちょっと頼りない感じ。
鞘だけ持つと普段よりつかの分だけ短くなるからね
でも大丈夫、負けない!

玄関から足場を見回すが、人の気配はない。

庭に回り込んでみると黒いかたまりが……。
ネコであった。
一気に緊張が解けた。

気づくと鞘を逆手さかてに持って、身構えていた。

座頭市の見過ぎだろ!って思って笑ってしまった。
でも、威嚇の道具じゃなくて
相手に接近して実際に殴りつける武器として
鞘を持ってきたんだなと思うと
ちょっと感心してしまったのだった。
  
座頭市の逆手の構えは、
不意打ちと接近戦に向いているのだと
妙なことを実感する。

しかし、こんなところで木刀が役にたつとは!

そして座頭市も!

そのあとネコを追い払って寝た。

再びベッドに潜り込んだのは夜中の3時。
朝起きたら、夜中の冒険がこたえたのか
ちょっと頭痛だった。

2016年1月23日土曜日

突然iPhoneがブラックアウト!

充電はまだ95%ぐらいあるのに
天気アプリを見ていたら
ホームボタンを押してもアプリが終了されなくなり、
しばらくして画面が真っ暗になってしまったのだ。

近頃不調ということもなく、
落としたりぶつけたりもしていなかったので、
びっくりしゃっくりこれっきりである。

ネットで調べてみると
そんなに珍しくないらしい。

スリープボタンを長押ししても
再起動できなかったので、強制再起動を実践してみた。

スリープボタンとホームボタンを同時に長押しして
(30秒程度)アップルマークが表示されたら
指を離す。

パソコンがフリーズした時には
強制再起動には電源ボタンを長押しするけれど、
あれと同じ感覚である。

で、無事再起動して、普通に立ち上がったのであった。
ああ、良かった、良かった。

まだ使い始めて1年2ヶ月ってこともあるけど、
今はな〜こと専用メール機だからね

何年ぶりかの秋葉原散策

とにかくだるくて眠いのだが、
なんとか外に出て散歩をしてきたのだ。

神保町で楽器(ウクレレ)店を冷やかして
危うくマーチンのテナーを買いそうになり
買わずに済んだけれど音色にウットリな気分で
超久しぶりに秋葉原に行ってみた。

1990年代にはとにかくMacが瀕死の状態で
圧倒的アウェイな中で
面白い機種や楽しいソフトや
不思議な周辺機器などを探して、
あちこちのショップをハシゴするだけで
超満足できたのであったが、
今は秋葉原にワタシを魅了するものが
果たしてあるだろうか?
そんな気分であった。

結論から言うと、なかった。
あのオモシロ楽しい世界はなくなっていた。
もちろんパソコンからインターネット、
そしてスマホへと時代が変わり、
ワタシもいろいろあったから
変わっていて不思議はないのだけども。
   

今日の印象としては
秋葉原は〝メイドカフェ〟と〝肉〟の街になった
という感じだな。

寒風吹きすさぶ中、あちこちで
ミニスカートの〝メイド〟さんが
鼻にかかった声を喉を絞り気味に出す独特な発声で
呼び込みをやっていたのであった。

そしてなぜか目立つ〝肉〟を売りにしている店の数々。

ディープと言えばディープだけど
自分の居場所を見つけられた
〝あの頃〟とはだいぶ違うのである。
そりゃ〝あの頃〟にはAKB48なんて
影も形もなかったわけだしね。

今は秋葉原より御茶ノ水の楽器店回りの方が
癒し度とかワクワク度は高いなぁ。

でも昔とは別の面を味わうことができて
久しぶりの秋葉原も面白かったのであった。


   
  



2016年1月21日木曜日

アロマミストで快適作業環境作り

昨年の1月28日だから、ほぼ一年前の今頃、
トップランド ボトル加湿器キューブ」という
お手軽ミニ加湿器を買ったのであった。

当時は税込み1,605円だったが、今はもっと安くなっている。
当たり外れがあるみたいで、コメント欄には低評価も多いし、
確かに最初の品はわずか1週間ほどで噴霧されなくなり、
新品と交換してもらったのだが、
その後は快調なのである。

何よりペットボトルのキャップ代わりにつければ
即加湿器になるお手軽さが気に入ったのだ。
水の入れ替えも楽だし、お掃除も楽。
新しい容器に替えるのも楽だからね。

噴きあげる力がないので、
部屋中にミストを行き渡らせることはできないが、
パソコンラックの上の段に置いておくと、
ちょうどミストが上から降ってきてグッドなのだ。

そして、ふと思いついて
ここにアロマを垂らしてみたのである。
使ったのは無印良品でゲットした
「エッセンシャルオイル レモングラス」だ。
  
すると、ディフーザー機能は書かれていないが
適度に良い香りが降ってくる。
なかなか快適である。大正解であった。
風邪っぽい状態が続くワタシには加湿は大事だし、
アロマの香りがいろいろなストレスを
和らげてくれる感じだな。
  
一日中デスクワークだし、
それなりに快適な環境を作らないとね。



2016年1月20日水曜日

風邪っぽい不調が続く

去年の秋ぐらいか
あれ、秋の花粉症か?とか思っていて、
年末年始も、冬の花粉症か?と思い、
今も、例年の花粉症が今年は早まったのか?
なんて思っていたのだが、
やっぱり風邪なんだろうな。

つまり以前の「二日酔いシンドローム」的不調が
5年越しぐらいにやっと消えても
完全復活したわけではなく、
次のレベルの不調がやってきたのであろう。
  
今までは「二日酔いシンドローム」が強すぎて、
気づかなかったのかもしれないし、
表に出なかったのかもしれない。

こうやって少しずつ不調が消えていくのであろうな。
腹痛とかも出なくなるに違いない。

鼻の粘膜が荒れていて、
目がショボショボし、鼻水とくしゃみが出る。
ちょっと気力がなくなって、
今日のウクレレはお休みすることにしたのだ。

風邪薬を飲んで横になるとしよう。

2016年1月19日火曜日

今日から屋根の工事

タイミングが良いのか悪いのか
昨日からだった屋根工事が雪で延びて
今日の朝から始まった。
と言ってもまずは足場作りからだから
工期は約10日間にもなるのだ。

で、何をするかというと

雪が降った時の〝雪止め〟を
屋根に設置するのだ。
  
豪雪地帯であれば雪は
雪止めは雪下ろしの邪魔になってしまうだろうが、
この住宅地においては年に数回の雪なら、その逆で
落ちるのでなく、穏やかに溶けて欲しいからなのだ。

奇しくも昨日雪が降って、再び実感したのだが、

屋根に積もった雪が、ちょっと溶けてくると
塊になってドーンと落ちてくる。
  
昨夜の夜中頃には、何回も
何か爆発物か?と思うような音がした。
震え上がって目が覚めてしまったくらいだ。

音で済めばまだ良い。

あの塊が下を歩く人にぶつかったらと思うと
ぞっとするのである。
角度的に外の歩道に落ちる場所があるのだ。

ということで今朝から職人さんが来て作業をしている。

一日中人の気配がする生活がしばらく続く。
何となく落ち着かないけど、仕方ないな。
  
こんな感じらしい
  

2016年1月18日月曜日

ゲリラ雪だ!

ある程度予想はされていても
これほど降るとは思っていなかったことは
交通機関の乱れ具合でわかるというものである。

都内&近郊の電車は
軒並み運休&遅れでガタガタだ。


今はみぞれに変わっているが
これまでに降り積もった雪が結構残っていて
長靴じゃないと歩けない。

そのせいかどうかわからないが、
ワタシも朝から不調で
若干の頭痛というか首痛がある上に
昨日からのくしゃみ&鼻水が悪化だ。

またちょっと横にならないとダメかもなぁ。


2016年1月17日日曜日

El Captainで「絵文字と記号ビューア」を出す

あれ、El Captainになって
また「文字ビューア」がまたどこか行っちゃったよ、
とずっと思っていたのだが、
まあいいかと放っておいたのだ。

ちょっと使う必要が出て、いろいろ調べて30分。
やっとたどり着いたのであった。
以下、その手順である。
  
1.メニューバーの入力ソース印から「“日本語”環境設定…」を開く。
   
   
2.「システム環境設定」の「キーボード」パネルが開くので、上に並ぶ設定項目から一番左の「キーボード」を選択。そして「メニューバーにキーボードビューア、絵文字と記号ビューアを表示」にチェックを入れる。
   

3.パネルを左上“赤丸”ボタンで閉じれば終了。

プルダウンメニューにビューア表示項目が追加されているはず。



それを選ぶと、無事記号などが選べるようになりました!


 
わかってみれば設定は簡単だけれど、
知らないとなかなか探し出せない場所である。
みんな、あまり使わない機能だからかしら?
  
  

2016年1月16日土曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ

話題の新刊ハードカバーとして平積みになっている本には
どういうわけか食指は動かないのが常なので、
2013年に出た村上春樹の
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」を
文庫本になった今読んだのだ。

正直に言えば

〝文庫本として平積みになっている〟今手に取ることも
ちょっと抵抗があるのだが、
そのくらいは何とか乗り越えられるのである。

頭に浮かんだことだけメモしておきたい。


・五人いたとしても、初恋の物語だ。
 恋は理不尽だし、自分勝手だし、不可解なのだ。
 それを理屈で納得しようとしている感じがしてしまう。
  
・微妙な感情を喚起する美しい比喩は健在。
 ただしもうスタイルになっているし、
 そのスタイルに自覚的である。 
 待ってました!みたいな感じ。
    
・本作に限らないけれど、食事の記述が多い割に
 「ごはんもの」が出てこない。
 トースト、野菜、果物、牛乳
 ビール、ピッツァ、フランス料理。
 物語とか登場人物の醸し出す、とてもストイックな世界に
 ラーメンとか牛丼とかカレーとかは似合わないんだろうなぁ。
   
・物語として美しいしのだけれど、
 誰もがもがき苦しみながらも、誰も激しい感情を外にぶつけない。
 冷静で、分析的で、受容的で、優しい。
 だから繊細な感情に触れることのできる喜びはあるけれど、
 それぞれが抱えている荷の重さがにリアリティがなくて
 切実さが物足りない気がしたなぁ。

・同様に、人を愛する気持ちの熱さとか切なさが伝わってこない。
    
・沙羅に魅力を感じなかった。
 なぜ、つくるが沙羅に惹かれるのかもピンとこない。
 (物語を展開させるつくるの行動は
  沙羅のアドバイスがきっかけだから、
  これは結構大きな点だと思う。)

もしかすると、この物語よりも

ワタシ自身がもう少しややこしい生き方をして来ていて、
どこか村上春樹ワールドに
物足りなさを感じるようになったのかもしれない……
などと、いう不遜なことを思ってしまった。

あ、でも今回は最後まで

トラウマになるような残酷描写がなくて
穏やかに読み終えることができて良かったな。

2016年1月14日木曜日

翻訳する面白さは熟読する面白さでもある

翻訳する面白さは、
書かれた英文が刺激する感情を、
できるだけ同じ感情をうまく刺激する日本語に
置き換えられるかという
突き詰めれば、
針の穴を通すような作業の醍醐味にある。

そんな日本語表現が見つかった時の喜びは大きいし、
見つかるまで全然先に進めずに、
それでも結局
ぴったりな日本語が見つからなかったりするのだ。

でももう一つの楽しさは、
熟読する楽しさじゃないかと思うのだ。
   
普段本を読む時には
じっくり端から読み込んで、
これはどういう意味で言っているのだろうとか
なぜここで一瞬の沈黙が流れたのだろうとか
この比喩は結局どういう心情を表しているんだろうとか
一つ一つ立ち止まって考えることは
あまりしないんじゃないかと思う。
  
ところが翻訳する上では、
できるだけそういうところを考えていかないと、
言葉がうまく繋がっていかず、
読んでいて、文章がすっと入ってこなくなるのだ。

だから、どういう日本語にするかというのは、
英文読解力の問題とは別に
物語を読む力の問題が大きな意味を持ってくる。
流れが掴めたあとに、日本語表現での格闘があるわけだね。

そしてこのじっくり読むのが結構楽しいのである。
  
試験勉強やら受験勉強やらで精読するのは辛いけど、
こうやって英語作品を日本語作品たらしめたいと
頑張って読み込むのは
ちっとも苦ではないのだ。
  
「ジキル博士とハイド氏」は特にそんな感じである。
楽しいけれど難しい。
   
今日自分ながらに頑張ったなと思ったのは、
前後の流れから、
"I understand." 心中しんちゅうお察しいたします」
  
と訳したことかな。
   
   

2016年1月13日水曜日

今、無くてはならないものは……

「ああ、な〜こにマッサージしてもらうと、
 温泉に入っているみたいにリラックスするよ〜」

「お湯のないインチキ温泉だよ」


「だからすげえんだよ、〝な〜こ温泉〟。

 お湯に浸かったみたいに、ハァ〜って声が出る。
 生き返るねぇ。無くてはならないものだねぇ。」

「けっこうスゴイんですよ。

 じゃあ、今モンちゃんが無くてはならないものは何?
 三つあげてください。
 パチョコンでしょ、〝な〜こ温泉〟でしょ、
 それから?」

「え? う〜んと……カレーライス……」


「ええ〜! 〝な〜こ温泉〟はカレーと同列!

 ショック〜!」

「え、何も考えないで言っただけだよ〜!(汗)」

バカップルと呼びたければ呼びたまえ。

もう疎外感に苦しまなくても良いかもしれない

定年になると一気に疎外感を感じると言う。
それまで所属していた場所もなくなり、
自分についていた肩書きも消え、
仕事で結びついていた人間関係も終わるから、
自分と社会との接点が見つからず、
孤独感と疎外感を感じるのだと言う。
  
定年という決められた予定であってもそうなのだ。
それがダウンという突然のリタイアだったのだから、
ショックの大きさは並大抵のものではなかった。
  
さらに仕事を投げ出したという自己嫌悪も重なったから、
社会との接点がなくなったというより、
自分のせいで社会から切られてしまった、あるいは
社会の荒波について行けずドロップアウトしてしまった、
みたいな、何とも辛い、悶々とした日々が続いたのだ。
  
おまけに体調は最悪だったし。
  
その後突然趣味でCGを描くようになり、
やがて出来上がったものを売るようになっても、
あまりに細々としたものだったので
社会と繋がっている感覚はそれほど持てなかった。
  
それがちょうど二年前の今頃、
翻訳本の電子書籍販売というのを突然思いついたのだ。
   
パブリックドメイン作品があることは知っていたし、
電子書籍を販売できる仕組みができたことも知っていたが、
初めてそこで両者が結びついたのである。
  
以来、連日取り組む〝仕事〟ができ、
完成品がAmazonに次々と並ぶようになり、
それらが継続的に売れ続けているのだ。
加えて販路もKobo、BOOK☆WALKERと広がった。
  
そしてふと気付くと、
以前の疎外感が、もうあまり感じられなくなっていたのだ。
   
もちろん電子書籍の売り上げはまだまだ微々たるものだから、
収入的にはほとんど変わってはいないんだけど、
自分に〝やるべきこと〟ができて
その結果としての本が目に見える形で世の中に出て行って、
連日、売れたかどうかというはっきりした数字として
フィードバックされてくるというのが
社会とのつながりを実感させてくれるのだと思う。
  
自分のアイデアと能力と努力で生み出したものが
社会に受け入れられ、社会の役に立ち、
社会のどこかで確実に必要とされている。
そう思えるようになったのだ。
   
体調だって安定しないし、
自己嫌悪や雑念に苦しむことも少ないくないし
まだまだ色々な意味で格闘は続いているが、
それでもこれは凄いことである。
   
翻訳を始めたのがダウンから5年半後。
こんなことが書けるようになるまで
ダウンから7年半かかったのだなぁ。

2016年1月11日月曜日

第16弾は「ジキル博士とハイド氏」

2016年の《望林堂完訳文庫》は
トータル第16弾として
1886年の作品「ジキル博士とハイド氏」
(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)
で始めることにした。

《文庫》としては「ある子どもの詩の庭園」以来
二冊目となる、スティーヴンソン作品である。

ストーリー的にはおなじみのものであろうが、
そのストーリーを知っていても楽しめるのは、
その霧のロンドンを舞台とした
おどろおどろしい闇の世界が
今の時代だからこそさらに
魅力溢れるものに見えるからだろう。

作品自体は比較的短いが、
一段落が長く、文字がびっしり並んでいるので、
訳すのは結構辛いものがあるが、
やっぱり翻訳の世界に遊ぶのは楽しいのだ。

一応、目指せ2月刊行、と(自分に向けて)言っておくことにしよう。



Charles Raymond Macauleyによる挿絵
 
 

久しぶりに「刑事コロンボ」を見る

忘れもしない2008年の8月に突然思い立って買ったのが
全45話完全収録の
刑事コロンボ コンプリートDVD-BOX」である。

2008年と言えば、適応障害でダウンした年である。

そもそもは、仕事のONのスイッチが切れない気がして、
意識的にOFFの時間を作ろうと買ったのだが、
9月にすぐダウンしてしまったのだ。
  
でもこれを見ている間は
自己嫌悪も忘れることができたなぁ。
結局自宅養生中の格好の気晴らしとなった。

作品の面白さもさることながら、
個人的まだまだ平和だった
1970年代という子供の頃に戻れて
安心できたということもあるんだろうな。

そんなコロンボを突然また引っ張り出してきて、

昨日第二作「死者の身代金」を見たのだが、
やっぱり面白かった。

やり手弁護士のリー・グラントの目が良い。

怖いんだけれど、色気があるんだな。
でも意外と華奢で小柄そうである。



でも強烈なのはやっぱり

娘のマーガレット役のパトリシア・マティックだな。
こまっしゃくれた嫌な感じと素直で率直な面が混ざった役を
とてもうまく演じている。



久しぶりにコロンボの面白さを味わった。

全巻見ることになりそうだ。
  
   

2016年1月10日日曜日

「Atom Heart Mother」リハーサル映像




オーストリアのオシアッハでの
コンサート・リハーサルを記録した
1971年の映像。
  
曲は名曲「原子心母」。

【signature】
 Pink Floyd made surreal sounds a signature of the early 1970s.
 ピンクフロイドは超現実主義的音楽を70年代初期の特徴とした

ウィズダム英和辞典(Mac標準の「辞書」に入っている英和辞典)より


2016年1月9日土曜日

「核廃棄物ロケット発射!」

ずるずると原発を使い続けていた2040年の日本。
  
増え続ける原発放射性廃棄物と福島第一原発汚染水、
そして一向に埒があかない放射性廃棄物処分問題。

頼みの綱だった

高レベル放射性廃棄物を無害なものに処理できる
技術開発にも失敗した、時の日本政府は、
世界の反対を押し切って
最後の手段を取ることを決定する。

それは……

今や世界有数のロケットビジネス大国になった技術を活かし、
放射性廃棄物をまとめてロケットに搭載し、
太陽目指して打ち上げるという
「太陽焼却炉計画」の開始である。

しかし、

たとえ世界有数の技術を持つとは言え、
100パーセント確実に成功するとは言えない。
もしそうなれば、最大級の放射性物質〝爆弾〟が
地球上のどこかに落ちることになるのだ。
世界は猛反対である。

あるいはもしかすると

発射の段階で失敗するかもしれない。
原発推進派と反対派の対立とは別に、
ロケット推進派と反対派の対立が
国内でも激しさを増す。

しかし、待った無しの状態に追い詰められた日本は

世界の非難を無視し
日米同盟を解消し
国際連合を脱退し
国内反対派を押さえ込んで
「太陽焼却炉計画」に邁進する。

果たして日本の放射性物質は一掃できるのか?

それとも世界の終わりが始まるのか?

全世界からの強烈なサイバー攻撃を

かろうじでかわしながら、
今、日本政府によって
ついにロケット発射のカウントダウンが始まった
  ……

というようなことを考えてみたのですが、

誰か小説にしてくれないかな。

「Kobo」 & 「BOOK☆WALKER」に出してみて

「BOOK☆WALKER」で、データの不備が理由で
一冊だけアップロードできなかった
「アルプスの少女ハイジ」が
無事アップロードできて販売開始になったところで
ダウンしたのであった。
   
やるべきことをやり終えて
結果を見届けてからダウンしたのである……
と言うと、カッコ良すぎるかしら。
   
今回3つの電子書籍サイトに登録することになって
一番感じたことは、
マーケットとしてシェアが大きいとか小さいとか
今後の可能性がどうとかいうことは
あまり関係ないということである。
   
つまり、シェアが一番じゃなかろうが、
扱う書籍に漫画やラノベが多かろうが
今そのサイトで売っていれば買ってくれる人はいるのだ。
良いものは売れるのである(自画自賛劇場!)
今後とか将来とか言っていないで、
今の一冊を大事にした方が良いではないか。
   
事実、1月の現時点での《望林堂完訳文庫》の販売数は
「Kobo」と「BOOK☆WALKER」で
「Kindle」と同じぐらいの数になっているだ。
   
それに、今後とか将来とかいうのも怪しいからね。
1990年代のAppleなんて誰が見ても風前の灯だったし。
   
もう一つ感じたのは、
日本てとにかく漫画&ライトノベルが豊富なのだ。
おそらくKindleが電子書籍総合サイトとして
マーケット全体を引っ張っていくことは確かだろうけれど、
国内的にはある程度個性的なサイトが
乱立したまま行くのではないだろうか。
   
ほら音楽だって、Amazonで買うことは多いけど、
「disk union」とか「Garden Shed」とか
「カケハシレコード」とかじゃないと売ってないものも
あるわけじゃないですかぁ(プログレ的に)。
   
いわばインディーズ電子書籍ショップ(サイト)である。
ならば、例えばであるが、
自分で電子書籍サイトを立ち上げたって良いわよね。
   
現実的にはお金のやり取りがネックかもしれないが、
アイデアとしては、頭の片隅に置いておいても良さそうである。
   
タイトル数が100点ぐらいになったら
本気で考えてみようかな。

2016年1月8日金曜日

風邪でダウン!

夜、食べ物はとっくに消化されたはずなのに吐き気がする。
うっすらとした頭痛が取れずにい何度も目をさます。
次第に体の節々の痛みが加わる。
   
「二日酔いシンドローム」とは違う。
これは体に熱がある時の症状だ。
   
朝から動けなかった。
まだ満足に動けない。
頭痛はそうでもないが体が痛い。
吐き気はなくなったが、全身がダルダルだ。
  
今日は寝て過ごすしかないなぁ。
   
ここのところフラフラしていたり、
花粉症のようにくしゃみや鼻水出ていたのも、
体が風邪と戦い続けていたのかもしれない。
   
大丈夫、体くん、もう負けて良いから。
ゆっくり休もうぜ。