2017年3月30日木曜日

ウクレレ初の2ndパート作成に挑戦!

水曜ウクレレの秋のホイケに向けて、
そろそろ発表曲を決めねばならないのである。

ハワイアンな先生は
「Aloha O'afu」が暗黙の一押しで、
これまでけっこう練習したきたのだが、
同時並行で、
「風になる」も練習しているのだ。
  
こちらは
  
「ハワイアンじゃない曲も演りたい」
  
というメンバーの要望に応えて
用意していただいた曲だが、
力の入れ具合いは「Aloha O'afu」が勝っている。

でもやっぱりメンバーは
どちらかと言うと「風になる」を演りたいみたいで、
さらに「Aloha O'afu」は
今までたくさんのバンドが演っているので
新鮮味の点でも魅力が薄いのである。

ということで
「風になる」の歌だけでは寂しいと思って
ウクレレソロ譜を作っていったのだが、
その練習を次回からすることになった。

そこで……
さらにホイケ・レベルの長さにするために、
「いつも何度でも」を2パートで演奏する譜面を
今日突然思い立って作ったのである。
ジブリ・メドレーというわけだ。
  
1stパートはメロディで、2ndパートは伴奏だけれど、
2ndパートにはところどころにオブリガードが入る。
こちらは完全オリジナルである。

目指したのは、去年先生個人の発表会で演った
「見上げてごらん夜の星を」のような
オリジナル・ふたりウクレレ・バージョンだ。

大分頭をひねりながら
音がぶつからないように、
2パートがうまく絡み合うようにと、
自分の耳だけを頼りに頑張ってみた。
  
さて、次週どうなりますことやら。


2017年3月29日水曜日

六義園でお花見

まだ満開にはほど遠いけれど、
なかなか一緒にお花見に行けそうにないので、
咲き始めたばかりの六義園の枝垂れ桜を
な〜こと見に行ってきた。

その前にランチを
銀座の「オザミ」でいただく。
魚料理と肉料理が一つのプレートに並んでいて
どちらもとても美味しかった。

六義園は、
紅葉の時期にライトアップを見に行ったことはあるが、
昼間に、桜を見に行くのは初めてかな。

満開の枝垂れ桜が、ライトアップで浮かび上がる様子は、
美しくも妖しく、幻想的らしいのだが、
まだまだ満開ではないので、夜まで待つことはしなかった。
それより、夜になると閉鎖されてしまう散策路を、
今回初めて歩き回れたのが、中々楽しかった。
  
  
帰りに池袋東武デパートで
アンリ・パル・シャンティエ」のショートケーキを買った。
これもイチゴが3つ乗っているのだ。
いろいろ贅沢をした1日だったなぁ。


  
   

春の修善寺温泉旅

今年もな〜こと春の温泉旅に行ってきたのだ。
春旅はいつも天候が心配で、
実際、雷雨に見舞われることも何度もあったが、
今回も曇天に時折雨というあいにくな天気だった。
でも二人で旅をすると、そんな天気でも楽しいのだ。

「熱海」でちょこっと降りて、
新駅ビル「ラスカ熱海」を見てから、
「三島」でお昼。
老舗のうなぎや「桜屋」に行ってみたら、
昼前なのに三時まで待つことがわかりガックリ……。

通りがかりの「高田屋」に入って
こちらも満員だったが待つことにしたら
通りがかりのおっちゃんに
  
「数日前に『ぴったんこカンカン』で紹介されたんだよ
 安住アナウンサーと、佐藤浩市と、冨士眞奈美が
 このお店でうなぎを食べたんだよ」

と教えてもらった。
「桜屋」には行けなかったけど、ちょっと得した気分。
もちろんうなぎは美味しかった。

  
そこから駿豆線で修善寺へ。
チェックインには早かったので、
時折雨がぱらつく中、温泉街を歩くことにして、
荷物だけ預かってもらおうとお宿に入ったら
そのままロビーで待たせてもらうことができてラッキー。

お宿は「湯回廊菊屋」。
フロントからのびる、川をまたいだ通路が面白い。
和モダンなところと、昔ながらのたたずまいが
うまく混ざりあった、味のある旅館だ。



お部屋も落ち着いた雰囲気で良い感じ。
改装前の写真を見ると、
もともと大広間だったところを客室に仕切ったようで、
なんとワタシたちの部屋は舞台だったところらしく、
並びの、ほかの部屋より一段高くなっていたのであった。
なんだか面白い。
  

ちょっと迷路のような〝回廊〟を巡りつつ
夕食をいただきに「修善寺囃子」へ。
落ち着いた雰囲気のカウンター席だ。
料理は和食。のんびりゆったりした時間だ。


  
食後は時間を見計らって貸切風呂へ。
ああ、贅沢。


  
さらに「共立リゾート」名物、無料の「夜鳴きそば」をいただく。
この、夜の11時くらいに食べるラーメンが、美味いんだなぁ。
  

翌日の朝食。今度は個室で、前栽が美しい。

  
天気は、空模様がかなり怪しい雰囲気だったが、
お宿をあとにして、修善寺温泉街散策に出発だ。

日枝神社

修禅寺

桂橋

竹林の小径

桜はまだまだであった

あまりに日焼けしてマガイモノ感すら漂っていた射的場の人形たち

指月殿

筥湯(はこゆ)の「仰空楼」にも上ってみた

温泉街の散策は楽しい。
歴史を感じさせる建物や、ひなびた風景、
そして必ずどこにもある、旅館の廃墟。
幸い雨にも振られず、散策は無事終了である。

そして帰りに再び熱海で降りて、
ラスカ熱海」でお買い物。
あの昔の熱海駅の風情がなくなったのは寂しいが、
駅構内は昔と変わっていないので、
改札を入ると、まだ懐かしさが残っていて
ちょっと嬉しかったなぁ。
  

ということで、
伊豆国パノラマパーク」に行って、
ロープウェイに乗り山頂から富士山を眺めるという予定は
天候の関係で今回果てせなかったけれど、
その分、実にのんびりした旅を味わうことができた。

天候が思わしくなくても、
予定が変更になっても、
四六時中ずっと一緒にいても、
ずっと楽しく過ごせるのが、
な〜ことの旅の良さである。

温泉も、お散歩も、お食事も満喫した
楽しい二日間でした〜!



2017年3月24日金曜日

「シン・ゴジラ」は東日本大震災セラピーだ

「シン・ゴジラ」の根幹は、
東日本大震災で心に傷を負ってしまった多くの日本人、
どちらかと言えば、直接の被災者ではないけれども、
漠然と精神的に大きなショックを被った人々、
とりわけ、実際に微量ながら放射能を浴び、
計画停電なども味わった東京周辺に住む人々が、
この日本に対して抱くことになった
暗く落ち込んだ心の持って行き場を
必死の思いで作り出してくれたことにある。

それはある種のセラピーであり、

そのために、
絵空事ではないリアリティが必要だったのだ。

「シン・ゴジラ」は

あの惨事を受け止めきれないでいる人々に、
ある種の救いと希望を与えた。
前を向くための心の持ちようを示してくれた。
だから、とりわけ日本で評価が高く、
日本において大きな意義を持っていたのだと思う。

例えば、事故や病気で愛する人を失った遺族が、

そのやりきれない悲しみと戦い、それを乗り越えるために、
そうしたことが二度と起こらないための
運動や基金などに力を注ぐことがある。

悲しい出来事を、ただ悲しんでいるのではなく、

今後の役に立て、未来に活かしていこうとすることで、
人は悲しみに耐え、乗り越えようとするのだ。

ところが東日本大震災の場合、いまだに

悲しむところから先へ進むことができていない。
もちろん悲しみは消えないし、
惨事を忘れてはいけないのは当然だが、
それを一つのきっかけとして活かし、
前を向く道筋が、未だに提示できていないのだ。

例えば、再生可能エネルギーへの大転換である。

それは原発は危ないから、
信用できないから、ということだけではなく、
「あの惨事を将来に活かす活動を始める」ために
必要な選択しの一つなのだと思う。
そういうマイナスをプラスに転化するような
〝前の向き方〟が今一番求められているのだ。

それが現実には成し得ていない中で、

「シン・ゴジラ」はギリギリの希望を見せてくれた。
だから実は、
自衛隊を礼賛してもいないし、
政府を揶揄してもいないし、
国際関係を嘆いてもいないし、
若手の政治家や官僚に期待もしていないし
エヴァに似ているかどうかも関係ないのである。
現実を批判しているわけでもないし、
理想を語っているわけでもないのだ。

大事なのは、現状をシミュレートした上で、

今可能な〝心の持ちようのモデル〟を
かろうじて提示してくれたことなのだ。
だから後半のヤシオリ作戦が突飛であってもかまわない。
それは心を開放するための荒業なのだから。
ポイントは、物語がそこへなだれ込む中で、
〝心の持ちようのモデル〟を実感できるかである。

初めて映画館で観た時に、

なんだか良くわからない涙が出たのは、
そういうことだったのだと思う。
セラピーを受けたんだよ、あの時。
  
  

2017年3月22日水曜日

「シン・ゴジラ」ついにゲット!

やっぱり「シン・ゴジラ」は面白いなあ。
  
もちろん2014年のアメリカ版ゴジラとか
公開目前のキングコングのtrailerとかと比較すると、
ゴジラの動きが少ないとか、
ダイナミックな格闘場面がないとか、
物足りない部分も確かにあるけれど、
だからこそ、この映画で描けた 
ストーリーの斬新さや
異形なものの不気味な魅力があるのだ。
  
劇場で最初に見た時は、
理由が良くわからない涙が出たものなあ。

しばらく楽しい日が過ごせそうである。
一つ気になったのが、
政府の対応のひどさを揶揄してい
笑えるという感想を目にすること。
それは違うだろ。 

ここでは批判も揶揄もしていない。
日本的な意思決定システムを
ニュートラルな視点で
シミュレーションしているだけである。
から面白いのだ。  


  
 

2017年3月20日月曜日

お墓参りとケーキとラーメンと

春のお彼岸である。
さすがにお中日だけあって、
実家の駅から霊園までタクシーに乗ろうとしたら、
4台くらい順番が来るのを待たねばならなかった。
平日にも行ける身としては、
わざわざお中日に行くことはないなあと
悟ったのであった。

霊園で実家組(弟と母)と合流し、
お榊と仏花(神道なので本当はいらない)を飾り、
水をたくさん墓石にかけてあげた。
タクシーがつかまらないのは困るが、
まわりでも墓参りをしている人が多いのは
お中日ならではだろうなあ。
みんな故人を偲んでやって来ているんだなあと思うと、
墓参りの人が多いのもなかなか良いのである。

そこで
霊園で無料送迎バスを出していることを知った。
2時間に1本くらいなので、
うまく合わせなければならないが、
帰りはちょうど良い時間のバスに乗れた。
今度からは来る時も合わせれば
行き帰りが無料である。
ありがたいなあ。
  
そのあとな〜こと一緒に
遅ればせながらのホワイトデーケーキを買って
な〜この家で味わった。


夜も一緒にお散歩がてら2駅ほど歩き、
駅近くのラーメン屋に入ってみたら、美味しかった。
「破顔おおびる」というお店だった。

  
なかなか充実した1日だったなあ。
1万9千歩も歩いちゃったし。



2017年3月18日土曜日

改札でいきなりPASMOを放り出す

仕事を辞めてから定期は使っていないが、
PASMOをカードケースに入れて使っているのだ。
昨年ようやくオートチャージの設定をしたので、
もしお財布を忘れても、
少なくともほとんどの移動に関しては
残金を気にせずにPASMOでイケるのがうれしい。
  
それに今はコンビニもPASMO決済が効くので、
これ一枚あればいろいろ買えるのである。
缶コーヒーも、駅の自販機ならPASMOで買えるし。
あとは飲食店とかでも使えるようになるといいなぁ。

だから切符を買うことはほとんどなくなり、
改札の読取機にPASMOをかざすわけなのだが、
音楽教室のカードとかも入っていて
カードケースにちょっと厚みがあるので、
読み取りエラーにならないように、
けっこうしっかり読取機に押し付けるのが癖なのだ。
  
今日もいつものように改札を抜けようとしたところ、
ピッとタッチした直後、
バッとカードケースを前に放り出し、
さらにそれを足で蹴ってしまい、
中腰のままヨタヨタと進んで、
危なくつんのめりそうになってしまったのだった。 

理由は、静電気である。
タッチした瞬間、ビリっと来て、
一瞬カードケースを持つ手が緩むのだ。
そして手元に引き寄せた勢いで、
前に放り投げてしまうのである。


今シーズン二度目かな。
前回は上に放り投げてしまい、
隣の改札に落ちそうになるのを、
ギリギリのところでキャッチしたのであった。

忘れた頃にビリっとくるので、
どうしても不意打ちを食らうことになり
思わぬ方向へPASMOを投げてしまうのが困る。

だいぶ春めいた陽気になってきたけれど、
まだ何回かPASMOを放り投げそうな気がするなぁ。
うまくキャッチできますように。