2011年12月2日金曜日

「Vrooom」聴いて徐々に復活〜

  
久しぶりにKing Crimsonの「Vroom」を聴きながら
リラックスモードからお昼寝に入った 
  
いや「Vroom」はおよそこれから昼寝をしようという時に
わざわざ選ぶアルバムではないんだけど
好きな音楽を聴くということでリラックスできることが
今日は大事かなぁと思ったのだ

久しぶりに聴く「Vrooom」の出だしの音に驚いた
フルアルバム「Thrak」の前に出たミニアルバムだから
「Thrak」の方がアレンジや録音が緻密なのは当たり前だ
でも「Vrooom」には「Thrak」にはない
新しいことをやるぜ!みたいな荒々しさと
こなれ切っていないアンサンブルの危うさが残っていて
それが逆に緊張感のあるアルバムになっているのだ
録音的にもトンガっている感じがする

「おぉ〜!」とか思いながら1曲目の「Vroom」を聴いて
次に気づいたらラストの「One Time」が鳴っていて
そのまま眠ってしまった…
荒々しい音ではあったが
リラックスできたってことなのだ
音楽って面白いなぁ…面白いのはわたしか?

そして「Vrooom」効果なのかわからないが
起きたらかなり復調していたのである
相変わらず不安定さは残るが
動く気力は出てきたって感じだ

そこでまたまた懲りずにタルカスのラスト
「Aquatarkus」終盤で冒頭の「Eruption」がリプライズされる
いわばフィナーレの場面用グラフィックを作り始めたのだ

すでに「Aquatarkus」用に作ってあったものを元に
タルカスなどのオブジェクトはそのままに
背景だけを取り替えた…劇的にチェンジした
構図が同じなのに雰囲気が一変する効果を狙ったのだ

さて今日中にレンダリングが終りますことやら
これが終ったらちょっと「タルカス」から離れて
またオリジナル世界に戻ってみようかと思う次第である

しかし「Vrooom」は1994年の作品なのだね〜
もうすぐ18年も経ってしまうんだよ
信じられん…

2011年11月25日金曜日

年賀状作りの時期なのだ

ケータイでセットした目覚ましが鳴る
朝の7時である…とわかる
枕の下で鳴り続けるケータイを取り出して
なんとか音を止める…が…起き上がれない

どこが痛いわけでもないし
気持ちが悪いとかいうわけでもない
ちょっと熱っぽいかなとは思ったが
やっぱりノボセの類で
測ったら平熱なのは間違いない

でもカラダが重くて動く気がしない
いつもはエイッとばかりに掛け布団をはねのけ
ベッドから降りて
目覚ましのために雨戸を開けまくる

でも今日はそれができない
このまま不調だと言って寝ていたい…
と布団の中で悶々としながら
それでも不屈の精神で…起きた
時計を見ると7時10分

10分間の戦いであったか…
しかし起きればなんとか動ける
再び寝ることを目指して
やるべき朝の仕事をこなす

そしてやっと自分の時間になって
心置きなく休めると思って
メールを打ってブログを更新したら
CGが気になり始めて
手直し版を作り始めて…
気がついたらもう昼であった

こうやって疲労は回復されないまま
蓄積していくんだなぁ…いかんなぁ
でもメールもブログもCGも
義務感でやっているんじゃなくて楽しいのだ
これがまたマズいなぁ…いやマズくはないんだが…
ほどほどができないっていうのがマズいんだよなぁ
  
さてそれはともかく
この週末は年賀状を作らねばならぬ
これまた例年わたしの担当なのだ

先日「プリントゴッコ」の販売中止のニュースが流れていた
なんでもあの簡易印刷器の印刷レベルの高さはスゴくて
あれを使って作品を作っている作家も少なくないらしい

「プリントゴッコ」を使っていた当時も
年賀状印刷はわたしの担当だったので覚えているが
確かに年々印刷精度が高くなっていって驚いたものだった
パソコンと違って
実際にインクで“刷る” 感覚も
なかなかいいものであった
  
ことしは「プリントゴッコ」的に
シンプルなものにしてみようかな

そう言えば前回は
“退職報告”を兼ねた年賀状だったなぁ
カミングアウトに抵抗はなかった
  
しかし退職なんて遥か昔のことみたいである
それだけ“違う場所”に今いるってことかもしれない
体調は相変わらずであるけれども
  

2011年11月21日月曜日

「祈り」赤い鳥

  
赤い鳥は1969年に結成、「竹田の子守唄」(第3回ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト、フォーク部門1位)や「翼を下さい」(今は合唱曲としても有名)などのヒットを飛ばしたことで有名なバンドだ。

後に「紙風船」と「ハイファイセット」に分裂するほどに、メンバー 全員がボーカルを取れる力量と音楽性を持っていたが、逆に言えばフォーク指向の後藤・平山と都会的ポップス指向の山元夫妻・大川という異質な要素が、常にぶつかり合って分裂の危機にあったと言われる。

赤い鳥のサウンドは、そんな中で生まれた、フォークソングの枠に収まり切らない独特で幅の広いものだった。

そして第8作目(スタジオライヴ含む)となる本作「祈り」(1973)では、前作「美しい星」からメンバーとなっていた大村憲司(ギター)、村上“ポンタ”秀一(ドラムス)が引き続き全面参加し、二人がさらにロック的要素を持ち込んだことで、シングルヒット作のフォーキーなイメージとは異なるが、赤い鳥の持つ魅力が一つの頂点に達したトー タルアルバムとなった。

 後藤悦治郎(ボーカル、ギター)
 平山泰代(ボーカル、ピアノ)
 山本潤子(ボーカル、ギター)※旧姓:新居潤子
 山本俊彦(ボーカル、ギター)
 大川茂(ボーカル、ベース)
 大村憲司(リード・ギター)
 村上“ポンタ”秀一(ドラムス)

大村&村上は「美しい星」では他のメンバーと一緒にジャケットに写っていたが、このアルバムでは発売の2ヶ月前に脱退していたため、ジャケット写真には写っていない。

しかしボーカル曲の11曲中、大村が8曲を作曲するなど、アルバムへの貢献度と影響力はとても大きい。全体的にエレキギターが多用され、それが見事に赤い鳥サウンドに溶け込んでいるのも特徴だ。村上のドラムスもタイトで正確なリズムで、全体のサウンドを引き締める。  

不思議なインストゥルメンタル「無の世界〜誕生」でアルバムは幕を開け、続く「めざめ」で山本潤子がその美しいボーカルを聴かせる。まるでピンク・フロイドの「狂気」の「生命の息吹き」のようだ。

その後、曲は様々なタイプのものが続く。神秘的なもの、コミカルなもの、ハードなもの。そしてスキャット、語りなどを含みながら、どの曲も美しく力強いボー カル(後藤、平山、山元潤子)がストレートなメロディーを歌い、メンバーによる分厚いハーモニーがそこに力強さと迫力と音の複雑さを加える。

「マリブー」(歌:後藤)のロック的ダイナミズム、「虹を歌おう」(歌:山元潤子)の心にしみる伸びやかな声、「星」(歌:平山)に漂う情念、そして大村&村 上二人だけによる即興的インストゥルメンタル「大地の怒り」のアナーキーさ。「石」では最初から最後までコーラスワークで歌い切る。そして最後はなんと大胆にも全員のアカペラによるヘンデル作曲の「メサイア」コーラスで終る。この多彩さ、そして濃さ。

良く聴けば歌声のピッチがちょっと危ない部分などもあるが、これだけ多彩なボーカル&ハーモニーを聴かせ、ポップでありながらそれを邪魔せずにハードな世界も溶け込ませたこのアルバムは、奇跡的なバランスの上に作られた作品だと言える。赤い鳥のスゴさを実感できるアルバムだ。


女性二人の特徴も良く出ていて、声楽を学び情感を込める“努力の人”的な平山と、自然な発声が最高の癒しをもたらしてくれる“才能の人” 的な山元の違いがよくわかる。

前作「美しい星」ではメインボーカルと言ってもいいくらい山元が歌っていたが、その不世出な素晴らしい歌声を承知の上で、本アルバムの白眉は後藤の歌う「マリブー」と平山の歌う「星」であろうと思う。

大村のギター・カッティングがロックな疾走感を生み、そこに赤い鳥コーラスが厚みを増して行く「マリブー」は前半(A面)の山場。さらに冒頭から大村のギターが歌いまくるいるロックバラード「星」の情念あふれる美しさ。終盤で聞かれるブルガリアンボイス風スキャットも耳に残る。

そしてアルバム全体のメインボーカルがリーダーである後藤である(語りを含め5曲でリードボーカルを取っている)点も、本アルバムの特徴だ。「美しい星」が女性的であるとしたら、「祈り」は男性的なアルバム、あるいは全員参加・全力投入的なアルバムなのである。

二人の女性リードボーカリストを擁しながら、敢えて後藤・大村が全体をまとめたことで、非常に奥の深い作品ができあがったのだろう。現在はボックスセットでしか手に入らない(廃盤)のが実に惜しい傑作。

プログレの様式に縛られないで聴くと、そのプログレッシヴさがわかってくる作品だ。

「合格率90%の証明写真」屋さん

近くの写真屋に
小6くんの中学受験用証明写真を撮りに行ってきた
テレビや雑誌で何度も取り上げられている
「合格率90%の証明写真」で有名な
名物おばちゃんのいる写真屋さんである

「ちょっと自転車で出かけてて、今戻って来たとこなのよ〜。もうホントに寒い寒い。」

大騒ぎして撮影室に入ってきたのが
そのおばちゃんであった

まぁよくしゃべる
特に本人に対してしゃべりまくる
でもしゃべりながら的確に微調整している
服装・姿勢・表情を徐々にまとめていく
そして何枚も撮る
子どもは次第にリラックスしながら
撮られることに集中していく
  
メディアに出るくらいだから
やっぱり扱いが上手いし
写真以外の心構えや意気込みなど
いろいろな話も交えて語りかける
でも押し付けがましさもないし
「〜じゃダメ」みたいなマイナスなことは言わない
この方はもと助産婦さんだったのだとか
出産の時にもこうやって
ずっと話しかけて
励まし続けていたんだろうなぁ

そして撮り終わってからわたしに

「お父さんね、人生は縁と運とタイミング。もうこのお子さんの合格する学校は決まってるの。あとは絶対受かるぞ〜っていう意気込みで臨むだけなのよ。」

決まり文句らしいが
直接おばちゃんからそう言われると
こちらの肝もすわる感じがする

いやぁそれはそれとして
わたしもっと話がしたかったなぁと思ったのだ
それがまたあのおばちゃんの魅力なんだろうけど
お話ししたい雰囲気を持った方なのだ

まぁわたしがおばちゃん好きだっていうのも
あるのかもしれないけども
 
ちなみにこの“おばちゃん”とは
年齢とは関係ない
ちょっとおせっかいでおしゃべり好きな
明るい女性というという“タイプ”のことである

2011年11月19日土曜日

特別支援校の「学芸会」に思う

自閉くんは高校一年生
今日は彼が通う特別支援校の「学芸会」だ
彼の出番は10:25〜10:50だから
洗濯干して洗いモノして
昨晩準備したビデオの確認をして出発

実は下の子の授業参観もあるんだけど
時間的にバッティングしているので今回はパス
雨の中2校をギリギリの時間でハシゴする気力もないし

そして特別支援校に到着
間もなく出し物の劇が始まる
内容は宝探しをしに
3つの苦難を乗り越えるというものだけど
そこにマット運動やポンポンダンスや
複数生徒による暗唱が入るという構成

最後に見つけた宝は「いのち」というもので
この高一という仲間の絆(出た〜!)を深め
いのちを大切に毎日を生きて行こう
と締めくくられた

オリジナルな内容なんだろうけど
「仲間」「絆」「命」といった
学校が好きそうな言葉が並ぶ

でも思ったのだ
彼らはそれがどんな意味なのかも
あまりわかっていないだろう
でも目の前の役割に一生懸命取り組んでいるのだ
それでいいじゃないかと
その一途さが心に響くのである

そしてもう一つまったく別のことも思った
障害の種類や程度によっては
「命」はとても大きな意味を持つ

例えばダウン症の場合
近年その寿命が延びてきてはいるが
平均的な寿命に比べればまだまだ短い
つまり親より先に天寿を全うすることは
十分あり得ることなのだ
「命を大切にしよう!」っていう
学校の活動で使いやすい当たり障りのない言葉
取りあえず正しいけれど
そこで思考停止してしまう言葉が
ここでは実は重い言葉だったりするのである

わが自閉くんだって
知的に障害はあっても
身体的に命に関わるような課題を抱えているわけではないけれど
平均寿命は短いと言われる
それは本人に周りの状況がわからないことが多いから
事故に遭う確率が高いからだとか

そんなことを思うとやっぱり
これからどう生きてどう死んでいくのかを考えた時
下の子とはまた違った思いを抱くのである

う〜ん…最終的には
それぞれの自立した生活を
遠くから見守るってことが目標なのは
上の子も下の子も変わりないんだけどねぇ