年末にAmazon Prime Videoで
「ルックバック」を見た。
やられた。
喜びと、悲しみと、ひたむきさと、純粋さと…
独特な絵柄。心に沁みる音楽。
原作漫画も買ってしまった。
年明けても、まだやられている。
2025年1月7日火曜日
「ルックバック」にヤラレタ!
2025年1月5日日曜日
「伝説巨神イデオン」が凄過ぎた!
この正月にサンライズから
伝説のアニメ「イデオン」の
1982年劇場版2作が
Youtubeで無料公開されていた。
昔見て衝撃を受けた作品。
確かテレビで見た記憶があるが、
ストーリーはほとんど忘れていた。
改めて見てみた。
特に「発動篇」の終盤が凄まじい。
息つく間もない戦闘描写。
次々と死んでいくキャラクターたち。
もちろん動きの滑らかさや色の美しさは
CGも使った今のアニメには及ばないが、
そんなことは忘れてしまうほどの
手描きならではの荒々しさとセリフの濃密さ。
そして何より、その絶望の深さ。
そしてこの強烈な世界を彩る
すぎやまこういち氏による壮大な音楽。
正月から凄いものを見てしまった…。
いろいろな人にお勧めし始めていたら、
もう公開終了になってしまって超残念。
カンタータ・オルビス(Cantata Orbis)/すぎやまこういち
2024年5月5日日曜日
「Always 三丁目の夕日」見て、ケーキを食べたのだ
連休も終わりに近づいて、
家でゆっくり映画を見た。
Amazon Primeで
「Always 三丁目の夕日」、
シリーズ第一作を初鑑賞。
「ゴジラ-1.0」の山崎貴監督作品ということで、
俄然興味が湧いていたのだ。
確かにCGによる昭和の町並みが
「ゴジラ1.0」を思わせる。
2005年の公開だから、
もう19年も前の映画なのだね。
堀北真希がいい。
そして、不覚にも
声を上げて泣いてしまった、
淳之介にやられた…
そのあと
久しぶりにクリオロのケーキを買ってきた。
モモと抹茶を味わう。
美味しかったね。
平和な一日だなぁ。
2024年1月13日土曜日
「ゴジラ-1.0」の絶妙なゆるさ!
日本のみならず、アメリカ、イギリス、フランス、
そしてメキシコでも全体として大絶賛であり、
実際、興行収入も世界で100億突破という凄さだ。
でも、日本国内の評価では、
いわゆる批評家の間では、
素直に絶賛できないような意見を
比較的目にする気がするのだ。
その主なものは
「演技が過剰」「セリフで説明しすぎる」
というような
演技面でのくどさを指摘するものと、
「戦争、戦後の描き方が浅い、きれい過ぎる」
「特攻帰りの苦しさが、描ききれていない」
というような
戦争の描き方の甘さを指摘するものと、
「アメリカが黙り続けるのはおかしい」
「ワダツミ作戦に無理がある」
というような
プロット上の矛盾や不自然さを指摘するものに
大別されるだろうか。
でも、そもそも日本人は
太平洋戦争に対して
とても複雑な思いを抱いているのだ。
悲しみと怒りと
やりきれなさと後ろめたさと…。
国のために命を捧げた兵隊たちには感謝したい、
だからと言って、特攻を賛美することはできない、とか、
被害者として、原爆や大空襲の惨禍は忘れられない、
しかし加害者として、
そもそも戦争を初めたのはこちらだし、
アジアでの暴虐があったことも事実だ、とか。
敷島の心中を推し量れば、そこには当然、
命を賭しても守りたかった日本や家族への思いや、
それでも特攻できなかった自分を責める思いや、
生きて帰ってこいと言った母親への思いや、
特攻で死んでいった仲間たちへの思いや、
見殺しにしてしまった大戸島の整備兵たちへの思いや、
大事な典子への思いや、大切な明子への思いが、
渦巻いているはずなのだ。
でも映画はそこを細かくは描かない。
だから、そうした思いがどれほど辛いものかを
見るものがどこまで推し量れるかで、
演技の過剰さは薄れていくのではないかと思うのだ。
実は典子も、両親を戦争で失い、
明子の母親が亡くなる場面にも
おそらく立ち会っている。
隣人の澄子も、
空中で一面焼け野原になる中で
我が子が死んでいくのを
目の当たりにしている。
「新生丸」艇長の秋津も、元技術士官の野田も、
当然、身内か仲間か部下たちの死を
経験しているはずだ。
誰もが悲惨な経験をし、
辛さを胸に生き残っているのだ。
でもそこはほとんど描かれない。
そこまで戦争の悲惨さに踏み込むと、
ゴジラという虚構が白々しく思われて、
映画として成り立たなくなってしまうだろう。
だから、その部分は見るものに任せているのだ。
戦争の深い悲しみを知っている人は、
どうしても色々なことを考えてしまうだろうが、
悲惨な部分はかなりオブラートに包まれているので
一応怪獣エンタメを楽しむことができる。
逆に、特攻の悲劇を想像できない人は、
弱虫で特攻から逃げてしまった敷島が、
自分の弱さを乗り越える物語だと勘違いしたなりに
怪獣エンタメを楽しむことができる。
それでも、もしかすると何かの拍子に
敷島の複雑な心境に思いを馳せる時が
やってくるかもしれないのだ。
ゴジラを倒せたからと言って、
敷島の戦争が終わるはずなど無いことに
気づく時が。
そもそも、戦争とゴジラは別物だから、
ゴジラを倒したとしても
苦しみから逃れられることなど
できるわけがないのだ、永遠に。
本作にはそういう
見るものを心理的に追い詰めないゆるさがある。
そこを、
「実際はそんなものじゃない!」と
知識や理屈で批判することは簡単だが、
そのゆるさのおかげで
映画としてのバランスが絶妙なのだ。
だから、人間ドラマと怪獣スペクタクルが
一つの作品の中で融合できて、
細かなど突っ込みどころはあるにしても、
全体としてシンプルで力強く
感動的な作品に仕上がったのだと思う。
個人的には、最後の最後
目も白濁し、からだ中ボロボロになりながら、
自爆の可能性も顧みずに
最後の力を振り絞って
放射熱線を吐こうとするゴジラの
鬼気迫る姿に震えたなぁ。
2023年11月7日火曜日
『ゴジラ -1.0』が凄かったのだ!
コジラの禍々しい描かれ方と、
ハイレベルなVFXの迫力で
これが見たかったんだよ〜と感激し、
「シン・ゴジラ」の時のように歓喜の涙が出た。
それとは別に
太平洋戦争が話に大きく絡んでいることで、
登場人物の個人的心情への共感に加え、
当時の人々の思いや暮らしを
どうしても想像してしまい、
最初から涙腺が刺激されっぱなし。
話がベタだとか、演技がクドいとか
一部に批判もあるようだが、
要は、物語の背景にある歴史的悲劇を
どれだけ受け手が想像できるか、
あるいは、自然と想像してしまうか、
に寄るんじゃなかろうか。
〝特攻隊崩れ〟という設定だけで、
あるいは戦後の焼け野原にバラックの風景だけで、
この映画のリアリティは当然違ってくるだろう。
おそらく前者のタイプの人に取っては、
むしろ辛くなるほどには〝描き過ぎていない〟ことの
バランスが絶妙なのではないかと思う。
もちろんワタシは戦争経験者ではないので
知ったような口を聞くことは出来ないのだけれど…。
いずれにしても、ワタシ的には
訳の分からない涙が、ずっとうるうると出ていたのだ。
怪獣映画、ゴジラ映画である前に、
一本の映画としてとても良くできていた。
映画体験として、強烈だったのである。
2023年5月27日土曜日
シルク・ド・ソレイユ「アレグリア」を見てきたのだ!
昨日は5回目のシルク・ド・ソレイユ体験であった。
2018年の「キュリオス」から実に5年ぶりに
「アレグリア」を見てきたのだ。
コロナ禍のせいで、2020年に経営破綻した
シルク・ド・ソレイユが
復活をかけ満を持して持ってきたのが
1994年の「アレグリア」のリニューアル版だ。
自分たちにとっては
久々のシルク・ド・ソレイユだが、
東京公演は2月初旬から始まっていて、
もう3カ月以上経っている。
それでもなぜか、いつも以上に
この公演に賭ける演者たちの気合いが、
ステージから伝わってくる気がするのだ。
コロナ禍で心を閉ざしていた観客たちの
〝心を揺さぶられる〟ことに飢えている感じも
会場にあふれている。
リニューアルはされているとは言え
今回は1994年版の「アレグリア」ということもあり、
奇をてらった感じではなく、
基本に立ち返ったようなからだを張った演技を
丁寧に、そして完璧に披露しようという
堅実な本気が感じられた。
相変わらず素晴らしい生歌と生演奏との
ハイレベルなコラボレーションも見事。
途中、地震でわずかに中断したものの、
集中力の途切れないステージは圧巻だった。
特に最後の空中ブランコ。
時代が変わり、出し物が増えようとも、
サーカスの花形は
やっぱり空中ブランコであることを実感。
ああ、楽しかった。
2023年5月1日月曜日
「PLAN 75」を見たのだ
Amazon Primeで「PLAN 75」を見た。
見ていてずっと辛い映画だったけれど、
最後まで見て良かったと思った。
冒頭の、偏った思想を持った若者による
高齢者施設での大量殺人後らしき場面。
真面目に生きてきた主人公ミチが、
次第に金銭的に追い詰められて、
PLAN 75、つまり安楽死を選ぶ流れ。
確かにここには
高齢者は存在自体が悪であるとでも言うような
リアルなディストピアが描かれている。
施策「PLAN 75」の良い面ばかりを強調するような
いかにもな描かれ方が随所に出てくることが、
逆に痛烈な批判になっている。
しかし、この作品が突き抜けているのは、
現代社会の一部に見られるような、
高齢者や弱者を社会の役に立たない存在と見なし、
さらには、社会の役に立つか立たないかという
狭い視点だけで人の価値を決めようとする思想を、
痛烈に批判している…
だけではないところにあると思うのだ。
主人公のミチだって、
不動産会社で言われたように
生活保護を受けるという道があるのだが、
プライドがそれを許さない。
つまり、仕事を失ったミチは
確かに経済的に追い詰められているのだが、
誰に世話にもならずに
生きたいように生き、死にたいように死にたい
という思いも強く持っている。
そして稲子が家で
誰にも知られずに亡くなり、
そのまま放置されていたのを目の当たりにし、
ミチはきっと、
自分は、静かに、きれいに、
死にたいように死のうと思ったのだ。
つまり、
制作意図には反しているかもしれないが、
死ぬ自由が与えられる
「PLAN 75」という制度は
高齢者当事者にとっては、必ずしも
ディストピアではないかもしれないのだ。
はたから見れば、
社会の同調圧力だ、とか
子どもたちへの過剰な忖度だ、と見えたとしても
本人にとっては、
追い詰めらて嫌々ながらではなく、
自分の人生を自分の意思で完結させるために、
「PLAN 75」を選ぶ人は絶対にいるだろう。
つまり弱者を否定するような社会的な問題だけでなく、
極めて個人的な、
どうやって自分は死を迎えたいかという問題が、
ここには大きく横たわっているのだ。
映像が美しい。
会話は少なく、音楽もほとんど流れない。
それが良い。
怒りも悲しみも決意も落胆も表に出さず、
死を覚悟してからの濃密な時間を
淡々と生きてゆくミチの倍賞千恵子、
そしておじの鷹たかおの自然体な演技が切ない。
映画内で歌われる
「林檎の木の下で、また明日会いましょう」
という歌は、明日も会えることを
無条件に信じている者同士の会話なんだと、
しみじみと思った。
ちなみに、ワタシ的には
ラストは死にゆくミチの妄想と
役所職員のヒロムの願いが交錯した夢だと思いたい。
突然人気のなくなる、セキュリティー・ゼロな病院。
ミチはベッドで起き上がるまで
致死性ガスを吸うためのマスクを外していない。
つまり致死量のガスは吸っているはず…。
2023年3月20日月曜日
「シン仮面ライダー」を見てきたのだが……
庵野秀明企画・脚本だが、
監督は樋口真嗣だったから、
庵野秀明監督による実写作品としては
「シン・ゴジラ」以来となる
「シン仮面ライダー」を見てきたのだ。
まず率直な感想を言うと、
わたし的にはダメであった。
「シン・ウルトラマン」にも
ステレオタイプなキャラクター造形を感じたが、
それ以上に今作では
主役の一人である緑川ルリ子が
いかにもありがちなツンデ・レキャラで
冷たさを言葉だけで主張して、
最後にやさしさを出して
観客を泣かせようという流れが
見ていて白けちゃったのである。
演技がどうこうというより、
お決まりのような台詞回しがダメだったなぁ。
だから仮面ライダーがルリ子の遺言を聞いて
泣き崩れる場面でも、
まったく共感できなかったのだ。
勝手にバッタ・オーグにさせられた主人公の、
怒りや悲しみや孤独も、弱過ぎる。
いや、誰の言葉にも説得力がないのだ。
だからまったく感情移入できなくて、
シラケた物語を延々見せられることになるのだ。
1971年のTVシリーズや
石ノ森章太郎の原作漫画を
リスペクトしたりオマージュしたり
忠実に再現したりしているらしいのは分かるけどね。
だから小ネタとしてニヤリとさせられるものが
あちこちに配されているのだろうが、
さすがに大筋として、
仮面ライダーとショッカーが
とても小さな閉じた世界の中で
ケンカしている感じが拭えなかった。
怪人オーグを造る意味も役割も、
全然はっきりしないし。
1970年代の善悪がシンプルだった時代に、
小学生にとってはリアルだった設定も、
いくら今風な言葉で焼き直してみても
説得力がないということかな。
そのケンカも、
TVシリーズのような
見栄を切ったアクションによる
肉弾戦感覚は薄いし、
見ごたえのある爆破シーンも少ない。
つまり、話が今の時代とリンクせず、
キャラクター造形が陳腐で、
派手な見せ場に欠けるのである。
何回か見ればまた違ってくるのだろうか?
でも何回も見たいとは思えないなぁ。
2022年6月24日金曜日
「シン・ゴジラ」の謎
批判のための粗探しではないのだが、
勢いで見せられてしまって気づかなかったが、
あらためて見るとちょっと不思議なところが
いくつかあるのである。
関係資料などを見ればどこかに
書いてるのかもしれないが、
今日またAmazon Primeで見て
気づいた点をいくつか上げてみたい。
① 冒頭の水蒸気爆発って何だったの?
第一形態のゴジラが
アクアライン上に姿を現す場面。
赤色い汚染された液は、あとでも登場する体液で、
急激な体組織変化に伴うものだとして、
あの爆発は何なのだろう?
まだ熱放射線を吐く能力はないと思われるし、
尻尾を跳ね上げるような動きだけでは、
あの爆発にはならないと思うが。
放射性廃棄物の投棄場所から
東京湾内まで移動したことや、
牧教授の自殺(?)と
タイミング的に何か関係があったのか…。
② 丸子橋はなぜ吹っ飛んだの?
これは以前も書いたが、
多摩川の河川敷におけるタバ作戦において
フェーズ3の航空攻撃を受けたゴジラが
黒煙の中に隠れると
丸子橋が破壊され、宙高く跳ね飛ばされる。
これを可能にするには、
相当な力と勢い(素早い動き)が必要だろうが、
これはどうやったものなのだろう?
これほどの腕力と俊敏性を発揮した場面は、
後にも先にも見当たらないのだ。
黒煙が晴れた時のゴジラの姿も、
特に大きな動きをしたあとには見えないし…。
③ ヤシオリ作戦・ゴジラ転倒のためのビル
周辺の高層ビルを爆弾とミサイルで倒壊させ
ゴジラを転倒させる前に、
放射線流(放射火炎)を吐き出させるために、
無人戦闘機による空爆を行うが、
そこでゴジラは背面、及び口と尻尾から
大量の放射線流を発してこれを迎撃する。
その際に周囲のビル群もなぎ倒されているが、
ゴジラを転倒させる高層巨大ビルは
なぜ生き残れたのだろう?
④ ヤシオリ作戦:特殊建機小隊第一小隊全滅
血液凝固剤の製造が間に合わず、
フランス政府に交渉し、
熱核攻撃の開始を一日延期させて
ギリギリの必要量を確保したはずだが、
第一小隊の列にはかなりのタンクローリーが見え、
相当な血液凝固剤が使えなくなったと思われる。
たった一日の延期で、
それだけ失われても足りるくらいの
量的な余裕ができたのであろうか?
確かに、あれだけの空爆とビル破壊の中で、
控えていたポンプ車やタンクローリーが
全車無事だったことも、
転倒したゴジラのもとへ
瓦礫の山の中を素早く集結できたことも、
転倒したゴジラの口が
ポンプ車が届く高さだったことも、
ゴジラが大人しく血液凝固剤を飲んでくれたことも
無理があると言えば無理があるのである。
でもそうした無理を感じさせる部分とは別に、
ここにあげたような〝謎〟的な部分は、
シャーロキアン風にあれこれ夢想し
何か理由をこじつけたくなるのである。
例えば
①は、実は完全な海洋生物である第ゼロ形態があり、
第一形態への変態の過程で
急激な発熱があったのかも、とか。
②は、やはり考えられるのは尻尾かなぁ…
完全に通せんぼされていたので、
尻尾を使ってみた、とか。
③は、運が良かったとしか言いようがない、
ではつまらないので、
一応空爆を高層ビルとは逆方向から接近して、
高層ビルへの被害を最小限に抑えた、とか。
④は、ほんの少し足りないだけだったので、
一日延期されたことで、かなりの余剰ができた、とか。
あるいは、
全滅させられた第一小隊の
順番を待って並んでいたように見えた
たくさんのタンクローリーは
すでに血液凝固剤を投与し終わった
空のタンクローリーだった、とか。
とにかく、いろいろつっこみどころはあれども、
ワタシにとっては、
何度見ても面白い映画であり、
折りに触れ見たくなる映画なのだった。
2021年7月31日土曜日
「竜とそばかすの姫」を見てきたのだ!
それだけでも、ずっと浸っていたくなる映画。
中村佳穂の歌手&声優がとにかく素晴らしいので、
特にその歌に浸れるかどうかで
作品への評価は大分変わると思う。
ワタシ的には、
このゴージャスな映像に負けないどころか、
それでも足りないくらいの歌の魅力に
大きな衝撃を受けてしまった。
そしてディズニー映画で有名な
ジン・キムが生み出したベル(Belle)の魅力。
クマドリをしたような派手なメイクなのに、
魅入られてしまう。
が、かなりジャパニーズ・アニメに寄せて入るが、
確かに目つきがディズニーっぽいかも。
全体の印象としては、
とにかく歌と映像が突出している上に、
場面場面で喚起される感情の振り幅が激しくて、
脳がとろける感じ。
映像も、仮想世界《U》だけでなく、
高知の自然の風景も
空気感まで感じられて、とても素晴らしい。
かと思うと、
主人公の吐瀉物まで描くえげつなさもある。
一つの力強いストーリーで突っ走るのではなく
さまざまな要素が詰め込まれている展開とか、
舞台で演劇でも見るように
真横から引きで描く独特のアングルとか、
ところどころにぶち込まれるギャグのテンポ感とか、
細田守作品らしさも健在。
そしてストーリー的に見ると、
ベルが竜に惹かれる理由の希薄さとか
終盤の展開の唐突さとか
いろいろ釈然としない点はあるけれど、
それを凌駕するような、
〝何だかよくわからないが
凄いものを見てしまった〟
と思わせてくれる強引な力が、
確かにこの映画にはあったのだ。
そして、いろいろあっても、
最後は現実世界が登場しても、
それでも仮想現実世界を否定しない
という姿勢が、新しい。
2021年7月5日月曜日
「ゴジラvsコング」を観てきたのだ!
5月の予定だったのが
7月まで延期してようやく公開となった
「ゴジラvsコング」を観てきたのだ。
2Dで見るつもりが、間違って3Dで観たのだが、
3Dメガネを掛けての鑑賞に
以前の印象より違和感がなくなっていたので、
結果的に良かったかも知れない。
そして肝心の中身であるが、
同時並行で描きながら、
思いっ切り怪獣バトルをメインに据えた展開が、
見事なほどの割り切り方で、
ある意味、爽快であった。
あちこりにツッコミどころは多いし、
人物描写に深みはないし、
(少女ジアはすごくよかったが…)
ストーリーもご都合主義の極みだが、
美しいCGとスピード感あふれる展開で、
とにかく怪獣同士のバトルを
しっかり見せてくれたのだ。
そしてその怪獣バトルなのだが、
実は怪獣の肉弾戦バトルはなかなか難しい。
プロレスになっても
どうしてもうまく絡むことができず、
あの名作平成ガメラシリーズでさえ、
肉弾戦バトルはどつき合いで、
むしろバトルの結果として
建物などが大迫力で倒壊するための
見せ場になっている感がある。
そこで怪獣同士のバトルは、ある意味
光線の打ち合いに〝逃げる〟ことが
どうしても多くなってしまいがちなのだ。
一つのかたちは「ゴジラの逆襲」で見せた、
相手の首を狙った噛みつき合いだが、
これはかなり凄惨な戦いになるので
ゴジラとコングの間では無理だろう。
飛び道具の打ち合いには逃げることもできない中で、
かなりがんばって肉弾戦を描いていたと思う。
ただし、あまりに両者、
特にゴジラがよく動き回るので、
巨大生物同士のバトルが持つはずの
神秘性とか重量感とか神々しさみたいなものは
薄れていたけれど。
ゴジラが街中を四足で突進する場面と、
ウルトラマン・シリーズの最終回によくある、
ビームとビームがぶつかり合って
力比べみたいになったあと、
一方がもう一方を押し切るという場面。
前者は、そのとかげのような動きにびっくり。
後者は、日本特撮映画への愛を
強く感じたのであった。
深いテーマなどというものはないが、
エンターテインメントとしては
大いに楽しめる映画である。
ちなみに
モンスターバースと合体するんじゃないか
とも言われている
パシフィック・リムっぽさもありました。
そう言えば、香港は
パシフィック・リムでも大格闘の場となって
思いっ切り破壊されていだっけね。
2021年7月4日日曜日
「漁港の肉子ちゃん」を観てきたのだ
「漁港の肉子ちゃん」を見てきた。
肉子ちゃんと娘のキクコの絵柄が違いすぎるとか
肉子ちゃんの言動が〝濃過ぎる〟とかあって、
最初はちょっと入り込めなかったというか、
どう楽しめばよいのか迷ってしまったが、
次第に、
肉子ちゃん母娘を中心に、
漁港の町に生きる人々の
さりげない日常が描かれ始めると、
この漁港という世界を楽しめばよいのだと
いうことが分かったのだった。
すると丁寧に描かれた背景が美しいとか、
人物それぞれの個性がよく描かれているとか、
小5のキクコの淡々とした生き方がよいとか、
結局最後は、楽しく見ることができたのだ。
ただし、
肉子ちゃん本人があまり魅力的ではなかったのは、
さすがに言動がデフォルメし過ぎたからかな。
肉子ちゃんが出てこない場面の方が、
落ち着いて観ていられたしね。
でもキクコが主人公だと思えば、
それでも良いのだろう。
映画を見終わって、
渋谷マークシティの中の
Megan – bar & patisserie
(ミーガン バーアンドパティスリー)
でケーキをゲットして帰った。
美味しかったね!
楽しい一日でした。
2021年6月16日水曜日
昭和の怪獣映画のエグさ
先日アマゾン・プライムで
久しぶりに「ゴジラの逆襲」を見たのだ。
モノクロな画面に、
悠長な昭和なリズム感が
逆に新鮮で、
特にあの〝昭和な宴会風景〟が
妙にリアルであった。
怪獣映画の二作目で、
初の怪獣vs怪獣モノだから
必死になって特撮に挑んでいる感じが
画面からもひしひしと伝わってくる。
着ぐるみだけじゃなく
人形を使って戦わせているのも
工夫の末に編み出された方法なんだろうな。
そして物語的には
第一作よりはユルイ設定ながらも
昭和の怪獣映画らしいエグさを実感したのが、
まさに二大怪獣の対決場面なのだ。
両者は、殴り合うのではなく噛みつき合うのだ。
互いに相手の首を狙って、
噛み殺そうとするのである。
まさに生き物同士の戦いそのものである。
そしてアンギラスは、
最後に首を噛まれて
血を流しながら絶命するところまで描かれる。
死んで転がったあとで、
ゴジラの放射熱線で燃やされるのである。
これはちょっと衝撃であった。
そう言えば
そこまでは描いていなくても、
ガメラシリーズの傑作である
「ガメラ対バルゴン」も
ガメラはバルゴンの首に食らいついて
そのまま最後は相手を水の中に引きずり込んで
溺死させるし、
「ガメラ対ギャオス」も
ギャオスの首に食らいついて、
火口に引きずり込んで焼き殺すのだ。
つまり、華麗な爆発などでごまかすのではなく、
きっちりと〝死〟を感じさせる最後なのだ。
これが、かなりリアルで生々しかったのだった。
まあ、昭和ガメラ・シリーズは
その後もかなりスプラッターだけれどね。
ギロンに輪切りにされる宇宙ギャオスとか…。
2021年6月15日火曜日
本が出版されたのでアマプラで映画を見たのだ
全精力を費やして
短期集中で執筆していた本が無事出版され、
Amazon書籍の売れ筋ランキングで
今現在「音楽」3位、「邦楽・民謡」2位という
よく分からないがウレシイ結果を得たのだ。
一時間おきに変わるから
瞬間最大風速みたいなものだけれど、
例え一時のことであれ、
上位に入れたことは快挙であろう。
そこで、やっと一息つけるぞと思い
疲労困憊した心身を癒すべく
Amazon Primeで映画を見たのだ。
本当なら温泉にでも行きたいところだが
そうもいかないご時世であるし。
ここ数日で見たのは
ヒッチコックの「鳥」
リドリー・スコットの「ブレードランナー」
という3作である。
どちらも面白かった。
「鳥」も「ブレードランナー」も
さすがに評価が高いだけあって
見ごたえがあったなぁ。
そしてどちらも
過激な描写は少ないのに
緊張感のある画になっているのが凄い。
これで、
いろいろな解説動画などを見て
さらに楽しむこともできるぞ。
2021年4月13日火曜日
「シン・エヴァンゲリオン」を見てきたのだ
一応TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版「序」「破」「Q」と
一通り見てはいる身として、
やはり、物語の決着を目にしておきたかった。
ということで、急に思い立って、
昨日映画館に観に行ってきたのだ。
ここまでの物語をじっくり考察してきた、どころではなく、
すでに話のほとんどを忘れているくらいだけれども、
それでも「シン・エヴァ」は圧倒的であった。
映像も、音・声も、テンポも、音楽も、
最後の何とも言えない悲しみの向こうの開放感に向かって
怒涛のごとく突き進むのである。
物語を良く把握していないワタシにとって、
物語の展開の妙に重きが置かれ
大どんでん返し的なクライマックスがあったとしたら、
その衝撃を味わうことはできずに、
そういう種類のカタルシスとは違う、
理屈では説明できないような
壮大な、荘厳な、開放感が最後に待っていたのだ。
そして、刹那的に涙が出てくるのだ。
何だかスゴイものを見た気がする。
2019年8月14日水曜日
「天気の子」新海誠 監督
確かに良くできた作品だったが、
個人的には同年に公開された
「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」の
大きな衝撃には及ばなかった。
どこかしっくりこない、
素直に感動できない、
妙なモヤモヤが残ったのだ。
「天気の子」にも
やはり、そんなモヤモヤが残る。
それは多分、なぜ相手を好きになるかという理由に
説得力がないまま、
「会いたいんだ〜!」「救いたいんだ〜!」という
感情のMAX状態に突っ走ってゆく流れに
乗り切れないから、じゃないかと思う。
ただし、個人的には
「君の名は」よりも「天気の子」の方が
ずっとインパクトがあった。
なぜだろう。
どす黒い雲に覆われた雨空が一ヶ所だけ開け、
一筋の光の帯を地上に落とすという、
それだけでも劇的な場面を、
深海監督得意な、超美麗な絵と演出で、
さらに美しくさらにドラマティックに
何度も描いてくれるからだろう。
この開放感は、恐らくここでしか味わえない体験である。
確かこういう光のことを
God Ray(神の光)とかAngel's Ladder(天使の梯子)とか
呼んだように思う。
昔から写真や絵画でも取り上げられる人気の題材なのだが、
それを動きとしてここまで描いたのは
素晴らしいとしか言いようがない。
その超絶美麗な光の演出が、
今回はきっちりと物語に密接にリンクしていたため、
そこを丁寧に描く意味が十分に感じられたことも、
作品としての力強さになっていた気がする。
「今のこの瞬間が永遠に続きますように」
という願いの切なさも、
新海誠お馴染みのテーマだし、
それほど強い思いを感じた瞬間であっても、
時は過ぎ、自分が大人になり、
世界は大きく変わることなく
自分はただ、平凡な日常に埋没していて、
その時のことを思い出として心に残している、というのも
やはりお決まりな流れだ。
ただし、今回は「大人」とか「社会」という
抑圧の対象をはっきり描いているところが違う。
ピストルを手にした主人公には、
大人に分かってもらえない若者の苛立ちが、
一瞬垣間見えるのだ。
もちろん大人=悪などと単純な図式にはなっていない。
(実際、本作品中一番の悪役である
風俗店のチンピラな店員ですら、
一瞬家族と一緒にいる穏やかな場面が描かれる)
でも、若者の(あるいは誰もの)生きづらさは
瞬間的であれ、こちらに訴えてくるものがある。
そしてラスト、
「君の名は」的に、パッピーエンドな雰囲気を作りながら、
再会した二人がその後どうなるかは分からず、
世界を変えてしまったという現実を
それぞれがどうこれから抱えてゆくのかも分からず、
実は、かなりすっきりしないエンディングだ。
二人が空から落ちてきた時に死んでいたら、
行き場のない若者の悲劇として
もっとドラマチックな作品になっていたかもしれないが、
こうして、その後の平凡で退屈な日常に戻るところが、
やはり新海誠が常に描こうとしている〝喪失感〟なのであり、
新海誠らしさだろう。
そして、「天気の子」のラストの喪失感は、
絵的には「君の名は」に似た再会で終わるにもかかわらず、
高揚感ははるかに低い。
だからこそ、新海誠らしくて良いのだと思う。
前回に引き続き、
やはりキャラクターデザインが今ひとつ好きになれないのと、
主人公たちの性格付けが薄いのが残念だが、
「君の名は」よりも、新海節が戻ってきた、
真っ直ぐな良い作品だと思う。
うるっとくるところはあるけれど、
泣く映画ではない。
ただ、「ねえ、今から晴れるよ」の破壊力は
文句なく凄まじい。
どこかへ持って行かれる。
2019年5月21日火曜日
「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」(1967)
1967年のゴジラ作品で、シリーズ第8弾。
恐怖の破壊神の面影もなく、
怪獣バトルのヒール役とも異なり、
じゃあ〝ぼくらの味方〟かというと、そうでもなく、
基本的に人間や人間社会とは無関係に登場する
かなり異色な作品。
ミニラなるゴジラの子どもが登場するのだが
次第に、いわゆるブサ可愛く見えてくるのが不思議。
ミニラ絡みでユーモラスなシーンが多いのだが、
ミニラの演技、表情の捉え方、動きが、
あざといんだけど観客に媚びていない、みたいな
ちょっとプロフェッショナルさを感じさせるのだ。
だから、最初は思いっきり引いていても、
次第に引き込まれてしまうんだろうな。
ちなみにミニラに入っていたのは
俳優・スーツアクターで
〝小人のマーチャン〟と呼ばれた深沢政雄氏。
名演だと思う。
予算の都合で、大都会の破壊シーンが撮れず
何回の孤島が舞台として選ばれたらしいが、
映像が美しく、セットも充実している。
もちろんツッコミどころは多々あるけれど、
気象コントロール実験という大筋に、
美少女サエコや怪獣たちを絡めている脚本は、
観客を飽きさせないように良く作られているし、
ミニラが出てきて子どもは喜ぶだろうけど、
内容的には子ども向けではなく、
大人同士がしっかり演技しているのが良い。
そして何よりスゴイのが、
カマキラス&クモンガという、
爬虫類怪獣のデザイン的な素晴らしさと、
操演の見事さだ。
本作品では、いわゆる〝怪獣プロレス〟がない。
ゴジラの相手が、操演によって動くものだけだからだ。
でもこの動きが半端なくリアルなのだ。
造形的にも動き的にも、安っぽさがまったくない。
ゴジラに破壊神を求めてしまうと
この子育てゴジラは受け入れられないだろうが、
久しぶりにちゃんと見て、
実に丁寧に、一生懸命に映画を作っている感じがして、
とても楽しんでしまったのだった。
今だと非常に作るのが難しいと思われる
〝怪獣ファンタジー映画〟だね、これは。
きっとCGでは、このほのぼの感とか、
南海の桃源郷幻想、みたいな雰囲気は
出ないんじゃないだろうか。
2019年5月18日土曜日
Amazon Primeで〝ゴジラ祭〟!
「Godzilla: King of the Monsters」に合わせるように、
Amazon Primeで〝ゴジラ祭〟が開催中だ。
何と言ってもその太っ腹具合いがスゴイ。
アニメ版ゴジラ三部作をのぞゴジラ映画が、
すべて見放題対象作品になっているのだ。
2018年7月1日日曜日
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」
Amazon Primeで何気なく見始めたら、
最後まで気持ちよく見てしまった。
寅さんシリーズ第32作、1983年作の
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」。
見終わって、
これは「男はつらいよ」を代表する
傑作じゃないかと思った。
遺産を巡って兄弟が言い争いを始める場面が秀逸。
こういう場面というと、
エゴや妬みや恨みつらみや悪意がぶつかり合う
醜いやり取りを描きがちだけれど、
もっと自然な、でもありがちな
ギクシャク感がとてもうまく出せている。
この、ちょっとシリアスな部分や、
寅次郎が住職の代役になるユーモラスな場面や、
特に今回はマドンナが寅次郎を本気で好きになるという、
甘く切なく、物悲しい恋心のやり取りが、
実にバランス良くまとまっているのだ。
若い二人と、寅次郎とマドンナの
二組の恋愛模様を描くことで、
人を愛したり、人から愛されたりした時の、
心のときめきを思い出させる演技や場面が、
目白押しなのも良いなぁ。
見事な田舎娘を演じる杉田かおるのやぼったさ。
渥美清の表情、声の調子、間のとり方の妙。
とら屋の面々のやりとりの見事なコンビネーション。
どれも素晴らしいが、
何より、マドンナ役の竹下景子の美しさと
恋心を秘めた表情の良さが、今作のキモだろう。
そして、人情豊かな人間関係を理想として描きつつ、
それを全面的に受け入れられない人間を描くという、
一種のアナーキーさが、
家族愛だの、親子の情だの、地域のつながりだのを、
無条件で賛美するようなホームドラマとは
一線を画していることが、良く分かるのである。
白か黒か、正義か悪か、敵か味方かを
すぐにはっきりさせて、
ベタ褒めするかとことん攻撃するかするような
今の時代だからこそ、
逆に、このユルさやあいまいさや、
言うに言われぬ大人の気持ちの微妙な動きが
さらに大きな魅力を発するように思う。
2018年5月29日火曜日
「GODZILLA 決戦機動増殖都市」
「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を見てきた。
平日昼間の映画館じゃあ、きっとスカスカで、
さらにアニメ・ゴジラじゃあ、ガラガラか、
と思っていたら、さにあらず。
何と、週末と間違えそうになるくらいの混み具合。
それも小学生がうじゃうじゃ。
ああ、きっと先週末に運動会が多かったんだろうなぁ。
そのほとんどが「コナン」か「ランペイジ」か
「レディ・プレイヤー1」か何かだろうと思ったら、
あら、意外にもゴジラを見る親子連れもいたのだった。
いや、しかし、これはハリウッド大作と違って
結構見る人を選ぶ映画だと思うから、
怪獣だ、ゴジラだ、アニメだ、ってだけで選んじゃうと
世界観に入り込めずに退屈しちゃって、
残念な結果になりかねないと思った。
肝心のゴジラが、なかなか出てこないしね。
とにかく、状況設定がぶっ飛んでいて、
巨大生物「怪獣」、とくにゴジラに蹂躙された地球から
選別された地球人が移民船で脱出、
移民が不可能だと分かって地球に戻ると
2万年の時が過ぎていたというもの。
頭がおいつかないくらいのSF設定。
そして地球を牛耳っているゴジラを
2種族の異星人とともに倒そうとして、
最後に絶望する流れの第一章、
そして、同じ流れの第二章なのだ。
その絵は、2Dさを残したフル3DCG。
戦闘中の激しい動きは、
なめらかで、迫力もあり、美しいが、
ゆっくりした人間の動きは時々ぎこちなく、
特に、平らな場所を普通に歩く演技が下手である。
キャラクターたちの表情は乏しいし。
なのだが、わたしはこの映画を楽しめたのである。
登場人物の質感とゴジラの質感が大分違うが、
それだけゴジラを異形のものとして描いていると思えば、
逆に十分納得できる。
全体的なCGのクールな感じは嫌いじゃないのだ。
ストーリー的には
特に感情移入できる人物がいないのだが、
それもまた、距離をおいて物語を俯瞰しているようで
むしろワタシ的には心地良いと言えるかもしれない。
畳み掛けるクライマックスは、さすがに凄まじい出来。
パワーとパワーのぶつかり合いに震えた。
第一章以上に風呂敷を広げた感じがあるが、
ラスト第三章でうまく畳めるか、
期待と不安を胸に、11月を待ちたい。
















