2013年4月30日火曜日

二年ぶりの春の昭和記念公園

一昨年まで4/29の「昭和の日」には
昭和記念公園でウクレレを弾いていた
当時参加していたウクレレ教室で演奏会を行なっていて
昼までの半日だけ参加していたのだ
そして午後にはな〜こと公園を散策したものだった

一昨年の夏にそのウクレレ教室には行かなくなって
去年始めに教室を止めたから
去年の「昭和の日」は
な〜こと公園散策も出来なかったのだった

でも今年は二年ぶりに
「昭和記念公園」散策が復活できたのだ
お天気にも恵まれた昨日
立川でな〜こと午前中から待ち合わせ
お弁当買ってのんびりとテクテク歩いて
入場無料の昭和記念公園に行ってきたのである

以前にも増して園内は人が多かった
でもそこは広大な昭和記念公園
受け入れられるキャパが違う
混雑の息苦しさみたいなものは感じられない

まず目に飛び込んできたのは菜の花畑だった
園の中央部にある原っぱの一角にある
「はらっぱ東花畑」に広がる菜の花の絨毯だ


いつもこの光景には感激するのだけど
今年は早くから咲いたせいか背丈がいつもより高い
その分人や通路などが隠れて
今まで以上に一面に菜の花が広がっている感じがした

あれだけ人がいてもこれだけ圧倒的なんだから
人がいなかったら別世界にトリップできるだろうなぁ
もうこの光景を眺められただけでも
来た甲斐があったというものである

続いてこの春に完成した古民家屋敷
「こもれびの里農家」を見学
“長屋門”をくぐると広い庭の向こうに“主屋”がある
庭の端には大きな鯉のぼりが上がっている
懐かしい昔の農家の風景だ
昔の伯母の家を思い出した

良く軽トラックとか停まってたりしたなぁ


今はプレオープンで入れるのは主屋だけだが
8月の本オープンには他の建物にも入れるようになるらしい
主屋だけでなく“内蔵”も茅葺きの屋根というのが面白かった


そこからすぐ近くの「コスモスの丘」へ上ってお昼ご飯
今は季節的に“ポピーの丘”になっていて
今年は花が咲く時期が早かったので
例年5月に咲くシャーレー・ポピーが
もうあちらこちらで花を咲かせていた


丘越しにこもれびの里(人工の里山)を眺めながら
丘の頂上付近でお昼ご飯

二人でワイワイ騒ぎながらお弁道を食べる

そして丘を越えて林道を抜けて行くと
周りは新緑一色のここもまた別世界だ
薄く明るい活き活きとした緑に
周囲360度囲まれて
見ているだけで元気が湧いて来る


そして「こもれびの丘」から日本庭園を経て
「はらっぱ西花畑」に到着
こちらでは菜の花に負けじとばかりに
アイスランド・ポピーが咲き乱れていた


さらに振り返ればチューリップも咲き誇っている
園が広いから散在しているように思えるけど
一ヶ所一ヶ所の規模だけでも並の花壇を軽く超えている


いやぁ今回はとにかく新緑と花を味わったなぁ
早咲きの花も頑張って咲き続けてくれていて
例年ならまだ咲かない花も咲き始めてくれていた
何とラッキーな一日だったことであろうか

ラッキーと言えば帰りがけのこと
自衛隊中央音楽隊の無料野外コンサートが
ちょうど今始まるというところに通りかかったのだ
午前午後それぞれ一回ずつの公演だったようで
午後の公演を楽しむことができちゃったのである


な〜こと一緒に出かけると
不思議とこういう楽しいことがあるんだよなぁ 

そこから立川まで歩く道すがら
「カナール」と呼ばれる水路を挟んだ遊歩道に
藤の花が咲いていた
これまたとてもきれいであった
繊細で幻想的だ


立川まで歩いてみたら
喫茶店でアイスコーヒーをおかわりするほど
実はヘリョヘリョになっていたことに気づいたが
小休止して徐々に復活

帰りに夕ご飯として買った
牡蠣の炊き込みご飯も
二人して満足のため息が出ちゃうほど
実に美味であった

柔らかな春の陽射しと空気の中で
目と耳と舌が喜んだ充実の一日であった

2013年4月28日日曜日

勝新太郎の「座頭市」が凄い!

暗い話である
生きようとすればするほど人を切り裏街道に落ちて行く市
罵倒され蔑まれる悲しさや悔しさと
最後に爆発する超人的な剣さばきの爽快感
でも最後まで抑圧された暗さは消えない

勝新座頭市の殺陣の凄さは唯一無二だ
血まみれでもがき苦しむようなリアルな切り合いではない
逆に段取りが見え見えなチャンチャンバラバラでもない
確かに決まり事に則った型ではあるのだけど
きちんと切れる間合いで無駄なく剣を操る
そのスピードと身のこなしに殺気がある

仮に映画のように一撃で死ぬことはないにしても
この動きだったら必ず切られるだろうな…という
圧倒的なリアリティと存在感とカッコ良さがあるのだ

例えば『座頭市喧嘩旅』(1961)
勧善懲悪ではなく
とにかく目の前の人を助け
今を生きることだけしかない市を描く傑作


  
冒頭の40秒
賭場の場面の薄暗い深みのある画面
市の穏やかで凄みのあるセリフ回し
そして鮮やかなロウソク切り
このタメと残心
鞘から剣を抜き鞘へ戻るまでの
太刀が見えないほどの素早さと太刀捌きの美しさ
そして真っ二つに割れるロウソクという
ケレン味たっぷりな見事な演出
最後に発せられる自嘲気味な決め台詞

これにグッときたら全編見て欲しい
ラストの大殺陣ももの凄い緊張感である

2013年4月26日金曜日

Macのスピード改善

ブラウザーのFirefoxのサポートの問題から
OSのバージョンを10.5から10.6に上げるために
Snow Leopardを購入したのが昨年末のこと

インストール作業は問題なく終了し
Firefoxも無事サポート版を使えるようになり
良かった良かったで終るかと思ったのだが…

その後ネットのアクセススピードが遅くなってしまったのだ
画面表示を待たされることが多く
以前のサクサク感が無くなってしまった

新OSだから多機能になって
動作が重くなってしまったのか…仕方ないか…
と思っていたのだが
ふと思いついてその後中々実行出来ずにいたことを
今日試してみたら
そのサクサク感が甦ったのである

何をしたかと言うと
そのSnow Leopardのインストール・ディスクで起動し
ユーティリティーで起動用ハードディスクに
「ディスクを修復」と「ディスクのアクセス権を修復」を
実行したのである
こうすれば普段は“当事者”のため
 「ディスク修復」ができない起動ディスクを
“周辺機器”としてちゃんと修復するできるのだ

方法は簡単
OSのディスクを挿入し「インストール」ファイルを起動する
すると自動的に再起動してディスクから立ち上がるので
「インストール」画面が出てきたら「インストール」作業をせずに
メニューから「ディスク・ユーティリティー」を選んで
メンテナンス作業を始めればOKだ

終ったらメニューから「インストール中止」をして
再起動中にディスク排出キーを押してディスクを取り出せば
通常のハードディスクから起動してくれる

このOS付属のディスクユーティリティーは
問題があれば可能な限り自動的に修復して
ベストな状態にしてくれるので何も苦労はない
待ち時間もそれほどかからなかった

なんだ…もっと早くこの作業をすれば良かったなぁ
こんなにちゃんと効果が出るんだもの

先日は印刷時に接続エラーが頻発するWi-Fiプリンターの
Wi-Fi設定を最初からやり直したら
何の問題も無くスムーズに印刷できるようになったし

トラブルが起きたら
冷静沈着にもう一度基本からやってみるって大事よね〜と
思うことが重なった今日この頃であった

 

100円ショップ「meets.」発見

実家の最寄駅で
いつものキャンドゥ側とは反対の口から外に出て
たまにお昼を食べるカフェテラスがある
ショッピングセンターに行ってみたのだ

ネット注文した円座の配送が今日に間に合わなかったので
次回持って行くまでの間を繋ぐために
安物でもいいから
円座に類するものがないか探そうと思ったのだ

結局薬局を二軒巡ったものの円座は無かったけど
リビング用品売り場のクッションコーナーで
奇跡のように見つけたのだった…窮すれば通ずだ

この時に同じフロアーに
100円ショップがあることに気づいたのである
名前が「meets.」というお店だった
「ダイソー」でも「キャンドゥ」でもない!そして広い!
何だか秘密の宝箱を見つけたようで
超喜んでしまったのだった


ここで台所整理用品と激落ちくんなどを購入
その勢いで
実家に行って洗濯干しが終ってから
ついに台所の片付けに着手したのであった
あぁ…また長い道のりに一歩踏み出してしまった…

でも「meets.」でお買い物という
新しい楽しみを見つけたので良しとしよう

急場しのぎの円座クッションは気に入ってもらえた
連休中は週二回のペースでは実家へ行けないかもしれないが
これでも何とかダラダラ横にならずに
起きていてくれることであろう

もう出費のことはあまり気にしないことにした
それだけ今まで不義理をしていたんだからね

2013年4月25日木曜日

2013「A Ball-head Plant」

そこには果てというものがないので
毎日新しい出会いや発見があります
まるで子どもの頃のように



2013年4月24日水曜日

〝囲む会〟で人を祝う気になれないのだ

14年ほど前に新設校を立ち上げるメンバーとして
一緒に頑張った元同僚の人から
一昨年の個展以来のメールをもらった
彼はもう“先生”ではなく教育委員会の指導主事である

その新設校開校当初のメンバーの一人が
この春に定年を迎えたので 
皆で集まって“囲む会”をしたいとのことだった

その方は開設準備からのメンバーではなく
開校当初からのメンバーなので
わたしの中では大分温度差があるのは事実である

でもそれ以前に
正直なところ今はそういう気分ではないのだ
職務を全うできなかったわたしとしては
職務を全うした人を祝う気にはなれない
そこが割り切れるほど
今の生活に自信と誇りを持ててはいないから

それに行けば今の自分の話を
集まった人たちにしなければならない
必ずしも気心の知れた人ばかりではないし
主役の先生にもわざわざ伝えたいとは思わないのだ

どう返事をしたものかと数日迷った末
今は色々あって出席出来そうにないという
返信メールを出した

いつか晴れやかな気分で
こうした会に出られる日が来るんだろうか
いや別に出なくても良いんだけど
こういう話を耳にした時に
このちょっと嫌な感じが沸き上がるのは
なんだかなぁって思ってしまうのだ 

ま…いいか
自分の前にある道を行くしかないのである

2013年4月22日月曜日

デザイン・フェスタのレンタル品注文完了

やっと〆切間近のレンタル品を注文した
前回のことを調べてみたら
やっぱり残り一ヶ月を切ったあたりで
少しずつ動き出すのが常のようである

ところで今回初めてFAXではなくネットで注文したのだ
カード決済がその場でできてしまうので
銀行に振込に行かなくても済むから
実に便利であった
なぁんだ…もっと早くネット注文にしてれば良かった

さて今回の備品は2点
一つは今まで同様の「二面パーテーション」
Mサイズブース用は23,940円と
ちょっとお高いのが辛いところだけど
やっぱり白い壁があると展示もし易いし
空間が仕切られて自分の世界が作れるのだ


それから「小机」が2,100円
画集や細々した文房具とか置いておくのに
机があると便利だと思った
机を挟んでイスを置けば落ち着くしね
  
今まで頼んでいた折り畳みイスと長机は
今回はレンタルしないことにした
イスは持ち込みにする予定で
展示は壁と床をどうにか上手く使おうと思っているのだ
例えばこれまでテーブルに並べていたポストカードは
壁一面にピン留めしてみるとかね
今回はポストカード中心でも良いかもしれない

さてまだプリンターのインクを頼まなきゃとか
意外に時間がかかるかもしれないことがあるんだけど
焦らず急がずボチボチやっていこうと思う
こういうことは理屈とか効率だけでは前に進まないのだ
何と言うかこう
気持ちが溢れ出さないとダメなのである

さあて一仕事終ったから
少しお買い物にでも行ってこようかな

新作CG「Getaway」

今や海中に没しようとしている
朽ち果てた要塞から
新しい世界へと決死の脱出を図る
波高く荒れた海でも
見開いた目は遥か彼方を
真っすぐに見据えている



2013年4月20日土曜日

プチ断食終了!

カラダのフラフラはまだちょっと残っていて
午後には爆睡してしまったが
夕食になっても
プチ断食の影響はまだ残っている

生野菜をたくさん食べたい
ゆっくり噛みしめて食べる
だから食事がゆっくりになる
結果的にたくさん食べなくてよい 
あぶらギトギト系はちょっと遠慮である

つまり実に健康的な食事なのだ
それをカラダが自然に求めている感じ
頑張って30回噛みましょうっていう
義務感とか使命感とかは無いのだ 

面白いものだ
でもこれがカラダの本来の状態なんじゃないかと思う
これが続けば随分健康になるなろうなぁ
メタボの心配もなくなるに違いない

結局ジャムパンは食べられなかった
近くのコンビニに行ってみたけど
アンパンはあるのにジャムパンは置いてないのだ
明日は食べられるかなぁ

2013年4月19日金曜日

プチ断食に挑戦!

昨日は食事の量を徐々に減らし
今日一日は絶食予定
プチ断食真っ最中である

プチ断食するぞって思うと
食事だけでなく飲み物も気を遣う
だから食事だけでなく飲食量全体が
ここ二日ぐらい減ってきていたと思う

面白いのは塩味が濃く感じるようになったことだ
同じようなものを口にしていても
塩味が濃過ぎる気がしてしまうのだ

そして今日は実家へ行く金曜日である
移動中に飲む缶コーヒーなども飲まないし
実家でカップラーメンとかも食べない
口にするのは水だけの予定である
水分補給は大事だからね

朝からお腹は減っているけど
苦しくて仕方がないというほどではない
でも日頃いかに食べることを楽しみに
一日を過ごしていたかが良く分かるのである
何だか一日の大きな柱が消えてしまったような感じだ

昨日の夕食は普段の半分程度
でもまだそこから14時間くらい経ったところだから
カラダはまだ焦っていないようである
焦り出したら眠っていた部分が動き出す
カラダが活性化し始めるはずだ

これはダイエットではないので
リバウンドを心配する必要は無いのだ
どちらかというと入院&点滴みたいなもので
普段酷使している胃腸を休めることでカラダ全体を休め
本来備わっているはずの
生存維持機能を復活させるのが目的である

塩分の感じ方でも分かるように
惰性や習慣で続けていたものとは違う
カラダが本当に欲しているものが見えてくれば
それはダイエットに繋がっていくかもしれないしね

次の食事は明日の朝のお粥の予定である
あ…レトルトのお粥買っておかなきゃ
いや野菜スープとかでも良いかもだな
今日一日ゆっくり考えよう

2013年4月18日木曜日

村上春樹「1Q84」の残念感

村上春樹3年ぶりの新刊 
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が
7日間で売上100万部達成と大騒ぎである

基本的に世の中が騒いでいる間は手を出さず
文庫化されて読むことが多いわたしとしては
まだまだ内容に触れるのは先のことであろうと思う

で…ふとその3年前の話題作「1Q84」を思い出した

村上春樹の小説は昔から好きでかなり読んでいると思う
でも批評したり分析したりできほど
のめり込んでいるわけではない

でもどうも「ねじまき鳥クロニクル」以降の残酷描写が
彼独特の非現実的でありながら日常的な物語を
結果的に弱めてしまっているように思えて仕方がないのだ
それによって提示される訳の分からない不安や恐怖に
ストーリーの展開や結末の力が拮抗できていないというか…

それはともかく
「1Q84」は何か焦点がボケていたように思うのだ
 
もちろんあれだけの長編なのに
読者を飽きさせずに引っ張る力は凄いと思うし
描かれる独特な不思議で不気味な日常風景は
まさに村上春樹でしか描けない独自ワールドである
そして彼の大きな魅力の一つと言える比喩表現は
ここでも他作家の追随を許さない見事なものである

でも敢えて言えば
この作品で見られる比喩表現はあまりに過剰だ
まるで物語のストーリーよりも比喩表現を読ませることを
主眼としているかのようでさえある

それもまた主たる不満ではない
では何がしっくりこなかったのか

それはやっぱり青豆と天吾という二人の主人公が
なぜそこまで運命的な愛情を相手に感じているか
苦難を乗り越え二人が出会う時
二人の間に何が起るのかに
説得力が無かったということなのだ

まるで運命のように相手を愛し探し続けていたことを
互いが直接確認しあうことで
全てが達成されてしまったかのようである
その後にsexする描写も
ともに生きていこうとする二人の心情も
どうもリアリティがないのだ

これだけ物語を紡いできたその中心にいる二人の関係に
全体を支える力がないような気がするのである
だってsex描写とか読んでると
結構青豆がリードする関係なのか?とか思っちゃうし…

いやつまり
いくら思いが強くても運命的であったとしても
やっぱり人との関係は互いに一緒にいて
いっぱい話をしていっぱい触れ合う中で
少しずつ分かっていくものだと思うからである
つまりいくら思いばかりが強くても
実際に出会ってからの関係は始まったばかりなのだ
やっぱりダメだったということだって大いにあり得る

それなのに二人にとって
全ては今ここに完結したかのごとしなのだ
それはまるで僕らは運命的に出会ったと
舞い上がった若い恋人同士が
結婚こそがゴールと思っているかのような…
あるいはまさに結婚こそが物語のゴールで
その後は「幸せに暮らしました」で終る
昔話を聞かされているかのような…
そんなことが頭をよぎってしまうのである

青豆と天吾は思いだけ募らせていた訳だから
実際に一緒にいたら
意外とすぐ気まずくなってしまそうな気さえする
例え青豆が天吾の子どもを
抱き合う前から身籠っているくらいに
超運命的だとしても…だ

それは可能性として言っているというよりは
出会った後の二人の様子から
何となく感じてしまったことなのだ

だからわたしは最後の最後まで読み進めてきても
カタルシスを味わうことができなかったのだった

むしろ例えば天吾の父親がドアを叩く場面の方が
村上春樹的リアリティがあった
もちろん人が殺される残酷場面の印象も強烈だった
しかし物語を最初から最後まで引っ張る二人の関係は
そうしたものを凌ぐほどの
力を持っていなかったように思う

まぁそんなこと言うと村上春樹ファンは怒るだろうけど

さて新作はどうであろうか…
わたしなりの答えはまだしばらく先のことになるなぁ
   
  

2013年4月8日月曜日

謎の言葉〝エリカ・ブルスカ〟

電車に乗っている
子どもの卒業後の進路先の下見に行くところだ
何ヶ所か回る予定だけど
今から見に行くなんて遅過ぎないか?
もう間に合わないんじゃないか?と思う

電車に揺られていると
何だかとても懐かしい気分になる
それは今まで生きてきた記憶と結びついた
懐かしさとは違うものだ

デジャヴみたいなもののようだけど
景色や風景を見て感じたわけでもなく
自然と湧き出てきた懐かしさなのだった

気づくと学校にいる
職員室みたいだ
わたしは進路担当になっていて
生徒の卒業後の進路先と
それに先立つ体験実習の計画を立てている
わたしの子どもは大丈夫かな?とも思う

目が覚めてきた
あぁ夢見てたんだな
子どもの体験実習先選びが気になっていたから
こんな夢を見たんだな…

そして唐突に言葉が浮かぶ

エリカ・ブルスカ
ブルスカ・マトン

これが映画ならこの言葉から
めくるめく冒険の旅が始まるか
血も凍る恐怖の扉が開くところであろう

今のところいつもの日常に変化はみられない

2013年4月1日月曜日

新年度開始に思う

長年教員をやっていたこともあって
4月は特に何もない今でも心機一転な気分がする季節だ
どこか身が引き締まるようなちょっとした緊張感がある

異動の際は4月1日は辞令公布日である
でも教職員全体が顔を合わせるのは
始業式前の職員会議ということが多い
そこで新しい教職員体制が一気に動き始めるのだ
だから本格始動は4月1日ではなく
もう少し後になる

入学式は始業式の午後に行う場合もあるし
日を改める場合もある
その両方を経て新年度の学校が動き始める
さらに新一年生の場合は
オリエンテーション期間があるから
学校の“日常”が始まるのはさらにその先 
4月半ば頃ということになる

また教員として仕事をしたいとは思わないのだが
教員として仕事ができると思えるかどうかが
自分の中の復帰状態を計るバロメーターである
4月初めのそういう慌ただしさや緊張感が甦る中で
では今それができるかと自問してみると
やっぱりまだ無理な気がするのだ

「頑張ろうと思わなくても自然に仕事がしたくなるくらいに、
 心に余裕が生まれてきて初めて、
 職場復帰について考えるくらいで良いんです。」

というようなことを
かつて精神科のジェロ先生が言っていたが
まったくその通りだと思う

でもそうであるならわたしはまだ
仕事に復帰できる状態ではないのだな…
大波はなくなったとは言え
頭痛や倦怠感などの体調の不安定さは続いているし…

 ダウンする前のことを思うと
安定感のある土台のようなものが
自分の中に当たり前のようにあった 

体調が悪いといっても土台自体が揺れることは無く
表面が濡れたとか汚れたとかちょっと傷ついたとか
そんな程度のことであった 
だから一旦作業を止めてメンテナンスすれば
すぐ元に戻るという自信があり
土台そのものが揺らぐことなど考えたことも無かった

ダウンしてその崩れるはずのなかった土台が崩れた
当たり前のようあった安定感が自分の中から無くなった

この感覚は中々説明が難しい
でもそれはとても大きな変化であり不安であって
わたしの場合大分安定して来たとは言え
かつての土台には及ぶべくもない状態が
4年半経った今でも続いているのだ

とは言っても回復の兆しはこの一年色々感じてきた
今もここに来て舌炎が消えかかっている
一年苦しんだ舌先の荒れが治まりつつあるのだ
何だったんでしょう…これ?
こうやって本当に薄皮を剥ぐように
カラダとココロが回復し安定していくんだろう

まぁ分かっているのだが
新年度を迎えた今日思うのは
4月初めの緊張感や不安に立ち向かい
それを楽しもうとしていた頃の
パワーを取り戻したいなぁということなのだった

現場復帰もできそうだと思えるくらいの
心身の安定感を取り戻すには
まだもう少しかかりそうである
  
今年9月でダウン5周年
三年寝太郎ならぬ五年寝太郎って感じで
そこで復活したいところだねぇ