2011年3月31日木曜日

「コーラ三昧」な日々

病休後なぜかコーラが飲みたくなった
まるで飲むことを禁止されていたのが
解禁されたみたいに
毎日コーラを飲んで
なくなると補充し
切らすことのないよう気を遣ったものだった

仕事をしていた時も
時々無性にコーラが飲みたくなる時があった
糖分は多いし果汁もカテキンも入っていないし
カラダには良くない飲み物というイメージがあったから
それをわざわざ飲むこと自体が
ちょっとしたストレス発散になっていたのかもしれない
とは当時から思ってはいた

ということは
病休後に飲みまくっていたのは
ある意味ひたすらストレス発散をしていたのかもしれない
別にそれまで健康に気を遣っていたというわけではない
ただどこか過剰にストイックになっていた自分を
解放したかったんだろうという気がする
もちろんおいしいと思って飲んではいたんだけど
いわば火遊びみたいなものか
平和と言えば平和な方法であった
幸せなことにそれはコーラでありお酒ではなかった
飲みもしないのに二日酔いになるという
体調不良に悩まされていたから
お酒を飲もうという気にもならなかったし
飲んだら偉いことになるということもわかっていた
もしカラダにストレスが出るタイプじゃなかったら
アル中になっていたかもしれないなぁ
ありがたいことにコーラで太ったわけでもなかったし

季節に関わらずコーラを切らしたことが無かったんだけど
昨年の夏が終わった頃から
コーラへのこだわりが減ってきて
ここしばらく飲まなくなっていた
パタッとコーラ三昧が終わったのだ

今日コンビニでコーラを久しぶりに買ってみた
飲みたくなったわけじゃなくて
飲みたかった時を少し思い出したくて
そして今飲むとどんな味がするのか知りたくて

考え見れば体調の安定とともに
コーラを飲みたい気持ちが収まってきた気がする
抱えていたストレスがさすがに減ってきたのかな
コーラ欲求度が体調回復の尺度になるなんて
不思議なものである

ちなみに今でもアイスコーヒーは欠かせない
これは一年を通じて基本の飲み物
そしてリポビタンDが
弱った時やここ一番な時用のカンフル剤
コーラはストレス発散飲料として
まだ機能しているのだろうか

病休に入ってから2年半が経とうとしている

「三渓園」日帰りミニ旅行

昨年の春に伊香保温泉に行ってから、早いものでもう一年が過ぎるのだなぁ。伊香保に行く道すがら、バスの窓から梅林が見えたことを思い出す。神社から山頂に向う遊歩道には雪が残っていたっけなぁ。一年が過ぎるのは早いものだ。

今年は春の旅行はあきらめていたのだけど、震災とそれに続く交通状態や計画停電などを考えると計画しないで正解だったと思う。原発も余談を許さない状態が続いているし余震もまだ思い出したように起こるし、いろいろな意味で恐くて遠出することは無理だったろう。

でもやっぱり春を感じにどこかへ行きたいということで、横浜は根岸にある「三渓園(さんけいえん)」に、にゃ〜こと行ってきたのだ。「三渓園」は生糸貿易で財を成した横浜の実業家である原三渓の元邸宅だそうで、京都や鎌倉から歴史的建造物を移築し、明治39年(1906年)に一般に公開したものだという。

広大な敷地に様々な場所から移してきた美しい日本家屋が違和感無く散在し、その間を何とも不思議で懐かしい里山のような風景が取り囲む。今日は穏やかな陽射しで風もなく、それはそれはまるで桃源郷のような世界を堪能してきたのだ。

梅の季節は終わり桜のつぼみがあと数日で開き始めるという、お花見には残念な時期だったのが逆に幸いし、花見客で賑わうわけでもなく、迷惑な団体もおらず、人もまばらで、本当に静かに日本の古き建物と、郷愁を誘う何げない景色の数々を、ゆっくり味わうことができた。

敷地中央に位置する山頂にそびえる三十塔、合掌造の家屋、三十塔を見上げる場所に大池。これらは外苑にある。

でもこうした歴史的建造物の美しくも重々しいたたずまいだけでなく、それぞれの建物の間の散策路も、何げない風景なのに歩いているだけで懐かしくもゆったりした気持ちにしてくれるのだ。
それは山肌に建物が建ち並ぶ内苑に行くと、より強く感じられるようになる。起伏のある場所に建てられた建造物。それらをつなぐ石段、橋、苔むす庭、ねじれた松の老木、竹林、わき水が山肌を流れ小川になる音。静かに流れる時間。

別世界に迷い込んだような不思議な感覚。人工的に作られた場所なのに、自然と建物が一体となってあたたかい日本の原風景のようなものを作っている。

もちろん元々手入れの行き届いたそんな美しい場所であることは確かなんだけど、それに加え、きっとまばらな入園者、暖かな気温、やわらかな陽射しが作り出した、夢のような特別な時間だったんじゃないかっていう気がするのだ。

にゃ〜こと一緒におしゃべりをしながら、ゆっくり園内を散策し、春の景色を味わった。本当にすてきな時間だった。

もちろん春の花もところところで見事な色を見せてくれた。お花見の時期とは違って、特別に見せてもらったようなありがたさがあった。菜の花の黄色、桜の薄桃色、そしてはなももの鮮やかな赤。

「三渓園」には根岸公園の廃墟同様に、昔何度か一人で足を運んだことがある。でもこんな豊かな景色を味わったのは今回が初めてだった。
いろいろな条件が重なったとは言え、やっぱりにゃ〜こがいてくれたからだと思う。その安心感と、その時々の発見や感想を語り合える人、わかってくれる人、一緒に楽しめる人の存在がとても大きかった気がする。とっても素敵な日帰り小旅行となった。
  
日頃運動していないわたしは、根岸駅から徒歩片道30分(だから徒歩で行けるとはパンフレットには書かれていない)、園内の高低差のある場所を散策すること約3時間という歩け歩け大会は、のんびりしたペースでのお散歩ではあったけど結構こたえたのだった。

でもそうやって外に出る機会を作ってくれたことも、にゃ〜こに感謝である。
  
  

2011年3月29日火曜日

レレ友からの悲しいメール

今回の震災でわたしは始めて
身近な人の悲しみを知ってしまったのだ

もし教員を続けていたら
地震当日も生徒を学校に避難させたまま
大変な一夜を過ごしたことであろうし
その後に生徒や同僚から
その親類や知人の悲報を聞くことがあったかもしれない

しかしそうした多くの人間関係から切れていたため
身近でそうした悲しみを受けた人には
会っていなかったのである

ところが久しぶりにレレ友に近況報告をし
その返信が来たので見てみたら
その内容は悲しみに満ちたものであった

「南相馬に親戚がいて、叔父は津波からなんとか逃げ、避難所生活。しかし、叔母が行方不明に。なかなか連絡がない。それは屋内退避圏内に入っているので、行方不明者の捜索が遅れているため。
奇跡を信じていました。津波で海に引きずられてしまうこともあるのなら、逆に陸の、もっと山のほうに流され、家や車など流されたものにぶつかって、一時的に記憶をなくし、自分の名前が言えず、どこかに収容されているんじゃないか、なんて。
でも、昨日、聞きたくない方の連絡がありました。
はぁ〜、、、、
叔母の顔を思い出すたび、涙が出てしまって。」

「CDの山が崩れたぐらいです」と軽い調子で書いた
自分の浅はかさを心から責める
  
そして被害の甚大さだけでなく
そこで多くの人を襲った悲しみや苦しみがあることを
申し訳ないけれどあらためて
そして初めて身近に感じる

震災から2週間以上も経ちながら
まだこうして無事を祈って待ち続けている人が
大勢いるって言うことも実感する

返信のメールがなかなか書けなかった

ドラムレッスン退会後始めての月曜日

先週の土曜日にドラムレッスンを退会し
昨日はその後始めて
月曜日にドラムレッスンを意識しなくてよかった日だった
  
ここのところ結果的に行くにしても休むにしても
月曜日あるいは日曜日くらいから
行くか止めるか悶々としていたことが多かったから
それと比べるととても落ち着いた一日であった
確かにもう講師の先生と一緒にドラムを叩けないんだと思うと
ちょっと寂しい気もするし残念な気持ちにもなるけど
それもまたアレもコレも上手くやろうとする性格であり
アレもコレも期待に応えようとしてストレスを抱え易いことを思えば
やっぱりそこをグッとガマンして精査することは大事なことなのだ

しかし入会してわずか一月半でステージに立ったっけなぁ
思えばあれがYAMAHAで最初で最後のステージだったわけだ
まだまだ今以上に調子の波が激しかった頃で
当日も出番が終わったら最後までいられなかった
  
  
それから1年半よく自分でもがんばったと思う
何と言ってもほんの一時期をのぞいて
ずっと実質一対一の個人練習だったから
気が抜けない30分〜50分であった

そういう意味ではある程度は鍛えられたと思う
いつかどこかでそれを活かすチャンスがあるだろうか
いやきっと巡り巡ってそのチャンスがやって来るきがするなぁ

これで病休後の挑戦シリーズの中で止めることになったのは
ネットショップと太極拳とドラムということになった
その分CGやベースや手作り腕時計などが始まった

どれも今思えば一生懸命だったし
やりたいと思っていたことを実行に移せたという点では
悔いはないし確実に世界が広がったと思う
どれもが絶対自分にプラスになっている気がするのだ

さぁまた新しい体制でいろいろチャレンジしていくか
無理しないようにちょっと抑え気味で…

  

2011年3月19日土曜日

2週間時計制作結果


2月の最終水曜日に時計教室へ行き
3号の手直しと5号の2本を完成させた

予約日を計画停電でキャンセルにしたので
今週水曜日に教室に行けるとしたら
3週間ぶりということになる

その間に日本が大きく変わってしまった
そんな印象さえする

しかしわたしは黙々と時計を作った
作ったのは6号7号そして8号
まだ金具までは揃っていないけど
溶接作業のある裏蓋も完成し
ボディは針とムーブメントとを入れるだけまで
何とか手持ちの材料で作り上げた
タイプの違うデザインになったのがうれしい

左から手作り四角型・パイプ切り出し丸型・手作り丸型と作り方も違う
今日の作業でほぼ溶接用銀ロウが尽きた
金属加工・溶接はこれまで
時計作りも次の教室で材料をもらうまでストップだ

直接は全く関係ないんだけど
この東北関東大震災ショックに
黙々と時計を作ることで耐えていた気もするなぁ

病休に入って体験教室に参加し1号を作った
復活に向けて昨年秋からコースに参加し
以来時計を作り続けている
その都度大事なところで
時計作りに支えてもらっている気がする
  
  

2011年3月18日金曜日

支援物資の「投下」はどうなった?

交通網が分断されているため
直接支援物資を運べない地域に対して
パラシュート投下っていうのはどうなのかと
このブログでもちょっと書いた

同じようなことをブログで書いている人も多い
と思ってウェブを見ていたら
北澤防衛大臣がすでに3/13の時点で
食料投下の検討を指示していたことがわかった
そこには3/14にも実施される方針だと書かれている

その話はどうなったんだろう?
すでに5日が過ぎている
投下する予定的なことは書かれているが
投下されたという話は聞いていない気がするけど…

投下には専用コンテナがないと物資が破損してしまう
という話もあるようだが
自衛隊になければそれこそ米軍に援助を頼むことだって
できるだろうと思うんだけれど
  
パラシュート投下用フードコンテナー

となどど思ってさらに調べていたら
すでに「投下できない」という判断が下されていたことを知った

理由は

「投下したときにけが人が出る危険性があることと、投下によって、支援物資が破損するから」

なんだそうだ
 
そりゃないだろうってちょっと憤っていたら
別の記事もみつけた

パラシュートで物資を落とす場合には
低空では破損してしまうし上空では流されて目的地に届かない
また周囲が危険な被災現場である中で
ピンポイントで物資を落とすことは非常に難しい
精度を上げようと高度を下げれば
物資の破損だけでなく
落下物により被災者や避難所への被害が出る可能性も出てくる

そうかと納得した
上の写真のような鉄のかたまりが振ってくるわけだ
それは確かに危険過ぎる
実際米軍がアフガニスタンで行なった投下物資が
民家を直撃して死者を出した例もあるとのこと
残念だけど納得せざるを得なかった
 
一秒でも速い陸路の復旧を願う

2011年3月16日水曜日

都民の不安

グラグラミシミシと突然家が揺れる…
ついさっきのこと
22:39頃関東地方で起きた地震だ
このあたりは震度3らしい

他県では
必要以上に物を買い込もうとする
都民の行動への評判が良くないという
わたしも必要な物資を
できるだけ被災地に集中させる意味でも
必要以上の買い占めて
逆に物不足という心理的不安を高めない意味でも
もっと落ち着くべきだと確かに思う

思うんだけれども
東京都民もあの強烈な地震を体験しているのだ
被災地には比較にならない程度ではあれ
生の恐怖を肌で感じ
その後もこういう感じで
毎日のように地震が襲ってきているのだ

茨城沖や千葉沖そして静岡沖
東からも西からも地震がやってくる

地震が直接やってきたらと思うと
阪神淡路大震災の悪夢のような光景が甦る

だから不安を解消したくて買ってしまうのだ
買いだめするには適さない
生鮮食料品や牛乳などでも買ってしまうのだ
非常事態に備えて
車がガソリンスタンドに並んでしまうのだ
  
何かせずにはいられない“不安解消行動”なのだ

ものが店からなくなるのは確かに困る
でも都民や関東周辺でのそういった動きを
身勝手な行動だと思わないで欲しい
  
都民を含めた関東地方に人たちも
不安と恐怖にさらされ続けているのである
  
  

NHKの被災地報道

東北関東大震災で被災され避難されている方々は
数多くの避難所に身を寄せている
被災者や避難場所が多いことや
道路などの移動・輸送ルートが分断されていることなどから
十分な情報のやり取りや物資の支援ができずにいるという

そうした支援が十分にできていない状況に対して
現地で対応している方々や
あるいは県などの自治体そして国に対して
その対応の遅さや不十分さを憂え
批判・非難することは容易い

でもそれはまさしく“ワイドショー”的無責任な態度でしかない

NHKの避難所報道には
何となく今報道がすべきことをやろうとしている姿勢が見える
  
避難所から報道するさいに必ず
今必要としているものをキャスターが聞いている
それはこんな状態がまだこの場所では続いているのだという
現地での対応の遅さを指摘・非難へと
結論を持って行こうとするものとは違う

むしろニュース番組の中で
そうした個々の避難所の状況を
中々手が回り切れないでいるスタッフに情報提供しようという
「報道」が今できる役割を担おうとしている気がするのだ

どこかの局で
被災者に執拗にインタビューをして
泣かせようとしていた無責任・無反省な“非人道的”なものとは違う

報道がこういう災害時にできることは
被災地で起きている事実を広く知らしめることだけでなく
実はこうした被災者を支援するために役に立つ情報を
それを必要としているターゲットに向って発信する
そんな役割があることに気づかされた
番組を見た現地スタッフが
状況を把握し対応に乗り出せれば
報道は支援体制の一部として大きな機能を持つことになる

これが同じ現地報道でも
対応の遅さを非難するためのものであったら
逆に現地スタッフの頑張りに水をさすことになりかねない

ちょっとした報道の仕方の違いに見えるけれど
実は大きなスタンスの違いがそこにはある

2011年3月15日火曜日

震災を「天罰」と言う石原慎太郎はやっぱりおかしい

石原都知事が次のように発言したそうである

「日本人のアイデンティティーは我欲になった。(中略)津波をうまく利用して『我欲』を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」

たびたびこういうデリカシーのない
当事者の心情を踏みにじり
傷つけることを平気で簡単に口にする人だが
今回もこの時期にこのコメントである
呆れて物が言えない
こういう人物が知事であることは問題ではないか
  
都民ではないが都の公務員として働いていた者として
自分たちのトップがこういう発言をする人だというのは
正直恥ずかしかったし腹立たしかった

うちの自閉くんと同じように
状況が読めず思ったことを口にしてしまうという
発達障害を持っておられるのかもしれない

であればたぶん忠告されても非難されても
なぜ自分の言ったことが悪いのかが
彼にはわからないんだろうと思う

軽度発達障害だとしたら
それはもう仕方のないことだと思う
だから彼をあのポジションに置くことは
彼にとっても不幸なことなのだと周囲も理解すべきだ

都知事選に出馬して欲しくなかったと心から思う
都民の良識に期待したい
  
  

2011年3月14日月曜日

明日&明後日以降の「計画停電」予定

東京電力のプレスリリースで
明日以降の概要が出た

グループ表及び予定表はこちら
PDFファイルで地域ごとの該当グループと
日ごとのグループ・ローテーションの
2つのファイルが手に入る

わたしの住むあたりは今日は第4グループだったが
明日以降も第4グループに所属しており
それによると明日のこのあたりは9:20〜13:00の予定だ
  
つまり今日の「グループ名」は残り
時間帯だけがローテーションで動くことになったわけだ
  
この表で概要が大分掴み易くなった
早くテレビのニュースで流して欲しいものだ

3/15〜3/18の概要がこれでわかる



街の様子を見てきたのだ

YAHAMA音楽教室から連絡が来ないので
電話を入れてみたら
「ただいま電話が繋がりにくい状態になっております…」
と放送が流れてきた

幕張の「手作り時計教室」へも
水曜日の教室や納品の件で電話したのだが
同じようにつながらなかった
  
携帯電話だけでなく固定電話でもダメである
メールの方が繋がるようだが
電話が使えないっていうのは驚きだった
(追記:これはケーブルテレビがauと提携した電話サービスを利用していたためだと思われる。通常のNTT回線の電話はかけることができた。)

このあたりは計画停電の時間帯が
13:50〜17:30なこともあって
昼過ぎから閉店となる店が大分多い
閉店前のスーパーの前には人の列ができており
入店制限をしていた

ドラッグストアでは普段山積みになっている
ティッシュやトイレットペーパーが
きれいになくなっていた
電気店では電池・懐中電動が売切れだった

被災者や被災地の映像をずっと見てきて
最初の強烈な地震も体験していて
その後も断続的に余震が続いていることで
関東南部のこのあたりでも
人々の不安感は高まっているんだろう
それが防災用品と生活必需品の確保という行動に
結びついているように思う

まだありがたいのは皆冷静なことだ
1970年代のオイルショックの時のような
ヒステリックな様子は見えない

でもこれで「計画停電」により
実際に食べ物や日常品の供給が滞るようなことが起こると
人々の不安感はさらに高まることになる

でも実際まだ停電になった場所はないと言うが
停電を体験すると危機感も高まるかもしれない
昔は停電てあったものだけど
今は停電を経験したことのない人も多いだろうし

さて「計画停電」予定の1:50まであとわずかである
今日は停電となるのだろうか

あぁ…花粉症のことをすっかり忘れていた
良い天気で風のある今日は花粉日和
帰宅したら目鼻にダメージが…

そう言えば体調は悪くない
前回のウクレレバンド後には腹痛が始まったけど
今回は練習直後にちょっと頭痛になりかかっただけで
不調に陥らずに済みそうである
 
不調が始まりそうになったら
早目の服薬と休養(睡眠)っていうのがカギだな

  

計画停電時間変更

大分混乱しているようである
ローカルテレビで新たに
詳しい停電予定時間を発表していたが
先のものとは大分違う

時間帯は2つでとちらになるかはまだわからない
  
午前:13:50〜17:30 または 午後:15:20〜19:00

どちらにしても
17:00〜17:30のドラムレッスンにかぶる時間だから無理だな
明日はYAMAHA自体がレッスン中止になるかもしれないな

しかしこんな状態が
ヘタをすると向こう一ヶ月くらい続くらしいのである
未曾有の大災害であることがそれだけでもわかるというものだ

会社は大変だろうなぁ
自分の地域の停電時間と取引先や提携先の停電時時間の
両方を確認しながら仕事のやり取りをしないといけないし

明後日以降どうなるかもわからない
毎日こうやって次の日の停電時間帯を確認するんだろうか
今週は通院の週だからそれも気になるところだし
幕張行ったら停電なんてこともあるかもしれないし

どんな一ヶ月になるんだろう
時代が何十年かさかのぼったような感じだろうか
 
でも信号まで消えて
事故のリスクが高くなるのを承知で行なうくらいだから
相当な覚悟で決断がなされたんだろう
それだけ切羽詰まっているっていうことだなこれは
  
家に買ってあった発電式ライトが役に立つ時がきたか?


2011年3月13日日曜日

明日から計画停電


ローカルテレビで放送されている
明日からの「計画停電」のお知らせを見た
まさに“非常事態宣言”ていう感じである

同じ自治体の名前が複数の時間帯に入っているのは
まだ検討中であるからとのこと
東京23区は荒川区だけが対象
政府の機能を停止させないためだそうだ

わたしの住む場所で
一番可能性が高い自治体名で行くと
計画停電予定時間は以下のようである

午前:9:20〜13:00 および 午後:18:20〜22:00

なかなかスゴい時間である
学校で授業はできるんだろうか
給食は作れるんだろうか

家の冷蔵庫の冷凍食品は保つだろうか
コンビニに行っても冷蔵冷凍食品はどうなっているのか
デパート内は非常灯みたいな感じで対応するのかな

夜は真っ暗な中で
ろうそくの火を灯して
ラジオを聴きながら過ごすのか

電車にも影響が出て
ダイヤの乱れが予想されるらしい
あるいは駅構内のエレベーターやエスカレーターも
止まる場所が出てきそうだという

なんか予想できない生活
いや昔は時々停電したような気がするが
今電気に頼った生活はその比ではない
いつまで続くのだろう
不安ではないが不便ではあろう
しかし慣れてしまうような期もするけど
会社や学校はそうはいかないだろうなぁ
  

2011年3月12日土曜日

もし東京が被災地になったら…

東北地方太平洋沖を震源地とした地震でありながら
関東の東京都内でも交通がマヒし
多数の“帰宅難民”を生み出した

もし東京がこうした災害の直撃を受けたら
どうなってしまうのだろうと
どうしても考えてしまう
海抜0m以下の場所は都内にも存在する
地盤が盤石だとは言いがたい埋め立て地も多い
京浜工業地帯という大工業地帯を有している
直接的な大惨事は計り知れないだろう

交通機関の壊滅的打撃は間違いない上に
永田町を中心とした政治機能もマヒする恐れがある
つまり被災状況の確認や対応のための指揮系統が混乱し
被災地への支援が後手後手になる可能性がある

さらに東京はメディアの中枢が集中する地でもある
報道機関が正常に機能しなくなる可能性がある
現在テレビで次々に情報が流れるようなことが
不可能になるかもしれない
何が起こったかもわからない状況が続くだろう

携帯情報端末が役に立たないだけでなく
情報そのものが十分に流れなくなるのだ
不安と混乱は加速しさらなる被害を生むかもしれない

それは政府も報道局もすでに想定済みなのかもしれない
しかし東日本大地震が想定外だったことは間違いないのだ

津波

小さい頃の津波のイメージは
サーフィンで見られるようなビッグウィーブ
あるいは葛飾北斎の「冨嶽三十六景」にある
有名な「神奈川沖浪裏」の図であった
当時の怪獣映画やパニック映画などで描かれたイメージである

そのイメージが変わったのは
1993年の北海道南西沖地震だった
奥尻島が津波とそれによる火災で
壊滅的な被害を受けた地震だ
しかし当時は映像の量が今ほど多くなかったから
津波が押し寄せる恐ろしさは実感できなかったと思う

津波の生々しい映像を目にすることになったのは
2004年のスマトラ島沖地震のことだ
波はビッグウェーブのような巨大なものではなかった
しかし圧倒的なパワーで全てをなぎ倒し飲み込んでいく様や
その被害の爪痕の壊滅的な様相は
津波の本当の恐ろしさを感じさせるの十分だった

今回の東日本巨大地震の映像にはさらに
海上から陸へと迫る津波の群れや
家や田畑を有無を言わさぬ勢いで
あっと言う間に塗り替えていく様が映し出されていた

津波の恐怖とはこういうものなんだ
初めてその恐怖のイメージを持つことができた
恐らく今まで津波に実際に遭遇した人しか
知ることができなかった恐怖の一端を
今回の映像は多くの人々に知らしめたに違いない
  
阪神淡路大震災の時
わたしは夜間定時制のスキー教室引率で上中里スキー場にいた
テレビから流れてくる情報は地震の揺れによる崩壊した大都市の様子と
その後の広範囲に渡る火災の悲惨さだった
瓦礫の下に残された人々の救出状況が次々と映し出された
中継していたNHKの男性アナウンサーが泣いていた

今回の地震の恐怖はそれとは違う
いや同じ状況が起こったに違いないが
それらを津波が覆い尽くしてしまった

わたしのいる関東地方でも
あれだけ強く長い地震を体験した記憶はない
やはりそれは恐怖であった
しかしその後にさらに津波から逃げねばならないという
恐ろしさは想像を絶するものだっただろう

津波とはかくも恐ろしいものだったのか…
  
  

2011年3月10日木曜日

ローマ数字文字盤のこと

今回マイウォッチ6号用に
ローマ数字を円形に並べた文字盤を作ったのだが
その図を載せた記事にご丁寧なコメントをいただいた

「(前略)先日から不思議に思っているのですが、文字盤をローマ数字で表記する場合(代表的なものがBig Benですよね)全て放状に記すのが普通だと思うのですが、オリジナルの場合、重力があるように常に『上向き』に数字を表示されていますね。これは確たる意図がおありなのでしょうか?(後略)」

まことにその通りなのだ
普通は中心から放射状にレイアウトされる
だからIIIとIXが横倒しでIIII〜VIIIが“逆立ち”することになる

左がイギリスのBigBen/右が家にあったRegatta Club

でも今通っている手作り腕時計教室で
タイプ別に置かれている「お手本」では
IIII〜VIIIが再び上を向いているのである
  
これはその教室を開いているお店の
ローマ数字表記商品にも共通したデザインなのだ
それで時計教室でも指導も強要もされていないのだけど 
自然と「お手本」に従ってIIII〜VIIIも“直立”方式にしてたのだ

左が商品の「でかまる」/右が体験教室で作った1号
そこには特に確固たるこだわりもポリシーもなく
まぁ見やすいんじゃないかぐらいの感じでいたのだ

でもちょっと気になって調べたら
結構このタイプの文字レイアウトをしている時計があるのである

左が高級時計の代名詞Rolex/右がTENSE社製ウッド・ウォッチ

やっぱり“見やすさ”なんじゃないかと思う
と言っても放射状のレイアウトも伝統的なものだから
それに慣れている人には
規則性というか統一感というか
“完全性”みたいなものが乱れている感じがして
違和感の方が強いかもしれない

わたしは手首が女性並に細いので
ピッタリくる腕時計がなかったこともあって
腕時計へ興味を持つようになった歴史は浅い
そのせいか伝統的な放射状のローマ数字レイアウトにもこだわりがない
むしろ基本的に逆さにならずにがんばろうとしている
“直立”レイアウトの方が落ち着く感じだ

だからきっと最初の体験教室でも
何の違和感も感じずに
自然にこのレイアウトを選んだってことなんだな
無意識にやったことを意識的に確認してしまった
そんなわけでたぶんマイウォッチのローマ数字レイアウトは
今後も基本的に“直立”レイアウトになると思いますのだ
ちなみに放射状のレイアウトって
昔々の日時計から来ているんじゃないかな
中心の棒から影が伸びる先を見る感じ
つまり地面にあって周りながら見るものを立てちゃったから
“逆立ち”しちゃう文字が出てきたというような
そんな気がちょっとしました
  
  

2011年3月3日木曜日

時計教室2ndステージ:グルグル5号も完成!

グルグルマークだけが文字盤についている
マイウォッチ置き時計5号も昨晩完成した 

ぐるぐる渦巻きは上じゃなくて下に直線がくるようにした
吊り下げた蚊取り線香じゃなくて大きなペロペロキャンディーかな

実は教室でほぼ完成していたんだけど
欲を出してちょっと手を加えようとしたのだ
それもアクリル板のレンズがはめ込んである
本体への溶接である

案の定アクリル板が溶け出してしまった
もちろん溶接は失敗である
ちょっとした飾りを加えようと思っただけなので
溶接はどうでもいいのだけど
アクリル板が溶けて変形し
ピタッとガワにはまっていたのに
すき間ができてしまった
見てくれも最悪である

アクリル板は購入したものが自宅にあったので
教室でレンズ分買うのももったいないし
削りながらピタッとはめ込むサイズに成形するには
ちょっと時間が足りなかった
そこで帰ってから夜作り直したのである

しかし失敗はしてみるものである
お陰で講師の方からこういう場合のアクリル板の外し方を
教えてもらうことができたのだ
失敗しなければそのままスルーされていた話である

わたしはバキバキとラジオペンチとかで
単純にむしり取るのかと思っていた
そうしたら煮沸すればペロンと剥がれてくれると言うのだ
実際に試したらアクリル板も接着剤もきれいに取れてくれた
これならラクチンである

でも変形したレンズは再利用は難しかったので
再度四角くカットしたアクリル板からレンズを作った
今度もまたピタッとはまるところまで成形できた
これは自分ながらなかなかの技術かも

ごちゃごちゃしたわたしの机の上で
グルグルくんは今も
赤い針でコチコチと時を刻んでくれている
  

2011年3月2日水曜日

時計教室2ndステージ:3号&4号完成!


オリジナル手作り腕時計の
スクエアタイプ3号とラウンドタイプ4号が
苦節2ヶ月全22時間の苦闘の末
ついについに今日の第11回教室にて完成した

超メデタイ〜超カッコイイ〜超愛着強し〜

3号はブラックベルトにグレーのループだ

留め金は本体に合わせてちょっと大きめ

4号はボディの下を1本のグレーベルトが通っているタイプ


4号の留め金にはループの機能も持たせている

今回はどちらもボディや文字盤がアンティーク調なので
ベルトの色もブラックにグレーと地味目な色を選んだ
結果的にオトナの時計といった感じになった

作成に長時間かかったのは
1本を自宅&自力で作ろうと同時並行していたのが
仕上げのムーブメントやベルトの取り付けで
一緒になっちゃったからである

もちろん教室では常時4人の生徒がいて
講師の方は一人だけだから
教えてもらうにも確認するにもチェックしてもらうにも
常に他の人とのやり取りのスキをついて
講師の方をつかまえる必要がある

だからおそらく同じものを作るとなれば
かなり短時間で作れるはずである

レンズにキズがついていたりするから
まだまだ売り物のレベルではないけれど
売り物を作ることが不可能ではない手応えがあった
まぁ何より作ることが楽しくて
出来上がることがこんなに嬉しいのである


それだけでも今は十分である
  

冬の横浜廃墟を訪問

昨日は横浜の廃墟を訪問をしてきた
秋の赤い蔦が絡まる時期以来である

やっぱり廃墟には冬の寒々しい空気が良く似合う
天気も曇りから雨
お散歩的には残念な天気でも
廃墟的にはなかなかの好演出である

落葉した木々がまた良い雰囲気

手前は運動場のような何もない公園になっている
  
この暗さはやっぱり冬に映えるなぁ

独特なデザインと歴史の長さを感じさせる細部の趣きも格別

鉄条網の付いた鉄柵越しに見える寂れた風景も廃墟然としていて◎

今回はまたまた新しいルートを歩いたので
途中の風景も新鮮であった
寒さ雨も気にならず
なんだか久しぶりに非日常の世界を楽しんで来た感じ

手足が冷たくなったりトイレが近かったりと
多少自律神経失調気味ではあったけれど
先週から引き続き体調もかなり安定した状態をキープ

ここのところで集中的に放出したエネルギーを
異界パワーでまた取り戻すことができたかな