2013年8月28日水曜日

IbanezeウクレレをLow-G仕様にチェンジ!

「ウクレレ教室03」で使っているウクレレは
Ibaneze(アイバニーズ)製の
ピックアップ付きコンサート・モデルである
  
「教室02」はどちらかというと
ジャカジャカ歌と伴奏を楽しもう!っていうタイプだけど
「教室03」は“習う”場所なので
ソロ弾きに対応したピックアップモデルを
鍛える場にしているのだ
  
ただやっぱり基本的にアンプを通して鳴らすモノだから
普通に弾いていると鳴りが足りない
次第に良い音にはなってきているが
中低音の響きは最初に買ったFamousの
ソプラノモデルにも負けるのだ
   
それはそれと諦めても良いんだけど
3人のレッスンで音が響かないのはちょっと悔しい
それにソロ弾きを想定しているのなら
やっぱりLow-Gかなぁと
ずっと思っていたのである
  
そこで昨日のレッスンでのこと
講師の先生からこう言われたのである
  
「アンプを通して鳴らすためのウクレレですから、ボディの鳴りが足らないっていうのはあまり気にされない方が良いですよ。弦が馴染んできて、大分良い音になってきましたし。ただ、私としてはLow-Gにされた方がソロ演奏をする上でも良いように思います。それにアンプを通さなくても、今より中低音が響くようになりますから、ちょっとキンキンした感じが無くなって落ち着くように思います。」
  
それでもちょっと迷っていたのだが
今日ついにLow-Gに張り替えたのであった
  
  
これで4弦(一番左の弦)が1オクターブ低くなり
ギターと同じように4弦から1弦に向かって
次第にピッチが高くなることになる
低音域が広がるから表現が広がり音に深みが出るけど
逆にウクレレらしいコロコロした音より
ギターの音に近づく感じである
  
弦を張り替えたばかりでまだすぐピッチが狂うけど
ちょっと音を鳴らしてみたら思ったほど違和感はなかった
これならジャカジャカ弾いても問題ないかもである
  
ちなみに使った弦は
たまたま家に買い置いていたWorth Strings製の
フロロカーボン弦だ
つまりこのIbanezeを買う前から
Low-G化には興味があったということなのだ
  
1〜3弦がAquilaのナイルガット弦なので
素材の違う弦が並ぶことになるけど
金属製の巻弦でもなく
弦幅も3弦と変わらない程度なので
違和感無く弾けそうなのが良い
  
ピッチが落ち着いて
全体のバランスが取れてきて
うまく4弦が残りの弦と馴染んでくれるといいなぁ
  
  

2013年8月25日日曜日

かなり疲れているみたいだ……

今日は中二くんの部活に合わせて
朝6時に起きて朝ご飯を用意し
水筒にポカリスエットを作り
昨日のうちに洗濯して干しておいた
サッカーのユニフォームを畳んで
準備万端整ったところで
雨で部活中止の連絡が入ったのであった

一気に緊張が緩んで

結局午前中は二度寝で終ってしまった

夕方になって旅行から同居人が帰ってきたので

夕食は用意する必要はなかったが
ダルダルな感じは抜けなかった

夕食後にどうにも眠くなり

気づけば10時まで寝てしまった
“緊張が緩んで”というだけでなく
かなり疲れていたみたいであるワタシ

まだ眠いからこのまま寝ちゃおうかな


明日は高三くんの登校日

秋の体験実習の希望を提出する日である

もうすぐ子どもらの夏休みも終わるなぁ
そうすれば今よりはストレスが減って
自分のペースを取り戻すことが出来るだろうか

思えば今年は7月アタマから

長〜い夏が続いていたから
カラダにもかなりキツい夏だったんだろうなぁ

秋に向けて英気を養わねば…である
  
  

「神楽坂アートスクエア」出展決定!

神楽坂まち飛びフェスタ」の期間内に行なわれる
「神楽坂アートスクエア」にエントリーしていたが
今日当選のお知らせと出展依頼のメールが届いた

日時:2013年10月27日(日) 11:00〜16:00

場所:毘沙門天善國寺(びしゃもんてんぜんこくじ)境内

テントを張って中を二分割したスペースなので

雰囲気はフリマみたいな感じかな

でもライヴペインティングみたいなことは

CGという性格上不可能なので
出来るだけ多くの作品を展示できるように
手製簡易パネル(180cm×90cm)を3つと
イーゼルを1つお願いしておいた

こういう時ありがたいのが

絵そのものが重くないということ
手製パネルはかなり華奢なので
額が必要な重い絵だとかなり不安だけど
ワタシの場合は目一杯展示しても
多分大丈夫である


これで10月には

ホイケ(ウクレレ発表会)と「アートスクエア」
12月には名古屋の「クリエーターズマーケット」と
忙しい秋になることが決定である

昼寝で体調を整えつつ
がんばるぞ〜ぃ

2013年8月23日金曜日

「パシフィック・リム」感想補遺

プレビューの映像の迫力から
ちょっと興味があった
ユニバーサル映画100周年記念映画「バトルシップ」を
レンタル屋産から借りてきて観た

戦闘場面のVFXは確かに迫力のあるものだったが

全体としてメカの重量感が足りない感じ
そして脚本的にはダメダメであった

ただいわゆるハリウッド的SF映画の

特徴みたいなものを考えるきっかけにはなった
簡単に言えばハリウッド的SFは
次のような何かを確認するためのストーリーに
なっていることが多いように思う

まずとにかくアメリカ礼讃で

USA先頭でイケイケゴーゴー!というもの
「バトルシップ」では退役軍人と退役艦まで活躍して
米軍礼讃を盛り上げてくれる
地球外からのエイリアンと戦う地球代表は
アメリカなのだという自負と主張
この感じはアメリカ大統領が英雄になる
「インディペンデンス・デイ」などにも通じるものだ

それからSF的試練を乗り越えることで

崩壊した家庭や夫婦や恋人同士が
最後に関係修復されるというもの
「宇宙戦争」などまさにダメオヤジの復権の物語であるし

「バトルシップ」では恋愛の成就がこれにあたる

いやむしろ主人公が
上官の娘に恋をしその上官に結婚を認めてもらうために
宇宙からエイリアンが飛来し
成り行き任せで“人類を救う”ことになったかのような
本末転倒的能天気さに溢れていると言える

そうした作品と比べると

「パシフィック・リム」がかなり頑張っていることがわかる
そこには主人公の苦悩も
男女の恋愛も育ての親と子の物語も確かにある
でも圧倒的な戦闘の前ではそれらは些細なことに映る

同じようにVFXを駆使していても

そのVFXでロボットや怪獣の異様さと戦いの激しさを
きちんと映画の中心に据えようという思いが感じられる
余計なヒューマンドラマに流れないのだ

そういう意味では深みは無いとも言えるかもしれないが

逆に荒唐無稽さを真面目に映像にしようとしている点で
1960年代日本SF&怪獣映画に通じるものを感じるのである
  
「トランスフォーマー」はド迫力の変形場面に比べて
最後はただのロボット同士の殴り合いみたいな
ちょっと残念なバトルに落ち着いてしまうが
「パシフィック・リム」では
一応最後まで巨大さや重量感は保てていたため
異形の物同士の戦いにはなっていたと思うが
これはとても大事な点だと思うのだ

と…「パシフィック・リム」の肩を

しきりに持ちたくなるのは
やっぱり怪獣映画が観たいからなんだろうな
「パシフィック・リム」をきっかけに
できれば怪獣の本家日本から
ワクワクドキドキな怪獣映画が生まれることを
願っているんだなワタシ

間違ってもハリウッドのマネをして

恋愛とか成長とかと絡めて欲しくないし
なかんずく“絆”などという話には
絶対持って行って欲しくない
“成就されない恋愛”とか“断ち切られる絆”とか
そういうディザスター映画なら許すかも…

しかしつくづく思うのは

ガメラ3が“わたしはガメラを許さない”という
怪獣災害被害者の怨念をテーマにしたというのは
ハリウッドからは生まれて来ない
凄いものであったなぁということである

   

2013年8月22日木曜日

ホイケの衣装でございます

しかし…
最初にウクレレを習い始めた時には
できればジャズとかボサノバとか弾きたいなぁ
フラには興味ないなぁ
第一フラのこともハワイのことも
何も知らないし…と思っていて
発表会でアロハを着るなんて話に
強烈な拒否反応を示していた頃が
懐かしいですね…

 
この真っ赤なタヒチアン・ドレスに身を包み
女装して舞台に立つのである
もちろんフラの名曲を奏で歌いながら
キャ〜…どうしよう…

白いTシャツとスパッツを中に着るらしい
スパッツ…

あははははははは〜
女装に目覚めてしまったらどうしよう…

2013年8月21日水曜日

「クリエーターズマーケット」参戦決定!

東海最大のアート系マーケットイベント
「クリエーターズマーケット No.29」に初参戦いたします!

つくるひとの祭典 中部地区最大級のアート&デザイン&手作り GALLERY & MARKET

エントリー後の受付/振込案内が届いたので
本日入金を済ませた
後は事務局からの出展確認の連絡があり
その後にワタシのブースNo.などが入った
「出展マニュアル」が届くという段取りである

2m×2mの一般ブースで

12/7(土)・12/8(日)の両日フル出展するので
展示用パネルなどのオプション品を加えて
トータル37,000円の出費である

出展者パス(搬入搬出での入場が可能)は2枚だけど

入場チケットが二日分で8枚付く

勝手に“東海版Design Festa”とかイメージしているけど
実際のところ様子は良く分からない
Design Festaみたいに下見をする余裕もなく
いきなり本番になってしまう

実際Design Festaのような
しっかりしたブースの仕切りはないようだから
もっと見た感じ雑然とした雰囲気なんだろうな

情報を仕入れつつイメージを膨らませつつ
少しずつでもディスプレイの方法を
あれこれ考えていかねばである
おぉ気合いが入るぞ〜楽しみだ

この楽しむっていうのが一番の目的だから
こだわるつもりは無いんだけど
もし出費分が回収出来るくらいの
手応えがあったら嬉しいなぁ
まぁ無理だろうけどね〜

2013年8月20日火曜日

今日も実家へGO!

昨日のダウン二回がちょっと衝撃的だったので
今日も様子を見に母サマのところへ行って来た

めまいがするでも足下がふらつくでもないようで
それはそれで良かったのだが
やっぱり突然倒れたのがショックだったようで
歩いて移動することにとても慎重になっている
ワタシが実家へ到着したら
案の定ベッドで寝ていたのであった

そんな生活では早晩寝たきりになってしまうので
とにかく起こしてテーブルまで移動させて
買っていった遅めの昼ご飯を食べてもらうことにした

毎週水曜のリハビリが明日に控えているんだけど
やっぱりまだ不安なので
もうお休みする連絡を入れていた
まぁ明日は仕方ないか…

でも風呂には入るというので
今日の分の洗濯干しを終えたところで
入浴の見守りをする
居間にいてテレビを見ているだけだけど
倒れていないか溺れていないか確認するために
5分置きくらいに声かけをするのである

人がいると安心して風呂に入れると言うので
できれば火曜と金曜の週二回入れると良いのだが
まだそううまくはリズムが作れない

風呂から出てゆっくり時間をかけて服を着たところで
今日の“ヘルパーモンちゃん”のお仕事は終了であった

やっぱり朝と昼の食事を何とかきちんと確保したいものだ
朝は弟クンがおにぎりなど買っておいたりするようだけど
昼の分がどうしてもいい加減になって
お菓子で凌いだりしちゃうのだ

などと思案しているワタシが
今日は結構ヘロヘロになってしまい
夕飯を松屋のカレギュウで済ませてるんだから
良くないよなぁ…

共倒れにならないように気をつけねば…
ワタシだって夏バテが出て来る時期だろうし

2013年8月19日月曜日

母サマから緊急ヘルプ電話!

今日の午後3時過ぎのこと
ワタシのケータイに母サマから電話が入った

「今日二回も倒れちゃってね、それも倒れたって意識が無いまま気づいたら横になってたんだよ。一回は外で、もう一回は家の中で。それで恐くて動けないんだけど、今日は来てくれるんだっけ?」

実家へ行くのは基本的に火曜日と金曜日であるから
今日は全くその気がなく家に居たのであった

とっさに脳溢血か脳梗塞じゃないか?と心配したが
電話ができるということでかなり安心したし
話も一応ちゃんとできているから
慌てず騒がず少しその時の様子を聞いてみることにした

今日は月に一度の整形外科通院の日で
朝タクシーを呼んでから
毎日届けてくれるお弁当の昨日の分の容器を
いつものように外にある自転車のカゴに
置いておこうとしたのだという

そして気づいたら倒れていたらしい
倒れる瞬間のことは覚えていない
目の前に自転車の車輪があり
起き上がろうとしても手足が砂利に取られて
「まるであり地獄のように」動けなかったという

幸いタクシーの運転手さんが
外に停めたタクシーまで母サマが出て来ないので
家まで迎えにきてくれて
自転車脇で倒れている母サマを発見し
抱き起こして車に乗せてくれたのであった

そしてそのまま予定の病院へ行き
定例の整形外科検査(圧迫骨折の治療)ではなく
脳梗塞などの徴候が無いか
時間をかけて診てもらったのだという
そしてそういう問題は見られないということで
帰ってきたのだが
その後また台所で転んだらしい

さらに話を聞くと食事をちゃんと摂っていなかったらしい
家にはお菓子以外に食べるものがないと言う
もともと買いに出るのは無理であったが
今はまた転んでしまいそうで
恐くてベッドから動くことすらできないのだと

恐らく空腹による貧血であろう
水分補給も食物補給も自覚がなかったりするから
意識して飲み食いしようと思わないと
気づかないうちにかなり危険な状態になってしまうのだ
とにかく何か食べさせなければ…

ワタシは取りあえず実家へ行くことにした
  
ということで約1時間半後
母サマはワタシが買って行った弁当を
あっと言う間にたいらげていたのであった

「食べ始めるとお腹が空いていたのが分かるねぇ。」

そうでしょうそうでしょう…
ちゃんと食べなきゃダメでしょが…

単なる貧血だったとしても
もしあの時タクシーの運転手さんが来てくれなかったら
母サマは炎天下で一日中そこでもがいていたことになる
そうしたら恐らく熱中症にかかり
今頃大変な騒ぎになっていても不思議ではなかったのだ
考えるだに恐ろしい…

さすがに今日お風呂に入るのは恐いと言うので
タオルを濡らして渡すと
顔と手と足を自分で拭いて

「あぁ、さっぱりするねぇ」

と言っていた

母サマはワタシと弟クンとに電話したので
今日ばかりは弟クンも定時で帰ってきた
そりゃ焦ったことでありましょう

今日風呂掃除と洗濯干しをやってしまったけど
明日も様子を見に行こうと思う



2013年8月18日日曜日

「な〜こはモンちゃんの主治医になる!」

「モンにゃんは佐藤可士和って知ってる?」

一緒に「風立ちぬ」を見た日の夜
な〜こがそう聞いてきた

「さとうかしわ?? 聞いたことないねぇ。有名な人なの?」
  
「ユニクロのロゴ・デザインとか色々やってる有名人だよ。覚えておいた方が良いかもよ〜。ええっと、ほらこれ。」

な〜こはすぐタブレットでネット検索して見せてくれる
ほぉ最近話題になった「ヤン坊マー坊天気予報」終了も
佐藤可士和によるヤンマーのブランドイメージ戦略から
出てきたものなのかぁ…と感心しながら記事を読む

「この間テレビ見てたら、その佐藤可士和がデザインで会社の業績を延ばすっていう話をやってて、そこでね、自分は“企業の主治医”になるみたいなことを言ってたの。企業がああしたいこうしたいっていうのを手伝うんじゃなくて、この企業は何が足りないとかどこに問題があるとか考えた上で、一番良い手を打っていくみたいな感じ。」

「ふ〜ん、それなら企業から引っ張りだこになるだろうね。」

「それでね、な〜こはモンにゃんの“主治医”だ!って思った。」

「え…、今までの佐藤可士和の話の結論はそこ?」

 「そうだよ。モンにゃんがやりたいことを手伝うだけじゃなくて、気づいてないけどこうしたらもっと良くなるってことをやってあげる。なは〜ん(野菜たっぷりの手作りご飯)もその一つ。」

「いつそう思ったの?今日?」

「違うよ。その番組見た時そう思ったんだよ。」

「…な〜こは…ええ子だねぇ…。」

「風立ちぬ」の余韻もあって
ワタシはちょっとウルウルしてしまった

そんなな〜こは今旅行中で
今週末まで会えないのである
メールのやり取りもできないから
寂しい

今日は調子が今イチで昼寝をした
そうしたらな〜こと手をつないで
森の小道を歩いている夢を見たのだった



2013年8月17日土曜日


正直なところ“まだ”良く分からない

「天空の城ラピュタ」や

「ルパン三世カリオストロの城」みたいに
分かりやすくハラハラドキドキなストーリーではないし
「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」のように
強烈なキャラクターや
パワフルな場面に圧倒されるわけでもない

ファンタジックでもないけれど

リアリスティックと言うわけでもない
つかみ所が今ひとつ無いようでいて
だからと言ってつまらないわけではなく
何回も見たくなる要素が
あちこちに散りばめられている

でも思い返せば宮崎映画は

ワタシ的には“ジワジワ来る”ことの方が多かった

第一印象で言えば

「となりのトトロ」も「魔女の宅急便」も
あまりに淡々としていて
ラストのエピソードに盛り上がりが欠けていたし
「風邪の谷のナウシカ」は逆に
ラストがちょっとご都合主義的な気がした
「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」も
物語世界の異界性に比べ
ラストのカタルシスが足りなかった

でも最初気になるそうしたストーリー性の弱さは

何回も見ているうちに大した問題では無くなっていく…
というか
そういう終り方が相応しいように思えて来るのである
  
そうやって作品全体への思い入れや愛おしさは
次第に大きくなっていくというのが
ワタシの中の宮崎アニメ的な特徴だった気がするのだ
そもそもがたくさんの伏線を張り巡らして
ラストで全てを回収して観客を唸らせるという
そういう類の作風では無いのだし…

関東大震災の描写は明らかに

“「崖の上のポニョ」以降”を思わせる大胆なものだったし
田園風景や昭和初期の街並など
俯瞰が多用される絵の美しさは抜群で
それがまた時代の大きな流れを感じさせてくれた

アニメーション的にも

群衆の複雑な動きや飛行機の優雅な動き
主人公達の細やかで美しい所作も素晴らしかった

ここで味わうべきはたぶん

そうした作画や動きの美しさと実直さにも繋がる
“死ななかった人”あるいは“生き残った人”の
悩みつつ苦しみつつそれでも前を向いて
ひたむきに歩く姿なんじゃないかと思う
それも死者への思いをメインに描くのではなく
とにかく何があっても“今この時”を歩み続けた人々の姿だ

震災でも死者は描かれない

ただ思い思いに歩き続ける群衆が描かれるだけだ
戦闘機の残骸は描かれても死んだ兵士は描かれない
美しかった菜穂子は描かれても
衰弱しやがて死んでしまう菜穂子は描かれない

堀越次郎は見方によっては

エゴイスティックで人の気持ちがわからない
仕事中心の技術者に映る
でもそこに描かれる時代背景の暗い影を思うと
どうにもならない閉塞的な状況の中で
一生懸命生きる次郎の姿が浮かび上がって来る

彼はまるで関心が無いかのように

親友である本城のイデオロギー的な言葉を受け流す
彼は信念も主義主張も持たずに
自身の技術と夢だけで
時代に向き合って生きようとしているかのように見える

菜穂子は生きる望みの無い結核を患っている

次郎は一見菜穂子とは逆で
心身ともに充実し才能にも溢れチャンスにも恵まれ
夢に向かって迷い無く突き進んでいるように見える
でも実は彼も淡々とした振舞いの中で
不器用に時代と戦っていたのではないか

だから“今この時”を生きるしかない菜穂子は

彼にとって大事な大事な存在だったのではないか
だから全てを失ってしまった次郎の心を
癒すことができたのは
菜穂子だけだったのではないか
  
恐らく次郎と菜穂子も
菜穂子の死を覚悟していたのであろう
二人は結婚して共に暮らすこと
つまり“今を生きる”ことを選んだのだと思うのだ
だから二人が触れ合う場面は
悲しく美しく愛おしい
  
手を握り合うこと
軽くキスをすること
ぎゅっと抱きしめ合うこと
相手の懐に潜り込もうと身を寄せること
どれもが心に響く

そして露骨な“泣かせる場面”は排してあるから

どこで号泣というわけではないんだけど
逆に言えば全編に渡って
ずっと涙腺がジワジワと刺激されている感じ
これは何なんだろうと思ってしまう
  
いずれにしても
まだ観足りないということだろうな
感想も印象もまだまだ変わっていくことであろう
  
結婚式から初夜に至る場面と
菜穂子が疲れて眠ってしまった次郎に寄添う場面
良かったなぁ

  

「パシフィック・リム」を観た!

 
太平洋の深海から突如次々とKaiju(怪獣)が出現し
環太平洋(Pacific Rim)連合軍が
巨大ロボット(人型巨大兵器)Yeagerで
その脅威から人類を守ろうとするというお話

ストーリーに捻りがないとか
人物描写に深みがないとか
Kaijuに神々しさや重量感が足らないとか
指摘することはできるけど
それをこの映画に求めるのは筋違いだと
切って捨てることもできるくらい
怪獣対ロボットのバトルが凄かったのであった

東宝怪獣映画のプロレスもどきなどつき合いでもなく
(初期)大映怪獣映画の生物同士の殺し合いでもなく
人と獣の肉弾戦という感じなのである

この「怪獣(巨大生物)同士の戦い」は
日本怪獣映画の一つの行き詰まり点だったと思う
平成怪獣映画はゴジラもガメラも
どう戦わせるかの術を失って
結局飛び道具(光線とか熱線とか火球とか)の
撃ち合いになってしまった

「ガメラ3」では確かに最終決戦において
肉弾戦の様相を呈してはいたが
最後の一撃の印象が強い割に
実際にはイリスとほとんど絡み合っていないし

こうした“巨大生物(ロボット)同士の戦い”を
しっかりと迫力満点に見せてくれたことだけ見ても
この映画の意義は高いと言えるだろう

さらに今までの限界を突破してみせたのが

イェーガー“ジプシー・デンジャー”搭載のプラズマ砲
そして対するKaijuの電磁パルスや酸だ

「Godzilla」や「Cloverfield」の怪獣(Clover)に
どうしても火炎や放射能熱線を
吐かせることができなかったハリウッドが
ついにこうした攻撃をKaijuに許したことは
大きなことに思えるのである

こうしてKaijuはさらに怪獣らしくなり
バトルにも広がりが生まれた

右脳と左脳を別々に担当して

二人が互いとマシンにシンクロするという
「エヴァ」っぽい設定を敷いている割に
実際の戦闘では二人がタイミングを合わせて
「よいしょ、よいしょ」って感じで歩いて
「せーの!」って感じでパンチを打つのも
鉄の塊的なちょっとアナクロな外観にマッチして
返って“肉弾戦”ぽい感じを醸し出していた

日本の怪獣映画が
妙に理屈っぽくなってしまったり
新鮮味の無いメッセージにすがってしまったりして
失ってしまったワクワク感が
ここには確かにあると
思ったのでありました

2013年8月16日金曜日

20数年来の旧友との語らい

昨日は二十数年来の旧友と久しぶりに飲んだ

2008年に倒れる直前の夏に飲んで
2010年の退職する直前に飲んで
なんと気づけば3年ぶりなのだった

いやぁ2年ぶりだと思っていたんだけど
3年ぶりだったんだなぁ

2012年のDesign Festaには
わざわざ埼玉から駆けつけてくれたけれど
その時は初参戦だったこともあって
落ち着いて話をする時間も余裕もなかった

飲み屋〜喫茶店でトータル4時間
お互いよくしゃべったのである

教員になって最初の赴任校で同期であった
一緒の職場だったのは4年だけだけど
その後も色々“仕事”をした間柄である

わたしが思いつくままに何か話すと
彼が論理的にまとめたり
ワタシが気づかなかった価値を見つけてくれたりと
“希望”とか“夢”とかいった
何か先にある面白そうなことを見せてくれるのも
いつものことである

かと言って難しい話になるでもなく
カウンセリングをし合っているような堅苦しさもない
何より愚痴の言い合いにはならないのが
飲んでいても話していても気持ち良いのである

楽しかったなぁ
今度は温泉にでも言って
だらだら話をしたいものだなぁ

2013年8月14日水曜日

実家で家族会議

昨日定例の実家手伝いに行ったら
お盆休みということで弟クンがいたのだった

そこで…
ここを逃したらいかんとばかりに切り出した

「お父さんのことだけど…これだけは決めておきたいんだけど…。もしもの時に、病院からこの家に運んでもらうのか、安置施設に運んでもらうのかってこと。
  
現実問題として、お母さんが介護ベッドで寝ているこの部屋に一緒に寝かせるって言うのは、スペース的に無理だと思うんだよ。お母さんが夜中にトイレに行く時なんかに、お父さんを踏んづけるか、お父さんの上に倒れ込んじゃうかもしれないし。
  
それに近所の人や近くの親戚の人が来るとなると、部屋や廊下を占領している荷物を片付けないとだけど、二階に上がれないお母さんの荷物は一階に置いておくしかないから、片付けると言っても結局今とあまり変わらないだろうし。
   
それからカーテンや障子や畳が痛んでいたりするのだって、この状態じゃきれいにする余裕はないから、来た人の目に入っちゃうし。それはイヤなんでしょ?
  
だから…確かにそりゃ可哀想だとは思うけど、家に連れ帰るのは無理だと思うんだよ。」

母サマも弟クンも
自宅には帰してやりたいと思いつつ
この雑然とした部屋に他人が入るのはイヤで
でも片付けようという意欲もアイデアもないようだったから
話がまとまるのかちょっと不安であった

しかし結局それなりに方向性が出たのである

それは
葬儀社にお願いして
当日から安置所に行くことを基本としながら
家に“立ち寄る”というかたちで
1時間でもいいから
この部屋に寝かせてあげられないか
というものであった

“立ち寄る”だけだから
安置の枕飾りもせず人も入れない
あくまで安置場所は施設という考え方である

これなら家の中が雑然としたままでも大丈夫だし
母サマが寝る場所をどうするという問題も生じない

そこでワタシが葬儀社を選んで連絡し
そうした段取りが可能かを確認することになった
やってくれるでしょうきっと

そんな話ができて見通しがついたことは
予想外に非常に大きな収穫であった
  
お盆だからご先祖様が
そういう家族会議の機会を
セッティングしてくれたのかもしれないなぁ



2013年8月12日月曜日

胃がワタシを救っているのか?

昼ご飯を食べたら
頭痛が大分和らいだのであった
ありがたいことである

頭痛にしろ吐気にしろ
食欲が落ちたことは無いのである
つまりそれはどちらも
首から上の問題だということである

偏頭痛の要因には諸説あるし
実際色々な原因が複合的に合わさっているんだろうけど
その一つに
ストレスが神経伝達物質セロトニンに影響し
偏頭痛をもたらす血管の収縮・拡張をもたらすという
「セロトニン説」がある

つまりストレスから頭痛になることは考えられるのだ

さてそこから先のことなんだけど
食事をすると頭痛が改善されるのはなぜだろうと
自分なりに考えてみた

一つはたぶんワタシは胃がもの凄く強いんだと思う
胃はきっとワタシ的に非常に安定した器官なのである
ここが規則正しく動き出すことで
カラダ全体の自律神経が調整されるんじゃないだろうか

さらに言えば
消化を始めると胃に血液が集まる
逆に言えば脳の血流が減ることになる
つまり血管の収縮・拡張による炎症の度合いが
自動的に抑えられることになるのかもしれない

もちろんあくまで“かもしれない”でしかないんだけど
そうやって自分なりに体験的に納得すると
ワケの分からない頭痛に対しても
アタフタしたりオドオドしたりせずに済む
少しはね

というとアレだな
胃が壊れた時こそ危ないな…ワタシは…
いざと言う時に力を発揮してくれるように
普段は胃に負担をかけないようにいたわってあげねば

2013年8月11日日曜日

2013「雲の巣」


眼下に雲の密集地帯が見える
ここは「雲の巣」と呼ばれる場所



2013年8月10日土曜日

10年前ごとにずっと振り返ってみる

2013年の今から10年ごとに昔を振り返ってみた

2003年には今のCG制作なんて
自分の世界の中にカケラも存在しなかった
それが自費出版で画集出しちゃうなんてねぇ…

プログレ関係でブログを書いているけど
プログレにそこまで入れ籠んでいるわけでもなかったし
そもそも文章をこれほど書くこと自体
考えてもみないことであった

もちろん教員を辞めているっていうのも想定外である

1993年には2003年に
ボランティア活動の担当になっているなんて
夢にも思っていなかった
授業でボランティア”なんて話を聞いただけで
強烈な違和感と嫌悪感を持ったはずである

それが一人で体験ボランティア受入れ機関を開拓し
1学年150人が一斉に体験に出る
「ボランティア・デー」を計画・実行したんだから
まったく不思議極まりない
逆に言えば最もありえない世界に入っていったんだから
自分的にとても貴重な体験だったと思う

さらに遡って1983年にはまだ大学生だ(浪人したし)
その頃1993年にパソコン(Mac)の本を出すなんて
あり得ないも甚だしいことであった
だってパソコンなんて触ったことも無かったし
Macなんて存在そのものを知らなかったし
本を出すなんて違う世界の人のことだと思っていたから

もっと遡って1973年は中学生
1983年に英語の教師になるべく
大学で学んでいたというのも想像できなかったろう
まぁこのあたりになると
10年後が想像できないことは当たり前だけども
  
と振り返ってみたところ
結構10年後に何をやっているかわからない人生なのである
これはその場その場ではしんどかったりもするが
それでも中々面白いことである

この分で行くと
2023年にはまたまた
今とはかなり違う世界を体験しているのかもしれない

やっぱりウクレレ・ミュージシャンか?
いやいや想定内じゃないところへ行くんだから
それはないだろうな