2011年5月30日月曜日

「GREEN YELLキャンペーン」参加するのだ

Akiba Art Gallery関連の事業として
この夏約2ヶ月にわたって
複数のホテルグリーンプラザで展開予定の
「(仮)GREEN YELLキャンペーン」というイベントに
参加することにしたのだ
  
2週間ごとに15カ所にものぼるホテルで
キャンペーンの主旨にあった絵画の
展示販売会をするというものである

展示販売する絵画ははがきサイズ
一人一点のはがきサイズの原画と
それをプリントしたはがき200枚を用意する
わたしの場合は両者の区別は基本的にないから
作成はすべて自宅で可能だ

参加費5,000円に加えはがき印刷200枚超となると
かなりの出費とまたまたプリンター大活躍となるわけだけど
それはいいのだ
少しでもわたしの絵を
見ていただけるチャンスが増えるのだから

問題は募集作品の「テーマ」である
  
「楽しく・笑顔で・元気よく・自然と触れ合い森で遊ぼう」

どうですこれ?
なんと健康的で屈託のないテーマだろう
わたしの絵のどれかにわずかにでもカスルだろうか?
申し込んだはいいものの
ちょっと考えてしまったのだ

これでは今までの作品から選ぶのは難しいか…
テーマに近いものを描き起こさねばならないか…

作品発送は6月26日が締め切り
まだ先じゃんと思っていたら
もう明後日から6月ではないですか…

ちょっと気合いを入れないといけないな

  

2011年5月26日木曜日

横浜裏道の旅

昨日の横浜ぶらり旅は
意識して風景や空気を感じながら
ゆっくりと歩くようにしてみた

もともと目的地などないに等しいから
そうやって感覚に身を任せて
行ってみたいと思った道に入って行った
もちろん大まかな場所や向っている方向は
自分なりに押さえているつもりではあるけど

とは言え見逃すわけにはいかないのが
毎回訪れる競馬場跡廃墟である
  
うっそうと木々が茂り
大きな起伏が雄大な景観を作っている根岸公園を抜けていく


時はすでに夕方
日も落ちかけてそれが木々の陰影を濃くしたり
枝葉からの幻想的な木もれ日を作り出したりしていた
あちこちで見かけたヤマボウシも美しかった

 

そしてお目当ての廃墟へ
日はかなり傾き夕陽に照らされた緑が美しい


廃墟はいつものようにそこにあった
でもいつもちょっとずつ違う表情を見せてくれる


今回は新緑のツタがとても印象的で
ちょっと大袈裟に言えば
「生と死」あるいは「死と再生」みたいな
どこか奥深いものを見せてもらった気がした


公園と廃墟を後にし
またふらふらと裏道を通りながらみなとみらい方面を目指す
  

あたりは大分暗くなってきたのに応じて
見知らぬ土地の夜に備えての
危険察知機能が活動開始し始める
あたりが暗くなるほどに
入って良い場所や道を意識する

とか言いながらラブホテル街を見つけて
ここは派手だなぁとか思いつつわざわざ通り抜けてみる


なんだか別世界にようこそ!みたいな華やかさだ
やっぱりラブホテルって
柴草玲の「ホテルおぎくぼ」のように
ちょっと薄暗くてさびれていた方がいいよなとか思った
ちなみに場所は石川町駅近く
さらに歩く

横浜の夜は初めてかな
少なくとも裏道は初めてだ
結構危険だと言われる関内周辺も通る
確かにメインストリートを外れるといきなり暗くなる


そしてメデタク桜木町の駅へ到着
みなとみらい地区の巨大ビル群が美しい
さすがにここまで来ると警戒態勢も緩む
  

見知らぬ街の夜を歩くのは魅力的である
カラダがピリピリと緊張するのも
眠っていた野生の感覚が刺激されるようで面白い

また横浜の知らない面を発見してしまった
次はどんな表情を見せてくれるか楽しみである

  

2011年5月25日水曜日

たまたま寄ったお店が「唐桃軒」

今日は午後になってから思い立って
また横浜に行ってきたのだ
なぜか本当に飽きない街である
自然豊かで家々が個性的な山の手から
夜の関内周辺まで
気の向くままの一人旅である

その全貌はまたあらためてご報告したいが
今日のところは一つだけのご紹介である


旅の終わり近くに
腹ごなしのために立ち寄ったラーメン店は
「唐桃軒」という名前の有名店であった…らしい

カウンター席しかない小さい店だけど
“石塚英彦(「まいう〜」のヒトですね)が座った席”などと
席ごとに有名人のスナップ写真が貼付けてある
ちなみにわたしがたまたま座ったのは
“本上まなみが座った席”であった…

頼んだのはお勧めのチャーシューメン900円也
味は昔ながらの素朴なラーメンって感じだったが
さすがにでっかいチャーシューが美味しかった


グルメ案内を片手に狙って行くっていうより
こうやってふらっと入って
ちょっと面白い思いをするっていうのが
ちょうどいい感じのお店じゃないかな

もう「激戦区横浜で一番はどこ?」みたいな
食べ物で大騒ぎするの止めようよ
ちょっと幸せになれればいいじゃん
ていうのが率直な感想ですが
ダメでしょうか
  
  

2011年5月23日月曜日

“絆”はすでに流行語か…ゲンナリ

東関東大震災を受けて
救援・復興支援活動の中で使われ始めた言葉
それが“絆(きずな)”

某政党のポスターにも
この一文字が入っているが
出所はそこなんだろうか

そんなことを思ったのは
先日の小学校&養護学校(特別支援校)の運動会のこと
小学校のテーマが「努力の結晶・絆を深めて大勝利」 であった
養護学校は表には出ていないが
応援プラカードなどに「絆」の文字が入っていた

子どもたちはこうした言葉に敏感である
教員も生徒と接する上でも敏感な上に
上からの無言のプレッシャーにも敏感である

“絆”か…

声高に叫ぶ言葉じゃない気がするんだけどなぁ
もっと個人的な関係の中で
わかる者同士が声に出さずに静かに実感する
みたいなものじゃないかと思う
公の場なり標語なりで使われれば使われるほど
言葉の重みがすり減っていくようである

でもまだまだこれから“流行語”化するんだろう
特に教育現場では好まれそうな言葉である
体育祭(運動会)に文化祭に各種発表会などなど
どこにでも“絆”という言葉は使えるからなぁ

そしてこういう言葉を使わされる違和感ていうのも
意外と子どもたちは敏感なのかもしれない
なんというか感嘆にすぐ使っちゃう薄っぺらさというか
“思いやりを大事に”とか“力を合わせて”みたいな
疑いや反抗の余地のない“絶対善”的な息苦しさというか

そんなこと考えているのわたしぐらいであろうか
だいたいが“絆”を結ぼうとか尊ぼうとか
全く思っていないからなぁ

しばらくはこの流行語化した“絆”という言葉が
巷に流れ続けて
その落ち着かなさに
耐えねばならぬ日が続くのかなぁ
  
  

2011年5月20日金曜日

「media skin」携帯

今愛用している携帯は
au Design Projectという
asの中でも特にデザインに力を注いだシリーズの中の
「media skin」という機種だ
2007年からかれこれ4年使い続けていることになる
 
二つ折りがあまり好きではなく
ストレートタイプでも
基本的に尻ポケットに入れるので
大きくかさばるのはイヤ
そんな気持ちで機種変更を考えていた当時
スライド・タイプと迷った末に決めたのが
この「media skin」だった

正直ボタンが小さいので打ちにくい
それ以前の機種に比べて指が疲れた
わたしは携帯でも結構長文を打つことがあるので
左でで持ってボタンを操作する親指の関節が痛くなる

でもデザイン・大きさ・感触が最高なのだ
それは小さいが故の使い勝手の悪さ凌駕する
そのあたりのこだわりはアップルに似ているかも
アップルのノートって
手をキーボードに置いたときのホームポジションから見て
トラックパッドは常に本体中央なのだ
ホームポジションから考えれば若干左に寄るはずなのにだ
  
実際他社のマシンではホームポジションに合わせて
パッド部分を左にずらしてあるものもあるけれど
そこはかたくなに一度としてこの中央配置を変えたことがない
まさに使い勝手を越えた美しいデザインを重視する姿勢
そしてモノへの愛着度重視な姿勢は共通する気がする

そして「media skin」の話に戻ると
この液晶がまた素晴らしいのである
4年使い続けても美しさは変わらない

実際は色彩的にも視野角にほとんど左右されないスグレもの液晶なのだ

そしてこの視野角の広さ
逆に人に見られ易いという弱点にもなるけれど
自分的には角度を気にせず画面が見られるのが便利なのだ

この「media skin」が
来年7月で使えなくなるという内容の通知が
au(KDDI)から2度ほど届いた
通信方式が変わるためだという

1度目には機種変更各安機種が掲載されていた
2度目には無料機種変更機種も掲載されていた
でも「media skin」に匹敵する
魅力ある携帯
つまり美しいデザイン・ストレートタイプ・小型という
わたしの要望を満たす機種はなかった

かと言ってiTouchで満足しちゃっているわたしは
スマートフォンには魅力を感じないしなぁ
まだ引き続き届くであろう通知を待って
来年7月まで検討し続けることになるんだろうなぁ

ちなみになぜ二つ折りが嫌いかというと
あのパカッと開いたときのムダな大きさと
液晶周囲の煮え切らない感じの余白が
デザイン的に“持ちたくなる魅力”を
感じさせてくれないのである

わたしって結構偏っているんだろうかしら…

  

2011年5月19日木曜日

針が動き出すと「生まれた!」って感じがするんです

一番の目的だった「柱時計風ウォッチ」も完成し
次にちょっと考えていた時計の部品を
眺めたり磨いたり汚したりしながら
アイデアを練っていたときのこと

「門さん、もうけっこうたくさん時計作られてますよね?」

と講師の方が話しかけてきた

「そうですね。最初の技術確認用の一本を含めるともう10本目になりますね〜。」

昨年11月くらいからだから
かなりのハイペースで作っている感じだ
もちろん作りたくて作っているので
“マイペース”ではあるのだが…

「売られたりとかしないんですか?」

「最初は売ろうかな、どこでどうやったら売れるかなとか考えて、オークションに出してみたりもしたんですけど、最近ちょっと気持ちが変わってきまして。やっぱり売り物だと、最初の完成度やアフターケアとかをきちんとさせないといけないですよね。でも一本一本好きに作るっていう楽しみはなくなりそうですよね。それはイヤなんですね。」

「それはありますよね〜。でも完成度を上げていって、その好きに作った時計を『世界で一本』という“一点物”ということで売りに出すっていうのも、いいかもしれませんね。」

「それができたらうれしいですね〜。でも今は、あの針乗せで秒針が最後に乗ってコチコチと動き出した時に『(新しい命が)生まれた!』って感じがするのが好きなんですよね〜。」
  
「おぉ〜、何だか雑誌のインタビューでコメントもらっている見たいですね〜(笑)」

午後3時半から5時半の時間は
その日の最終コマなので
何となく最後はちょっと開放的な感じになる

昨日は珍しく講師の方から
そんな雑談話を振ってきてくれたので
さすがにこれだけ通っていることもあって
ちょっと親近感を持ってくれているようで嬉しかった

そのお礼という訳ではないんだけど
たまたまわたしの座っていた席の脇に
隠すようにしておいてあったiPadをみつけたのだ
  
買っては見たもののネットの設定をしてもつながらなくて
とおっしゃる講師の方の前で
iTouchで覚えた付け焼き刃の設定を試したら
なんとネットに繋がったのだった

もしかしてまた親近感増したかも〜
  
いろいろ習い事に手を出してきたけれど
今一番のんびりできる場所かもしれない
  

「お互い死ななくてよかったですよ」

前々任校は新設校で
わたしは開校一年前から準備室勤務に入った
その時点で10名を越える体勢になったのだが
さらにその半年前から
先発隊のようにして数名が開校の準備を始めていた

その一番大変だった時期から
開校2年目までご一緒した方からお電話をいただいた
“同僚”とは言うものの年齢的には上であったし
何より仕事の上でもお人柄の上でも
わたしにとっては“大先輩”な方である

しかし開校2年目に体調を崩され
卒業生を出さずして他校へ異動されたのだった

最後はお休みも多めで傍から見ていても辛そうで
やはり開校前後の過酷な業務で
心身ともに疲れ果ててしまわれたんじゃないかと思っていた

その方から今日電話をいただいた
久しぶりにその頃の何人かが集まるので
ご一緒に飲みましょうというお誘いであった
  
近況報告として
わたしが昨年9月で退職したことや
そこに至る経緯や今の生活などをお話すると
ご存じなかったこともあって最初はびっくりされていたが
次第にいろいろ共感し合いながらの長話となったのだった

実はその方も異動される前は
心身ともにかなり厳しい状況だったようで
医者からは狭心症の症状が出ていて
このままでは過労死すると
言われていたのだという
そこで 
  
「自分のできることをし尽くしたんだ」 
  
と自分に言い聞かせることにして
道半ばでの異動を自分から管理職に申し出たのだそうだ

その後夜間定時制に移られお身体も回復されて
今は体調管理に注意しつつ
元気にお仕事をされているようである
でも「主管」(管理職)への誘いは断り続けているという
その気持ちは非常に良くわかる
生徒から離れると働く喜びがなくなってしまうのは
わたしも同じだったから

その方は現職に踏みとどまった
わたしは職を辞した
今いる場所は異なっているけれど
やっぱり同じような苦境を体験した
“戦友”みたいな感じがした
  
残念ながら今回のお誘いは辞退した
子どもの運動会の日だったので
その後かなりボロボロになっている可能性があると思ったし
まだあの頃を懐かしみながら
ワイワイと騒げるほど体調が安定していないからだ

でも懐かしいあの頃の同僚に会いたいという気持ちはある
それはとてもありがたいことだ
そして次に会える機会がやってきたら
「教員は辞めましたけど、今はこんなことやっているんですよ。」

って言えるようになっていたいものだ

「お互い死ななくて良かったですよ。そう思いましょうよ。」

その方の言葉には優しさと重みがあった
  
  

2011年5月18日水曜日

メイラックス小分け中止

朝一で診察券を出してきて
家に戻って洗濯干しをし
子どもを送り出して8時半ぐらい
そこから一気に今日の検診用メモを書いた
もう大きな変化はないから
メモを書いていくこともないかなと思っていたのだ

しかしやっぱり書いてみるものである
前回の検診からの心身の状態と
あれば質問・要望などを記録しておくのだが
書き出して思ったのだ

そうだ…メイラックスの件を言わなきゃ…

やっぱり覚えていようと思っても落とすのである
ましては時間は限られているし
ジェロ先生は話を引き出すタイプではないし

ということで予定通りメイラックスの話を忘れずにできた

「1/2錠に小分けしていただいたんですが、どうも半分の量だと思うと気軽に飲んでしまって、結局服薬量も増えてしまったし、そのわりに効いたという実感も以前ほどではなかったので、また1錠ごとに戻していただけますでしょうか…」
  
「あぁ〜そうですか。うんうん、門さんらしいですねぇ。わかりました、じゃあ1錠に戻しましょう。」

メイラックスはあっさり小分けから通常の量に戻った

それはそれで希望が叶ってよかったんだけど
ちょっとひっかかったのが「門さんらしいですねぇ。」という
指摘というかつぶやきのような一言

わたしらしい?どの部分がそうなんだろう?
書類のお願いなども控えていて
一瞬気になったのだが
聞き返すこともなく流してしまったので
ジェロ先生の真意はわからないのだ

自分で“人体実験”して服薬について意見をするところかしら
自分でなんとかコントロールしようとすることも含めて…
それともガーっと飲んでガーっと効くのが好きなところかしら
それは性格が見破られているってことか?

なぞだ
しかし次回に「あの時のあの言葉はどういう意味なんですか?」
とも今さら聞くことは無理だろう
被害妄想的な面が出てきたかとか思われたらイヤだし

まあいいのだ
今度は再びメイラックス1錠で
どれだけ3週間を安定して乗り切れるかの実験である

ちなみにウクレレバンドがちょっとストレスな話もした
でも一種の“社会復帰訓練”だと思って
がんばってみるつもりだということも伝えた

ジェロ先生からは基本的にわたしの考え方で良いと言われた
ただしキツくなってきたら無理しないということを
忘れないでおくべき案件であるとも言われた
そうだね〜確かに
せっかく楽しかったことが
楽しくなくなったら元も子もないんだし
  
一応“反撃”してから様子を見ることにしよう
  
  

マイウォッチ10号完成!

今日の幕張時計教室で
通い始めて10本目となる
「柱時計風ウォッチ」が完成した〜!

八角形というまさに柱時計風なボディは
八角形というデザイン自体も目を引くが
幅2.5cmという小振りなサイズなのに
大きさ以上に存在感がある
それは腕に付けた時に
取手を支えに本体がちょと
中に浮いたような感じになるからなのだ

文字盤とガワがうまく溶け込んだでくれた

文字盤のレトロ感といいグレーのバンドの風合いといい
ガワのアンティークさといい
満足度の非常に高い一本となった
  
1.4cmのバンドは「鼠」色で、ループだけ「チョコレート」色にしてみた

針をシンプルなものにしたのも正解だったかな
細かいところではやっぱりいろいろ難点はあるんだけど
当初の“アンティークな柱時計風”っていうイメージが
最後まで保てたのも良かった
うれしい!これ本当にイイかも
(自画自賛が好きな“半世紀男”ですから…)

小さいながら「柱時計」風なので文字盤の視認性は高い
  
  

メイラックス対策

今日は定期検診&幕張時計作りの日
頓服用メイラックスが最後に切れて
ちょっと辛い日があったので
今日また新たに薬が手に入るのはありがたい

前回1/2錠に分けてもらったら
逆に気軽に飲んじゃうんですねこれが
頓服に1錠だと

「普段の倍の量になるのか…」

って慎重になるが
1/2錠だとお気軽感が増すし効果も薄いような印象がある
量の問題だけではなく思い込みもある気がするが…

だからって1/2錠を2つ(つまり1錠分)飲もうとは
なかなか思えないから
1錠に戻して“重み”も戻してもらうか
このまま1/2錠に慣れていくべきか
微妙なところだ

やっぱり安心感もあるから
1錠を2週間分もらうっていうのがいいかも
前回以前はそうしていたのだが
逆にその方が頓服量は少なかったし

ここぞという時に
ガンって効いてくれた方がいいんだろうな
よし今日はその線で交渉である
  
  

2011年5月16日月曜日

とあるマダムからのメール

Youtubeへの音楽作品の投稿にお手伝いした方経由で
とある“マダム”(その方の表現です)から
CGについてメールをいただいた

“マダム”さんはわたしがお手伝いした方の
かつての生徒さんだそうで
メールでやり取りをしている中で
CGのことが話題になったようなのだ

そこでその方に間を取り持っていただいて…
直接ご丁寧なメールをいただくこととなった
そこには次のようなコメントが入っていたのだった

「サイトとブログを拝見させていただきました。Youtubeで拝見した作品とは、また違った雰囲気の作品もたくさんあって、とても楽しかったです。そして、作品の持つパワーに圧倒されました。『この絵の中に入ってその場の空気を吸ってみたい!』」と思う作品もありました。」

う〜ん素晴らしい
いろいろややこしいことを考えずに
素直にわたしのCGの世界に入ってくれている感じがして
とてもうれしい

絵を描いている時には
そこには意図も意味も象徴もないのだ

だから絵を“理解”しようとする人に
いろいろ聞かれてもわたしは困惑するだけなのだ
この建物はなに?と問われてもわたしにもわからない
ここはどんなところ?と聞かれてもわたしにも答えられない
その世界をそのまま受け入れて
その中に入り込んで浸ってもらうしかないのだ
  
そして地上に降りてみたいとか
ワシのいるところから見下ろしてみたいとか
あの建物の向こう側をのぞいてみたいとか
あの光の下の水面すれすれを飛んでみたいとか
奇妙で雄大で不思議な世界を
そのまま楽しんでもらえるのが一番なのだ

それは絵を描きながら
わたし自身が行なっていることでもある
逆に言えばそういう衝動が湧くような世界を
いつも描こうとしているのだ 

「あっ!それと、ワシさんに妙に愛着がわいちゃって、見つけるたびに『あ、ここにいた!お、ここにも!』」って、つい嬉しくなりました。」

子どもみたいに
こうして楽しんでくれるのもいいなぁ

いろいろな楽しみ方で絵を見てもらえれば
それが一番である
実は“マダム”もそのことにも触れていて

「私は難しいことはよくわからないのですが、ただ思ったのは例えば、普通の風景画や人物画などだったら、見た人みんな、だいたい同じ感想を持つと思うのですが、これらの作品は、見た人それぞれが、いろんな感想を持つのではないかな、と思いました。なんというか、それだけ作品自体にとても『幅』があると感じます。」

もう感無量である…

「CRAFT」クラフト

  
CRAFT」はイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループCRAFT(クラフト)唯一のアルバム。1970年代にThe Enid(エニド)に在籍していたキーボード奏者ウイリアム・ギルモアが中心になって、やはりThe Enidに参加していた経歴を持つベースのマーチン・ラッセルとともに結成したバンドで、内容は全曲インストゥルメンタルのシンフォニック・ロックだ。

1984年に発表されたものだが当時のプログレッシヴ・ロック・リバイバルとして出てきていたポンプロック的ジェネシス・クローンな音とも、Asiaのようなポップ化したプログレッシヴ・ロックとも異なる、70年代的雰囲気を持った音が特徴だ。

   William Gilmour:キーボード、カバーアート
   Grant Mckay Gilmour:ドラムス、パーカッション
   Martin Russell:ベース、キーボード

メンバーの担当楽器だけ見ると、EL&PやRefugeeのようなギターレスなキーボード・トリオということになるが、その音は全く異なる。まさにThe Enid直系な音である。

  
The Enidが1980年代に入って、ちょうど同時期に版権の関係から1970年代の初期作品の再録を行なうのだが、好き嫌いは別としてその音は、より洗練されより豪華に雄大になり、曲の尺も平均して長くなった。同時に1970年代のオリジナル・アルバムに感じられたアコースティックな感覚が持つ魅力が薄れてしまっていた。

アコースティックな感覚とは例えばアナログ・シンセの音だったり、打楽器やフルート、トランペット、オーボエといった生の楽器だったり、デジタル・プログラミングのない時代に、少ない音でいかに情感豊かな世界を描こうとしているかという努力や工夫や、思い入れの強さだったりするのだが、このCRAFTのアルバムはThe Enidの再録時の音に違和感を感じて、そうした1970年代の手作り感を取り戻そうとしているかのような音なのだ。

と言ってもThe Enidのクラシカルで複雑に入り組んだ楽曲とも違う。軽やかに、そして甘美に疾走するロック色の濃い音になっている。リズム隊が常にしっかりボトムをキープするため、The Enidの持つ異形さは薄れたが、シンフォニック・ロック的な部分がストレートに前面に出た感じであり、そういう意味ではThe Enidの音より聴き易くなったとも言える。
にも関わらずフュージョンやニュー・エイジ的な方向とも違う、イギリス然とした格調のようなものを保っているところが大きな魅力でもある。

各曲は決してテクニカルな演奏に傾くことなく、クラシカルに優雅に、そしてダイナミックに進んでいく。そしてここぞというところでエモーショナルなギターソロが入るのだ、ギタリストはいないのに。

アルバムのインナースリーブに書かれた説明によると、そのギターソロにあたる演奏は実はいわゆる普通の「ギター」によるものではなく、「ベースギター」の音にカスタム・ペダルによるエフェクター処理をかけることで、「ギター」の音を作り出しているとのこと。ベースで魅いたソロなのでテクニカルさとは無縁な大きく包み込むような叙情性が、曲調ととてもマッチしていて感動的ですらある。

1980年代的な軽やかさを取込みつつも、1970年代への強い思いが込められている点では、昨今のヴィンテージ楽器を多用した70年代回帰型バンドに近いとも言える。時代の流れの中では流行とは無縁なある意味“無謀”な音楽だったろうけれど、そこがThe Enidゆずりの大きな魅力でもあるのだ。

The Enidが「Journey's End」で2010年に復活し、ウイリアム・ギルモアも音楽学校で教鞭をとりつつSecret GreenというThe Enid的なバンドを立ち上げている。ぜひ再評価したい傑作アルバムである。
  
  

2011年5月14日土曜日

新作CG「Another Blue World」

 ブルーワールドにも
様々な場所と様々な景色がある
ここにはなぜか
昔行ったことがあるような気がするのだ

デジャ・ビュというより
DANの記憶みたいな感じがする
 その先には何が見えるのだろう
  

何はなくともまずマネトロン

取りあえずBloggerが復活した
お知らせ欄で“Blogger is Back!”なんて叫んでいる
  
消されてしまった(removed)5/13日金曜日の投稿も
ここ数時間のうちに復活(restored)されるようである
じゃあまだ「やったぜ!」みたいに騒ぐなよって感じですが…

その5/13日にiTouchが届いたのであった
本当に何も知らないで衝動買いしちゃったんだなぁと
しみじみとそのありがたみを実感しているのが
スピーカー内蔵だということである

iPodはもちろんスピーカーを内蔵していない
だから何の期待も予想すらもしていたなかった
iPodと同じ感覚で音楽を再生したら
本体から曲が流れてきた時は本当にビックリしたのだ
この単体で音の鳴る便利さ

そこで思い出したのがManetron(マネトロン)である
外部スピーカーにつなげなくても
iTouch単体で鳴らせるのかと思ったら
俄然手に入れたくて仕方なくなった

マネトロンとはあのアナログ・サンプリング楽器
“メロトロン”をシミュレートした
オモチャのようなアプリケーションで
…と思っていたのだが
ダウンロード購入して使ってみたら面白いんですよこれが

Manetronを不思議そうにみつめるひつじくん

iPadの大型画面で鍵盤も大きければこれ使えるんじゃないか
っていうくらいスムーズなレスポンスとリアルなサウンド
そう言えば確かYoutubeでそんなデモ演奏見たなぁ
音は3種類で「ストリングス」と「チェロ」と「フルート」かな
モーターや巻き戻し音(mechanical sounds)まで設定可能という
超がつくほどのマニアックさが泣かせる

わたしの楽しみ方は
音楽を流しながらメロトロン・プレーヤーとして
そこに参加するというものである

昔っからのプログレ大好き人間なわたしは
プログレッシヴ・ロックのアルバムには事欠かない
そういった曲を流しながらマネトロンを重ねていく

「お〜、メロトロンに厚みが〜!」
  
みたいな

あるいは非プログレ系の曲にマネトロンを重ねる
すると

「お〜、シンフォニック〜!」

みたいな

こうして書いていると
様子が非常に子どもっぽい感じがするが
“半世紀男”だって子どもでもいいのである
取りあえず“プログレ風味”なブログですし
350円ですから

  

2011年5月11日水曜日

道向かいに保育園ができるらしい

わたしの住んでいる場所というのは
大通りから一本中に入った道沿いにある
クルマがショートカットしようとして
事故をおこしがちな裏道だ
“準商業地域”と呼ばれる区域に属していて
幸い今周囲はマンションだらけの住宅街になっているが
昔は通りのはす向かいがお団子やさん(和菓子屋さん)だったし
ちょっと歩けば同じ道沿いにコンビニがあった時期もあった

つまりいつ突然道沿いに商店ができてもおかしくないのだ
そんな立地的にちょっと落ち着かない場所なのである

団子屋さんは6階建てのマンションになった
と思ったら今度は道の真向かいの家が
同じく6階建てのマンションになるらしい
幸い北側なので日照問題は起こらないのはありがたいが
何とその1階〜2階が「保育園」かそれに準ずるような
乳幼児を対象とした施設になるらしいのだ

先日建築にあたって近隣への説明ということで
建築担当者なのか行政関係者なのかわからないが
「子育て支援プロジェクト」の一環として
マンションの一部が使われる旨を説明しにきてくれた
でもそれが何なのかはまだ“明かして”くれなかった

上の子と下の子合わせて7年間
毎日子どもを駅前の保育園まで送って行ったわたしとしては
保育園にはなぜか愛着というか特別な思いがある
  
以前の学校で生徒のボランティア受入依頼に
近隣数十カ所の保育園に足を運んだことも大きい 
うるさくて自分勝手で乱暴だったりするけど
あのくらいの子どもはやっぱり可愛いし
それを見守る保育士さんや園長さんとも
ずいぶんとお話をしたものである
  
しかしわが家の向いに保育園か…
24時間のコンビニとかだったら嫌だなと思っていたが
保育園だとどういう影響があるんだろう
上の自閉くんは赤ちゃんの泣き声が嫌いだが
学校へ行っているから大丈夫だし…

お母様方が子ども送りついでに
入口付近で立ち話したりするんだろうか
しかしあの小さい子どもを持つ母親には
母性やら自信やら開き直りやら若さやらが混在して
むせ返るような独特な“濃厚さ”があるよなぁ
とか思い出してみたりして… 

2011年5月9日月曜日

U-Bassへのこだわりとペグ破損その後

ウクレレ教室に通い始めたのは
3年前の春であった
まだ病休前のことである

そして病休後まだ日も立っていない時期に
ウクレレ教室の発表会に参加したのだった
にゃ〜こに保護者か介護者のように
会場まで付き添ってもらって

その時各団体の発表が終わって
最後に「バンド演奏」というコーナーが設けられていて
今わたしが参加しているバンドが出演したのである
それはある意味各団体に別れて習っているウクレレ練習者の
手本というか目標というか
あこがれをかき立ててくれるようなものだと思っていた

わたしはウクレレの音が好きなのだ
ハワイアンも別に嫌いではないけれど
ウクレレ教室に通っているのはウクレレが好きだからだ
ところが舞台に現れたその「バンド」には
なんとエレキベースが入っていたのである!
が〜ん!である

冷静になるにつれスチールギターも目に入り
これは「ウクレレバンド」ではなく「ハワイアンバンド」だって
わかってきたのだが
わたしの期待は見事に裏切られた思いだった

わたしはウクレレソロかウクレレアンサンブルのような
あくまでウクレレ中心のアコースティックなものを
楽しみにしていたのである

だから違和感と残念感はかなり強かったようで
アタマでは「ハワイアンバンド」だって理解しようとするのだが
  
「なんでウクレレの繊細な音を邪魔するような
   エレキベースがあるんだ?」

っていう思いがぬぐい切れなかった

以来わたしは「ハワイアンバンド」であってもいいから
アコースティックなアンサンブルを
もっともっと聴きたいし演奏したいと
常々思っていたのである

だからバンド参加の依頼を受けた時に
エレキベースじゃなくてベースウクレレで行くと決めたのだ
  
可能ならシールドでアンプにつながなくてもいいのだ
ウクレレ2本とベースウクレレ1本とかの小編成で
ウクレレだけではちょっと弱かった低音を補うことで
安定感のあるアコースティクアンサンブルがしたい
それが理想なのである

その余地を残しておくためにも
わたしはエレキベースは使わない
U-Bassを可愛がり続けようと思う

ちなみに購入直後に経験したペグ破損の件だが
同様のことが「MATTのひとりごと」
という日本ウクレレ協会の方のブログで報告されていた
(下部写真も同ブログより転載させていただいた)
  
わたしの症状と全く同じである
そうかペグ下のネックに固定されているナットに
弦が絡み付いちゃうとロックされて
いくらペグを回しても動かなくなり
最後にはギヤの取り付けネジをねじ切ってしまうのだ
  
だいたい想像していた原因と同じである

よかったぁ同じような経験をしている人が
結構いることがわかって
実は夕べ弦の張り替えをしている時も
ペグを一つねじきっちゃったのである
余分に買い置きしておいてよかったぁ〜…
でもこれけっこうやりがちなことだから
メーカーは注意を呼びかける必要があるんじゃないか?

2011年5月8日日曜日

U-Bassくん、負けないでいこうぜ!


昨日の不調もあって
朝目覚ましで起きた時は
今日のウクレレバンド練習は無理だと思った

でもお休みの連絡はしなければならない
しらばっくれるわけにはいかない
そこで迷いに迷ったあげく
どうせ連絡するなら行こうと決心した
その間約30分

だから当然遅刻
でも15分くらい遅れただけで済んだ
ラッキー

ところがさすがに8月のお披露目が近づいて
先生もこのままでは間に合わんと思われたようで
今日は最初から厳しくやるってことになっっていた…
と隣の方が小声で教えてくれた
そしていきなり

「そのベースの音、ダメなんだよね…」
  
弾き方の問題ではない
楽器の音が良くないと言うのだ
先生だから口には出さなかったが
正直なところ「いきなり何だとコノヤロー!」である
今になってそんな基本的ことを指摘されても困るだろうが
新しい楽器を買って新しい楽器に慣れて
そのお披露目に間に合わせろって言うのか
って感じで体内をかなりのショックと怒りが駆け巡った
他の人たちも気の毒そうにしていてくれた
普通の感覚ならそうだよなぁ

何でも先生曰く高音部はまだしも
低音部になるとゴムっぽい雑音が入るというのだ
ブインブインみたいな感じか

でもわたしは動じなかった
新しい楽器は買わない

「でしたらできるだけ4弦(一番低い音を出す弦)は使わないで
   ベースパートを弾いてみせます。」

オリジナルとは別にもう一種類別の材質の弦があるので
それも試してみてもいいだろうし
必要ならベース用のイフェクターをかませてもいいかもしれない
瞬時にそういったことに思いを巡らせ
この楽器で行く!という姿勢は崩さなかった
自分で言うのも何だが
少なくとももう一人のベースマンより
はるかにリズムは安定し
他の楽器の邪魔をせずに
曲のボトムを支えているのだわたしは
  
その上に歌は歌うことになるし
ベースを弾かないときはウクレレ伴奏することになるし
毎回担当する仕事がどんどん増えていくのである
カッコ良く言えばマルチに大活躍
カッコつけなければ何でも屋である
そしてそれぞれの要求がまた高いのだ…

練習日も今までの月1回が月2回になった
そりゃ定年後でヒマを持て余しているならいいでしょうよ
あるいは自転車でちょっとこれる距離で
朝ご飯を終えて出てきて
昼ご飯までに帰れればいいでしょうよ
  
こちとら重いアンプ担いで電車乗り継いで行ってるんだからな
それも家に障害児がいるから
休日は出るのが難しいのを無理して

さあ次回が楽しみである
わたしは責められたらそこでは耐え一旦退却し
体勢を十分整えて逆襲するタイプである
最強化したU-Bassでブイブイ言わせてやるぜ

あぁ久しぶりに「ぼぉ〜!」って吐き出せて
いい気分だぜ