2011年11月19日土曜日

特別支援校の「学芸会」に思う

自閉くんは高校一年生
今日は彼が通う特別支援校の「学芸会」だ
彼の出番は10:25〜10:50だから
洗濯干して洗いモノして
昨晩準備したビデオの確認をして出発

実は下の子の授業参観もあるんだけど
時間的にバッティングしているので今回はパス
雨の中2校をギリギリの時間でハシゴする気力もないし

そして特別支援校に到着
間もなく出し物の劇が始まる
内容は宝探しをしに
3つの苦難を乗り越えるというものだけど
そこにマット運動やポンポンダンスや
複数生徒による暗唱が入るという構成

最後に見つけた宝は「いのち」というもので
この高一という仲間の絆(出た〜!)を深め
いのちを大切に毎日を生きて行こう
と締めくくられた

オリジナルな内容なんだろうけど
「仲間」「絆」「命」といった
学校が好きそうな言葉が並ぶ

でも思ったのだ
彼らはそれがどんな意味なのかも
あまりわかっていないだろう
でも目の前の役割に一生懸命取り組んでいるのだ
それでいいじゃないかと
その一途さが心に響くのである

そしてもう一つまったく別のことも思った
障害の種類や程度によっては
「命」はとても大きな意味を持つ

例えばダウン症の場合
近年その寿命が延びてきてはいるが
平均的な寿命に比べればまだまだ短い
つまり親より先に天寿を全うすることは
十分あり得ることなのだ
「命を大切にしよう!」っていう
学校の活動で使いやすい当たり障りのない言葉
取りあえず正しいけれど
そこで思考停止してしまう言葉が
ここでは実は重い言葉だったりするのである

わが自閉くんだって
知的に障害はあっても
身体的に命に関わるような課題を抱えているわけではないけれど
平均寿命は短いと言われる
それは本人に周りの状況がわからないことが多いから
事故に遭う確率が高いからだとか

そんなことを思うとやっぱり
これからどう生きてどう死んでいくのかを考えた時
下の子とはまた違った思いを抱くのである

う〜ん…最終的には
それぞれの自立した生活を
遠くから見守るってことが目標なのは
上の子も下の子も変わりないんだけどねぇ