2012年9月28日金曜日

初の「代金引換」発送完了

懸案事項はストレスにならないように早目に処理するぞ
とか思っていながら
朝起きたらいつものように調子が悪く
洗濯物を干し終えたところで力尽き
郵便局の9時営業開始を待ち切れなくて寝てしまったのだ…

目が覚めたら10時… 
不調がちょっと改善されたので
商品と発送先情報を手に頑張って家を出た

コンビニもそうだったけど
こういう手続はもうパターンとして慣れるしかない
コンビニでは

「メール便・普通でお願いします。」

だったが
郵便局で代引きの場合は

「ゆうメール・代引き・普通為替でお願いします。」

でOKだ
振替口座ができれば

「ゆうメール・代引き・通常払込でお願いします。」

って感じである

ちょっとまごまごしてしまったのは
為替手数料420円は発送時に窓口に払うのではなく
回収金額から差っ引かれるということ
だから以下の支出のうち為替手数料を除いた430円が
窓口での支払額となる

[支出]
180円 150gまでの送料 
250円 郵便局に支払う代引き手数料 
420円 為替手数料(回収された料金を為替で受け取る)
850円 支払い合計額  

一瞬計算した額よりずいぶん安いぞ!ってぬか喜びしたのだが
わたしの計算はちゃんと合っていたのであった

これでわたしの中に“発送業務回路”ができあがった
注文が入ったらスイッチを押せば自動で動き出す
もう代引きでの注文も恐くないよん

ただ為替の場合は代金回収後に送られてきた為替を持って
郵便局に換金に行かなければならないのだ
ちょっと面倒なのである

今日は気力が足りず振替口座の申請ができなかったから
週明けには口座申し込みたいなぁ
開設まで10日ぐらいかかるそうだ


2012年9月27日木曜日

初の「代引き注文」で小パニック

中古CD屋さんに初めて代引きでの注文が入った
手続が良く分からないまま早く送らねばと思って
危なくいつものようにメール便でCDで出すところだった…
何となくお金に絡んだことは
すべてAmazon任せな感じがしていたのだ

もしそうしていたらそれは“売った”んじゃなくて
“差し上げた”ことになってしまうとろこであった
自分でやらねば誰も代金回収の手続などしてくれないのだから
あぶないあぶない… 

というようなことはAmazonマーケット・プレイスのヘルプとか
いろいろなサイトやブログを見て回って
やっと理解したのである…考えてみれば当たり前なんだけど

代引きの場合は代引き手続をこちらでやらねばならない
代引き発送をしてから発送通知をAmazonに送ると
Amazon手数料が口座から引き落とされる仕組みだ

だからちゃんとこちらで代引きの回収をしないと
「商品」は「プレゼント」になるわ
Amazonから手数料は引き落とされるわという
さんざんな目にあうことになるのである

ゆうメールでCD1枚を送るとして

配送にかかる支出を計算してみる

[支出]
180円 150gまでの送料 
250円 郵便局に支払う代引き手数料 
420円 為替手数料(回収された料金を為替で受け取る)
850円 支払い合計額 

[収入]
340円 お客さんからもらえる配送料(Amazon指定) 
315円 お客さんからもらえる代引き手数料(Amazon指定)
655円 お客さんからもらえる合計額 

[純益]
-195円 差し引き額(195円の赤字)  

これで郵便局に振込口座を持っていれば
郵便局に支払う為替手数料420円が振込料金120円になり
支払い合計額が550円とかなり下がるため

[純益]
+155円 差し引き額(155円の黒字)  
 
とまぁそんな感じになるのである 

送料で赤字はイヤだからさっそく口座を作ることにして
まず今回の注文品を明日朝イチで郵便局に出しに行かねば 

いやぁ焦ったなぁもう…

“にゃ〜こ”改め“nyako”

“にゃ〜こ”っていうのももう過去の呼び名である
もう“彼女”って呼ぶわけにもいかないし
だからって“元カノ”って括ることは“違う”し
いまさら新しい呼び名を決めるのもおかしいので
これからは“nyako”と書くことにした

相手をどう呼ぶかっていうのは重要なことで

相手との距離感が如実に現れる
二人だけのあだ名で呼び合えれば
そこには親密な二人だけの世界があるってことだし
気持ちが冷めたり関係が崩れてしまえば
自然とあだ名を使うことができなくなる

っていうことはまだ“にゃ〜こ”って使っていたわたしは

吹っ切れてないってことか…
nyakoにすることで少し吹っ切ろうとしているのかな
それじゃnyakoじゃダメだろう…
いやいや…“nyako”はここで彼女を呼ぶための
便宜的な表記ってことで良いのだ…
と…ごちゃごちゃいまだに考えたりする

やっぱりそう簡単にはね…無理だよね

それだけ繋がりが深かったわけだから

夕べもnyakoの夢を見たような気がする
なんか泥と雑草だらけの窪みのようなところで
わたしは雨に打たれながら倒れて動けないでいるのである
するとnyakoがやってきて
何も言わないで服が汚れるのも気にせずに
わたしの隣りで寄り添うように横になってくれるのだ 

うれしいなぁって思って見ると…爆睡しているという…

彼女らしいというか…何かとても微笑ましいのである
もしかして自分が安心して眠れる場所を探していただけか?
って思わず笑ってしまう
でもわたしの隣りが安心だと思ってくれたんだよねきっと

そして逆に彼女をもっとどこか居心地の良い場所へ連れて行って 
ちゃんと寝かせてあげなきゃとか思うのだ

そうやって結果的に
倒れていたわたしはちゃんと起き上がっているのである

そう…この思わず笑ってしまうっていうことが

とても大きなことだったんだなぁと最近つくづく思うのだ 
それがもの凄いエネルギーになっていたのだ
本当に良く二人で笑っていたよなぁ
今はほとんど笑う機会もなくなったから良く分かるのだ
あの時間がどれほど貴重だったかを

さぁ洗濯干して洗い物して風呂掃除して

注文が入ったCDをコンビニで発送して
今日はどこへ行こうかな
何か少しでも笑えることがあるといいなぁ

2012年9月24日月曜日

妻に先立たれた独居老人みたいだ

残暑がこれでもかっていうぐらい続いていたのが
一昨日ぐらいから天気が崩れて涼しくなり
昨日はちょっと寒いくらいだった
そしていきなり空気が秋になった

すると思い出されるのはやっぱり病休の頃である

病休に入ることは確かにトラウマとも言えるような
精神的にもキツい出来事だったけど
今ではどこか救われたような自己救済の記憶でもある

山の尾根をバランスを崩しそうになりながら

もうダメだ…今度こそもうダメだ…と思いながら
全速力で転げるように走り続けていて
ついにカーブを曲がり切れなくて崖から飛び出した…
そんな感じであった

落ちていく先にゴツゴツした岩肌が広がっているのか
深い谷底を流れる暗い川が待っているのか
全然わからない恐さはあったけど
倒れないように踏ん張り続けていたことによる
疲労と緊張と焦燥と恐怖からは
やっと解放されたような嬉しさもあった
あぁもう頑張らなくてもいいんだ…って

そんなある種の安堵感の中で半ば放心状態にあったのが
病休開始から一週間ほど経った今頃である
今日の秋めいた天気はその頃を思い出させてくれる

そして病休後二週間経った10月の頭に
彼女と一泊旅行したのであった
本当に何をするでもどこを見に行くでもなく
ただ宿に籠っているような何もしない旅だった

人に会うことも人混みに分け入ることも嫌で
テレビすら見る気にもならず
まして旅行など一人では行けなかったろうけど
もう自分を支えるものが何も残ってなくて
でも彼女だけはそばにいてくれる
そんなことを確かめたかった旅であった

彼女はとても気を遣ってくれながら
いつものようにずっとニコニコしながら一緒にいてくれた

(あぁ何もなくなっちゃったけど、彼女がいるから大丈夫だ)

ってとても気持ちが落ち着いたものだ
あの時は100%彼女に頼り切っていたんだなぁ
時間が経つほどに感謝の気持ちが強くなる

雨の白川郷を歩いたのもこの時期か…

彼女との楽しい思い出がこれからも
季節の移り変わりとともに色々と甦ってくるのだろう
これがこれからは自分を支えてくれるのかもしれないなぁ

でも何も見ずどこにも行かずに過ごしたあの小旅行に
もう一度一緒に行きたかったな
今ならあの時は無理だったロープウェイにも乗れるからさ…

あぁ…イカンなぁ…妻に先立たれた独居老人みたいだな…
でも死んでも天国でもどこでも
彼女が待っていてくれるわけではない

この秋はあの旅籠へ行ってみようかな

2012年9月22日土曜日

昨日の不調はキツかった

昨日の不調はまず頭痛と吐き気という体調不良から始まった
それはここしばらく抑え込んでいたものが
ついに限界になって吹き出してきたような感じであった
だから「ついに来たか…」っていう思いがあった

それで横になっていたのだけど
夜はちょっと違うキツさが襲ってきたのだ
それはちょうど安定剤の「メイラックス」を断薬して
薬効が切れる後にやって来た
何とも苦しい混乱状態に似ていた

カラダがイライラと落ち着かず
気持ちもピリピリしていて不安定だ
そして嫌な思いでが次々に浮かんできたり
恐怖や嫌悪を引き起こすような雑念が追い払えず
ココロがずっと揺れ動き続けている感じで
全然休まらないのである

これはさすがにマズいかと思った
「メイラックス」が残っていたら昨晩飲んでいただろうと思う
でも薬はすべて処分してしまった
そこで昔に買った「セント・ジョーンズ・ワート」という
サプリメントを思い出し
それを探し出して飲んだのであった

効果はプラセボ以上のものはないであろう
でもプラセボだってわかっていても
多少なりとも気持ちが落ち着けば良いのだ
夕べはそれで気が済んだのか一応眠ることができた
今日は昨日ほど気分が不安定ではない
でも一応またサプリを飲んで寝るとしよう

こうやって行きつ戻りつしながらも
最後にはココロもカラダも落ち着いてくれることを
静かに祈るばかりである

あら…今調べたら「セント・ジョーンズ・ワート」は
効果が出るのが(出ればだけど)2〜3週間後らしい…
プラセボだね…でもそれでもいいや

2012年9月18日火曜日

あら?ウクレレがちょっと良い感じ

9月からウクレレ・レッスンを
以前とは別の講座で再開することになったのは
やっぱりウクレレを弾く機会を作りたくなったからだった
でもそれなりに時々弾いていたのかというと
実はほとんど手をつけていなかったのだった
そう…前の講座の最後のレッスンが昨年7月だったから
ほぼ一年くらいウクレレとは疎遠になっていたのである

そして体験講座で久しぶりにソプラノを取り出し
9月の第1回後にソプラノとコンサートの弦を張り替えた
さらに8月からウクレレキットも一本作り上げた
そんなこんなでだいぶウクレレに触る時間も増えてきたのだ

そこで久しぶりに昔手に入れたソングブックなどを取り出して
ウクレレソロ曲を数曲練習してみたところ
なんかほんのちょっとだけだが上手くなっているのである
たどたどしいながらも曲っぽく弾けるのだ
昔は途中で投げ出していたのになぁ

楽器というのは日々の練習が大切と言われるのに
面白いものである
何か余裕みたいなものができたせいだろうか
それとも単なる気のせい?
…かもしれなくても嬉しいなぁ

そもそもギターではなくてウクレレを選んだのである
音量も小さく音域も狭くピッチも不安定な楽器である 
逆にそこが自分のための楽器だと気に入っていたのに
前の講座では発表会だバンド演奏だと
気持ち的に無理していたんだろうなぁ
武道館制覇を狙っているわけでもないんだし

明日は新講座での2回目のレッスンだ
張り切り過ぎないようにして
のんびりと楽しんで来ることにしよう

2012年9月17日月曜日

今日は「病休記念日」であった

そう言えば思い出した
四年前の9月17日から病休に入ったのである
だから今日は「病休記念日」なのだ

9月から学校が始まり
自分のクラスの生徒や保護者の対応に加え
他のクラスの担任と生徒のことで精神科医を訪問したりして
嵐のような二週間が過ぎた週明けであった

月曜日に理由も無く居たたまれなくなってて
午後から半日年休をもらい
火曜日に一日年休をもらって精神科を受診し
その診断結果を受けて17日水曜日から「病休」に入ったのである

いやぁ凄まじかったなぁ…あの時期は…
トラブルの自転車操業状態だったが
気づけばブレーキが利かないまま
坂を猛スピードで転げ落ちているような感じだった
  
それでも大きく人生が変わった転換点だし
後から思えばかなり危ない落下状態から
ギリギリ離脱の舵を切った回避点でもあるから
大事な「記念日」なのだ

あぁ…何となく不安定なのは
9月中旬の“あの時期”を
身体が覚えていたからかもしれないなぁ
それなら尚更ここ数日を静かに過ごそう

確かに身も心も荒波に揉まれた四年間だったけど
それ以前のストッパーもリミッターも外れたような
ほとんどコントロール不能な暴走状態と比べれば
はるかに人間的な暮らしができている気がする

トラウマはそんなに簡単に乗り越えられるものではない

以前にも書いたけど
ニュースやドラマで悲惨な話を目にすると
その被害者への共感が強過ぎて辛くなるのである

自然とその心身の痛みの瞬間を想像し
そのイメージを追い払えなくなる
時にはその悲惨なイメージが膨らんで
もっと凄惨な想像までしてしまう
ちょっと歯止めが効かない感じだ

例えばテレビで事故の報道があると
被害者の痛みや苦しみを想像して身体がすくむ
関係者の悲しみを思って居たたまれなくなる

ドラマでちょっと拷問的な場面があると
もっとひどい拷問が頭に浮かんでくる
およそ人は想像できるあらゆる拷問を
実際に行なってきたなんて言葉まで浮かぶ

こういう不安定さというのは
自己嫌悪とか無気力とかといったものとは違う
普通なら押し返せるこうした恐怖イメージを
押し返すだけの精神的な力がなくて
逆に押し込まれてしまうみたいな感じなのだ

安定剤は体調の不安定さに多少効いていた気がしていた
でもそれも実感できなくなって断薬した
それはそれで正解だったと思う
でも本来なら今抱えているこのような不安を抑え込むのに
安定剤が有効なんじゃないかと思うのだ
もちろんもう飲まないけども…手元にももうないし

ただ体調が以前よりは落ち着いてきて
むしろこういう不安感をより自覚するようになったことは
生活面でもちゃんと意識しなきゃいけないと思うのだ 
例えば暴力的な描写や悲劇的な物語に接することは極力避けるとか
心落ち着くような時間を大切にするとか

今のわたしは
寝たきりだった病人がやっと起き上がって
寝間着姿で髪の毛ボサボサのまま生活し始めたぐらいの感じだろう
取りあえず熱は下がったし何か食べようという気にもなった
でもまだ急に飛んだり走ったりすることは無理なのだ
弱った心にそれだけの力はまだない

自分に甘えているのかとまた自分を責めそうになるが
この精神的な不安定さは
気力とか気合いとかで乗り越えられるものではないと思う

よく映画やテレビドラマなどで
過去のトラウマを乗り越えるみたいなテーマがあったりするが
「おぉぉぉ!」とか叫んで突撃したり
「自分に打ち勝つんだ!」とか自らを鼓舞したり
「今ここで乗り越えるのよ!」とか叱咤激励されたりして
克服できるような簡単なものじゃないのである

心にエネルギーが満ちるには
まだ時間がかかりそうである
のんびり行くしかないのだなぁ

2012年9月16日日曜日

Design Festa vol.36スチレンボード導入案

何げなく「デザイン・フェスタvol.36」の
ブースイメージを考えてみる
今回の出展ブースもまた
前回同様の床面積1.8m×1.8mという広さである

壁に展示するのはA4サイズとA3サイズかな
どちらも家で印刷ができるサイズだ
これを前回のような額に入れるのではなく
スチレンボードに貼ってそれを壁に直接貼る
っていうのはどうだろう

壁(木製ボード)を今回も頼むとして色はホワイトである
額が無くなると絵がダイレクトにホワイトの上に載る
イメージとしては写真展示っぽい雰囲気だ…悪くないと思う
スチレンボードを使うっていうのは
美術分野にはまったく疎いわたしが
「Femme 2012」出展で学んだことである

両面テープで仮止めのようにして掲示し
ご希望があれば売る
額が無い分値段も心置きなく下げることができる
でも売れる売れないはあまり関係なくて
「作品展示」っぽくするのが今回の方向性だな

額が無いと搬入も軽くなるから楽である
その分作品点数を多くして
じっくり見てもらえるようにしたい

プリント販売はポストカードサイズに絞ろう
ナマ写真とフォトフレーム入りとに分けてもいいかも
そして画集「Close Encounter 2012」を置くと

名前とコンタクト先は宛名タックシールに印刷して
作品の裏面に貼るのはどうだろう
サイズに関係なく後から付けられるから便利じゃないかな
これは中古CD販売の梱包の応用である
そして後は名刺だな

レイアウト以外では
当日の店番の体制を整えなければであるが
加えて今回はどう時間をつぶすかも考えねばである
ず〜っと「いらっしゃいませ〜」は辛過ぎるからなぁ
それで前回はノドを痛めてしまったし

考えないといけないことが多いけど
お祭り好きなわたしとしては
今回も大いに楽しみたいものである
旅行に行ってきて
そういうことに取り組むエネルギーが湧いてきたのかも

開催まであと一ヶ月半である

2012年9月14日金曜日

伊豆高原一人旅<番外編>

ほとんど宿で過ごした二泊三日であったが
駅周辺と宿周辺のちょっとした散歩とコンビニお買い物と
帰りに宿から駅まで小一時間歩いた中で
目に留まった風景をご紹介である


伊豆高原駅の駅前に足湯があったのだ
見ているとカップルが寄って行く率が高いこともあって
ちょっと浸かることが出来なかった…
サンダル履きで行ったから入ろうとすれば簡単だったんだけど…
う〜むぅ…残念
って言うか今度はカップルで来たいなぁ

   
依然としてパワフルな雲である
光を反射する加減がいいなぁ…

  
と思っていたら最終日に雨がぱらついた
遠くに目をやると右下に見える大島には
大分雨が降っている模様
左側が晴れで右側が雨
こういうダイナミックな景色も嬉しい


熱海もそうなのだがここ伊豆高原もまた
意外と廃墟と化したお店やお宿が多いのだ
中には結構力を入れて個性を出したと思しき建物もある
競争が激しいんだろうなぁ…とか思ってみたり

  
この看板にはやられた…
「おいしく食べてね」まではまだ安心していられるが
「人間くん!」というラストの言葉による転換がシュールである 
お店からお客様に向けた言葉のように始まって
食べられる魚介類から人間に発せられた言葉に着地する
“人間”たるわたしたちはそこに何を見る?
自虐的捨て台詞か?諦観の境地か?それとも無償の愛か?

安心しな…おいしく食べたぜ…他の店でだがな

伊豆高原一人旅<後編>

結局宿に居る間の食事は自炊となった
炊飯器は備わっていないのでスパゲティが基本である
スパゲティが茹でられる大鍋はあったので助かった

でも初日の夜はプチ贅沢で
サーロインステーキの一気食いをしたのだ
スーパーで買った肉を自分で焼いて
塩コショウだけで味付けして食べたのだ
本当はスパゲティと一緒に食べようと思っていたんだけど
IHヒーターが一口しかなかったので
コース料理のように順番に作っては食べることになった

だから最初にただステーキだけを頬張ったのであった

それはそれで贅沢気分満喫かも〜
われながらレア気味な焼き具合もGOODで美味かったなぁ


単品で皿に盛られていると

試食コーナーみたいな感じがしないでもないが(悲)
味が良かったので許すのである

スパゲティも食べてお腹がふくれたところで

部屋の電気を暗くし持っていったiPodでBGMをかけ
網戸から音が少し外に漏れるようにしてから
ビール片手にベランダに出た
依然としてハダカであるが
夜は結構涼しくて蚊に刺されることもなかった
BGMはゴンチチとオータサンである


森の先に点在する家の灯り

海の向こうに浮かぶ大島の漁港の灯り
その近くを航行する船の灯りだけが暗闇に浮かんでいる
時間だけがのろのろと過ぎていく 
夜は涼しくとても心地よい

しばらくして眠くなってきたからそのまま寝る

できるだけ腕時計は見ないようにしていたが
朝陽が昇るところは見たかったので
窓の遮光カーテンは半分開けて寝ることにした

そして朝4時半頃に目が覚める

朝陽はまだ出ていないのに自然と目覚めてしまったみたいだ
そこからじっくりと朝陽が昇るのを
トマトジュース片手にベランダで眺めた…ハダカで


次第に部屋も朝陽の赤に染まっていく

空の色も海の色もぐんぐん変化していく
虫や鳥の鳴き声が大きくなる 
大スペクタクルショーである

見終わると眠気が襲ってきて昼頃まで寝てしまう

起きてからはご飯を作って食べたり
近くのコンビニに飲み物を買いに行ったりはしたけど
基本的には日がな一日ベランダで海を見て過ごした


二日目の夜には外に出て満天の星に見入って寝た
三日目の朝にはまた早起きして日の出を見た
陽が射す様子や海のうねりかたなどが違う
時間を忘れるなぁ

こうしてほとんど森と海を見て過ごした二泊三日であった

何かに追い立てられていたような日々の生活から
少しは自分を解放することが出来た気がする

もちろんせっかく伊豆にまで行ったんだから

海の幸も食べましたよ〜
着いた日に「海鮮丼」で帰る日に「アジ丼」である
本当に何もしないで過ごした満足満腹な旅であった 


チェックアウトの時に宿のご夫婦とお話をしていて

帰り際に画集をプレゼントさせていただいた
なぜか行く前からプレゼントしたいと思っていたのだ
予想通り宿のご夫婦はとても明るく気さくな方だったので

「ギャラリーがあるということなので、絵にご関心がお有りかと思いまして…」

とか言いながら渡してしまった 

奥様は「え〜?写真じゃないんですか〜?」って喜んで下さったし
旦那様は「Photoshopとか使われているんですかっ?」って
興味津々な反応を示して下さった
うれしうれし

また近いうちに羽を伸ばしに…そしてハダカになりに行きたいな〜

伊豆高原一人旅<前編>

伊豆高原は思い出の場所でもある
今回は“思い出の上塗り”のための旅行ではないけど
チェックインが15時からで少し時間があったので
一緒に歩いた近くの吊橋まで行ってみた
駅から10分ほどの場所にある「橋立吊橋」である


さすがに平日なこともあって
すれ違う人も少なく
橋に着いたら独り占め状態であった


以前通った道に眺めた場所ではあるんだけど
やっぱり自然の風景はその旅ごとに表情が異なるなぁ

駅前に戻って来てスーパーで買物
いやぁスーパーがあるって安心するなぁ 
駅から離れると本当にお店が無くなるので
一応二泊三日分の食べ物に飲み物も確保


生鮮食料も買ったのでのろのろしているわけにはいかない
そこでタクシーに乗って宿泊地へ一気に移動である
着いてみたらもう外観からして別世界
宿の奥様がお出迎えして下さった


コンドミニアム(貸別荘)タイプのお部屋なので
最初に部屋のキーナンバーを教えてもらったら
後は必要がなければ一切宿の方と会うこともない
二泊三日のマイルームである

  
ロフト付きの天井の高いワンルームで
海に向いた窓の外にはデッキチェアの置かれたベランダがある
ベランダに出れば森の空気が感じられるが
室内からでも常に緑と海が見渡せる最高のロケーションだ

テーブルの上に手作りのリスが置かれていて 
心憎いお出迎えをされた
宿のご夫婦のお母様が一つ一つ作られているとのこと

  
さぁここで何もしない時間を過ごすのだ
伊豆高原は見どころが多いんだけど
今回は無理して観光はしないのである
気の向くまま気の済むままに
ダラダラした時間を過ごすのだ

まず最初にやったことは…素っ裸になったことであった
もちろんパンツも脱いで一糸まとわぬアラレもない姿
あ〜何という開放感!

周りは鬱蒼と茂った緑なので
そのままベランダに出ても平気なのだ
向こう400mまで人家なしである
ベランダに出る時には
真横のお宅がガーデニングでお庭のお手入れをしているかだけ
ちょこっと気をつけていればOKである
このお庭がまたとても素敵だった


こうして二泊三日素っ裸の生活が始まったのであった
わざわざ書き留めるようなことがあるようなないような
そんな生活の様子は後半で

2012年9月12日水曜日

コンサートウクレレ製作10[完成!]

ピッチが落ち着いてきたので
伸ばしたままだった弦の余分な部分をカットした
ついに完成である…パチパチパチ!


弦高は残念ながら
構造的な問題で理想的な低さにはできなかった
それは何かというと
ボディとネックが一直線上に接合できなかったということなのだ

横から見るとネックが若干上に反っている
そのため接合部を中心に
ネックからの弦高がどうしても高くなってしまうのだ
これはもうサドルやナットを削っても無理である
いつか3号を作る時には気をつけないとだなぁ

しかし鳴りはいいし音もビビることなくクリアだ
弦高があると押さえるのに力が必要となるから
高さがMAXになるハイポジションを使ったり
複雑な押弦が出てくるコード&ソロなどは厳しいけど
ローポジションでコードを鳴らしたり
単音でメロディーソロを弾くとかには良さそうである

いやぁ嬉しい!
旅行前に一応の完成を見たのも良かった
部屋は音が隣りに響きやすいらしいので
ウクレレを持っていくのは止めたけどね

 

2012年9月10日月曜日

コンサートウクレレ製作10[弦張り]

やっと今日ペグが届いたので
夜になって弦張りに着手したのであった

GOTOHペグはチューニングの精度が高いと言われるけど
こうしてキット付属のものとくらべると
まず見た目が美しいのがまたうれしい


でも1回全部の弦を張ってはみたものの
12フレット位置で弦高が3〜4mmと言うのに6〜7mmあったので
一度弦を全部外してからナットとサドルに手を加えてみた
ナットは細工用の小さな金属ヤスリで削って溝を深くし
サドルは粗目のサンドペーパーで全体を削って高さを抑えた

4弦だけ張ってはチェックして
また外して削ってというのを数回繰り返した後に
12フレット位置で弦高が4mm程度まで落ちたので
良しとすることにした

その後全部の弦を張って今ピッチの調節中である
カーボン弦はまだまだ伸びるから
明後日くらいまでピッチは落ち着かないであろう


実はヘッドにロゴマークを描こうとして
白の油性ペンを使ったら上手く描けず
あきらめてブルーを塗り直したりしたので
遠回りした分時間がかかってしまった
でもやっとここまでこぎ着けることが出来たなぁ
感無量である…

ちょっと音を鳴らしてみた感じは悪くない
ピッチもほぼ合っていると思うし
音もさすがにコンサートだけあって低音が響く
でもウクレレらしいコロコロした音も残っている
ピッチが落ち着いてからでないと良く分からないけど
これなら使える気がするぞ〜

汚れやらムラやらキズやらスキマやら
細かいところでは目をつぶらないといけないところが多いけど
使えるウクレレになってくれればこんな嬉しいことはない
目が慣れてきたのか色が落ち着いてきたのか
ブルーのトップとヘッドも
最初の頃より自然で美しくかつユニークな気がしてきた

明日はピッチを調整しつつ
この“青レレ”くんで遊べるかな

2012年9月8日土曜日

「のびしろ」ってマイナスイメージじゃないの?

「…まだまだのびしろがある小学4年生…」

と今日の新聞のある記事に書かれていた
う〜ん何か変じゃないか?
こののびしろ(伸び代)って言葉は
2005年前後からスポーツ界で使われて広がったらしい
確かに最近目や耳にすることが多い気がする
「能力を出し切ってはいず、まだ成長する余地があること」
(Goo辞書)

っていう意味はまぁわかるんだけど
でもこれからどう大きく成長していくか未知数な
非常に力のある人や年齢的に若い人に使う言葉かなぁと思うのだ

もうある程度成長なり成果なりを果たした人に向って
いやこれで100%とかここが限界とかとか言うわけではなく
まだ伸びる余地は残っていますよって感じで
使うような気がするんだが

つまりこの“まだ残っている”っていうところが
この言葉に含まれるニュアンスだと思うのだ
そこには“能力を出し切っているように見えたとしても”とか
“今後劇的に伸びたり化けたりすることは難しいにしても”
っていう含みが感じられる気がするのである
だって「しろ(代)」って「余地/余白」なんでしょ?
今まで伸びて来た延長線上に
もう少し先まで行けそうだって感じじゃないの?
もっと言えば「のびしろがある」って言うことは
「結構限界に近づいている」とも
暗に言っているようなものなんじゃないか?

「君にはまだのびしろがある。」と言われたら
「え〜!オレはもう余白程度の伸びしか期待されていないのか…」
って思っちゃいそうである

という感覚を抱いていると

「のびしろのある小学4年生」っていうのは
失礼というか可哀想というか
何だかとてもひどい言い方なんじゃないかって
気がしちゃうのである
いくら「まだまだ」とか付けたとしても

それとその人の能力を見切ったような
ちょっと尊大な雰囲気が漂っているのも
イヤな感じであるし

わたし間違っているんでしょうかしら?

コンサートウクレレ製作9[ラベル]

Famousクリア弦は手に入れたのだが
ペグが今日発送とのことなので
弦張り作業は明日か明後日になりそうである

ええぃセット付属の安っぽいペグを付けちゃえ〜
っていう衝動をグッと抑えて
ラベル作りをしてみたのだ

一度ソプラノウクレレ製作の時に作っているので
その時のデータをそのまま使うことにする
製作年と製作番号のみ変える
これが2号である
1号が2009年だから4年で2本だ
まぁ2本目ができたってことが凄いかも

そしてサウンドホール真下に
ボンドで貼って完成である
ソプラノ・キットの時は
ボディを組む前に貼ったから問題なかったけど
今回はボディが組み上がっているので
狭いサウンドホールから指を入れて
曲がらないように貼らねばならないのが難しい


あぁこのロゴマークもその時考えたんだった…
責つかれたように完成を急いではいたけれど
それなりに丁寧な仕事はしていたんだな
ただあの時は“待つ”ことができなかったのだ…たぶん

こうしてラベルが貼られると
ちょっと商品ぽくてイイ感じである
そうねぇ…このマークをヘッドに描いてみようかな
まだまだ時間はあるんだし

もし水曜日からの一人旅前に完成したら
持って行っちゃうかもしれないなぁ
この2号“青レレ”くんを
あ…名前が付いたかも…



2009年を振り返れば

自作ウクレレの内側に貼るラベルを作ろうと思い
ソプラノウクレレを作った時のブログを探していたら
病休から1年経たない2009年には
もう自分の不調状態に“二日酔いシンドローム”とか
オリジナルな名前を付けていることがわかった
それだけ当時は頻繁に苦しんでいたってことだろう

ソプラノウクレレ作ったのが2009年の夏
ドラム・レッスン始めたのも2009年の9月
太極拳に通ったのも2009年の秋
CGを始めたのも2009年の暮れ頃だ
気晴らしだとか第二の人生だとか言ってはいたものの
不安定な体調とやりきれない気持ちに
必死に対抗していたんだろうと思う
今になって振り返ってみれば
それはついこの間まで続いていたのだ
今年の頭に断薬を試みたのも
決して調子が良くなったと思ったからではなく
服薬していても調子が悪いことが頻繁にあって
これじゃあ飲んでも飲まなくても同じじゃないか?
どうせ不安定になるなら
薬を飲まない方がまだカラダに良いんじゃないか?
って思ったからだった

よくこの4年間自暴自棄にならずに
常に前を向いていられたものだと思うけど
無謀に色々なことに挑戦していたのが
その原動力になっていたのかもしれない
あるいはそのいつ倒れるか分からないっていう
緊張状態と切迫感とが
わたしを突き動かしていたのかも
極端に言えば
やりたい事やる前にまだ死ねない…みたいな

今は不調の波が残っているとは言え
本当に落ち着いたと思う
そういう“まだ死ねない”みたいな感じが無くなった
だからあれもこれもやりたいっていう思いも落ち着いた
ウクレレ作りながら思ったのだ
2009年の時はとにかく一刻も早く完成させたかった
今はもう少しゆっくりと時間をかけることができる
あの頃はやっぱり戦っていたんだなぁ

でもまだ安定してきたのってごく最近のことなのだ
辛い時期のことはすぐ忘れてしまうけれど…
まぁグズグズと忘れられないのも困るけど
今の有り難みを感じなくなるのも良くないのである
今は調子が良くても悪くても感謝である
悪いって言ったってタカが知れてるんだから

そう…にゃ〜こに感謝してもしきれないのは
そんなわたしとずっと一緒に居ながら
「もっとちゃんとしたお医者さんに見てもらえば?」とか
「もっと規則正しく生活してみれば?」とか
「本当に仕事できないの?」とかいった
(あ〜もう見ていてイライラするなぁ)的なことを
一言も言わなかったし態度にも出さなかったことである