2010年6月28日月曜日

「本牧山頂公園」のオモシロさ

先週金曜日に道に迷ってたどり着いた
横浜の「本牧山頂公園」
もっとじっくり時間をかけて散策しても
きっと楽しいだろうなぁと思わせる
広大で豊かな自然と
きちんと整備された美しさがあった
でもよくよく思い出すと
なかなか変わった公園だったのだ

ちょっとした横道や回り道が作ってあったり
イスやオブジェが自然に溶け込むように配置されていたり
単なる遊歩道を超えた
遊び心と心遣いがあるとも言えるんだけど
逆に“豊かな自然をできるだけ味わってもらおう”みたいな
公園を設計した人の強烈な意志を
そこに感じてしまうのだ

実家が山の近くだったので
自然の山の雰囲気は何となく身をもって知っている
中学校の陸上部の練習で
よく山の中を走ったりしたからね

そうした自然が景色としてはちゃんとあるんだけど
あの自然故のだらしなさというか
雑然とした感じというのが
「本牧山頂公園」には感じられないのだ

かと言って西洋風な庭園にしてしまっているわけではない
敢えて言うなら里山風という感じなんだけど
そこに人が暮らしているわけではないから
どこか必然性に欠ける人工的な感じが漂う

この“隅々までコントロールされたありのままの自然”という風景は
これだけの規模のものとしては
なかなか今までになかったものであった
たぶんこれまでも理想としては
そういうことを考えて自然公園を作り始めるんだけど
必ず途中でくじけてしまうというか
自然の力に負けてしまうのが常なんじゃないか

でもおそらくここは
くじけることなく最後まで完成させた公園なのだ

そうやって理想を貫くとどうなるかが
目に見えるかたちで示されているっていうのが
この公園の“裏の面白さ”かもしれない

シシ神の亡霊すらいなくなった美しき山林である

とにかく広い広い でも道はどこまでも整備されている

2010年6月25日金曜日

「加那 -イトシキヒトヨ」城南海

  
加那 -イトシキヒトヨ-」は城南海(きずきみなみ)の1stフル・アルバム。2009年8月に発表された作品だけれど、遅ればせながら最近一番のヘビー・ローテーションな1枚である。

平成元年に奄美大島で生まれ、14歳で徳之島に移るまで奄美で過ごす。兄の影響で奄美民謡「島唄」を始め、15歳から移り住んだ鹿児島で「島唄」のストリート・パフォーマンス中にスカウトされ歌手デビューに至ったという。言わば叩き上げである。

奄美の島唄を基本に持ちながら活躍している歌手というと、まず浮かぶのが元ちとせだろう。確かにコブシ回しやビブラートのないストレートな歌唱法はとても近いものがあるし、どこか雄大で懐かしさのある世界を垣間見せてくれるところも似ている。

しかし決定的に違うのは、元ちとせが、あの鼻にかかったような独特な声質と消え入るような高音で、どこか巫女のような独特な存在感を持つのに比べ、城南海はもっとクリアでストレートな声を持つ等身大の女性点という感じがする点だ。そのため元ちとせとのような神秘的な包容力はないが、心に染入る美しさがある。

   
もっと言えば元ちとせが、強烈な歌世界を作る反面、その個性の強さゆえに、それを十分に引き出す楽曲が絞られてしまう傾向があるのとは対照的に、城南海の守備範囲は広く、本アルバムで聴けるように様々なタイプの曲を見事に歌いこなせるのである。曲によって声や歌い方も変えているが、ポップス系の曲でも変にJポップ調になることもなく、基本が揺らいでいないところがいい。

この守備範囲の広さを可能にしているのは、彼女の表現力だ。もちろん安定した音程や地声と裏声の自然な使い分けなど、やはり島唄で鍛えられたと思われるしっかりした歌唱力が基礎にある。しかし島唄的歌唱法に頼っていない。だからコブシは彼女の強力な武器ではあるのだけど、敢えてコブシを使わない曲すらある。でも違和感がない。

個人的にはピアノ伴奏のみで歌い上げる「紅」に痺れた。これは「ダニー・ボーイ」として知られるアイルランド民謡をアレンジした歌である。「ダニー・ボーイ」という歌そのものが大好きなこともあるが、それを見事にオリジナルな世界として作り上げている。コブシ回しや透き通る高音部を駆使しつつ、そこに込められた情感の豊かさ。聴き始めると時間が止まる。

1stアルバム故にいろいろな可能性を見せてくれた作品。傑作。

本アルバムでは彼女自身は曲作りにはほとんど関わっていないが(「紅」の歌詞のみクレジットされている)、ぜひとも“世界平和”や“人類愛”みたいな方向にはいかずに、等身大な世界を広く深く歌い続けて欲しい。

2010年6月17日木曜日

不調はやっぱりやって来た…

昨日の定期検診に臨むにあたって
管理職からの復帰計画の打診の件と
退職希望の件と
減薬の件まであって
話を伝えきれまとめられるかどうかで
かなりストレスがかかっていたと思うのだ

それが昨日の寝不足や
朝のイライラにつながったんだろう

検診で一応きちんと話ができ
帰宅後に管理職宛にメールを出して
自分なりに前に動き出したことで
気持ちの上ではずいぶん落ち着いた

だがしかし…
“不調は遅れてやってくる”のだ
今日は朝からちょっと不穏な感じ
それが次第に頭痛になっていき
首の重苦しさも増すばかりで
頭痛薬を飲んでも効かず
冷えピタ貼って横になっても
結局眠れなかった
    
  
まだまだカラダはストレスに弱いのである
わかり易いくらいにハッキリ出る
退職の話は置いておいても
現実問題として復帰訓練はまだまだ無理なのは
明らかなのだ

今日は夜になって
にゃ〜こが背中とか首とかをさすってくれた
指圧とかマッサージじゃなくても
手が肌に触れる感触に十分癒されて
夜になったら頭痛が消えていた

スゴいぞにゃ〜こ

ちなみに職場からの返事はまだない
来たらまた寝込むんだろうか
でも負けないもんね

2010年6月16日水曜日

退職希望のメールを出したのだ

検診から帰ってきてパソコンに向う
ブログを書くことで気持ちの整理ができて
管理職へのメールを書いて
今送信した
それは
  
「退職も含めて考えています」
 
ではなく

「退職を考えていますので、具体的な手続きや
   一番ご迷惑にならない時期についてお教えいただけますでしょうか」

という
明確な退職希望を伝える内容になっている

いよいよ退職へ向けて動き出す
大きなストレスから解放される闘いを
大きなストレスに立ち向かいながら
これから進めていくのである

ブログを書くのに約1時間
管理職にメールを書くのに約1時間

書くことで
頭を整理し
進む方向を確認し
そのための態勢を整えて
動き出そうとしている感じだ

2010年6月12日土曜日

メイラックス減薬5日目

メイラックス断薬チャレンジに失敗して
一度はしばらく服薬しようかなと思ったのだが
服薬を続けていれば安定しているかというと
必ずしもそうではないので
再び断薬を目指して
まずは減薬から始めた今週

月曜日に1錠
火曜日に0錠
水曜日〜金曜日に1/2錠
そして今日土曜日である
ならせば1/2錠服薬ウィーク5日目となる

さてその影響は如何に?
実はこの前断薬して10日目くらいに来た
肩から首への苦しさと頭痛の
ミニミニヴァージョンみたいなのが
火曜日ぐらいから来ているのだ

早い!マズい!と思ったのだが
そのままそれ以上酷くはならないし
ふと忘れている時もあるくらいな状態で
今日に至っている
まさに少しずつ減薬しているって感じである

この調子で少しずつ濃度が減っていき
丁度来週水曜日のジェロ先生の検診日あたりが
体内の濃度が半分になる頃合いだ

今度は耐え抜いて乗り切れるかな
ミニミニ不調も
今のところあくまで体調だけで
情緒的な不安定さや夢見の悪さなどは起こっていないから
結構いろんなお仕事なんかもできている

しかし長期間飲んできた薬を断つのは
こんなに大変なんだねぇ

2010年6月11日金曜日

今プログレッシヴ・ロックの聖地は日本である

もともとピンク・フロイドのアルバム「原子心母(Atom Heart Mother)」の、宣伝用帯に書かれたコピーが元となっていると言われる“プログレッシヴ・ロック”という言葉。この“progressive rock”あるいは“prog rock”は、今40年の時を経て世界で使われる言葉となった。

それには1970年代から、恐らく世界で唯一“プログレッシヴ・ロック”的音楽を愛し守り続けたのがこの日本だったからに他ならない。

1979年代に始まったキング・レコードの「ヨーロピアン・ロック・コレクション」は、恐らく世界に類のないコレクション・シリーズだったと思うが、なんと10シリーズも続き世界各国の貴重な音を届けてくれた。それがまた1980年代の国内インディーズにおけるプログレッシヴ・ロックの隆盛にも、大きく繋がったと言える。

さらに1990年代に入るとこのシリーズがCD化されたかたちで再度登場し、同時期にマーキー社から続々とヨーロピアン・ロックのアルバム集成が発表される。関連雑誌も1980年代の「フールズメイト」、1990年代の「MARQEE」、2000年代以降続いている「Euro-Rock Press」と、途切れることなく続いている。最近は「ストレンジ・デイズ」も頑張っているし。

こうして一番低迷していた時期を、日本は情報を途絶えさせることなく、むしろきちんと評価し、整理し、発信し続けることで乗り切り、2000年以降の新たなプログレッシヴ・ロック・ムーヴメントを迎えることになるのだ。

その間に海外でこうした音楽に感心を持つ人たちが、日本の情報に大きな重きを置いていたことが、自然と日本発の“プログレッシヴ・ロック”という言葉をインターナショナルなものへと変えていったのだと思われる。だって「ビル・ブラッフォード自叙伝」にも『今でもプログレッシヴ・ロックが好きかい?』っていう章があるくらいなんですから 。

ちなみに今年2010年のプログレッシヴ・ロック関連来日予定アーティストが凄い。
   イット・バイツ(3月)
   クラウス・シュルツェ(3月)
   オザンナ(4月)
   エイジア(5月)
   エディ・ジョブソン(6月)
   マグマ(7月)
   アラン・ホールズワース(7月)
   スティーヴ・ハケット(8月)
   ルネッサンス(8月)
   マウロ・パガーニ&フラヴィオ・プレモリ(9月) 
なんですかこれはっていう程の充実度。そしてそのほとんどが世界ツアーとかではなく、日本だけの単独公演なのだ。中でもマグマなんて日本最大の野外音楽イベントフジ・ロック・フェスティバルに出演なのである。ぜひ知らない人々に腰を抜かしてもらいたいなぁ。

かつては日本公演だと、明らかに手を抜いているのがわかる外国のミュージシャンもいたと聞く。しかし日本の、クラシック音楽のように静かに集中して音楽を聴くという聴衆の態度は、プログレッシヴ・ロックのような音楽を演奏する側にとってはとても有難いことなのかもしれない。そして今、日本だからやって来るというアーティストが増えているのだ。

なんかうれしいのである。わたしも一つキング・クリムゾンの「Red」を叩くことを夢見て、ドラムの練習を励むとするか。何かの拍子でそんなチャンスがないとも限らないし。みたいな。
  
   

2010年6月8日火曜日

“南海の孤島”幻想

NHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」で再注目されている水木しげるであるが、その自伝である「ねぼけ人生 」(ちくま文庫、1999年)には、次のようなくだりがある。太平洋戦争で南方ラバウル戦線に駆り出され、片腕を失って傷病兵となってからのことである。

「そんなある日、土人の小部落を見つけた。病舎あたりにも、時々土人たちが通りかかったりしていたが、彼らの部落なのだ。その部落は、いかにも住み心地がよさそうなフンイキをただよわせている。南国だからただでさえ景色がいい上に、そのあたりは、草花や樹々が美しいのだ。僕は、一目見て、これは『天国の部落』であると思った。(中略)
   
「土人たちの生活ぶりは、僕が子供の頃からあこがれていた『遊びと食うことが一致している』生活のようで、軍隊で苦しい目にあっている僕にとっては全く天国なのだ。僕は、部落へ遊びにいくたびに観察していたのだが、彼らは、一日に三時間ぐらいしか働かない。熱帯の自然は、それぐらいの労働で十分に人間を食べさせてくれる。熱帯だから、衣料や住居も簡単でいい。人間が自然に対して闘いを挑むのではなく、自然が人間を生かしてくれるのだ。」
(※ 不適切な表現が含まれるが原文のまま掲載しました)

南方戦線自体は戦争末期、玉砕と集団自決に満ちたそれは悲惨なものだった。そして戦闘とは別にマラリアでも多くの兵隊が命を落とした。

しかし一面こうした南の島での生活は、日本のものとは全く異なった“楽園”的文化に触れる機会ともなった。こうして南の島のパラダイス幻想が生まれたのかもしれない。事はアメリカでも同じで、戦後マーティン・デニー的エキゾチカ・ミュージックが生まれる。

そしてまた南海の孤島には、楽園的生活とともに、独自の文化、独自の価値観、そして独自の生態系があり、常識では考えられないような未知なるものが隠れているという幻想をも生む。“文明人”という「中心」に対する“未開人”という「周縁」が持つ異界的パワーである。それが「キングコング」であったり「モスラ」として現れるのだ。それは当時の“南海の孤島”だからこそ説得力があった。
しかし現実は悲惨であり、グアムとハワイの間に位置するマーシャル諸島共和国のビキニ環礁、エニウェトック環礁では、終戦の翌年1946年から1958年にかけて、なんと67回もの核実験がアメリカによって行なわれたという。

日本の「ゴジラ」はこうした南海での核実験の産物として登場する。こうして日本においては、南海の孤島は「楽園的パラダイス」な側面に加え、核実験による影響という点でも、何が潜んでいるか分からない場所となる。怪獣ものだけでも前述の「モスラ」に加え、「ゴジラ 対 キングコング」、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」、「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」、「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 南海の大怪獣」などが、南海の孤島がらみで作られている。

そこには“放射能廃液によって突然変異したエビ”や、気象コントロール実験の失敗による“異常高温と合成放射線で怪獣化したカマキリ”などが登場する。何よりモスラのいるインファント島は、原水爆実験場だったのだ。

そしてまた「マタンゴ」の難破船も核実験の海洋調査線らしいとされる。そしてマタンゴ自体も、原子力放射能が生んだ動物でも植物でもない第三の生物という設定(東宝事業部パンフレット)であり、原爆のキノコ雲を連想させる形態なのだ。

こうして日本の南海の楽園幻想は、核実験の放射能汚染場所という、奥底で広島・長崎の悲劇とつながる反楽園イメージと表裏一体となった、独自の「周縁」を形作っていったと言えるだろう。

このロマンティシズムと現実が混ぜ合わさった言わば「汚された楽園」と言うべき南海への眼差しが、同じ悲劇を味わった日本人の共感を呼び、荒唐無稽な怪獣映画にリアリティを与える原動力にもなっていた気がするのである。
  
そして被爆国としての実感が日本人から薄れ、核実験の放射能で変異し出現した怪獣という設定が説得力を失うに従って、寄るべきリアリティーがなくなった怪獣映画もそのパワーを失っていく。

しかしもちろん、その安易な結びつけは被爆者に対する偏見や差別につながることは言うまでもない。被曝を内包した怪獣映画が作られなくなったのは、当然と言えば当然なことだったのだ。

「マタンゴ」

   
呪いの館には行っちゃいけねぇ
呪いの館には行っちゃいけねぇ
くどいようだが行っちゃいけねぇ
呪いの館には行っちゃいけねぇ
(以下略)
「マタンゴ」筋肉少女帯

筋肉少女帯のインディーズの凄みが残っている初期の傑作「SISTER STRAWBERRY」(1988)のトップを飾る名曲「マタンゴ」。歌詞の内容はオリジナルだが、この強烈な言葉“マタンゴ”はもちろん東宝の傑作ホラー「マタンゴ」から来ている。

「透明人間」(1954)、「美女と液体人間」(1963)、「 電送人間」(1960)、「ガス人間第一号」(1960)と続く“変身人間シリーズ”のラストを飾る作品という見方もあるようだけど、これはもうシリーズとは別物の単独ホラー作品である。

マタンゴはキノコを食べて変身してしまった怪物“キノコ人間”の名前だ。しかしポイントは他の怪獣映画や変身人間シリーズのように、怪物vs.人間という対決構図がないこと。物語は無人島に漂着し、食べ物も飲み物も尽きようとしている極限状態での人間模様が中心なのである。

男性5人と女性2人が次第に希望を失いエゴをむき出しにしていく。そして最後に残されたのは、キノコを食べてマタンゴ(キノコ人間)として醜悪な姿のまま生きながらえるか、それとも死ぬかという究極の選択。

特撮もセットもドラマも素晴らしいの一語に尽きる。当時の怪獣映画でも見られる海洋場面のリアルさ。もちろんミニチュアセットによる特撮だということはわかる。わかるんだけどそこに“リアル”さが大きな魅力として宿っているのだ。波の大きさ、重さ、ヨットのうねり。難破船のたたずまい。そして場面が変わっての、東京のネオン輝く夜景。

そしてセット。ヨットの船内、難破船のカビだらけの部屋、そしてマタンゴの森。画面の密度が濃い。一部のスキもない。それを見事なカメラワークとカット割りで息が詰まるような空間として見せていく。

しかし何より素晴らしいのは、俳優陣の演技だ。小さなエピソードを重ねながら、次第に死へと追いつめられていく7人の人間のもがき苦しむ様が、これまた濃密に描かれていく。そこには必要以上にエロティックな場面も凄惨な場面もない。
   
   
しかし水野久美演じるしたたかな美女関口麻美が見せる、眩いほどに妖しい美しさ。「ウルトラQ」の万条目淳とは全く違う性格作りが凄い佐原健二が見せるエゴむき出しの男。中でも強がりつつ弱さを露呈していく土屋嘉男がいい。ちなみに彼は竹中直人にどこか似ているなぁ。

7人7様の性格の描き分けも見事だし、それをどの俳優も実に緊張感のある演技で演じてみせてくれる。何より抜群の存在感がある。顔がみんな俳優顔してていい。

怪物マタンゴは実はそれほど醜悪な造形ではないし、襲われるといってもゾンビ映画のように傷つけられたり殺されたりするわけではない。彼らもキノコを食べた元人間なのだ。映像的にショッキングな場面もないが、生と死の狭間で次ぎに何が起こるのか、キノコを食べてしまうのか、というスリルと恐怖が、早いカット割りの中でジワジワを見るものを引きずり込み、最後までダレることなく作品を引っ張っていく。

血しぶきが飛ぶとかいった毒々しさはないから、子どもでも見られる。そしてその奥の深い恐怖に打ちのめされる。そういう体験をした人は多いと聞く。わたしもその一人である。マタンゴ、恐かったなぁ。今見ても作品の出来は最高である。画面から伝わってくる迫力、熱気が半端じゃないのだ。

どうしてこういう映画が作れなくなったんだろう。ここにはリアルな恐怖と寓話的物語と共に、映画的なファンタジーがある。見ていてゾクゾクするような展開の面白さがある。それは現実のリアリティーとは別の、映画ならではのリアリティーなのだ。今の映画には実際のリアリティーに固執し過ぎるあまり、こういう映画のリアリティー&ファンタジーが決定的に欠落しているんじゃないかなんて思ってしまうのだ。

これはもう日本映画の傑作の一つであることは間違いない。

ちなみに本作は1963年、「ハワイの若大将」と同時上映された特撮納涼作品とのこと。凄い組み合わせだけど、つまりは大人向け娯楽大作だったわけだ。大人向けの特撮映画が成立していた時代がうらやましい。

個人的には本編中にウクレレが出てくるところがあって、やっぱり当時はウクレレは若者の楽器だったんだっていうことが再確認できたのも良かった。

「メイラックス」減薬計画発動

メイラックスの服薬を飲むのを止めて
一週間ぐらい経ったところ
つまりカラダから薬が抜け切った頃から
首や頭の重苦しさが強まり
服薬せざるを得なくなった

そして復活させたら
その日の夜から
不調は軽減され出した
その後は図書館へ“お仕事”なんかも
久しぶりに連日行ってしまったほどだ
スゴいぜ「メイラックス」と
思ったものだったのだが…

ところが日に日に血中濃度が上がり
一週間後最高値になった頃
つまり先週末あたりから
またまたちょっと不安定気味なのだ

今日も朝は結構好調な感じだったのが
昼食後に昼寝をしたら
首の苦しさや気持ち悪さが出てきた
何でしょうかこれは

そこで思ったのだ
断薬後の不調はやっぱり
ある種の禁断症状だったんじゃないか
そしてカラダはなんとか
メイラックス依存から脱しようとしていたんじゃないか
でも完全に脱することはできなかったけど
現在の量ほどは
必要としていないんじゃないか

つまりカラダから
  
「やることは賛成だけど、やり方が乱暴なんだよ」
  
って、言われた後
今度は
    
「カラダも薬無しの体制作ろうとしてるから
   もうそんなにいらないんだよ」
   
って、言ってるんじゃないか

ということで
「メイラックス」減薬人体実験開始である
まず今日から一日置きに服薬し一週間続ける
そして様子を見る
安定度を見据えながら
それを一週間ごとに
二日置き三日置きと間を空けていく

さてどうなりますやら
今回の人体実験は長期戦である

2010年6月7日月曜日

〝復帰訓練〟連絡への返事

結局こういうことは
思い立つとすぐに実行したくなる性格なのだ

返事は今日は止めておこうとか言いながら
今日のうちに返事のメールを出したのである

基本的には
明後日の定期検診で主治医と相談して
その結果を受けて
今週中にご返事のメールをするという内容である
今でも体調が不安定だということにも触れた

そして最後に
付け足しのように
次の文章を書き加えた

「正直なところ
   お仕事を辞めさせていただくことも含めて
   今後のことを考えていきたいと思っています。

   確かに病休直後は
   皆さんに多大なるご迷惑をおかけしたことによる
   強烈な自己嫌悪で
   精神的にも情緒的にも不安定な中で
   離職のこともかなり考えました。

   しかし2年近く経とうとしている今は
   そういった衝動的な思いではなく
   この長い不調をどうにか早く治そうとするより
   もっと気長に気楽につき合いながら
   これからの人生で
   自分を活かせる道を探すことが
   大事なんじゃないかと思うようになってきました。

   長い期間お休みをいただきながら誠に恐縮なのですが
   そんなことも含め主治医とも話をし
   方向性を決めていきたいと思っております。」

全然付け足しではない
むしろこちらがメインていう感じか

でも離職するという気持ちがかなり強いんだということは
早目に伝えておいた方がいいだろうと思ったのだ
早く決着をつけたい気持ちが
今日こうした返事を書かせた感じだな
相手方にとっても
薄々は感じていたとしても
本人からの意思表示がないと
現実問題として
人事を考える上でも困ったことになっちゃうだろうし
  
わたしとしては
一応文章として書いたこと
そしてそれを相手に伝えたことで
ちょっと気持ちが楽になったのであった

ほんとこういうやり取りは
精神的にキツいなぁ

2010年6月6日日曜日

「風の帰る場所」宮﨑駿

   
絶不調の手前まで行って
メイラックスを復活させたのが月曜日
それから6日経ったわけである
超長期型だから日々血中濃度が上がっていき
昨日今日辺りが高値安定状態になった頃合いだ
そのせいか昨日多少乱れたものの
今日は大分落ち着いた感じ

鼻歌はその後も続き
Gentle Giant(英)やらRefugee(英&スイス)やら
Maxophone(伊)やらNucleus Torn(スイス)やら
城南海やら…
手当り次第に
ハミングしたり口笛を吹いたり
われながら節操ないなぁ
そして宮崎駿インタヴュー集
「風の帰る場所」(Rockin' On社、2002年)を
一気に読んだ
  
インタビュアーの恣意的・誘導的なまとめ方とか
“私はあなたの一番の理解者です”的態度が
やっぱりちょっと鼻についたけど
宮崎駿が如何に
過去と同じことの繰り返しをせず
予定調和的展開や結末を避け
かつ時代の状況や空気を反映した
“今ここ”の作品を作ろうとしているかが
とても強く感じられた
  
そうした作品に関わる部分とは別に
次の言葉が結構印象に残ったのだ
  
「アニメーションを一本作りますとねぇ、心底ヨレヨレになりましてね、欲求不満なんか残る暇ないんですよ!
「その、肉体労働のね、量の多さにほんと打ちのめされますから。約半年間っていうのは、季節感も戻ってこなければ、自律神経失調になってしまった生活サイクルを正常化してくこともできないんですよ。一ヶ月くらい休んだってなんにもならないんですよ、全然戻らないですね。」
  
う〜ん〜


これは感覚的にわかるなぁ

2010年6月4日金曜日

エニドの初期2作品が初CD化!

    
イギリスのシンフォニックバンドThe Enid(エニド)の初期2作品「In the Region of Summer Stars(1976)」(右写真上)と「Aerie Faerie Nonsense(1977)」(右写真下)のオリジナル・ヴァーションがCD化された。

1980年代の再録盤は何回かCD化されているが、このオリジナル盤はEMIがマスターテープを消失したとか、バンドとの契約上のトラブルから封印したとか言われながら、今まで一度もCD化されたことはなかったものだ。
2006年にThe Enidの諸作品が日本で紙ジャケットにより再発された。その際に、ディスク・ユニオンで全タイトル購入特典として、サンプラー扱いでオリジナルの1st&2ndの盤起こしCDが付いていたことはある。しかし市販品としてはCD化されるのは初めてのことである。

今回発売したのは、The Enidのアルバム販売を一手に引き受けていたInner Sanctum。サイトには“Original Recording & Digitally Re-mastered”と書かれているが、入手したGarden Shedの解説によると、これもやはりできるだけノイズを取り除いたレコード盤起こしらしい。どちらも1000枚限定品とのこと。
でも盤起こしでも構わない、うれしい!とばかりに早速購入してしまった。
  
そうしたらどうも今契約の関係でThe EnidとInner Sanctumは揉めているらしいのだ。The EnidのRobert John Godfreyは契約は打ち切ったと言い、Inner Sauctumとしては、販売権はまだあると主張していて、どうもそのドタバタの中で幻の初期2枚をレコード盤起こしによって強行販売した雰囲気なのである。The Enidサイトでは一時期全アルバム音源の無料ダウンロードとかもしていたらしいから、双方が対決姿勢にあるみたいな感じ。ちょっとした嫌がらせ合戦ぽいかも。

そこでThe Enidのサイトを見てみたら、「Genuine Recordings to be released through EMI - Coming Soon!(正規版がEMIよりリリース予定 - 発売間近!」とあって、Robert John Godfreyのソロと、この初期2作の写真が載っているではないか…。

EMIとの和解が成立したかマスターテープが見つかったかして、ついに盤起こしではない正規CDが出るのか?じゃあ今回購入したレコード盤起こしはムダになってしまうのか?

とか一瞬思っては見たものの、それはそれである。まずはこのInner Sanctum盤CDをじっくり聴き込もうと思うのだ。EMIの“正規盤”と言っても、それはあくまでRobert John Godfrey側から見た法的な意味合いだけで、実際出たとしてもレコード盤起こしである可能性も高いし。

当事者のゴタゴタは困る。それによって名作が世に出されないという状況はなんとも残念だ。しかしゴタゴタの中から出てきたものであっても、このオリジナル・ヴァージョンのCD化はファンとして嬉しいのだ。

それほどこのオリジナル・ヴァージョン2作品は、わたしにとって掛け替えのない名盤なのである。

「洞窟ゲーム」まどの一哉

   
洞窟ゲーム」(まどの一哉、青林工藝舎、2010年)は独特な世界を持つ作品である。作者は1956年生まれで赤瀬川原平の美学校絵文字工房を卒業、現在エディトリアルデザインを中心としたデザイナー兼漫画家。デザイナーの時の名義は真殿一哉。

漫画としての経歴も長くデビューは1976年「ガロ」。以降「ガロ」、「アックス」、「クイック・ジャパン」などに作品を発表している。この「洞窟ゲーム」は漫画誌「アックス」に連載されたものをまとめた短編集だ。

その「アックス」誌での広告で『ありえない!でも不思議なことにこの世界には確かに記憶がある…。』というコピーが使われたと言うが、まさにそんな不思議で妙に面白い世界が展開される。

表紙を見ると不条理ギャグマンガのように映るかもしれない。でもこれが違うのだ。一見ギャグ的な要素や展開がありながら、それが“ギャク”として着地しないまま読者は放置され物語は進んでいき、最後に読者はそのまま放り出される。するとある種シュールな世界へとつながってしまうのだ。

物語によっては諸星大二郎を思わせるような雰囲気もある。いわゆる異界譚である。絵柄も同じような地味さゆえの説得力を持っている。しかし諸星大二郎が異界を異界として読者が意識できるような描き方をしているのに対し、「洞窟ゲーム」の世界は日常と異界との境目がない。登場人物は主人公だけでなくその多くが、この日常と異界が混ざり合った世界で生きている。そしてその異界が時にかなりバカバカしい世界であるが故に、“異界譚”にも着地しないことが多いのだ。

その独特な世界の日常を追っていくことで、読者はわかり易く定型化された感情とは別個の、自分の中に潜んでいた言葉にならない感情を引き出されることになる。ギャクにも異界譚にも着地しないという意味では、「バカバカしい」とか「意味がわからない」とかいった拒否反応を示す読者もあるかと思う。そう言う点では読む人を選ぶ漫画である。

でもそれはこの漫画が、定型化された感情とは違った感情を喚起する漫画だからなのだ。実は非常に斬新な内容を秘めているのである。帯の文句ではないが「癖になりそう」な魅力に満ちている。

2010年6月2日水曜日

「フランケンシュタイン 対 地底怪獣」

   
フランケンシュタイン 対 地底怪獣」は東宝が1965年に世に送り出したモンスター映画である。敢えて“怪獣映画”と言わないのは、これが“フランケンシュタイン”と呼ばれる異形の人間的存在を中心とした物語だからだ。そういう意味では「キングコング」に近いかもしれない。

本作の魅力は他の怪獣映画にはない暗さにある。
  
物語は第二次世界大戦末期、ドイツから「フランケンシュタイン」の心臓が同盟国であった日本へと密かに送られるところから始まる。この心臓はタンパク質さえ与え続ければ、永久に生き続けるというものであった。

日本ではこれを使って、弾が当たっても死なない肉体を持つ兵士を作るための研究を行なうことになる。とその時、研究所のある広島に原爆が投下されてしまう。

1965年と言うと、戦争の記憶がまだ鮮明であり、その色が強く現れていた1954年の「ゴジラ」から、さらに10年以上が経っている。特撮映画も「ラドン」、「バラン」、「モスラ」などの怪獣が登場し、原爆や戦争の恐怖の具象化としての怪獣から、怪獣の存在理由の一つとしての原爆や核実験といった“逆転現象”が進んだ時期だ。

従って本作でも広島の原爆はあっさりと描かれる。放射能を浴びても影響を受けない子ども(フランケンシュタイン)の特異さと、その後の身長20mにま達する異常な成長を理由づけするためだけに持ち込まれた設定であるかのようだ。

その安易さに比べ、むしろ「死なない兵士をつくる」という大戦末期における発想や、登場人物が述べる「戦争末期にはわけのわからないことがたくさんあった…」という述懐が、妙にリアルな印象を残す。

物語はこのフランケンシュタインの成長と彼を科学者的立場で守ろうとする戸上季子(水野久美)らの研究者を軸に進んでいく。研究所の戸上は彼を「坊や」と呼び、「わたしがいれば暴れることはないんです」と周りに告げる。しかしそうやって彼女に心を許すフランケ ンシュタインとは違い、戸上はクールである。どこまでも彼を信じ彼を庇おうという域にまでは至っていない。フランケンシュタインの報われない思いが切ないし、自分を受け入れてくれる場所がこの世にまったくないという究極の孤独が、見ている者の胸を打つ。

「キングコング」が、異形の怪物が決して成就されない人間の女性の愛を求めた悲劇だとすれば、本作は異形の怪物が決して成就されることのない母親の愛を求めた悲劇として展開していくのだ。

巨大化することでやがて檻に入れられ、手かせをつけられる彼。それを見せ物のように写真を撮りにくる取材クルー。例え戻れないとしてもキングコングには南海の島に自分の居場所があった。しかし彼にはそうした場所は一切ない。存在そのものが許されないのだ。ただただ逃げるしかない。目立つ巨体と飢えとに苦しみながら。

しかし最後、彼はバラゴンという肉食で人をも食べる地底怪獣と、人間あるいは戸上たちを守るために戦う。そして勝利とともに地中に飲み込まれていく。このいたたまれなさ。不死身の肉体を持つ存在だと思っても、怪獣に何の武器も持たずに果敢に挑んでいく細身の姿が痛々しい。

ストーリー設定だけではない。それを補ってあまりある特撮技術の素晴らしさも特筆ものである。日米合作ということもあり、“洋画の巨大怪物サイズ”を採用、身長20メートルは従来の「ゴジラ」や「ラドン」の約半分の大きさとなる。このためミニチュ アセットも従来の半分の大きさということで、巨大怪獣映画よりもリアル感が増している。

フランケンシュタインが戸上の住む団地に会いに行くシーンや琵琶湖で水中から 突然現れるシーン、そして意外とかわいい顔をしているバラゴンの家畜やバンガローの襲撃場面も、不気味な空気感と異様な迫力に満ちている。最後の対決場面での素早い動きによる両者の戦い方も動物的だし、バラゴンの倒され方もリアルだ。しかしまた山火事の炎をバックに勝利の雄叫びを上げるという合成によるケレン味ある演出も素晴らしい。

そしてフランケンシュタインの特殊メイクがまた絶品。今の技術から考えれば稚拙かもしれないが、それを感じさせない不気味さと、その奥に感じられる悲しみが伝わってくるのだ。子どもの頃に見た時は、その異様な暗さに圧倒された覚えがある。今見返してもその凄さは少しも衰えていない。

そこには直接的な戦争の影はもう描かれてはいない。むしろ一見戦争は過去のもの、映画の設定上必要だったものに過ぎないかのようである。しかしこの絶対的な孤独の中に放り込まれた異形なる怪物に、わたしはどうしても戦争孤児の姿を見てしまうのだ。それも、頼るものもなく、受け入れてもらえる場所も注がれるべき愛情もないまま、飢えと孤独の中で死んでいった子どもの姿を。

一連の特撮怪獣シリーズとも「電送人間」などの変身人間シリーズとも異なる、あるいはその両者を合体させることで新たに作り上げることのできた、東宝特撮映画史上稀に見る傑作。この画面やストーリーが放つ比類なき重苦しさは、決して今の映画にはない、いや、もう二度と出せないものなのだ、きっと。