2012年7月28日土曜日

福祉の職場に接して思い出したこと

やっぱり特別支援校と作業所の違いはあっても
福祉の現場を目の当たりにすると
4年前に精神的に追い詰められて仕事に行けなくなり
「適応障害」と診断された頃のことが思い出されるのである

思えばひどい職場であった
新しいコンセプトの新設校だから
学校のイメージが教員間できちんと共有できていなかった
それはある程度仕方がないことだと思う
しかし実際入ってきた生徒を前にして
予想とは違う自体が次々に起った
でもそれも想定内のはずじゃないかと思うのだが
そういうシビアな状況で
当時の教職員たちは助け合うことが出来なかった
簡単に言えば自分は何もせず文句を言うだけである
管理職がまずヒドかったな
だって副校長と主管(後に副校長になった)が
わたしに違うことを言ってきたからな
それも「命令」か「苦情」である
特別支援校での経験のないわたしを
拝み倒すように学年主任にしておいて
サポートのサの字もなかった

校長も副校長も主管の皆々様も
「命令」すれば役を果たしたかのようであったし
結局校長からは最後まで何のねぎらいの言葉もなかったしなぁ
静かに退職してくれて良かったと思っていることだろう

あ〜今更ながらに腹が立つ
一回ぐらい労災の申請を臭わせても良かったかも
でも教員て出勤時間の記録はあっても
退勤時間の記録はない!のである
もちろん残業時間が全てじゃないけれども
特別支援校から来た教員たちも
互いに協力するっていう態度がみられなかった
自分のクラスの手に負えない生徒は学年主任に押しつけ
他人のクラスの手に負えない生徒は担任を非難するだけ
あれは特別支援校の「文化」なのか?
第一今どき自分のことを「先生は…」って言う感覚がわからん
何様?って感じである

恨み言になってしまったが
まぁトラウマだから仕方がない
簡単には消せない記憶であり心の傷なのだ
それが今日ちょっと甦ったってことである

あの学校は当然今でもあるんだろうなぁ
まぁ東京都の鳴り物入りの新設特別支援校だったからなぁ
でも個人的には嫌な思いを残して去った学校だから
実際になくなっていて欲しいものである
いや自分を誉めてあげたいくらい
ギリギリまでよく頑張った思い出でもあるから
アンビバレントな困った存在でもあるのだけれども…
まぁでも実際になくなっていたらやっぱり嬉しいかも
わたしをないがしろにした学校は
結局続きませんでした…ってね