2009年10月23日金曜日

「東京都教員採用試験が低倍率」の記事を読んで

今日の朝日新聞夕刊に次のような記事が載っていた。

先生 異例の追加採用人気?の東京、ねらうは東北、九州

小学校の教員採用試験の受験倍率が2倍台と低く、都教委はこれでは優秀な人材が確保できないと嘆いているという。考えようによっては失礼な話である。敢えて東京を選ぼうとしている人たちに対して。

だいたいが都教委は「ボランティア」授業の必修化など、全国に先駆けて様々な取り組みを率先して行ってきている。非常に忙しい教育環境なのだ。先日ポシャったオリンピック招致だって、東京に決まっていれば教育現場にどんな無理難題が降り掛って来だろうと思うと空恐ろしい。

現場は次々に上から降りてくる様々な課題や制度の改変に追われっぱなしだ。まさに自転車操業状態で、これでは

授業の新鮮なアイデアとか、そのための周到な準備とか、きちんとした評価とかができるわけがないじゃないか

と以前から思っていたのだ。

学校(校長)と教育委員会との関係も非常にドライである。これもいかにも東京的である。

開設準備室にいたとき多くの指導主事に合って感じたのは、校長はあくまで教育委員会の下っ端に過ぎないということだった。たまたまその時の校長、そして現任校の校長が都教委経験者だったため、卑屈さがないというか、経験者の自信があるというか、ある意味対等に話をしていたけれど、それは経歴故の特別な関係だった。

基本的に校長にとって教育委員会、指導主事は絶対の存在である。まぁ力のある指導主事は本当によく働いていて、いつ家に帰っているのか分からないほどで気の毒なくらいである。だから一概に権威的であるだけではないことは確かだけれど。

面白かったのは、研究開発校(これに選ばれること自体、学校として相当名誉なことらしい)という文科省の特別指定校になって、その主担当として研究テーマ別分科会に出席した時のこと。

他県では代表校と教育委員会の担当者が並んで席に座り、仲睦まじく研究内容や発表・説明内容について最後の詰めをしているのに、東京都だけは担当指導主事は全く別のところに座って仲間意識の一端も見せなかっただけでなく、あろうことかわたし(東京都)が発表している最中に突然

話が長いので手短に

と口を挟んできたのであった。唖然。多分10グループ近くいた他県の人たちも皆唖然。無礼千万この上なし。

わたしは頭に血が上って、話途中でいきなり「以上です」と言って発表を終えた。話は見事にぶった切れた。さむ〜い雰囲気が一同を包んだことは言うまでもない。

東京都にはそういうところがある。「いっしょにやろう」ではなく「言う通りにやれ」っていう感じ。へんなプライドがあるんだな。

新聞記事では最後に笑わせてもらった。

都会の子どもは生意気そうとか、親もうるさそうというイメージを持たれているが、東京といっても都心だけではない。多摩や離島もあり、田舎と環境は変わりません」

と都教委はアピールしているのだと。こりゃ笑うしかないだろう。
だってこれは

確かに都心では生意気な子どもとうるさい親がいますけど)

って暗に言ってるようなもんでしょう。
それに採用になったら、どこへ行かされるかわからないんだし。「多摩」に行ける確約が取れるんですか?

現実問題として、確かに生徒や保護者など様々な問題を抱えていることは事実なんだから、せめて都教委は、教職員を手厚く保護して欲しいものだ。教員がのびのびと、生徒と接する時間が取れるように、教職員にゆとりのある職場作りを考えて欲しいなぁ。。

いや、無理だな体質的に。教育委員会は首都の教育を背負ってるって自負があるから。そのプライド、というかおごりはちょっとやそっとじゃ捨てられるものじゃない。

だってそもそも東京の教員になることに魅力がないから倍率が下がったんだろうに。そこを考えないで他県に人材を求めようとすること自体、おかしいんじゃないの?自分らを顧みる力が無い証拠だろう。