2009年10月3日土曜日

飛騨高山〜白川郷の旅<後編>


二日目は高山からバスで白川郷を目指す。でも朝目覚めたら逆に体調は熱海の時ほど劇的な回復はしていなくて、ちょっと不安なスタート。朝ご飯をしっかり食べてバスの中でも少し寝て、次第にカラダが復調し始めてくれた。ありがたい。

空模様は微妙。今にも雨が降り出しそうな気配。でも午前中に白川郷に着いた時点ではまだかろうじて雨は降っておらず、さっそく散策開始。

長い橋を渡って川を越えると、そこは合掌づくり建築の集落が広がる。まさに別世界。近年まで「陸の孤島」と言われ、一時は合掌づくりの家が4軒にまで減ってしまったというこの村落も、1995年に世界文化遺産に登録され、今ではいたるところに合掌作りの家々を見ることができる。

まずは和田家を訪問。一階は見学スペースと住居人の生活スペース。もちろん生活スペースは立ち入り禁止。二階と三階部分は、養蚕で使っていたという天上の低いスペース。様々な器具が並べられている。

合掌づくりの内部構造も手作業の凄さが伝わって見応えがあったが、薄暗く妖しい雰囲気もわたしの好みにピッタリ。外部から閉ざされて生活していた長い時代に思いをはせる。

団体と一緒になるのを避けて、まず村落の一番端にある城山城址展望台へ登る。なだらかな道もあったのだが、急勾配の近道を一気に上って息が切れた。にゃ〜こはそこをハイヒールのブーツで登りきった。すげ〜ぞ、にゃ〜こ。

見事な景色。個性豊かな集落である。今でこそ観光地としての明るさを持っているが、観光地化されていなかった頃は、合掌づくり作業という太い絆でつながった独特な閉鎖的な村落共同体だったんじゃないかなぁ。 村から外に出ると魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界が広がっている、みたいな。

展望台の上で「写真撮っていただけますか」と頼まれ、下りの坂で「展望台まで後どれくらいですか」と2回も聞かれたわたしは、ここでも「尋ねられ人」の本領発揮である。

続いて長瀬家を訪ねる。白川郷最大級の五階建て家屋。ただし入れるのは三階まで。高山の太い柱と梁が幾何学的に配された木造建築も圧倒的だったけれど、この木製のクサビ、捻ったねそ(まんさく)、そして荒縄で作り上げられた手作り感あふれる骨組みも圧巻であった。

平成13年の屋根の葺き替えには、村人や全国からのボランティア500人以上が総出で作業にあたったという。一つ一つがその手作業の跡なのだ。なんか凄いものを見てしまった気分だ。

外に出ると、山中に孤立した村落というよりは里山を思わせる景色が広がり、まだ刈り取られずに残っていた稲穂の黄色が印象的だった。建物の裏に回ると洗濯物が干してあったりして、生活感も感じられるのが面白い。

雨足が強くなり、団体客も次々と群れをなして押し寄せて来たし、バスの時間もそれなりに迫ってきたので、合掌造りのお寺という明善寺に最後に立ち寄って、バス停へ戻ることにする。

しかし、だがしかし、なぜか最後の最後にあった売店で、わたしはどうしても買いたいものを見つけてしまったのだ。それは、ジャ〜ン。「お守刀」。木製の刀である。あ、笑ったでしょ。白川郷の「し」の字ほどにも関係ない、お土産屋にすら最近はあまり見かけない代物。

木刀ではありません、ちゃんと鞘から刀身が抜けるんですよ、って力説するほどのモノではないんですけど。 自分でもわからないんだけど、どうしてもここで買うのだと思ってしまったのだ。

バスで高山へ戻って、前日タッチの差で閉館時間になって入れなかった高山陣屋へ寄る。「全国に唯一現存する群代・代官所」と言われる、江戸時代の御役所である。

時代劇に出てくる御白州(取り調べの場所)やら年貢米を入れておく米蔵やら、その歴史的な存在感と圧倒的な規模にびっくり。

陣屋を出るともう帰りの電車の時間だ。陣屋前の団子屋で団子を買って駅へ。その団子は電車の中でおやつになった。

こうして二日にわたる旅は終わった。今回の旅の特徴は自然の景観を楽しむというよりは、歴史的な建造物(町や村を含めて)を味わう旅だったわけだけど、大げさに言えば、自分の生活環境や生き方を振り返る旅だったような気がする。

家は本来もっと深い世界をはらんでいたんだろうと思う。夜は暗くて恐くて、薄暗い灯りの下で家族が何となく片寄せ合って生きていた場所。でも昼間は風が抜け陽射しを庭の植木がさえぎって、縁側で時が経つのを忘れさせてくれるような開放的な場所。

確かに雨戸はガタピシ動きづらく、ガラス戸は風にガタガタ揺れ、夜一人で便所に行くのは勇気が必要だった家は、不便で陰気だったのかもしれない。でもそこにあった懐かしいものを、この先いつの日か、もう一度手にしたいなぁと思ったのであった。

にゃ〜こと一緒に縁側でお茶をすすれるといいなぁ。