薄情な話であるが
実際のところ1年ぶりくらいだろうか
昨日は2時間半ほどかけて
実家のさらに先にある父の入所施設に行ってきたのだ
もうそこは山間部で駅から徒歩5分程度のところではあるが
駅前書店街など皆無
それどころか駅舎に待合室が無いので
30分に一本程度の電車を駅に来て待つことは
この寒さの中かなりの忍耐が必要
そんな場所である
突き当たりが駅舎である
以前市立病院だった時に入院していたことがあるのだが
今は「医療介護センター」という民間の施設になっている
それに伴って内装がきれいになり環境も改善されていた
白い3階建ての建物が「医療介護センター」である
「センター」は「介護老人施設」を併設した地域医療拠点という感じなので
病院としての機能もあって「施設」とは階を分けてある
父は今は「入院」ではなく「入所」なので
ここは治療ではなく生活とリハビリをする場所である
環境が改善され暖かな部屋で過ごせていることもあってか
部屋に入ってみると父は予想外に元気であった
確かに目は見えなくなっているし
自力で寝返りをうつこともできない状態だけれど
右手は動くからラジオで女子駅伝を聴いていた
脳梗塞で左半身マヒなので滑舌は良いとは言えないが
普通に受け答えができるからアタマは冴え渡っている感じだ
ショックを受けるといけないのでわたしが退職したことは伏せてある
でも仕事で体調を崩して無理することは止めた話をしたら
やはり教師であった父は
自分も大変であったという昔話をし始めた
こんなことは今までほとんどなかったことだ
父は小学校の校長・中学校の校長・県教育委員会の指導主事
そして退職後は市の教育委員会で数年働いたという
教育委員会ではなんと「同和問題」を任されていたという
それはとても神経を使う大変な仕事だったろうと思う
管理職同士の確執とか問題教員(働かない人)の対処とか
管理職の大変さもこぼしていた
つまりわたしに愚痴を言ってくれたのだった
もうはるか昔の過ぎ去りし日々のことではあっても
腹にはたまっていたんだろうなぁと思う
実家の片付けの話をしたら何度も礼を言われた
恐らくもう戻ることは無いであろう実家だけれど
やっぱりそこは父の家であるのだなぁと思った
家がきれいになったよって早く行ってあげたいなぁ