昨日は5回目のシルク・ド・ソレイユ体験であった。
2018年の「キュリオス」から実に5年ぶりに
「アレグリア」を見てきたのだ。
コロナ禍のせいで、2020年に経営破綻した
シルク・ド・ソレイユが
復活をかけ満を持して持ってきたのが
1994年の「アレグリア」のリニューアル版だ。
自分たちにとっては
久々のシルク・ド・ソレイユだが、
東京公演は2月初旬から始まっていて、
もう3カ月以上経っている。
それでもなぜか、いつも以上に
この公演に賭ける演者たちの気合いが、
ステージから伝わってくる気がするのだ。
コロナ禍で心を閉ざしていた観客たちの
〝心を揺さぶられる〟ことに飢えている感じも
会場にあふれている。
リニューアルはされているとは言え
今回は1994年版の「アレグリア」ということもあり、
奇をてらった感じではなく、
基本に立ち返ったようなからだを張った演技を
丁寧に、そして完璧に披露しようという
堅実な本気が感じられた。
相変わらず素晴らしい生歌と生演奏との
ハイレベルなコラボレーションも見事。
途中、地震でわずかに中断したものの、
集中力の途切れないステージは圧巻だった。
特に最後の空中ブランコ。
時代が変わり、出し物が増えようとも、
サーカスの花形は
やっぱり空中ブランコであることを実感。
ああ、楽しかった。
2023年5月27日土曜日
シルク・ド・ソレイユ「アレグリア」を見てきたのだ!
2023年5月23日火曜日
au certified(認定中古品)iPhone SEを26,800円でゲット!
2019年4月以来まる4年
iPhone7を使い続けていたのだが、
ストレージ32GBがどうにも辛くなってきた。
写真はすぐにGoogleフォトにバックアップして
端末からは消してしのいでいたのだが、
ウクレレ発表会に向けた練習で
動画の数が増えると、
もう気軽に撮影できる残量ではなくなって、
いつも苦労していたのだ。
そこでUQモバイルのオンラインショップで
認定中古品のSEに機種変更することにしたのだ。
その価格、何と26,800円。
SEだし認定中古品なので、
機種変更したからと言って
全然新機能にワクワクという感じはない。
でもストレージは倍の64GBにしたので、
撮影のストレスはまったくなくなった。
これは大きい。
例えば今日はレンタルルームで30分、
自主練をしたのだが、
これからは撮りっぱなしにした状態で、
何回か演奏して、
あとから必要なところだけ残す
みたいな贅沢な方法も取れるだろう。
中古だからバッテリーの持ちも
あまり期待できないかもしれないけど、
気分的には格安でバージョンアップできた
というお得感の方が強いかな。
ボディが赤というのもお気に入りである。
ちなみに
旧機種から新機種へのデータ移行は
「クイックスタート」が勝手にやってくれるので
LINEも含めて、
まったくの手間いらずだった。
今はこんなに簡単になったのね、
びっくり。
2023年5月21日日曜日
やっと鼻炎薬(花粉症)から解放か
毎年年明けの1月中旬から
5月の連休ぐらいまで毎日飲み続けている
花粉症対策の鼻炎薬「ストナリニ」を
ようやく20日から飲まなくなったのだ。
最近は花粉症だけでなく
ハウスダストや黄砂や寒暖差や
何やかんやで
一年中「ストナリニ」が手放せない気が
しているのだが、
取り敢えず最大の敵である花粉は去ったので
一旦やめて様子を見てみるのである。
で、4ヶ月間もの間
毎日、場合によっては一日二錠
飲み続けていたせいであろう、
断薬した昨日、今日の体調が
すこぶる不安定である。
もともと自律神経失調気味であるが
それともちょっと違う感じ。
昨日など、朝からずっと眠いのを我慢して
ずっと仕事をしていたら、
掛け時計が電池切れで止まっていることに気づかず
夕方5時過ぎまで、
ずっと12時半だと思っていたのだ。
ああ、もう少し仕事したら
横になって休もうと思いつつ、
結局一日中仕事をしてしまったのだ。
それも、夕方になっていることにも気づかずに…。
そこのからだの具合と感覚も相当おかしい。
そして、やっと寝られると思いながら
11時前に布団に入ったのだが、
夜中の2時過ぎまで寝つけなかったのだ。
その分のしわ寄せが、
今日午後の昼寝となってあらわれた…。
もう睡眠時間もガタガタだ。
今週は少しずつ落ち着いてくれるだろう。
5月も終わって、
ウクレレ(発表)の夏が
じわじわと近づいてくる感じだな。
がんばらねば!
2023年5月14日日曜日
「カルメン」の古書を一万円で購入!
次作の翻訳書として考えている
メリメの「カルメン」の資料として、
1911年発行のフランス版古書を
一万円で購入した。
挿絵がある書籍が少ない中で、
この1941年フランス版は
フランス人画家Eugene Decisyによる挿絵が
リアルで繊細で、
実に素晴らしいのだ。
この絵を世に復活させるだけでも
意義ある仕事と言えよう。
やる気が出るなぁ。
2023年5月9日火曜日
今度はORCASにウクレレ弦交換!
1月6日にAquilaのred弦を張ったのだが、
それから約4ヶ月経ったところで、
今回、たぶん生まれて初めて
弦の劣化をはっきり感じて弦交換したのだ。
3弦がビビり始めたので、
これはさすがに弦の劣化か?と思い、
外してみたところ、
すべての弦でフレットに当たる場所が
激しく毛羽立っていた。
確かに、3月末のソロ披露と
1月頃からの「ルパン三世」の練習で、
かなりガシガシ弾いていたからなぁ。
練習の結果が弦の劣化として出るくらい
がんばったということか。
Aquilaはかなりいい感じだったのだが、
今手元にあるのはORCAS弦だったので、
再びORCASを試すことにした。
これは去年大活躍してくれた弦だ。
昨年末に一度張ったのだが、
オクターブピッチがどうしても合わなくて、
Aquilaに張り替えたという経緯がある。
もしかするとその不具合は
弦セットの個体の問題だったのかもしれないので、
再びORCASにチャレンジして、
様子を見てみようと思う。
まだ安定しないから何とも言えないが、
それほどピッチが悪い感じはしないかな。
そろそろ7月のサントリーホール前哨戦、
8月の町田イベントとサントリーホール本番に
どの弦で挑むかを考える時期になるから、
慎重に判断しなければ、である。
2023年5月6日土曜日
連休最後のお散歩は江古田の森公園
昭和記念公園、木場公園&清澄庭園と歩いて、
ゴールデンウィーク最後のお散歩をしに
江古田の森公園に行ってきた。
広場と里山からなるかなり広い場所。
残念ながら
シンボルのハナミズキはもう散っていて
新緑の緑を味わう感じだった。
でもとても静かな落ち着いた公園だ。
2023年5月5日金曜日
木場公園と清澄庭園に行ってきたのだ
ゴールデンウィークのお散歩に
木場公園と、近くの清澄庭園に行ってきた。
木場公園は、
巨大な木場公園大橋があることで
以前からチェックしてあった場所。
でも行ってみてまず驚いたのが、
都市緑化植物園という場所。
小さくコーナーが分けられていて、
それぞれがとてもきれいに手入れされて、
色とりどりの花が咲き乱れていたのだ。
そして川をまたぐために掛けられた大橋は
期待通り超デカかった。
奥にスカリツリーが見えるのも
ポイントが高かった。
続いて清澄庭園へ。
都立9庭園が入園無料だったので、
超ラッキーだった。
大きな池の周囲を一周する、
一見単調そうな道なのだが、
〝磯渡り〟と呼ばれる
飛び石が置かれた場所など、
意外と変化に富んだ作りになっていて
歩いていても飽きない。
それに、さまざまな色の緑が折り重なる景色が、
とても美しかった。
2023年5月1日月曜日
「PLAN 75」を見たのだ
Amazon Primeで「PLAN 75」を見た。
見ていてずっと辛い映画だったけれど、
最後まで見て良かったと思った。
冒頭の、偏った思想を持った若者による
高齢者施設での大量殺人後らしき場面。
真面目に生きてきた主人公ミチが、
次第に金銭的に追い詰められて、
PLAN 75、つまり安楽死を選ぶ流れ。
確かにここには
高齢者は存在自体が悪であるとでも言うような
リアルなディストピアが描かれている。
施策「PLAN 75」の良い面ばかりを強調するような
いかにもな描かれ方が随所に出てくることが、
逆に痛烈な批判になっている。
しかし、この作品が突き抜けているのは、
現代社会の一部に見られるような、
高齢者や弱者を社会の役に立たない存在と見なし、
さらには、社会の役に立つか立たないかという
狭い視点だけで人の価値を決めようとする思想を、
痛烈に批判している…
だけではないところにあると思うのだ。
主人公のミチだって、
不動産会社で言われたように
生活保護を受けるという道があるのだが、
プライドがそれを許さない。
つまり、仕事を失ったミチは
確かに経済的に追い詰められているのだが、
誰に世話にもならずに
生きたいように生き、死にたいように死にたい
という思いも強く持っている。
そして稲子が家で
誰にも知られずに亡くなり、
そのまま放置されていたのを目の当たりにし、
ミチはきっと、
自分は、静かに、きれいに、
死にたいように死のうと思ったのだ。
つまり、
制作意図には反しているかもしれないが、
死ぬ自由が与えられる
「PLAN 75」という制度は
高齢者当事者にとっては、必ずしも
ディストピアではないかもしれないのだ。
はたから見れば、
社会の同調圧力だ、とか
子どもたちへの過剰な忖度だ、と見えたとしても
本人にとっては、
追い詰めらて嫌々ながらではなく、
自分の人生を自分の意思で完結させるために、
「PLAN 75」を選ぶ人は絶対にいるだろう。
つまり弱者を否定するような社会的な問題だけでなく、
極めて個人的な、
どうやって自分は死を迎えたいかという問題が、
ここには大きく横たわっているのだ。
映像が美しい。
会話は少なく、音楽もほとんど流れない。
それが良い。
怒りも悲しみも決意も落胆も表に出さず、
死を覚悟してからの濃密な時間を
淡々と生きてゆくミチの倍賞千恵子、
そしておじの鷹たかおの自然体な演技が切ない。
映画内で歌われる
「林檎の木の下で、また明日会いましょう」
という歌は、明日も会えることを
無条件に信じている者同士の会話なんだと、
しみじみと思った。
ちなみに、ワタシ的には
ラストは死にゆくミチの妄想と
役所職員のヒロムの願いが交錯した夢だと思いたい。
突然人気のなくなる、セキュリティー・ゼロな病院。
ミチはベッドで起き上がるまで
致死性ガスを吸うためのマスクを外していない。
つまり致死量のガスは吸っているはず…。