2009年2月14日土曜日

my 音楽歴 <1990年代〜2000年代>

1990年前後にバンドブームがあって、そこからそれまでにない個性豊かなバンドが生まれた。多くはバンドブームが去ると同時に消えていったけど、なんと1990年代のわたしを支えてくれたのは「筋肉少女帯」と「人間椅子」なのである。どっちも暗くてうひゃ〜って感じ。

「筋肉少女帯」は大槻ケンヂ率いるロックバンドであるが、上手いとは言えない(特に初期はただただ怒鳴っていた)大槻の歌う幻想的、耽美的、自虐的、逃避的、絶望的な詞、そこに被さる超絶ギターを核としたハード&プログレッシヴな演奏が、何度も何度もわたしを救ってくれた(写真は『月光虫』)。
  

大槻ケンヂの詞は「大槻ケンヂ全詩歌集 花火」(メディア・ファクトリー、2003年)で読める。でも曲として聴かないと世界が伝わり切らないけど。

「人間椅子」は「新月」は「孔雀音」とはまたまた違った日本を感じさせる唯一無比なバンド。文学的な詞、地獄の闇からクトゥルー神話に至るまで描かれる広く、多彩な世界、そしてヘヴィーなサウンド(写真は「人間椅子」)。

海外のプログレやワールドミュージックブームもあって、ジプシー・キングスなんかにものめり込んでいたから、暗い暗い時期では全然なかったけど、音楽に救われることを実感したなぁ。


そして2000年。2000年代の支えは「椎名林檎」と「柴草玲」。正反対の二人。「椎名林檎は」飛び抜けた個性。独特な歌詞と硬質な声。何を歌っても歌が上手い。そして初期の巻き舌唄法から、次第に自然な歌い方になってきたけど、世界は深くなった。そしてバンド演奏は超テクニカル(写真は『勝訴ストリップ』)。
「柴草玲」はピアノ弾き語りを中心とした演奏をバックに、思うようにいかない大人の恋の世界を切なく、そしてさらりと歌う(写真は『うつせみソナタ』)。彼女のほどすうっとココロに入ってくる歌はない。面白いことに、たまたまケーブルテレビのBGMで流れていたのを、これは!と思って書き留めた名前が彼女なのでありました。
こうして今の音楽の砦があるわけです。

こんな風に自分の音楽歴を振り返ってみるのは初めてで新鮮。まぁ節操がないというか、本流から外れたところに行ってしまうというのが、サガでしょうか。

でも、時期的にはそろそろ次の10年の音楽が現れる頃かな。


my 音楽歴 <1970年代〜1980年代編>

わたしにとって音楽が特別な意味を持ち始めたのは、1970年前後からかなぁと思う。その前にグループサウンズブームがあって、学校の男子の間でタイガース派(やや不良系)とブルーコメッツ派(まじめ系)があった、みたいなことは何となく覚えている。

その後に「赤い鳥」が自分で買った最初のLPだ。1973年の「美しい星」というアルバムだった。「赤い鳥」はフォークブームに乗って出て来たグループだけど、四畳半臭さがなく、大人の世界を感じさせてくれた。男女コーラスというのも面白かったし、若々しさと親しみ易さがあった。

「翼をください」で有名だけど、「河」の雄大なイメージ、「忘れていた朝」の「忘れた朝を、二人ここで見つけたよ」というフレーズの新鮮な感覚、「窓に明かりがともる時」の、自分の帰りを待っていてくれる女性へのあこがれ。今でもじ〜んときてしまうなぁこの曲は。

でも同じ1973年に最初に買った洋楽のLPは、ピンク・フロイドの「狂気」なのだ。バリバリのプログレッシヴ・ロック。素人がいきなり最前線突入みたいな。そして海外のプログレバンドに興味が移っていくのでありました。だから1970年代は「赤い鳥」とプログレの時代。われながら、スゴイ組み合わせだこと。

1980年代はテクノ、ニューウェーヴが出て来て、一応YMOとかも聴いたけど、あまりアルバムを追いかけることはしなかった。海外では1970年代後半に出て来たパンクロックの直撃を受けてプログレは不毛な時代。
ところが日本では、例外的にプログレッシヴ・ロックグループの活動が活発化した時期だった。だからわたしにとって1980年代は、日本産プログレの時代。

「ページェント」、「アウターリミッツ」、「美狂乱」「フロマージュ」、「孔雀音」
、「高円寺百景」、「プロヴィデンス」、「ミスター・シリウス」、「ヴィエナ」…、良く聴いたなぁ。
    
「フロマージュ」は、ビルの夜間警備のバイトしてた時に、応接室にあるステレオデッキに、持ち込んだテープ入れて、夜中に大音量で聴いたこともあった。17分の大曲「月に吠える」が好きだった。

いやいや、仕事中なのに加えて、会社の私物を勝手に使うとは、ヒドいバイトであいすみませぬ。

「夕霧楼の幻想」孔雀音

「夕霧楼の幻想」は日本のバンド孔雀音(くじゃくおん)が1985年に発表した唯一の作品である。本作はオーディション用デモテープとして、ミックスダウンも含めて12時間程度という超短時間で作られたという。ほとんど一発取りでの録音だと思われる。
結局デモテープはレコード会社では採用されず、自主制作カセットレーベルから発売され、バンドは解散する。このカセットは1990年にCD化された。
   
   
 石川 真澄:キーボード
 松本 元昭:ギター
 武士 守広:ベース
 加藤 史朗:ドラムス
 小塚  靖:ヴァイオリン
 延上真麻音:作曲

孔雀音の第1の特徴は、ヴァイオリン主導型のジャズロックバンドであること。当時日本ではやはりヴァイオリンを大胆に取り入れたアウターリミッツが存在したが、アウターリミッツがボーカルを入れたシンフォニックな作風であったのに対し、孔雀音は完全なインストゥルメンタルのジャズロックバンドであった。

第2の特徴は、演奏メンバーではない延上真麻音という作曲家が全曲作曲しており、それを演奏するために集められたスタジオミュージシャン集団であるという点。延上はマハヴィシュヌ・オーケストラなどの影響を受けていたといわれるが、そういう点ではアドリブ、インタープレイで押すバンドではなく、構築型のジャズロックである。

第3の特徴は、日本的な情緒を感じさせる作風であること。メンバーはスタジオミュージシャンだけあって、演奏技術は素晴らしい。一曲目
「エリクシール」でいきなり始まる緊張感溢れるユニゾン、そのまま曲へ流れ込み、ドラムスとベースのスピーディーで的確なリズムの上で繰り出される伸びのあるヴァイオリンの音のカッコ良さ。

しかし、そうしたテクニカルな魅力もあるが、曲によっては幻想的な雰囲気を漂わせたり、少しコミカルなアレンジがあったり、雅楽的な音が使われたりすることころに個性が見られる。むしろテンションの高い曲よりも、表現力豊かな繊細な部分が活きる楽曲と演奏の方が本領なのかと思われる。

特にうねるベース、そして歌うヴァイオリンが、何とも言えない色っぽさを醸し出しているのだ。作曲の時点で日本的な旋律が意識されていたと思うが、そこにこの色っぽさ、艶っぽさが加わることで、まさにタイトルの「夕霧楼」的な妖しい世界が顔を見せる。
ほとんど裏方としてサポート役に徹しているキーボードやギターも、ここぞという場面ではジャズ指向の強いアドリブを繰り出し、細やかで堅実なプレイを見せる。

ちなみに「夕霧楼」とは水上勉の作品『五番町夕霧楼』に出てくる京都の遊郭の名前。「新月」は日本的な闇の世界を作り出したが、それとも違う日本的世界が見え隠れする。

曲によってはアレンジの詰めが甘いかとか、音のレンジが狭いといった音質的な問題とかを差し引いても、素晴らしい作品だと言える。音がむやみに厚くなっていない分、個々のプレイの面白さが聴き取れるのもよい。

ぜひきちんとしたプロデュースと十分な時間をかけて、正式なアルバムを残して欲しかった、日本的情緒を表現できる希有なバンドの、貴重な作品である。アルバム入手が困難なことが最大の難点だが、敢えて紹介するのは、このまま忘れ去られるには実に惜しい音だからだ。
 
ぜひ再発を望みたい。
   
   
 

2009年2月12日木曜日

同僚からの〝ずる休み〟メール

久しぶりに職場の同僚からメールがあった。
 
「今日は授業がない日だから〝
ずる休み〟して
 自分の住む界隈を見て回って、一人ランチを食べたました」
   
という報告だった。

うれしくなってしまった。
気にかけてくれてるんだなぁ。
でも何も聞かないし何も伝えようとしないで、
ただお散歩の話をしてくれている。

思えばその人のおかげで、
病休までは大きく崩れずに何とか仕事をこなしてこれてたんだと思う。
急なお願いもたくさんしたし、相談相手にもなってもらった。

さりげなくいろいろと気遣ってくれた。
社会人として働いた経験があるのに、
教員としては初任者だから、
辛い思いもたくさんしているだろうに、
それを見せることはなかった人だ。

復帰する気持ちにはなれないし、
実際カラダも思うように動かないけれど、
そういう人とつながっていられたことは幸せなこと。
職場との間の緩衝材のように、
職場を思う時の辛さを和らげてくれる。

本当に本当に感謝しております。
  
  

2009年2月9日月曜日

異端のウルトラマン「ウルトラマンネクサス」

国内のウルトラマンシリーズなのに、兄弟にも入れてもらえず、放映時も子供からの指示を得られず、途中で打ち切られてしまったという悲運にして異端のウルトラマン、それが「ウルトラマンネクサス」だ。2004年〜2005年に、土曜の朝7:30〜8:00という無謀な時間帯で放映された。

見る側にとっては土曜なのに早起き、制作する方にとってはゴールデンタイム枠ではないから低予算という悪条件の中スタートした「ネクサス」は、映画「ULTRAMAN」と世界観を共有するなどユニークな設定であったが、まず最初のエピソードが暗かったことで子供の関心を掴めず、一緒に観ていた親の反感を買ってしまった。

当時私も世間の反応が知りたくてネットで見て回ったが、「親子で見る番組ではない」「期待してたのにガッカリ」「暗くて子供が怖がる」みたいなコメントが多かったのを覚えている。

  
   
まず全体としてストーリーが子供向けではない。毎回読み切りではないので、ストーリーの展開を予測したり、関連づけたりと、大人の楽しみ方が要求される。そしてビースト(この世界では“怪獣”とは言わない)の気持ち悪さ、ナイトレーダーと呼ばれる対ビーストチームの暗さ。この暗さはリアルさとも言えるのだが、子供には受けないだろう。

そして問題の最初のエピソード。ウルトラマンにならない主人公の恋人を襲う異変。部屋に貼られた不気味な絵。家族との団らんが瞬時に崩壊する妄想。そして実は彼女はすでに死んでいて、操られていたという事実。観ているこちらにトラウマが残りそうなスタートだった。
しかし、確かに低予算なのかなと思わせるような、セットの貧弱さやビーストの使い回しなど、ウルトラマン vs ビーストの対決場面には物足りなさはあったが、先の読めない展開、謎の多いストーリー、他のウルトラシリーズにはない印象的な場面など、大人の番組と割り切ればとても楽しめたウルトラマンだった。ウルトラマンになれる人間が変わるというのも斬新だったし。毎週欠かさず観ちゃいました。

予定に反して途中で打ち切りになっても、最後なんとかすべての謎を解いて話を終えることができたときは、スタッフの方々に感謝してしまったくらいだ。だから次の「ウルトラマンマックス」、「ウルトラマンメビウス」はもう物足りない。色々工夫しているのは分かるけど、基本は「ネクサス」以前に戻ってしまったからね。

異端のウルトラマンネクサス。でも唯一、大人の鑑賞に耐えうる“ドラマ”としてのウルトラマンになった作品。今では映画で当たり前になってしまったが、初めてCGでウルトラマンの格闘場面が描かれた作品でもある。カルトな人気を持つというのもよくわかる。

ただし「マックス」のミニチュアセットは実に良かった。それもセットの奥にマックス vs 怪獣を置いて低い位置から撮る場面が多く、ミニチュアワークの素晴らしさにワクワクしてしまいました。ああ懐かしい。

    
  
(写真は上がガチャガチャフィギュア「ウルトラマンネクサス」、下がチョコエッグ系フィギュアで敵役の「ザギ」。ザギのデザイン好きなんです。このフィギュアもガチャガチャより小さいのにいい仕事してますね〜。)