2009年12月8日火曜日

「再婚生活 私のうつ闘病日記」に思う

 
再婚生活 私のうつ闘病日記」(山本文緒、角川文庫、2009年)読了。そして、わたしはまだきちんと「休んで」いないのかもしれない、そう思った。

自分は「うつ病」ではないと思いながら、「うつ病」体験者の本にはとても興味がある。前向きに人生頑張ろうっていう気合いの本も、こうしてビジネスシーンを生き抜けみたいなハウツー成功術本も、スローライフ&リラックスお勧め本も、今ひとつピンとこないのだ。

むしろ「うつ病」や「アルコール依存症」などの、闘病生活を綴った本の方が、とても身近に感じるし共感したり、納得したり、安心できたりすることが多い。

そしてこの「再婚生活 私のうつ闘病日記」も、日記形式なのでその日その日のココロとカラダの揺れ具合が細かく記されていて、読み出したら止まらなくなった。

わたしは本の種類に限らず、気になった表現や文章があると、そのページの上の角を折るという習慣がある。英語でdog ear(犬の耳)というらしいが、今回はdog earだらけとなった。

日記形式のエッセイとして開始し、前半部分が約半年、入院生活に至るまでの記録。間に2年2ヶ月のブランクが空いて、後半も約半年間の、回復へ向う記録だ。間の空白期間は、文章を書くことも出来ない最悪の時期をさまよっていたという。

その中で「結果的にはこの実家で過ごす数ヶ月が大きなきっかけになりました。」という一文がとても印象に残った。そして次のように述懐する。

「わたしは実家で来る日も来る日もこんこんと眠りました。食事も少ししか摂らず、風呂にも四日に一度くらいしか入らず、ただただ眠っていました。(中略)そっとしておいてもらえたので、話をしないでいいというのが楽でした。夫にはやはり気を遣っていろいろ話をしていたのです。もちろん夫との会話は楽しいもので、それが苦痛だと思ったことはありません。でもそのときの私はただじっと眠っていたい時期だったのだと思います。そしてものすごく久しぶりに「休んでいる」という実感を持ちました。
    この病気になってから専門家にもそうでない人にも全員に『ゆっくり休め』といわれましたが、休むということがどういうことか、それまでまったくわからなかったのです。体を休めても頭はぐるぐると目まぐるしくネガティブなことを考え続けていてちっとも休んだ気になれませんでした。この時私はやっと何も考えずにぽか〜んとすることができました。」
(同書より)

そういう状態にわたしは残念ながらまだ至っていない。「うつ病」ではなく「適応障害」だという思いから、むしろ現場を離れた今はもう大丈夫みたいな気になって、前へ進もう進もうとしている。これは違うんじゃないかと思ったのだ。

著者自身、「わたしは長年不健康な生活を送ってきて、その結果身も心も病んでしまったんだと思います。」と振り返り、胆のう炎により胆のうの摘出手術を受けている。そう言えばわたしも胆のうにストレスがかかっていると指摘されたではないか。

だから「うつ病」であれ「適応障害」であれ、わたしもストレスで歯車の狂ってしまったカラダの回復に時間が必要なのだ。その部分は同じなのだ。現場を離れたからOKみたいな簡単なことではないのだ。わかってはいたつもりだったが、本書を読んでそれを実感したのだった。

しかしわたしには「帰るべき実家」はない。実家は「老老介護の場」で、これ以上心配や迷惑を増やすことは決して出来ない。

だから少しずつ少しずつ今の生活の中で、自分を休ませていくしかないのだろう。昨年の病休時に比べれば、確実に気持ちの安定度は高まってきている。でも昨日今日みたいにカラダの不安定感はまだまだだ。そしてカラダの不安定感はココロの不安定感を引きずり出す。

これは長期戦なのだと思ったのだった。