2009年12月2日水曜日

「再婚生活 私のうつ病闘病日記」山本文緒

   
再婚生活 私のうつ闘病日記」(山本文緒、角川文庫、2009年)を、読みながら休職から1年、病休から1年半のこれまでのことをつらつらと考えてしまった。

心身症的傾向の強い適応障害の身としては、カラダとココロの両方を休ませることが大事なのだが、最初はココロを休ませるのが大変だった。

突然大きく予想もしない生活の転換だったから、混乱し自責の念にかられ不安定になり、ぐるぐると思いが同じところに留まることから、やっと少しずつ前へ前へと目を向けることができるようになってきたこの頃。

周りの人の理解や応援のお陰なのはもちろんだし、こうやってブログを書きながら、一生懸命「前向きな物語」を自分に語り続けて来たことも大きい気がする。

予想外だったのはストレスが体調に強く出ること。それもそうした回路の根がかなり深いこと。ココロが上向いてもカラダはそれがカラ元気だと見抜く。そして敏感に警報を鳴らす。ちょっと調子に乗ってビール飲んだりすると、すぐ不調信号が出たし。

だから今は気持ち的に安定してきたとは言っても、ストレスの度合いはカラダの反応を見て判断する、そんな感じになってきてるかなと思うのだ。

夜2時前には寝て朝8時までに起きることを目指していたが、夜1時までに寝て朝7:10に起きるというパターンがだいぶ定着した。起きたらちゃんと着替え、洗濯干しをする。

「七時過ぎに顔を洗い、知る内儀に着替えて簡単に化粧。別にすっぴんでもいいのだが『起きたこと』を意識しないと果てしなくだらだらしてしまうので。」(同書より)

という入院中の生活の部分を読んで、わたしにとっての「起きたこと」への切り替えスイッチは洗濯干しだなと思った。でもカラダが要求してきたら昼寝もする。

これまで「気合い」で色々乗り越えて来たけれど、今はカラダの声に耳を傾け「気合い」は封印したい。しかしこの「気合い」でこれまで生きて来た歴史があるから、頭で考える程なかなか簡単には封印ができない。

負けず嫌いなところがあるんですよかなり。でもそうやって自力で試練を乗り越えて来たという自負もある。だから基本的に自分の力を信じているのだ、大した根拠でもないのに。

であれば「気合い」を封印するというよりは、できなさそうなことをやってしまうための「気合い」から、できそうなことを敢えてストップする「気合い」に変える、というのが気持ち的には自然でいいのかもしれない。

「うつ病」もその症状の現れ方は様々だという。「適応障害」もわたしはカラダに来るタイプ。でもその方が恐らく「うつ病」化には向わないに違いない。実際「抗うつ剤」服薬は2/27日に止めてるが問題はないし。この間ウクレレ発表会前にちょっとだけ安定剤として復活させたけど、眠くて仕方なくなったっていう印象の方が強い。

だから今はカラダがバロメーター。にゃ〜こと話していたのだ、来年の夏にはまた一緒にビールが飲めようになるのを目指そうって。