2010年3月20日土曜日

「ほしのこえ」新海誠


   
今頃かと呆れる向きもあろうかと思うが、新海誠の「ほしのこえ」を見た。ほぼ個人ですべてを作り上げたということが大きな話題となっていた、25分の短編アニメーションである。

先に次作の長編「雲のむこう、約束の場所」を観ていたので、作品順としてはさかのぼるかたちで最初の作品に触れたわけだ。

正直涙が出そうになった。この切なさを味わうためにだけこの作品はあると思う。 だから細かな背景的な設定はむしろ必要がない。この作品ではむしろ背景的な設定はわからなくていい。

話はミカコとノボルという、淡い恋心を互いに抱いている中学生が、詳しい状況説明もなく突然引き離されることから始まる。そこに生まれた切なさが、次第に大きくなっていく。

二人に取って最初は同じ高校に進学できなくなってしまった程度のことだったのかもしれない。ミカコが国連宇宙軍パイロットの選抜メンバーに選ばれたという「理由」に対し、どちらもそれに抗うこともないし喜ぶわけでもない。淡々とそのことを受け入れる。

ここですでに「戦う男」と「待つ女」という古典的設定は逆転している。「戦う(調査が主目的だが)」ために「強制的に遠い場所へ連れて行かれる」のは、ミカコの方だ。それに対してノボルはミカコのことを心配したり、守ってやりたいと思ったりすることもない。そうした古典的と言うか、大人的関係はここにはないのだ。

しかし戦っている方が女性であるという点は大きい。もし逆にノボルが戦い、ミカコが待つ身であるなら、どうしても物語を見る側の視点は戦いに向いてしまうだろう。例えノボルが戦いたくないと思っていたとしても、それは「エヴァ」と同じで、彼自身の内面的な物語にはなったとしても、二人の切ない恋の物語にはなり得なかっただろう。

二人はまだ恋人同士とまで言えない程度の関係だということも重要である。しかしメールのやり取りは続けるだけの気になる存在であるところがミソだ。このメールを通じて二人の思いは次第に深まり、メールの送信と受信の時差が大きくなっていくことで、切なさも大きくなっていく。それが二人を恋人同士にしていく。
  
メールは本来、今という時間を互いに共有している感覚を持てるツールのはずなのだ。しかしここではメールによって気持ちが近づくのと裏腹に、そのメールが互いの距離の開きを感じさせるツールになっていく。その時間差が開くことから、今ミカコがどこにいるのかという火星だとか冥王星だとかいった場所の感覚では感じられない、“二人の遠さ”がリアルに伝わってくる。

そしてミカコが初めて帰りたいと思う時浮かぶのは、平凡な日常の何でもない景色や出来事である。二人はずっとその場所と時間である意味止まっているのだ。ミカコのノボルへの思いは、地球という故郷への思いであり、平凡な日常への思いでもある。だからこそ新海誠がその平凡な日常の情景を非常に美しく描いたことに大きな意味がある。

設定の不自然さ(なぜ中学生がいきなり短期間の訓練で第一線に配備されるかとか、なぜ制服を着て戦っているのかとか、なぜ携帯が宇宙と地球の間で使えるのかとか)は問題ではない。

パソコンで世界中の街角を瞬時に観られるようになった今の時代、決定的に引き離される感覚は、きっと地球上では無理なのだ。そして離れた相手とのつながりを実感できる一番リアルなツールはメールなのだ。文字には言葉に託せない思いを込めることができる。

人間が乗り込む人型ロボットやワープ航法など、本作はこれまでのロボットアニメの決まり事を前提としているが故に、その世界に入りこむには従来のアニメに対するある程度の“慣れ”や“知識”が必要となる。だからその時点で拒否反応を示す人はいるだろう。あるいはそれを受け入れた上で、物語世界の設定が不十分、あるいは不自然である点が不満な人もいるだろう。

しかしこの作品ほどに、“二人の間の越えられない距離の悲しさ ”をリアルに描いたアニメは今までなかったのではないか。そう思わせるようなあふれる切なさが、待つことに不慣れになった現代人に強烈なインパクトを与えたのではないかと思う。完結した物語ではない。“思い”を映像化した作品である。

キャラクターの顔がちょっと同人誌っぽいかな。アンテナ部分が残っている携帯のカタチがちょっと古いかな。わたしが気になったのはそのくらいである。

万人向けではないけれど、個人的には傑作。