「
デンデラ」(佐藤友哉 著、新潮文庫、2011年)を読んだ
姥捨て山には実は
捨てられた者たちだけが村に隠れて作った
もう一つの70歳以上の女性だけの共同体
「デンデラ」が存在していたという
荒唐無稽とは言い切れない
リアルさを含んだ物語である
映画「楢山節考」にあるように
かつて姥捨てという習わしが存在したという
その習わし自体が
それを必要としていた村社会の貧しさを物語っている
そうした村は死と隣り合わせであり
それゆえに様々な掟や習わしで
かろうじて村としての命をつないでいるのだ
姥捨ては要するに“口減らし”である
しかしまた極楽浄土へ行けるという
現世の苦しみから解放される
最後の希望でもある
物語は「デンデラ」と呼ばれる
村とは別の共同体で繰り広げられる
“死に損なったこと”(つまり極楽浄土へ行けない)
と“それでも生き続けること”の葛藤
根底に孕んで進んでいく
しかしそれは哲学的思考を突き詰めていくと言うものではなく
感覚的にあるいは対話に導かれ時々顔をのぞかせるだけで
物語のほとんどは
息つく間もないくらいに走り続ける
まるでサバイバルアクションもののように
冬ごもりできなかった巨大な熊が出現と対決
突然広まる吐血して死に至る疫病
「デンデラ」に住む50名近い老婆たちは
次々にそして確実に数を減らしていく
しかし老婆たちは老婆であることを忘れるくらいに動く
まるで彼女ら自身が化け物であるかのように
過酷な環境の中で生活し
幾度となく熊との戦いに臨む
デンデラで命を救わ極楽浄土への道が絶たれたことを恨み
おのれの存在の在り方がわからなくなった主人公カユも
そうした戦いの中に飲み込まれていく
しかしそこに生きる意味を見いだすとか
生への渇望を甦らせるわけではない
この淡々とした宙ぶらりんな心情は
実は様々な主義主張を持っているように見える
誰もが抱えているものだ
そしてそこが今のこの時代に生きる
われわれの心情にシンクロする
生きるための目標や目的を見いだせず
目の前に迫ったリアル死の脅威に対してなら必死で戦う
その姿は壮絶でありながら
残り少ない命を輝かせている瞬間でもあるかのように
昨今のホラー小説に比べれば
残忍な描写は少ない
淡々と事実だけが述べられているかのようだ
文体も「です・ます」調なので
昔話を語っているような変に読者を煽ろうともしない
だからこそ一つ一つの描写や
老婆たちの言葉や行動や感情が
ストレートに読者に伝わり
色付けされずに読者の判断にゆだねられる
最後の場面は
それでもある種寓話化された別世界の出来事が
現実世界へなだれ込んでくるような思いを感じた
圧倒的な恐怖と圧倒的な歓喜
映画化されるなんて知らなかった
著者のこともまったく知らない
まったくの偶然で手にした一冊
人は無為に生き続けたいのではない
命をかけてなしとげたい何かを見つけ
意味のある死・満足のいく死を
得たいんじゃないだろうか
そのために「生きたい」と
思うんじゃないだろうか
などと考えたりしてしまった
しかし主人公カユは“ハードボイルド”だなぁ