人生を舞台だとしよう
自分の人生は自分が主人公だと考えてみよう
そこにはいろいろな登場人物が現れる
主人公の知っているところで
あるいは知らないところでも
様々なやり取りは行なわれる
だから主人公以外の登場人物にも
それぞれの人生があり
それぞれが主人公の舞台があるはずである
しかしわたしは敢えてこう思う
わたしという主人公の物語に出てくる人物は
わたしの人生を作る上で決まった人たちなんじゃないか
ちょうどどんな劇をやって役柄が変わっても
劇団のメンバーは限られているのと同じように
つまりわたしの人生に絡む人たちは同じなのだ
ただし繰り返される人生のその度ごとに
配役が異なるのである
ある女性は前世では妻かもしれない
あるいは恋人かもしれないし
職場の同僚かもしれない
ある男性は前世では父かもしれない
あるいは兄弟かもしれないし
宿敵かもしれない
半世紀生きてきて
こうして奔流からはじき出されたような生活をしていると
ふとこうしたちょっと達観したような
不思議な感じを持つことがある
あぁこの人とは現世では友達だけど
友達だけでは言い表せない深い繋がりを感じる
みたいな
何か今世で出会ったにしては説明し難い
もっと深く長い縁による
親しみや懐かしさや安らぎを感じてしまうとか
例えば今まで出会った女性の中で
前世の連れ合いもいたかもしれない
来世の恋人もいるかもしれないが
現世では友人だったり
先生や講師だった
ただ道を聞いてきた人だったりするかもしれない
ただ道を聞いてきた人だったりするかもしれない
何かそういう縁とか繋がりを
いろいろな人に
最近感じてしまうのである
自分中心に世界が存在しているわけではないというのは
理性を以て客観的な視点に立とうとする結果であって
人生はすべて自分というフィルターを通して見ているという点で
否が応でも自分中心に回っている舞台に立っているのである
それが不条理劇だとしてもだ
わたしの舞台にはまだまだこの先
前世までにいろいろな場面で重要な役割を果たした
縁の深い人物が登場するのだろうか
初めて会うのにやっと会えたと思えるような人が
待っているのであろうか
舞台は続く
期待は尽きない