2011年6月11日土曜日

何度生まれ変わっても自分の人生の登場人物は同じ

人生を舞台だとしよう
自分の人生は自分が主人公だと考えてみよう
  
そこにはいろいろな登場人物が現れる
主人公の知っているところで
あるいは知らないところでも
様々なやり取りは行なわれる

だから主人公以外の登場人物にも
それぞれの人生があり
それぞれが主人公の舞台があるはずである

しかしわたしは敢えてこう思う
わたしという主人公の物語に出てくる人物は
わたしの人生を作る上で決まった人たちなんじゃないか
ちょうどどんな劇をやって役柄が変わっても
劇団のメンバーは限られているのと同じように

つまりわたしの人生に絡む人たちは同じなのだ
ただし繰り返される人生のその度ごとに
配役が異なるのである

ある女性は前世では妻かもしれない
あるいは恋人かもしれないし
職場の同僚かもしれない
ある男性は前世では父かもしれない
あるいは兄弟かもしれないし
宿敵かもしれない

半世紀生きてきて
こうして奔流からはじき出されたような生活をしていると
ふとこうしたちょっと達観したような
不思議な感じを持つことがある

あぁこの人とは現世では友達だけど
友達だけでは言い表せない深い繋がりを感じる
みたいな
何か今世で出会ったにしては説明し難い
もっと深く長い縁による
親しみや懐かしさや安らぎを感じてしまうとか

例えば今まで出会った女性の中で
前世の連れ合いもいたかもしれない
来世の恋人もいるかもしれないが
現世では友人だったり
先生や講師だった
ただ道を聞いてきた人だったりするかもしれない

何かそういう縁とか繋がりを
いろいろな人に
最近感じてしまうのである
自分中心に世界が存在しているわけではないというのは
理性を以て客観的な視点に立とうとする結果であって
人生はすべて自分というフィルターを通して見ているという点で
否が応でも自分中心に回っている舞台に立っているのである
それが不条理劇だとしてもだ

わたしの舞台にはまだまだこの先
前世までにいろいろな場面で重要な役割を果たした
縁の深い人物が登場するのだろうか
初めて会うのにやっと会えたと思えるような人が
待っているのであろうか

舞台は続く
期待は尽きない