「きれいにおそうじをしてくれて、ありがとう」
と、心から感心して、ヘムレンさんが言いました。
「どういたしまして。お礼なんてどんでもない。」と、フィリフヨンカは答えました。
「わたし、しないではいられなかったんですもの。あなただってわたしとおんなじように、したくてたまらないことをすればいいんだわ。」
2009年1月30日金曜日
ムーミン谷のニンニ
小学生の頃からムーミンのお話が大好きである。
テレビアニメも見ていたんだけど、原作があることを“発見”し、読んだらその面白さにはまった。ファンタジーなんだけどファンタジックな感じのしないキャラクターの性格や会話の深さ、話の展開の意外さ、そして作者トーベ・ヤンソン自ら描く挿絵の魅力に取り憑かれて、ムーミン谷とフィンランドの生活を想像しながら、むさぼるように読んだ。
小学校5年の時に、読書感想文でムーミンを題材にして、ちょっと背伸びして日本文学とか読み始めてた友だちからバカにされた。でも「わかってないな〜」って逆に優越感を覚えたくらいだ。
読み始めた当時は「ムーミンパパ海へ行く」がシリーズ最終巻だった。ところがしばらくして、たまたま店頭で「ムーミン谷の11月」を見つけたときは自分の目を疑ったほどびっくりした。新刊として後からシリーズに加わったのだった。ムーミンと同時代に生きているような気がした。「ムーミン谷の11月」はムーミン一家が出てこない、しみじみとした大人の物語で、それを味わえるようになった自分もうれしかった。
ムーミンワールドにはいろいろなキャラクターが登場するけれど、忘れられないキャラクターの一人が「ムーミン谷の仲間たち」に登場するニンニ。毎日毎日おばさんに皮肉を言われ続けて、とうとう姿が見えなくなった女の子。ミイという、からだは小さいけど勝ち気で行動的な女の子が彼女に言う。
「この人はおこることもできないんだわ。……それがあんたのわるいとこよ。たたかうってことをおぼえないうちは、あんたには自分の顔はもてません。」
ニンニは言う。
「はい、そのとおりですわ。」
「はい、そのとおりですわ。」
そしてムーミンママの力添えもあって怒れるようになった時、ニンニは姿を取り戻す。
う〜ん、深い。
2009年1月29日木曜日
「ベクシンスキー」復刊
以前取り上げたポーランドの画家Beksinsikiの日本で唯一の翻訳作品集「ベクシンスキー」(発行:エディシオン・トレヴィル、発売:河出書房新社、2005年)が復刊された。「復刊ドットコム」でそのことを知り、さっとく注文し、手に入れることが出来た。やった!うれしい!
すでに手元にある「The Fantastic Art Of Beksinski」も、掲載作品自体が大きく、Beksinski本人のコメントが散りばめられていて、中々魅力的な作りであったが、この「ベクシンスキー」も余白の白とのバランスが絶妙で、文字も最小限にとどめているため、意識を作品に集中できるすばらしいレイアウトになっている。
また、「The Fantastic Art Of Beksinski」とはダブらない作品も多く収録されているため、この2冊でBeksinskiのある程度の作品群が堪能できることになる。まだ収録されていない絵画作品も多いし、写真やデジタル合成作品も制作していたので、全体像を知るのはまだこれからということになるけれど。
解説の「ベクシンスキーの自己精神療法」で、美術評論家タデウス・ニクツェックがいみじくも「ベクシンスキーの絵を見て誰でもまず思うことは、これは神経症患者が描いた絵だということである。」と書いている。しかし彼はこうも言う。「彼は絵を描くから生きているのであり、生きているから絵を描くのである。」
解説の「ベクシンスキーの自己精神療法」で、美術評論家タデウス・ニクツェックがいみじくも「ベクシンスキーの絵を見て誰でもまず思うことは、これは神経症患者が描いた絵だということである。」と書いている。しかし彼はこうも言う。「彼は絵を描くから生きているのであり、生きているから絵を描くのである。」
芸術とは何かという自己への問いかけの末に到達した作品ではなく、彼が描かずには生きられなかった世界がそこに広がっている。その世界はグロテスクでありながら甘美であり、わたしの今まで触れられなかった部分に触れ、満たされなかった空間を満たしてくれるような気がするのだ。
なかなか「いいね」って言ってくれる人は周りにいないんですけどね。
2009年1月28日水曜日
「存在悪としての怪獣」への道
先に触れたように「ゴジラ」(1954)におけるゴジラは、水爆による被害者であり街の破壊者という両義的な存在だった。その結果としてゴジラ=悪、という図式は徐々に作られていく。
「ゴジラの逆襲」(1955)では新たなゴジラが姿を現し再び破壊者となる。「ゴジラ」では山根博士が「ゴジラに光をあててはいけません。ますます怒るばかりです。」と発言し、さらに「ゴジラの逆襲」では、ゴジラは光に激怒する体質があるから灯火管制すべきだとする。理由は、ゴジラには水爆実験に対する怨念のようなものがしみついているのだと言うのだ。なぜわかる、山根博士って感じだが、山根博士だけは作品「ゴジラ」が持っていた“被害者としてのゴジラ”を、忘れていなかったということだろう。
つまりゴジラは夜の光り輝く大都市を、怒りを持って破壊しにくるのだ。だから上陸したのは東京であり大阪なのだ。ここで大事なのは、ゴジラの破壊に理由があるということだ。アンギラスはおそらく単なる邪魔者に過ぎない。
「大怪獣ガメラ」では、まずガメラが襲うのは地熱発電所である。そこでガメラが燃え上がる炎を吸収する姿が描かれる。つまりガメラは餌を求めてやってきたのだ。カメが唯一の友だちだった俊夫少年は、ガメラに対峙している博士たちにこう言う。
「ガメラはひとりぼっちできっと寂しいんだよ。本当は悪いヤツじゃないんだ。カメはおとなしい動物なんだよ。ガメラは寂しいからお友達を探しているんだ。お腹がすくから餌を探しているんだよ。」
子どもなりの表現ながらまさに的をついた指摘ではないか。つまりガメラには餌を求めて大都市に来るという理由がある。だから地熱発電所の次にやってきたのは京浜地帯の石油コンビナートだ。
つまりこの頃はまだ、ゴジラにもガメラにも怪獣として破壊せざるを得ない理由があった。あるいはそれをある程度明確にしておこうという視点があったのだ。
つまりこの頃はまだ、ゴジラにもガメラにも怪獣として破壊せざるを得ない理由があった。あるいはそれをある程度明確にしておこうという視点があったのだ。
その後のガメラシリーズでは、バルゴンは人間やダイヤを食べ、ギャオスは人間や豚、犬なども食べる。人間が食われるというのは「お腹がすくから」では済まされない恐怖がある。こうしてバルゴン&ギャオス=破壊者&肉食=悪玉となる。相対的にガメラ=善玉の下地ができあがる。ただし戦いは動物の“敵対本能”として行われ、もちろんガメラはまだ人間の味方とか子どもの味方にはなっていない。ただしその後の作品では宇宙人の侵略にガメラが立ち向かうという図式が多くなっていき、対する“悪い怪獣”という存在が作られていく。
東宝怪獣映画は「大怪獣ガメラ」の前に、「キングコング対ゴジラ」(1962)、「モスラ対ゴジラ」(1964)、「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)を発表している。キングコングはファロ島の“巨大なる魔神”だったのを、無理矢理日本へ連れてこられた。キングコングもまた人間の欲望の被害者である。キングコング=被害者=善玉、という図式から、すでに何も背負っていないゴジラ=理由なき破壊者=悪玉となり、ゴジラは存在そのものが悪となる。こちらでも“悪い怪獣”が誕生する。
この図式は「モスラ対ゴジラ」でより強調される。卵を守って必死に闘う母モスラを殺し、卵から孵った幼虫モスラが力を合わせてその仇を打つ。ここではもう人情的にゴジラ=悪が決まってしまう。
しかし「三大怪獣 地球最大の決戦」で地球怪獣代表としてモスラ、ラドンと協力の末、宇宙怪獣キングギドラを倒したあたりから、ゴジラ=人類を助けた=善玉と様変わりしだし、代わってキングギドラのようなゴジラの敵が“悪い怪獣”となっていく。
エンターテインメント性が高まるに連れて、怪獣バトル色が強くなり、なぜ怪獣が現れるのか、なぜ怪獣は街を破壊するのか、なぜ怪獣は倒すべき敵なのかの検討はされなくなり、極端に言えば、ゴジラとガメラとモスラ以外は“悪い怪獣”であり、“悪い怪獣”の存在が自明のこととして受け入れられるようになる。基本的に怪獣は、存在そのものが破壊者であり悪、現れただけで攻撃の対象、抹殺の対象へと変化する。
さらに実は「ゴジラ」以来、怪獣による大規模破壊そのもものや、怪獣同士の戦い自体が、大きなカタルシスを生むことに、観客が気づいたことも大きい。そこに七面倒くさい理由はいらなくなったのだ。
それは結果的に次の展開の受け入れ体制を整えたことになる。
次の展開とは?
さらに実は「ゴジラ」以来、怪獣による大規模破壊そのもものや、怪獣同士の戦い自体が、大きなカタルシスを生むことに、観客が気づいたことも大きい。そこに七面倒くさい理由はいらなくなったのだ。
それは結果的に次の展開の受け入れ体制を整えたことになる。
次の展開とは?
もちろん、“怪獣退治の専門家”「ウルトラマン」(1966)の登場である。
(写真はすべてガチャガチャフィギュア。上がゴジラ対アンギラス、下がキングギドラ。)
2009年1月25日日曜日
GIPSYKINGSとGipsy Kings
Gipsy Kings(ジプシー・キングス)が大好きである。哀愁のメロディー、かき鳴らされるギター、ルンバ・フラメンカの軽快なリズム、情熱的なボーカル、美しいハーモニー、繊細でありながら血が騒ぐギターソロ。元気が今ひとつな時に立ち向かうエネルギーをもらえたり、凝り固まったアタマをほぐしてくれたりしてくれる。
Gipsy Kingsは1987年「Djobi,Djoba(ジョビ・ジョバ)」「Bamboleo(バンボレオ)の大ヒットで、当時のワールドミュージック・ブームの火付け役&牽引役的に有名になった。しかし彼らの音楽活動の歴史は長くもっと、以前から今同様の熱く哀愁漂う音楽ではあったが、ギターと歌にパルマ(拍手)を加えたシンプルなものだった。この時代に彼らはGIPSYKINGSとして「ALLEGRIA」と「LUNA DE FUEGO」の2枚のアルバムを残している。
しかしそこにロックやポップス的な要素を取り入れ、ドラムやベースを入れてリズムを強調したり、キーボードを入れて音に厚みを加えたりした結果、泥臭さや音の単調さが消え、洗練された新しいエスノ・ポップスとして受け入れられたのだった。そしてグループ名はGIPSYKINGSからGipsy Kingsへと変わり、上記のヒット曲が含まれているアルバム「Gipsy Kings」で人気が爆発する。
「Gipsy Kings」の成功の後、バンドは基本の曲のあり方は変わらなくても、アレンジ面で様々な試行錯誤を行っていった。それは新しい音楽作りへの挑戦でもあったが、反面、様々な楽器の導入やリズムの強調が、基本のギターと歌が持つ魅力とぶつかってしまう場合もあった。
そんなこともあって、わたしがよく聴くのはGIPSYKINGS時代のアルバムなのである。日本では「Djobi,Djoba」(邦題は「ジョビ・ジョバ/ベスト・オブ・ジプシーキングス」)として「ALLEGRIA」と「LUNA DE FUEGO」の2枚のアルバムを1枚にしたものが出ている(ただし全曲収録ではない)。
このアルバムでは、ほぼギターと歌とパルマだけで曲が演奏される。実にシンプルでそれぞれの良さを堪能できる。さらに曲間に話し声や会話が入っているのが良いのだ。音楽仲間が集まって「次はあの曲をやろうぜ」みたいな、楽し気な雰囲気がある。目の前で演奏しているような感じなのだ。
しかし曲自体はユルくはなっておらず、歌が始まると情熱と哀愁とスピード感あふれる世界が広がるのは、後のGipsy Kingsと同じだ。むしろ小細工のないストレートな力を持っている。特に「Amor D'Un Dia」は言葉はわからなくても泣ける一曲。
Gipsy Kingsの本質に触れられる傑作、ファン必携の一枚。
ちなみに、Gipsy Kingsになってからのお気に入りは、勢いのあるセカンドの「Mosaique」(邦題は「モザイク」)と、「Roots」で原点回帰した後の2007年に出た最新作「Pasajero」ってとこでしょうか。こちらは余裕のある温かさが魅力。
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