2010年3月31日水曜日

伊香保温泉旅行記(オモシロ写真編)

 
まずは伊香保の街を動くのに便利なタウンバス。ミニバンなんだけどカラーリングのせいか小さく見えてカワイイ。路線に寄ってトップの色が違う。小回りが利いて便利そう。でも乗車人数が限られているから、待ってても乗れないこともありそうなのが想像するとスリリング。
こちらはロープウェイで登った先の上ノ山公園にあった「天下の絶景」展望ポイントに作られた、その名も“ときめきデッキ”。
“ときめき”っていう言葉が、かなり違う感じがしたんですが、この大パノラマを見ながら恋人同士が語らうことを想定してつけられた名前なんでしょうか。でもデッキの上に上がるだけで、ちょっと高くなっただけなのにパノラマ感が違うのには驚いた。上ってよかった“ときめきデッキ”。
 
続きましてこちらはロープウェイのゴンドラ。お役御免の廃車かと思いきや、廃車であってもお役御免ではありませんでした。ちょっとした倉庫の代わりとして使われているみたいで、中に物がいろいろと置かれていたのだ。仲良さそうに並んでいるところがかわいい。
この一見不気味なモノは、田舎名物昭和レトロなブリキ看板。 本当は大村崑がにこやかに微笑んでいるはずのオロナミンCの看板である。錆びちゃったのね。ちょっとホラータッチになっちゃってます。「おいしいですよ!」の後に「イヒヒヒヒヒ〜」とか付きそうな感じ。伊香保神社から河鹿橋へ行く途中で見つけた物品。
そしてこちらは逆にとても保存状態のよろしいボンカレーのブリキ看板。この、日本初のレトルトカレーを超厚化粧で宣伝している松山容子の看板は、石段街にあったもの。他にも数種類あったが、これが一番目立っていた。
こちらは同じ石段街からちょっと横道に入ったところにあった建物。休憩所の隣なので目立つ。何がってこの前面トタン張りな建物の側面である。
 
かつては窓とかひさしとかあんたんじゃなかろうかというところも、全て同じ色のトタンで、徹底的に覆い尽くしている。隣が休憩所になったために目隠しのように取り付けたんだろうか。何か現代美術のオブジェみたいだ。
  
最後は、群馬県民のみなさんごめんなさい、わたしは知りませんでしたと謝ってしまった一品。「グンマレンジャー」参上なりだ。ガラスの向こう側に貼られていたので、光が反射してきれいに撮れなかったのが残念。
  
「群馬の味 こんにゃくグレー」
「群馬の主 天狗レッド」
「尾瀬の薫り 水芭蕉ホワイト」
「群馬のアイドル ねぎグリーン」
「群馬の癒し 湯上がりイエロー」
  
群馬の為に誠意を尽くす” グンマレンジャーの活躍に期待したい。「群馬限定」の文字もイカすし、グレーという地味な色が入っているところも群馬色豊かな感じ。

伊香保温泉旅行記(後編)

首の重苦しさと頭痛を感じながらも12時前には眠りに落ちて、そのまま朝にはスッキリ回復してくれればと思ったのだが、そうはいかなかった。何回か目が覚めて、その度ごとに頭痛が気になりだし、結局明け方4時に頭痛薬を飲んで冷えピタを貼る。この二つは昨年の熱海での初日絶不調で懲りたので、旅行に行く時の必携品となっているのだ。

そうしたら朝8時位まで平和に眠れて、起きたらほぼ復活。朝食もしっかり食べて、その後小1時間寝て活動開始。にゃ〜こはその間に、26湯の湯巡りをして楽しんでくれていたので、わたしも気楽に寝ていられた。そのあたりの互いに“気を遣い過ぎない”感じっていうのも、にゃ〜こと一緒だと気心が知れていて楽なのだ。
  
ホテルを出て向ったのは再びロープウェイ。夜のうちにまた雪が降ったため、周囲はまた新しく雪化粧。でも2日目はお天気良好。お日様もずっと隠れることなく照っていてくれたので、日陰に入らなければ寒さもそれほどではない。
  
山頂からパノラマビューを再び堪能。今度は晴天なので、遠くの山々まできれいに見渡すことができて、また前日とは違った味わいがある。

それから歩いて伊香保神社へ降り、そこから山沿いに歩いて河鹿(かじか)橋へ。欄干が赤が印象的な橋。見ると橋の影になっているところだけが雪が残っている。日が当たるのと当たらないのとの温度差を、前日も体感していたんだけど、ここでも視覚的に実感した。

下を流れる川は温泉の湯なのか、河原の色がオレンジで、ところどころ鮮やかな緑が混ざっている。近くで温泉の湯がちょくせつ飲める場所があったので、一口トライ。ヘンな味〜。鉄っぽくてちょっとウゲッていう感じ。でもそれも面白い体験だ。

そのままいったん石段街の一番したまでタラタラと歩いて、そこからゆっくり石段街を上る。両脇の店を眺めつつひやかしつつ、ひなびた温泉街の風景と、ところどころに感じられる古くからの歴史と昭和の香りを楽しんだ。かなりトイレの数が多いのと、どこもキレイなのが伊香保の良いところ。

あとはのんびり石段下の街をぐるっと回って伊香保旅行は終わった。のんびりではあったけれど結構歩け歩けだったし、第一伊香保の街自体が、石段街に象徴されるように山の中腹にあるような感じだから、ダラダラ歩いただけでも自然と上ったり下りたりしているのだ。思った以上に疲れていて帰りの電車は二人して爆睡

でも新鮮な空気を吸い、笑いながらおしゃべりして、写真を撮って、カラダも適度に動かせた楽しい旅であった。

ちょっと乱れた体調も、かつての二日酔いシンドローム状態ではなく、吐き気はなかったので、週末からの延長でこの状態で持ちこたえられたのは、やっぱり回復してきているんだなぁと思った。

その後は不調は訪れることなく、今朝も朝7時に目が覚めて無事病院の定期検診に行って来れた。旅行することが、疲れたり体調の乱れにならずに、むしろ本来の気分転換やココロとカラダのリセットとして働いてくれるような感じが強くなったなぁ。本当ににゃ〜こに感謝である。

伊香保温泉旅行記(前編)

伊香保温泉への一泊旅行は、にゃ〜この待ち合わせ時間間違えから始まった。当日の朝に「もう起きたかい〜?」とメールしたら「もう電車だよ〜」の返事。なんと時間を間違えて1時間早く出てしまったのだ。朝起きて洗濯とかしてたら、「あ、もうこんな時間!」って思って急いで出たら、1時間間違えていたんですと。にゃ〜こったらおちゃめ。

今回はにゃ〜こが企画も手配もしてくれた旅行なので「にゃ〜こツアーズ旅行会社」の旅行だとか言いながら、わたしはすべてお任せの楽ちん旅であった。

でもそこはにゃ〜こ、わたしの体調を考えて、“アレもコレも詰め込んで旅行日朝から夜までフル活用”日程ではなく、“ポイントを絞って、後は食事場所やホテルでダラダラ”日程にしてくれているので、出発も遅めだし、伊香保についてからも、のんびりなのがありがたい。

渋沢駅に着いたらそこからはバス。そして伊香保に着くとなんとまだ雪があちこちに残っていた。聞けば前日に雪が降ったとのこと。だから寒い。でもうっすらと雪化粧の残る景色が美しい。

まずは昼食。タクシーでちょっと戻って、ゴマだれつけうどん一筋の「清水屋」さんで水沢うどんを堪能。うまかったぁ〜。

続いてタウンバスで伊香保に戻り、温泉街を散策。と言っても伊香保神社に向う長い長い石段街がメインの地味な場所だから、石段街の散策は翌日に回していきなり伊香保神社へ。下から延々と続く石段のラストの部分だ。この石段が歴史を感じさせてとてもいい雰囲気。
  
空は晴れているんだけど日が射したり陰ったりで、真冬に近い格好をしていって大正解。特に陽射しが途切れたり、日陰に入ったりすると格段に寒くなる。境内には雪も大分残っている。

神社でお参りを済ませて、ふと横手を見るとさらに山の上に続く道がある。それも階段と手すりがきちんと整備された遊歩道のような道だ。「行ってみようか」っていうことになり、登り始める。こういうその場の気分で動き回れるのも二人で行く旅の面白いところ。

ところが道は整備されていたものの、雪は所々残っているわ、階段は延々続くわ、空は雲ってきて寒さが身にしみるわで、結構大変な“山登り”となった。特にかなり運動不足なわたしはすぐに息が上がってしまった。 でもどこへ行くんだろうねぇ」とか話をしながら、こうやって“横道”に逸れていくのは楽しい。風景もちょっと幻想的。

そして、歩き続けて山を登り切ったら、なんと翌日行こうとしていたロープウェイ山頂の「見晴らし駅に出てしまったのだ。そしてそこに広がる上ノ山公園にある“ときめきデッキ”という展望スポットから、「天下の絶景」を見て二人して歓声を上げてしまった。眼下の大パノラマ。パンフレットの「上越国境の峰々や赤城山など、感動のワイドビューが広がります」に偽り無しって感じである。


 振り返れば雄山雌山も、まだうっすらと雪が残ったまま仲良く並んでいる。

初日の散策はここまで。ロープウェイで下まで降りて、ホテルへ向う。

ホテルは館内2つの大浴場に合計26の湯が味わえるという贅沢で面白いホテル。それほど温泉にこだわらないわたしも、これにはかなり楽しめた。緑色に濁った温泉らしいお湯にゆったりつかって、あとは部屋でのんびり。

しかし実は“長いウイークエンド状態”で、体調的にちょっと下降気味だったせいか、寝る時になって少し頭痛が始まってしまった。う〜ん、でも寝れば治るかと思い、ふわふわになって気持ち良さそうに寝ているにゃ〜こと一緒に眠りに落ちたのであるが…以下後編に続く。

2010年3月21日日曜日

〝あの人〟からのメールの受信拒否を解除

「ほしのこえ」でメールが出てきたこともあり
ちょっと現任校のことを考えたこともあって
病休以来ある現任校の方からのメールを
受信拒否設定にしていたのだが
今日解除したのだ

以前も書いたことがあるのだが
一番心身共に辛い病休直前に
メルアドを交換し
辛い気持ちを明るくしてくれるメールが来るかと思ったら
翌日の朝来た最初のメールが
  
「休むのは権利だからとやかく言えないけど、
   それでも大事な会議とかに休み過ぎじゃない?」
   
という内容で
朝の駅のホームで凍り付いてしまったという一件
   
「自分でも分かり過ぎるくらい分かっています」
   
と返信し
すかさずメールの受信を拒否設定にしたのだ
  
あれは忘れられんなぁ
本当にカラダから血の気が引くというのを実感した
そして悲しかったなぁ
まぁ彼女も主管になったところだったから
管理職的アドバイスを内々にしておこうという
“心遣い”だったのかもしれないが
こちらの状況を全然分かってくれていなかったことがショックだった
それ以前にそこへ話を持って行くにしても
  
「最近休みがちだけど、お体大丈夫ですか?」
   
から切り出すだろう普通
  
そういう意味では悪気はないが
鈍感というかデリカシーのない人なんだと思う
会議などでも
   
「まだその生徒とはラポート(信頼関係)が築けていなかったので…」
   
と予防線というか逃げ道みたいな前置きをよくしていた人だったから
人の気持ちを考えることが苦手な人だったのかもしれない
だから暖かい言葉を期待したわたしが間違っていたのだきっと
  
その後わたし宛にメールを出そうとされたかどうかはわからないし
ここで解除したからってそれに気づくとも思えない
これはわたしの気持ちの問題なのだ
メール受信拒否は言わば逃げである
しかしもう逃げなくて済むような気持ちになってきたのだ
戦ってもいいくらいの力が戻って来たのかもしれない
そんなケチなことを続けていることが
バカバカしくなったである

そういう意味ではわたしを取り巻く
ここにきてやっと
再び力を取り戻してきたような気がするのだ
でも焦らない
道は自ずから開けてくるはずだ

2010年3月20日土曜日

「ほしのこえ」新海誠


   
今頃かと呆れる向きもあろうかと思うが、新海誠の「ほしのこえ」を見た。ほぼ個人ですべてを作り上げたということが大きな話題となっていた、25分の短編アニメーションである。

先に次作の長編「雲のむこう、約束の場所」を観ていたので、作品順としてはさかのぼるかたちで最初の作品に触れたわけだ。

正直涙が出そうになった。この切なさを味わうためにだけこの作品はあると思う。 だから細かな背景的な設定はむしろ必要がない。この作品ではむしろ背景的な設定はわからなくていい。

話はミカコとノボルという、淡い恋心を互いに抱いている中学生が、詳しい状況説明もなく突然引き離されることから始まる。そこに生まれた切なさが、次第に大きくなっていく。

二人に取って最初は同じ高校に進学できなくなってしまった程度のことだったのかもしれない。ミカコが国連宇宙軍パイロットの選抜メンバーに選ばれたという「理由」に対し、どちらもそれに抗うこともないし喜ぶわけでもない。淡々とそのことを受け入れる。

ここですでに「戦う男」と「待つ女」という古典的設定は逆転している。「戦う(調査が主目的だが)」ために「強制的に遠い場所へ連れて行かれる」のは、ミカコの方だ。それに対してノボルはミカコのことを心配したり、守ってやりたいと思ったりすることもない。そうした古典的と言うか、大人的関係はここにはないのだ。

しかし戦っている方が女性であるという点は大きい。もし逆にノボルが戦い、ミカコが待つ身であるなら、どうしても物語を見る側の視点は戦いに向いてしまうだろう。例えノボルが戦いたくないと思っていたとしても、それは「エヴァ」と同じで、彼自身の内面的な物語にはなったとしても、二人の切ない恋の物語にはなり得なかっただろう。

二人はまだ恋人同士とまで言えない程度の関係だということも重要である。しかしメールのやり取りは続けるだけの気になる存在であるところがミソだ。このメールを通じて二人の思いは次第に深まり、メールの送信と受信の時差が大きくなっていくことで、切なさも大きくなっていく。それが二人を恋人同士にしていく。
  
メールは本来、今という時間を互いに共有している感覚を持てるツールのはずなのだ。しかしここではメールによって気持ちが近づくのと裏腹に、そのメールが互いの距離の開きを感じさせるツールになっていく。その時間差が開くことから、今ミカコがどこにいるのかという火星だとか冥王星だとかいった場所の感覚では感じられない、“二人の遠さ”がリアルに伝わってくる。

そしてミカコが初めて帰りたいと思う時浮かぶのは、平凡な日常の何でもない景色や出来事である。二人はずっとその場所と時間である意味止まっているのだ。ミカコのノボルへの思いは、地球という故郷への思いであり、平凡な日常への思いでもある。だからこそ新海誠がその平凡な日常の情景を非常に美しく描いたことに大きな意味がある。

設定の不自然さ(なぜ中学生がいきなり短期間の訓練で第一線に配備されるかとか、なぜ制服を着て戦っているのかとか、なぜ携帯が宇宙と地球の間で使えるのかとか)は問題ではない。

パソコンで世界中の街角を瞬時に観られるようになった今の時代、決定的に引き離される感覚は、きっと地球上では無理なのだ。そして離れた相手とのつながりを実感できる一番リアルなツールはメールなのだ。文字には言葉に託せない思いを込めることができる。

人間が乗り込む人型ロボットやワープ航法など、本作はこれまでのロボットアニメの決まり事を前提としているが故に、その世界に入りこむには従来のアニメに対するある程度の“慣れ”や“知識”が必要となる。だからその時点で拒否反応を示す人はいるだろう。あるいはそれを受け入れた上で、物語世界の設定が不十分、あるいは不自然である点が不満な人もいるだろう。

しかしこの作品ほどに、“二人の間の越えられない距離の悲しさ ”をリアルに描いたアニメは今までなかったのではないか。そう思わせるようなあふれる切なさが、待つことに不慣れになった現代人に強烈なインパクトを与えたのではないかと思う。完結した物語ではない。“思い”を映像化した作品である。

キャラクターの顔がちょっと同人誌っぽいかな。アンテナ部分が残っている携帯のカタチがちょっと古いかな。わたしが気になったのはそのくらいである。

万人向けではないけれど、個人的には傑作。

2010年3月16日火曜日

“生きることはくすんでゆくこと”

にゃ〜こが
何げなく観ていて
きれいな映像に重なって歌われる歌の
歌詞のスゴさに驚き
教えてくれたCM

「白が美しいのはきっと汚れていないから
   生きることはくすんでゆくこと
   だからせめて肌だけは

わたしはテレビをほとんど観ないので
このCMが流れていることを知らなかった

母校を訪ね思いでに浸るノスタルジックなゆったりした映像
そこにながれるアカペラの優しい歌声

だがしかし
“生きることはくすんでゆくこと”なのか
濁っていくこと”なのか

そして
“せめて肌だけは”って
最後に守るのは“”なのか

と次々と突っ込みたくなる詩を
サラリと当然のことように歌ってしまっているところが
ある意味シュールなCMである
いやホラーか
 
そう思うと
挿入される学生時代の思い出の場面が
古い映写機の映像のようで
ちょっとした悪夢のように思えてくるから不思議

2010年3月10日水曜日

花粉症と春と「ぼのぼの」33巻

花粉症の季節である
わたしはお医者さんで処方してもらった薬ではなく
市販の薬で毎年この時期を乗り切っている
もう15年以上前に突然花粉症になったのだが
その頃に比べるとカラダが慣れてきた?のか
アレルギー症状はメチャクチャ酷くはなくなってきた
ということは最初は
メチャクチャ酷かったってことで
甜茶を飲んだり杉花粉ドリンクを飲んだり
「アイボン」という目の花粉洗浄液を持ち歩いていたり
アロマオイルを水に溶かして噴霧してみたり
大変だったのだ
5箱パックのティッシュを
職場に持って行ったこともあった

でもここ数年は
花粉の飛翔量の増減に関わらず
それほど酷いことにはならないでいる

そして今年
なぜかこの煮え切らない陽気の中で
目にだけアレルギー症状がキテいるのだ
つまり目が痒くなるのである
鼻水もくしゃみもないのに
目だけは花粉症用の目薬が手放せない

心から春の訪れに胸ときめかせる日は
もう二度とやって来ないのであろうか

まぁ花粉症であっても
春の訪れにはかなり心ときめいちゃいますけどね

そして今日「ぼのぼの」33巻「オリちゃんのこと」を読んだら
ますます春の訪れが待ち遠しくなったのだった
これは「ぼのぼの」には珍しい一冊一話の長編モノ
傑作です
  
   

2010年3月5日金曜日

小学校へ行ってきた

インフルエンザ予防接種を受けさせに
下の子を病院へ連れて行くため
小学校へ行ってきた

先生方が子供たちと接している場面を見ると
ほんのちょっと複雑な思いがする
でも特に問題なく
普通に校舎に入り
授業終了を普通に廊下で待ち
時間通りに子どもを連れ帰った

授業終了のチャイムを懐かしがる
気持ちの余裕もあった
前任校も現任校もノーチャイム制だったのだ

そのまま医者へ行き
予防接種を終え
お医者さんや窓口の人とのやりとりも
難なくこなし
全て終了

病休した頃
ちょうどマイクロソフトのコマーシャルが良く流れていて
それが朝の学校の昇降口付近などを映したもので
見るのが辛かった時期があった
それを思うと
しみじみ自分の回復を実感する

ここまで1年半かかったんだなぁ
そんなことを思えるのも
今日がどんより曇った寒々として日ではなく
春めいた暖かな日だからというこが
多少なりとも影響していることは
わかってはいるけれども