ウクレレバンドへのお誘いがあったのが
確か昨年末のことだったと思う
その頃はドラムもまだ続けていて
ちょっと息切れ気味な頃だった
ドラム教室は楽しかったけれど
毎週という頻度が
レベルが上がって練習が必要になる程に
キツくなっていった
さらに2年に1度という
発表の機会の少なさも
モーチベーションに影響した
ウクレレバンドは少なくとも年に2度
8月終わりのミニコンサートと
11月のウクレレ教室発表会という
ステージに立てる場が与えられる
だからウクレレバンドに入れることは嬉しかった
例えそれが一度も触ったことのないベースであっても
その結果ドラムをやる余裕はなくなり
年が明けた春に止めることにした
でもドラムを止めても
たぶんステージに向けてベースを担当するっていうのは
気持ちの上でかなりプレッシャーだったんだろう
それを支えていたのは
U-Bassというベース・ウクレレを弾くという
自分なりのこだわりにあったように思う
それが結局「バンドのために」否定されたところで
すでにかなりの支えが失われたと言えたのかもしれない
結果的にすぐ購入し弾くことになったエレキベースは
確かに面白かったし世界が広がる感じはあった
でも“皆の前で否定された”感じは消えなかった
追い討ちをかけるように
月一回の練習が月二回になった
本番に間に合わないというのが理由である
わたしは気持ち的にも技術的にも
エレキベースでいっぱいいっぱいだったのに
ベースを担当しない曲で
歌とウクレレ伴奏もすることになった
マルチに大活躍…なはずだった
でもそうしたすべてがどんどん重くなっていった
日曜の朝起きるのも辛くなっていった
自分なりに工夫しているつもりのエレキベースも
バンドには合ってないんじゃないかと
自信がなくなっていった
ちょうど今頃
わたしの話がメンバーの皆さんに伝えられているはずだ
半年一緒にやってきて発表直前のこの時期である
それを知ったメンバーの心には
驚きと落胆と心配と焦りと…怒りもあるかもしれない
驚きと落胆と心配と焦りと…怒りもあるかもしれない
誠に申し訳ないと思う
でもこうして振り返ると
今の自分の許容量が
決して大きくないことがわかる
決して大きくないことがわかる
何かが大きくなると別の何かを切らざるを得なくなるのだ
全部を八方美人的に続けることは
逆に無責任につながることになってしまうのだ
それは昔からなんである
教員時代もずっとそうであった
だから限界に至ったんだし…
でも許容量は以前より小さくなっている
これは肝に命じないと行けないことだ
でも許容量は以前より小さくなっている
これは肝に命じないと行けないことだ
みなさんコンサート頑張って下さい
わたしは本当に久しぶりに
心の痛みを感じながらも
平和な日曜日の朝を過ごしている
わたしに代わって誰が歌を歌うのかはかなり気になるなぁ
「オブラディ・オブラダ」