2013年4月18日木曜日

村上春樹「1Q84」の残念感

村上春樹3年ぶりの新刊 
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が
7日間で売上100万部達成と大騒ぎである

基本的に世の中が騒いでいる間は手を出さず
文庫化されて読むことが多いわたしとしては
まだまだ内容に触れるのは先のことであろうと思う

で…ふとその3年前の話題作「1Q84」を思い出した

村上春樹の小説は昔から好きでかなり読んでいると思う
でも批評したり分析したりできほど
のめり込んでいるわけではない

でもどうも「ねじまき鳥クロニクル」以降の残酷描写が
彼独特の非現実的でありながら日常的な物語を
結果的に弱めてしまっているように思えて仕方がないのだ
それによって提示される訳の分からない不安や恐怖に
ストーリーの展開や結末の力が拮抗できていないというか…

それはともかく
「1Q84」は何か焦点がボケていたように思うのだ
 
もちろんあれだけの長編なのに
読者を飽きさせずに引っ張る力は凄いと思うし
描かれる独特な不思議で不気味な日常風景は
まさに村上春樹でしか描けない独自ワールドである
そして彼の大きな魅力の一つと言える比喩表現は
ここでも他作家の追随を許さない見事なものである

でも敢えて言えば
この作品で見られる比喩表現はあまりに過剰だ
まるで物語のストーリーよりも比喩表現を読ませることを
主眼としているかのようでさえある

それもまた主たる不満ではない
では何がしっくりこなかったのか

それはやっぱり青豆と天吾という二人の主人公が
なぜそこまで運命的な愛情を相手に感じているか
苦難を乗り越え二人が出会う時
二人の間に何が起るのかに
説得力が無かったということなのだ

まるで運命のように相手を愛し探し続けていたことを
互いが直接確認しあうことで
全てが達成されてしまったかのようである
その後にsexする描写も
ともに生きていこうとする二人の心情も
どうもリアリティがないのだ

これだけ物語を紡いできたその中心にいる二人の関係に
全体を支える力がないような気がするのである
だってsex描写とか読んでると
結構青豆がリードする関係なのか?とか思っちゃうし…

いやつまり
いくら思いが強くても運命的であったとしても
やっぱり人との関係は互いに一緒にいて
いっぱい話をしていっぱい触れ合う中で
少しずつ分かっていくものだと思うからである
つまりいくら思いばかりが強くても
実際に出会ってからの関係は始まったばかりなのだ
やっぱりダメだったということだって大いにあり得る

それなのに二人にとって
全ては今ここに完結したかのごとしなのだ
それはまるで僕らは運命的に出会ったと
舞い上がった若い恋人同士が
結婚こそがゴールと思っているかのような…
あるいはまさに結婚こそが物語のゴールで
その後は「幸せに暮らしました」で終る
昔話を聞かされているかのような…
そんなことが頭をよぎってしまうのである

青豆と天吾は思いだけ募らせていた訳だから
実際に一緒にいたら
意外とすぐ気まずくなってしまそうな気さえする
例え青豆が天吾の子どもを
抱き合う前から身籠っているくらいに
超運命的だとしても…だ

それは可能性として言っているというよりは
出会った後の二人の様子から
何となく感じてしまったことなのだ

だからわたしは最後の最後まで読み進めてきても
カタルシスを味わうことができなかったのだった

むしろ例えば天吾の父親がドアを叩く場面の方が
村上春樹的リアリティがあった
もちろん人が殺される残酷場面の印象も強烈だった
しかし物語を最初から最後まで引っ張る二人の関係は
そうしたものを凌ぐほどの
力を持っていなかったように思う

まぁそんなこと言うと村上春樹ファンは怒るだろうけど

さて新作はどうであろうか…
わたしなりの答えはまだしばらく先のことになるなぁ