2009年3月28日土曜日

匿名の環境問題非難コメントに思う

教育実習のことを思い出した。中学校で2週間だったかな。大学時代に教員免許状取る為に、現場で実習しなければならないのである。その後母校の高校でも行った。

その中学校での話。実習生は結構たくさんいて、大きな部屋に詰め込まれていた。たまたまわたしの近くの実習生が「家庭科」の女性の方だった。何となく雑談するようになり、休み時間には、お互いどんなクラスかとか、どんな授業をやっているのかとか話をしていた。

その時のわたしはまだまだ「家庭科」というと「料理」「裁縫」みたいな狭いイメージしか持っておらず、その内容が多岐にわたっていることなど知らなかった。だから話をしながら、驚くことばかりで、「家庭科」ってそんなにいろんなことを扱う科目なんだと、感心しかけていたところだった。
そしたら突然、その実習生の友だちらしい女性が、割り込むように入ってきて
  
「まったく、家庭科のこと何にも知らないのね。だから困るのよね。」
  
と怒ってきたのだ。まだ一言も話をしたこともないのに。

わたしと、話をしていた「家庭科」の実習生の人は押し黙ってしまった。彼女も立場上、たぶん友人の言葉が強過ぎたとしても、たしなめることはできなかったのだろう。わたしは、ぐぅの音もでなかった。だってその通りだし、全然知らない人だし。びっくりしてたし。

そして思ったのだ。その“
怒り”はきっと「家庭科」が、これまでバカにされたり、他教科より低くみられたりしてきたという、その人の鬱屈した思いが爆発したものだろうと。きっと言いたくて仕方なかったのだろう。

でもね、例え正論でも、あるいは当然知っているべきことでも、知らないことってあるじゃない、誰にも。その時、感情的にその知らなかったことを責められるとどうなるか。

そのことに関しての関心を失ってしまうのだ。

もうその話題には触れないでおこうと思ってしまうのだ。それは結局、理解者を増やすことにはつながらないのだ。決してプラスにならないどころか、それを見ていた周りの人のことまで考えると、むしろマイナスかもしれない。

「そうなんです、どうしても狭いイメージで捕らえられちゃうんですけど、これもあれも家庭科で扱うんですよ〜。」
  
と冷静に説明してくれれば、自分の無知を恥じ、少しでもその世界を理解しようと言う気になる。

その時のやりとりで感じたことは、後年、夜間定時制高校の生徒や、不登校経験のある生徒と接する際に、とても役に立った。
  
「こんなことも知らないの?」
  
とか
  
「こんなこともできないわけ?」
  
って言ったら、その場でもう理解してもらえる道は閉ざされてしまう。当然人間関係も作れない。

そんなことを思い出してしまった。一瞬教員モードになっていたかも。

まぁ確かに「匿名」氏のコメントは、大人としての節度あるもの言いではなかったからなぁ。「家庭科」の彼女のように、鬱屈した思いをぶつけたかったんだろうなぁ。

あるいは理論武装したご自身の環境論を持っているのかもしれない。
でもおかげでもう「環境問題」への関心無くなったから知りたくもないけど。
   あるいは本当に“子供”かもしれんし。

なんか、突然暴力的な言葉を突きつけられて、次第に落ち込んできた夜中の1時過ぎ。