2009年3月31日火曜日

「君の手がささやいている」

  
君の手がささやいている 第一章」(1997年)というのは、マンガを原作とする特番テレビドラマシリーズの最初の一本である。なんともすてきなタイトルだ。

聴覚障害者として生まれ、両親に温かかく見守られながら育った主人公美栄子(菅野美穂)が、初めて社会人としての一歩を踏み出し、様々な失敗を乗り越えて、次第に周囲に認められ、理解され、最後に同僚の博文(武田真治)と結婚するまでが第一章の物語だ。

初めて社会の荒波にもまれ失敗を繰り返す本人、周囲の人々の困惑と無理解、そして応援、その中で手話を通して育まれていく二人の愛が描かれていく。物語として、できすぎな感じや、主人公が菅野美穂だからという部分もあるが、聴覚障害者の抱える問題や、周囲がどうやって同じ職場の同僚として障害者を受け入れていくかが、90分ほどのドラマの中に分かり易く描かれている。

10年前くらいに初めて見たのだが、まず感じたのがとにかく菅野美穂の演技がすばらしいこと。言葉を発しない、表情と手話による感情表現の豊かさ。
次に感じたのが、ひらひらと手をうごかしているようで、しっかりした動きのメリハリが意味を持っている手話そのものの美しさだった。愛し合う二人が声の届かない別々のホームで、手話を使って会話をする場面なんて、うらやましく思ったほどだ。
  
  
しかし、何よりこの作品を見てよかったと思ったのが、物語後半、二人の結婚話が出た後で、博文の母親(加賀まりこ)が、美栄子の家を突然訪ねてくる場面である。この場面は何回見ても鳥肌が立つほど凄い。

博文の母親も障害者だと言うことで差別したくはない、でも息子には幸せな結婚をして欲しいと思っている。そのどうしていいかわからないけれど、苦しみながらもギリギリの決断として、申し訳ないが息子との結婚を思いとどまって欲しいと訴える場面だ。

リビングにいるのは博文の母親(加賀まりこ)と美栄子(菅野美穂)、そして美栄子の母(木内みどり)と父(本田博太郎)の4人。おそらく撮影は長回しの一本勝負。息もつかせぬ迫真のやりとりである。

苦しみを正直に話しながら結婚の断念を涙を浮かべつつ静かに訴える
加賀まりこ。それを耳の不自由な娘に分かるようにと手話通訳する木内みどり。あまりの辛さに動揺し手話通訳を一瞬躊躇しながら、それでも最後まで自分からは何も言わず、通訳に徹する運命を全身で受け止めるかのようにじっと聞いている菅野美穂。状況の辛さに耐え切れず途中から席を外して、ろうかに出てしまう本田博太郎。言葉の少ない中で4人の演技が多くを語る。

そして最後に菅野美穂が涙を流しながら「博文さんとは結婚しません」と片言の言葉で言い、泣き崩れる。嗚咽が痛々しい。母親は娘を抱きしめ、父親は廊下で涙を流している。

この数分のやりとり。地味なリビングという動きのない狭い場所での俳優魂をぶつけあうような濃密な演技の応酬。何回見てもその凄さにうなりながら泣いてしまうのだ。

誰も辛いのだ。善玉と悪玉みたいな単純な構図などではないのだ。声高にその主張をしない
博文の母親、だからこそ美栄子もその両親も、親としての辛さをわかるのだ。わがままだとわかっていても、子供に幸せになって欲しいという思いがわかるのだ。そしてその全てを最後にまとめてしまう菅野美穂の存在感。

実は最初に見たのはテレビでだった。何の気なしに目に入ったこのやりとりの場面。それまでのストーリーを見ていなくても目が釘付けになった。それほど演技の濃密さが際立っていた。

ご都合主義的な部分など、テレビだから仕方ないところもあるが、この数分間の演技を見る為だけにも、この作品の価値はある。そういう意味でもこの作品は傑作。本当にスゴい。