2013年9月14日土曜日

「私は好きな人より後に死にたいかな」

先日ある人と話をしていたら
何だかちょっと面白い話になった
30代後半くらいの女性である

「どうしてモンさんは、仕事を辞めるほど大変な体験をしているのに、こうやって元気でいられるんですか?」

「う〜ん、多分不調が主に体調に出たからじゃないかと思うんですよ。カラダの不調は延々と二日酔い状態が続くっていうものだったから、それはもう辛かったですけど、でも少なくともこれじゃあ仕事には行けない、まずカラダを治さなければって自分に言い聞かせることができたから。

もし精神的な部分だけで、カラダは何の問題もなく元気なのに仕事に行こうとしても行けないとか、人混みが恐くて家から外に出られない、みたいな状態だったら、きっとそんな“不甲斐ない自分”を責めて、もっと酷いことになっていた気がするんです。

あぁ、でも実際には精神的にもダメージがあったんでしょうね、それ以前と比べて“死ぬ”ってことが遠い世界のことではなくなった気がしますね。さすがに自殺したいとは思わなかったけど、自殺っていうのも例えば借金でどうにもならなくないところまで追い詰められて死ぬっていうんじゃなくて、ふっと死んでもいいかなって死んじゃうもんだよ、みたいな感覚がわかるようになったような。」

「そういう感覚って正しいと思います。なぜか分からないんですけど、私は30歳までしか生きられないってずっと思っていたんです。死ぬっていうことは特別なことじゃなかったですね。だからその後はオマケの人生だなって。だったら何か人のためにできることを少しでもやれたらいいなって。

もし何のしがらみもなくなって、もう好きにして良いって言われたら、できればズンズンと森の中に分け入って行きたいって思うんです。何か準備とか訓練とかしてから自然の中で生活するとかいうんじゃなくて、気が向いたその瞬間にそのまま森の中へ歩いて行きたい。もちろん死にたいとかいうんでもないんですが…結果的に死んじゃうかもしれないですけど。でもそういうイメージを持っているんです。」

「子どもが小さいとやっぱりこの子たちを守らなきゃっていう自分の役割がはっきりしますよね。だから死ぬなんてことは考えないけど、子どもが大きくなってきたらだんだん個人に戻って来た感じがしますね。生きるのも死ぬのも自由だっていう感じ。親より先には死んじゃいけないと思うし、子どもよりは絶対先に死にたいとは思うけど。

でも好きな人がいると、死ぬことっていうのは取りあえず考えなくなるかな。今一緒にいられることがとにかく幸せって感じで。それでもやがて死ぬ時がやって来た時、看取るのも看取られるのもどっちも辛いなぁって思っちゃいますけどね。」

「私は好きな人がいたら絶対に私の方が後から死にたいかな。この人を一人この世界に残して死ぬわけにはいかない思ってしまいそうな気がします。ちゃんと看取ってね、それから私が死ぬのが良いかな。」

話は繋がっているような繋がっていないような
でも次々と話題が広がりながら
共感したり驚いたりしながら
相手の人となりに触れることができて
何だかとても楽しかったのであった

ちなみに
病休に入ってから今に至るまで
“明るく元気な自分”を失わないでいられたのは
ワタシのことをとても大切にしてくれる
本当に大好きな人がいたからっていうのが
相当に大きかったのだが
それは話さなかったのであった