知らせることが作品の根幹になければいけない
というのは宮崎駿の言葉だけれど、
わざわざこんなことを言うのは、
そうしなければならないほど、
この世を生きるのはつらいのだ
ということの裏返しなわけだ。
つまり宮崎駿は、この世の中に、生きることに
かなり絶望しているんじゃないかと思う。
そして、どんなにハードな作業であろうとも、
上の信念を持って作品を作り続けたことで
どうにかそんな世の中に踏みとどまり
生き続けているんじゃないかと思うのだ。
なんてことが頭に浮かんだのは、
「少女ポリアンナ」からほぼ連続で
「星の帆船」を訳し続けたので、
心身の消耗と疲労が
かなりたまってしまったからかもしれないな。
良いものが出来上がったという達成感と、
ようやく本が書店に並んだという満足感とで、
心的には上向くはずだと思うのだが、
意外とこれが不安定なのである。
突然、昔の嫌な記憶が次々とよみがえって、
悶々と一人苦しんでしまったり、
ニュースで流れてくる悲しい事件の
詳しく語られない場面を繰り返し想像して
いたたまれなくなったりするのだ。
弱っているということだろうな。
昔のようには気持ちを強く持てなくなったから、
負の感情を跳ね飛ばせないっていうのもある。
こういうのは理屈じゃないからなぁ。
おそらく、次の翻訳作業を始めると、
少し気持ちが安定するような気がする。
そう、作り続けていないとダメなのかもしれないのだ。
すると一方で心身は消耗を続ける。
困ったものだが、それが生きるということだな。