NHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」で再注目されている水木しげるであるが、その自伝である「ねぼけ人生 」(ちくま文庫、1999年)には、次のようなくだりがある。太平洋戦争で南方ラバウル戦線に駆り出され、片腕を失って傷病兵となってからのことである。
「そんなある日、土人の小部落を見つけた。病舎あたりにも、時々土人たちが通りかかったりしていたが、彼らの部落なのだ。その部落は、いかにも住み心地がよさそうなフンイキをただよわせている。南国だからただでさえ景色がいい上に、そのあたりは、草花や樹々が美しいのだ。僕は、一目見て、これは『天国の部落』であると思った。(中略)
「土人たちの生活ぶりは、僕が子供の頃からあこがれていた『遊びと食うことが一致している』生活のようで、軍隊で苦しい目にあっている僕にとっては全く天国なのだ。僕は、部落へ遊びにいくたびに観察していたのだが、彼らは、一日に三時間ぐらいしか働かない。熱帯の自然は、それぐらいの労働で十分に人間を食べさせてくれる。熱帯だから、衣料や住居も簡単でいい。人間が自然に対して闘いを挑むのではなく、自然が人間を生かしてくれるのだ。」
(※ 不適切な表現が含まれるが原文のまま掲載しました)
南方戦線自体は戦争末期、玉砕と集団自決に満ちたそれは悲惨なものだった。そして戦闘とは別にマラリアでも多くの兵隊が命を落とした。
しかし一面こうした南の島での生活は、日本のものとは全く異なった“楽園”的文化に触れる機会ともなった。こうして南の島のパラダイス幻想が生まれたのかもしれない。事はアメリカでも同じで、戦後マーティン・デニー的エキゾチカ・ミュージックが生まれる。
そしてまた南海の孤島には、楽園的生活とともに、独自の文化、独自の価値観、そして独自の生態系があり、常識では考えられないような未知なるものが隠れているという幻想をも生む。“文明人”という「中心」に対する“未開人”という「周縁」が持つ異界的パワーである。それが「キングコング」であったり「モスラ」として現れるのだ。それは当時の“南海の孤島”だからこそ説得力があった。
しかし現実は悲惨であり、グアムとハワイの間に位置するマーシャル諸島共和国のビキニ環礁、エニウェトック環礁では、終戦の翌年1946年から1958年にかけて、なんと67回もの核実験がアメリカによって行なわれたという。
日本の「ゴジラ」はこうした南海での核実験の産物として登場する。こうして日本においては、南海の孤島は「楽園的パラダイス」な側面に加え、核実験による影響という点でも、何が潜んでいるか分からない場所となる。怪獣ものだけでも前述の「モスラ」に加え、「ゴジラ 対 キングコング」、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」、「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」、「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 南海の大怪獣」などが、南海の孤島がらみで作られている。
そこには“放射能廃液によって突然変異したエビ”や、気象コントロール実験の失敗による“異常高温と合成放射線で怪獣化したカマキリ”などが登場する。何よりモスラのいるインファント島は、原水爆実験場だったのだ。
そしてまた「マタンゴ」の難破船も核実験の海洋調査線らしいとされる。そしてマタンゴ自体も、原子力放射能が生んだ動物でも植物でもない第三の生物という設定(東宝事業部パンフレット)であり、原爆のキノコ雲を連想させる形態なのだ。
こうして日本の南海の楽園幻想は、核実験の放射能汚染場所という、奥底で広島・長崎の悲劇とつながる反楽園イメージと表裏一体となった、独自の「周縁」を形作っていったと言えるだろう。
このロマンティシズムと現実が混ぜ合わさった言わば「汚された楽園」と言うべき南海への眼差しが、同じ悲劇を味わった日本人の共感を呼び、荒唐無稽な怪獣映画にリアリティを与える原動力にもなっていた気がするのである。
そして被爆国としての実感が日本人から薄れ、核実験の放射能で変異し出現した怪獣という設定が説得力を失うに従って、寄るべきリアリティーがなくなった怪獣映画もそのパワーを失っていく。
しかしもちろん、その安易な結びつけは被爆者に対する偏見や差別につながることは言うまでもない。被曝を内包した怪獣映画が作られなくなったのは、当然と言えば当然なことだったのだ。
しかしもちろん、その安易な結びつけは被爆者に対する偏見や差別につながることは言うまでもない。被曝を内包した怪獣映画が作られなくなったのは、当然と言えば当然なことだったのだ。