2010年6月8日火曜日

「マタンゴ」

   
呪いの館には行っちゃいけねぇ
呪いの館には行っちゃいけねぇ
くどいようだが行っちゃいけねぇ
呪いの館には行っちゃいけねぇ
(以下略)
「マタンゴ」筋肉少女帯

筋肉少女帯のインディーズの凄みが残っている初期の傑作「SISTER STRAWBERRY」(1988)のトップを飾る名曲「マタンゴ」。歌詞の内容はオリジナルだが、この強烈な言葉“マタンゴ”はもちろん東宝の傑作ホラー「マタンゴ」から来ている。

「透明人間」(1954)、「美女と液体人間」(1963)、「 電送人間」(1960)、「ガス人間第一号」(1960)と続く“変身人間シリーズ”のラストを飾る作品という見方もあるようだけど、これはもうシリーズとは別物の単独ホラー作品である。

マタンゴはキノコを食べて変身してしまった怪物“キノコ人間”の名前だ。しかしポイントは他の怪獣映画や変身人間シリーズのように、怪物vs.人間という対決構図がないこと。物語は無人島に漂着し、食べ物も飲み物も尽きようとしている極限状態での人間模様が中心なのである。

男性5人と女性2人が次第に希望を失いエゴをむき出しにしていく。そして最後に残されたのは、キノコを食べてマタンゴ(キノコ人間)として醜悪な姿のまま生きながらえるか、それとも死ぬかという究極の選択。

特撮もセットもドラマも素晴らしいの一語に尽きる。当時の怪獣映画でも見られる海洋場面のリアルさ。もちろんミニチュアセットによる特撮だということはわかる。わかるんだけどそこに“リアル”さが大きな魅力として宿っているのだ。波の大きさ、重さ、ヨットのうねり。難破船のたたずまい。そして場面が変わっての、東京のネオン輝く夜景。

そしてセット。ヨットの船内、難破船のカビだらけの部屋、そしてマタンゴの森。画面の密度が濃い。一部のスキもない。それを見事なカメラワークとカット割りで息が詰まるような空間として見せていく。

しかし何より素晴らしいのは、俳優陣の演技だ。小さなエピソードを重ねながら、次第に死へと追いつめられていく7人の人間のもがき苦しむ様が、これまた濃密に描かれていく。そこには必要以上にエロティックな場面も凄惨な場面もない。
   
   
しかし水野久美演じるしたたかな美女関口麻美が見せる、眩いほどに妖しい美しさ。「ウルトラQ」の万条目淳とは全く違う性格作りが凄い佐原健二が見せるエゴむき出しの男。中でも強がりつつ弱さを露呈していく土屋嘉男がいい。ちなみに彼は竹中直人にどこか似ているなぁ。

7人7様の性格の描き分けも見事だし、それをどの俳優も実に緊張感のある演技で演じてみせてくれる。何より抜群の存在感がある。顔がみんな俳優顔してていい。

怪物マタンゴは実はそれほど醜悪な造形ではないし、襲われるといってもゾンビ映画のように傷つけられたり殺されたりするわけではない。彼らもキノコを食べた元人間なのだ。映像的にショッキングな場面もないが、生と死の狭間で次ぎに何が起こるのか、キノコを食べてしまうのか、というスリルと恐怖が、早いカット割りの中でジワジワを見るものを引きずり込み、最後までダレることなく作品を引っ張っていく。

血しぶきが飛ぶとかいった毒々しさはないから、子どもでも見られる。そしてその奥の深い恐怖に打ちのめされる。そういう体験をした人は多いと聞く。わたしもその一人である。マタンゴ、恐かったなぁ。今見ても作品の出来は最高である。画面から伝わってくる迫力、熱気が半端じゃないのだ。

どうしてこういう映画が作れなくなったんだろう。ここにはリアルな恐怖と寓話的物語と共に、映画的なファンタジーがある。見ていてゾクゾクするような展開の面白さがある。それは現実のリアリティーとは別の、映画ならではのリアリティーなのだ。今の映画には実際のリアリティーに固執し過ぎるあまり、こういう映画のリアリティー&ファンタジーが決定的に欠落しているんじゃないかなんて思ってしまうのだ。

これはもう日本映画の傑作の一つであることは間違いない。

ちなみに本作は1963年、「ハワイの若大将」と同時上映された特撮納涼作品とのこと。凄い組み合わせだけど、つまりは大人向け娯楽大作だったわけだ。大人向けの特撮映画が成立していた時代がうらやましい。

個人的には本編中にウクレレが出てくるところがあって、やっぱり当時はウクレレは若者の楽器だったんだっていうことが再確認できたのも良かった。