2012年12月1日土曜日

恩人の訃報

2000年に開校した学校の開設準備の頃だから
もう13年も前になるのだなぁ

当初はわたしの分担業務ではなかったのだが
色々な関わり合いの中で
ボランティア活動の連携先/受入先を開拓する仕事を
メインで行なうようになり
その中でいろいろな施設の担当者や
ボランティアサークルのメンバーと
顔見知りになったのであった

いわゆる「奉仕活動」が学校に導入される前夜で
地域との関係作りなどそれまで皆無だったところを
新設校だからと先陣を切ったのだが
まさにイバラの道を行くがごとく大変な思いをしつつ
一ヶ所また一ヶ所と関係作りを行なっていったのだ

そうした中で
優しい物腰と穏やかな笑顔で
グループをまとめていたしたのが
ある点字サークルのSさんであった

ボランティアサークルの方々に

授業の協力を得る上ではまだ制度的な整備も整っていなかったが
こちらからの無理難題に笑顔で応じてくれた 
まさに恩人と言える方であった

その新設校から異動した後も
毎年年賀状をいただいていたので
4年ほど前に倒れたときも
年賀状で病休のこともお伝えした
その時はとても心配して下さった

その後2010年10月にメールをいただき
その最後に次のような言葉が綴られていた

「…私も振り返ってみますと80歳のやっている事ではないと思い、色々な役を全部辞めて腎臓病との付き合い方に専念しているところです。透析を断り自分なりの幕引きをしたいと頑張っております。」

昨年2011年9月の個展の際にご案内メールを出したのだが
返事が無く個展にもいらしてはいただけなかった
今年からは年賀状も来なくなったので
実は心配していたのであった

そして…先日訃報が届いたのであった
11月15日に亡くなられたとのこと
享年81歳であられた

正直なところついに来たかという思いである
一緒に活動させていただいたあの頃のことが静かに甦る
そしてまたそれが遠い過去になってような気がする
皆さん誰もがあれから13年の月日を経ているんだなぁ

また皆さんにお会いしたいけれど
今さらお会いするというのも唐突過ぎて
さらに悲しい知らせを聞くことになるのも恐いようで…
そんな長い月日が過ぎてしまったたことを
しみじみと実感するのであった