2013年6月13日木曜日

「疾病利得」自己嫌悪

昨日な〜こと雑談をしていて
「疾病利得」という言葉が出た
これは病気であることで得られる利益のこと
例えば病気であればそれを理由に
イヤなことをやらないで済むとか
人から優しくしてもらえるとか…
あるいは年金や給付金がもらえるとかいったこと

本人は確かに苦しい…んだけれども
病気でいるがゆえに特別扱いされる幸せがある
逆に病気が治るともっと苦しい現実に引き戻される
だから病気が治らないことを願う
実際はそこまで意識的ではなくて
病気が簡単に治らない理由ばかりを知りたがり
治らないことで安心したがり
治すためのプログラムには積極的に参加しない
みたいな感じ

例えばな〜ことの関係で言えば
ワタシの病気が治ってしまった場合
ワタシ側から見ると
な〜こからの献身的な支えが無くなってしまうんじゃないか
な〜こ側から見ると
もう自分を頼ってくれなくなってしまうんじゃないか
というような不安から
一方的あるいは相互依存的に
ワタシの病気が治らないことを無意識に求めてしまう…
というようなことだ

もちろんな〜この会話では冗談ぽく出てきた言葉だけど
このあたりの線引きって難しいのである

そういう「病人/支援者」みたいな関係は当然あったし
ワタシもそこにかなり甘えていたと思う
それにまだ働けてもいない今もそういう関係は続いていると思う
やっと少しずつ対等な関係に戻りつつある…
ぐらいなところだろうか

ただ元々はワタシが倒れる前からのお付き合いであるから
「病気」を媒介にしないと関係が作れないという感じは無い
それに「病気」だからと言って
な〜こが人が変わったように優しくなったわけでもないのだ
もともとな〜こは優しかったし

しかし「疾病利得」というのは辛い言葉である
「もうオレは社会的にダメ人間になっちまったぁ…」
って自分を責めて苦しんでいる人間にとっては
「そうだよ、ダメ人間だよ、結局ズルしたいんだろ?治る気すらないんだろ?辛い辛いと言ったって、嫌いなマラソン大会の前日になると熱が出る小学生と同じなんじゃないの?つまり現実から逃げているだけ。自己否定とか自己不信とかも同情を買うため。そりゃ“無意識”なんだろうけどさ。」

とトドメを刺されたようなものだろう

病休中も体調が良ければウクレレ教室などに行けて
人との接触を遮断していたわけではなかった自分を思うと
こうやって書いていても辛くなる

これ当事者にとっては
どこかでそうかもしれないと恐れていることで


絶対そんなことはない!って断言出来ないものだからなぁ