「シン・ゴジラ」の根幹は、
東日本大震災で心に傷を負ってしまった多くの日本人、
どちらかと言えば、直接の被災者ではないけれども、
漠然と精神的に大きなショックを被った人々、
とりわけ、実際に微量ながら放射能を浴び、
計画停電なども味わった東京周辺に住む人々が、
この日本に対して抱くことになった
暗く落ち込んだ心の持って行き場を
必死の思いで作り出してくれたことにある。
それはある種のセラピーであり、
そのために、
絵空事ではないリアリティが必要だったのだ。
「シン・ゴジラ」は
あの惨事を受け止めきれないでいる人々に、
ある種の救いと希望を与えた。
前を向くための心の持ちようを示してくれた。
だから、とりわけ日本で評価が高く、
日本において大きな意義を持っていたのだと思う。
例えば、事故や病気で愛する人を失った遺族が、
そのやりきれない悲しみと戦い、それを乗り越えるために、
そうしたことが二度と起こらないための
運動や基金などに力を注ぐことがある。
悲しい出来事を、ただ悲しんでいるのではなく、
今後の役に立て、未来に活かしていこうとすることで、
人は悲しみに耐え、乗り越えようとするのだ。
ところが東日本大震災の場合、いまだに
悲しむところから先へ進むことができていない。
もちろん悲しみは消えないし、
惨事を忘れてはいけないのは当然だが、
それを一つのきっかけとして活かし、
前を向く道筋が、未だに提示できていないのだ。
例えば、再生可能エネルギーへの大転換である。
それは原発は危ないから、
信用できないから、ということだけではなく、
「あの惨事を将来に活かす活動を始める」ために
必要な選択しの一つなのだと思う。
そういうマイナスをプラスに転化するような
〝前の向き方〟が今一番求められているのだ。
それが現実には成し得ていない中で、
「シン・ゴジラ」はギリギリの希望を見せてくれた。
だから実は、
自衛隊を礼賛してもいないし、
政府を揶揄してもいないし、
国際関係を嘆いてもいないし、
若手の政治家や官僚に期待もしていないし
エヴァに似ているかどうかも関係ないのである。
現実を批判しているわけでもないし、
理想を語っているわけでもないのだ。
大事なのは、現状をシミュレートした上で、
今可能な〝心の持ちようのモデル〟を
かろうじて提示してくれたことなのだ。
だから後半のヤシオリ作戦が突飛であってもかまわない。
それは心を開放するための荒業なのだから。
ポイントは、物語がそこへなだれ込む中で、
〝心の持ちようのモデル〟を実感できるかである。
初めて映画館で観た時に、
なんだか良くわからない涙が出たのは、
そういうことだったのだと思う。
セラピーを受けたんだよ、あの時。