2010年9月10日金曜日

「夢をあきらめるな」って恐い

「夢をあきらめるな」とか
「努力すれば夢はかなう」とかいう
ポジティヴなメッセージが
声高に発信されるとなんだか恐いのである

「友だち百人できるかな」みたいな恐さかな

友だち百人できて楽しい人もいれば
孤独を愛する人もいるわけで
友だちというか“親友”がいないと
自分が人としてダメなんじゃないかって
思わされちゃうような雰囲気が恐いんだな

同じように「夢をあきらめるな」
まず「夢」を持つことが前提になっているところから恐い
自分の将来のことなんてわからないし
「夢」なんてコロコロ変わるものだし

それを「あきらめるな」と念を押されると
一度夢にしたら
結果を出すまで(かなうまで?)
とにかく努力し続けるのがエラいみたいな感じがする
  
こういうメッセージは
すでに自分なりの夢を持っていて
そのために努力をしている人に向って言うものだ
まだ結果は出せないけれど
あきらめちゃダメだよって励まし支える言葉だ

何をしていいかわからない
自分のこともわからない
得意なこともあんまりないし
だからそんな自分に自信もない
そういう大多数の若者にとって
このメッセージはとてもキツい縛りになる気がするのだ

「ともだち(親友)」に加えて「夢」も必要なのかと
彼らは精神的に追いつめられていく
どちらもない自分は
人としてダメなんじゃないかと
  
そんな「甲子園出場(夢)」に向って
仲間たち(ともだち・親友)と
励まし合いながらあきらめずに進んでいくなんて
非日常的なくらい特殊な状況でしかないんだから
  
「夢」なんてもっといい加減で良いのである
コロコロ変わってもいいじゃない
それより無謀と思われるようなことを「夢」見る
心の余裕が大事なんじゃないかなと思う 
逆に自分を縛ってしまったら元も子もないんだし
その時その時に興味を持ったり
熱中したりできるものに出会えればそれでいいし
一つのことに打ち込むことも大切かもしれないけれど
色々なことに興味を持つことだって大事だし
  
そんなちょっと世界を広げようとしている人に
「もう少し頑張ってみると楽しい世界が待ってるかもしれないよ」
って言ってあげるぐらいがいいところなんじゃないかなぁ
それに「夢をあきらめないでがんばっている人」よりも
「夢」なんて持てなくて迷い続けていて
一寸先も闇のような中を
取りあえず自分の足で一歩一歩進んでいる人の勇気を
もっとちゃんと讃えてあげたい気がする