2010年9月23日木曜日

「COCOON」と少女性

今日マチ子の「COCOON」には
陰惨な現実と柔らかな少女性が共存していると書いた

その少女性とは
幼さや無邪気さとともに
想像する力と
想像の世界に遊び
それを現実に拮抗させることのできる力だと言えるだろう
  
それは繭(cocoon)という比喩で
この物語の大きな柱になっている部分だ

しかし再読しているうちに
もう一つわたしは別の“少女性”も感じてしまった
  
それは地獄のような体験をした後の主人公のラスト
「新しい世界」と題された最終章の
何かこう意外なほどにあっさりと
“その後”を生きている主人公の姿にである

もちろん彼女の中には
描かれていないトラウマが潜んでいるのかもしれない
しかしそれは触れられることはない
むしろ悲しみや怒りを引きずっている様子が
あまり感じられないのだ
彼女の家族は皆無事であり
終始笑顔な主人公
例えば母との再会の場面

「みんな…
   無事でよかったわ!」
  
「うん!」
  
「学校のおともだちは…
   残念だったわね…」
  
「うん…
   でも戦争だったから…」

そして親子がにこやかに海岸沿いを歩くカット
傍らに咲くのはひめゆり部隊を連想させるユリの花
次に思い出の中に浮かぶうつろな表情の
死んでいった友だちたちのカット

現実の悲惨な記憶そのものが
逆に空想上の世界の出来事であるかのようだ
  
「家族が無事で良かった」とか
「戦争だから(したかなかった)」といった
狭く閉じた世界に完結させてしまうかのようなラスト

彼女たちの死はいったい何だったのかといった問いかけも
死んでいった友と生きている自分との間の苦悩もなく
前向きと言えば前向きなんだけれど
ためらいもなく現実をそのまま受け入れ
冷酷なほどに淡々と気持ちを切り替えているように見える

それをもまた“少女性”と呼ぶとしたら
この作品は主人公が
“少女性”だけを武器に
陰惨な現実に耐え
受け入れ
乗り越える物語だと言えるかもしれない

そしてまたこの冷酷さを孕む少女性は
今日マチ子の他の作品からも感じられる
大きな特徴の一つでもある