2009年8月30日日曜日

ウクレレ製作奮闘記 12<完成!>


必死の思いで接着済みの駒を外し

必死の思いで駒の高さを2mm近く削り
もう一度圧着

今朝になって
駒がちゃんと接着されているのを確認して
再び弦を張ってみた

12フレットの弦高は

なんと7mmを越えるくらいだったのが
5mm程度まで抑えられた駒を削りに削った成果だ弦高としてはまだ高いんだけど限界でしょう


ついでにネック側のナットの溝も

小物用の小さなヤスリを使って深くした

う〜ん弾きやすい

ローコードも押さえやすくなったし
10フレットのセーハでは
音がほとんど出なかったのに

がんばればきれいな音がなるようになった

満足満足〜


まだまだ微調整は続くかもしれないけど
取りあえず今度こそ完成であ〜る

(光の加減で色が明るくなったみたいに見えるが、実際の色は前回の写真の方が実物に近い)

 

ウクレレ製作奮闘記 11<駒の微調整>


「製作奮闘記」が「10」で終わると言うのは
流れ的になかなか切りのいい感じでは合ったが
そうは問屋が卸さなかったのであった

ボディー側で弦を止めている駒の高さが
ウクレレ全体のバランス上高くなってしまったため
中央部分の12フレット付近の弦が
異常にに浮き上がっていることがどうしても気になって
思い切って
ボンドで接着済みの駒をはずすことにした

カッターで格闘すること数十分
なんと
駒が表板からきれいに剥がれたのである
カッターの刃は一度欠けたが

自分にとっては
表板破損するかも
つまりウクレレオジャンの恐れも覚悟しながらの
高難度修繕作業だったので
それだけでも安堵ひとしお

その後取り外した駒を
またまたカッターで
数十分にわたり削って削って高さを低くし
再度ボンドで接着
明日の朝には貼り付いていることだろう

これでさらに演奏しやすいウクレレになってくれるかな
あぁ疲れた〜

  

2009年8月29日土曜日

ウクレレ製作奮闘記 10<弦を張って完成!>

 
弦の両端の処理として
ボディの方の駒とサドル
そしてネックの方のナットを貼付けて
いよいよ弦を張る

緊張〜

う〜ん
弦のフレットからの高さが高過ぎる
ということで
ナットとサドルを削る
そして
これなら弾けるかなっていうところで終了

 渋い色である    
基本的にですね
ボディとネックが一直線ではなかったのだ
基本中の基本なのだが

接合部を底として
上下が
微妙に上がって湾曲している
だから弦は接合面
つまり12フレット付近あたりだと
かなり高くなる

構造的問題であるのでもういたしかたない
でもいいんだ
結構いい音がするんですよ
これからもっといい音になっていくんですよ
以上
ウクレレ製作奮闘記は終了なのである
非常に疲れたが面白かった
またやってみたいのである
今度こそブルーに挑戦
かな

  

ウクレレ製作奮闘記 09 <塗装>

 
いよいよやってきました塗装の時

その前に
サンドペーパーで磨いていたら

サウンドホールの一角が引っかかって
5mmほど欠けてしまった…あれ〜

そこで廃材の一部を糊付けして
カッターで削りながらもとのカタチを復元


同じマホガニーの切れ端を探したんだけど
上手い具合のものがなくて
修正部分はカタチはなかなかうまくできたんだけど
見ればすぐわかるほどの色違い
でも塗っちゃえば同じだ〜と強気
ちょっと職人気分

できるだけ重ね塗りをしないで
板が厚くならないようにしたかったので

水性アクリルニスを使う
着色とコーティングを同時にやってくれる

ありがたい代物

でも色が限られているので
夢見ていたブルーは今回はあきらめた

ならばむしろ
変わった色にしようと決めていながら
間違えて買って帰り
塗り始めて気づくというアホさ加減
瓶をみたら「マホガニー」
それじゃ表板(トップ)の素材と一緒じゃん
代わり映えしないじゃん(右上写真)
全然職人じゃないし

ということで再度“変わった色”を買ってきて

十分乾いたマホガニー色の上に重ね塗りをした
その色とは「ダークオーク」
ちょっと見
コケのような緑っぽい感じがするんだけど
下地に「マホガニー」が塗られているので
緑っぽさは無く
かなり暗い感じになった(写真右下)

なんだか古道具屋から見つけてきたみたい
“年代物”っぽくていいかも〜

さて明日はいよいよ弦を張る
ここまで作ってきて
音痴だったら困るなぁ
でもその時も良い音が出るまでつき合うからね

(白い部分は色がつかないように貼ってあるマスキングテープです)
 
 

2009年8月27日木曜日

ウクレレ製作奮闘記 08 <合体&フィンガーボード>


ついにネックとボディの接合を行った
ボディのセンターとネックのセンターを合わせ
ボディに空けた穴と合うようにネック側にも穴を開け
合体、接着、固定

そのまま寝かせること数時間

行程だけ書けば簡単だが

センターも合わない
穴も合わない
大苦戦の連続
これで本当にちゃんと弦が張れるのかしら
もう音以前の問題で不安一杯である


取りあえず固定するまでの間
指板(フィンガーボード)を作ったのだが
これもまた大変

ボードにフレットを打ち込む溝はできているのだが
フレットは長い針金みたいなものを
一つ一つカットして溝に打ち込まなければならない

しかも指が一番動くところだから
カットしたの面取りをして

指にひっかからないように
なめらかな両サイドにしなければならない
金属のヤスリで一本ずつ両端を磨いていく
これをひたすら12フレット分、つまり12本作って打ち込む
そしてネックにフィンガーボードを貼り終えたところで本日は終了

また今日も頭痛だ
早寝しなきゃ
でも肝臓腫れてるっていわれたから
睡眠薬は一種類にしておこう

 

ウクレレ製作奮闘記 07 <裏板貼り&サンディング>

 
昨日は「二日酔いシンドローム」気味になったところで早目に就寝
そうしたら朝5時半に目が覚めた

そこでなぜかウクレレが気になって
裏板の乾き具合を確かめに行ったのがいけなかった

しっかりくっついていることがわかったら

余分な部分を削りたくなっちゃったのだ
朝の5時半だというのに…

カッターとナイフで削ること1時間。
ボディらしきカタチができあがってきた

作業を積み重ねて作り上げたというより
作業し続けていたら
フッとウクレレが姿を現したような感じだ
う〜ん、ちょっといびつだけど美しい…

サンドペーパーで全体を少し磨いて就寝
そして7時過ぎに起床
今日はどこまでいけるかな

 

2009年8月26日水曜日

ウクレレ製作奮闘記 06 <ラベル作り>


ウクレレ作りの密かな楽しみ
それはボディ内部に貼る製作者ラベル

サウンドホールからのぞくと見えるのが
奥ゆかしくてよろし

    
結局勢いで作業を続けて
表板を貼って
はみ出し部分も削り込んだのだが
えらく疲れた

そして裏板を貼る前に
このラベルを貼っておかなきゃって思い出した

パソコンでオリジナルラベルを作り
カラー印刷してできあがり

このラベルを貼って
裏板をボンドで接着して
明日まで本を載せたまま寝かしておこう

今日は久しぶりに
かなり「二日酔いシンドローム」近くまで
来た感じ

結局昼寝もしてないからなぁ
肩から首回りが苦しいなぁ
気合いのハチマキもここまでかぁ

 

ウクレレ製作奮闘記 05 <穴開け&トップ貼り>


中付(ライニング)が乾くのを待ってる間に、表版と裏版にブレイシングと呼ばれる添え木を貼付ける。表は平らだが、裏はこの棒にアールがついているので接着された裏板時代にアールが入る。丸みを帯びたちょっと楽器っぽい形状になるのだ。


ライニングが乾いたサイドボードは、予告通りテールからネック方向へ幅を狭くしていく作業にうつる。削る部分は色をつけてわかりやすくしてからカッターとサンドペーパーでカットしていく。最大幅5mm狭くする。真っすぐ削って行かないと表板をのせる時に隙間ができちゃうぞ、慎重にそして大胆にやらなきゃだ。

そしていよいよ表板(トップ)を接着。その前にボディとネックをつなげるジョイント部分に穴を開けておかねばならない。接着剤の圧着だけではなく、ダボ(小さい木ネジ)を差し込むとのことで、ジョイント部分の強度を増そうという仕
組み。確か「全音」のキットはそこまで作ってあるんじゃなかったかな。


仕方がない。あけるのは6mm幅の穴だ。買って参りました電動ドリル。まっすぐあけられるか心配で、いらない木でテスト。

すると「あれ〜穴が開かないなぁ、どうしたんだ〜、進まないぞ、この木固すぎるのかぁ〜、っていうかこのドリル超弱くね?」とか思っていたら、回転の設定が逆だったというくらい素人なんです、わたし。

しかしあれこれやっているうちに穴は見事にあいた、若干ズレたが。

そしていよいよ表版(トップ)を貼付ける。サイドボードを手作りクランプにはさみ、サウンドホールの位置が中央に来るように気をつけながら、ボンドを塗り塗りして圧着。

重しとして上にのせたのは、昨日帰ってきた英和辞書2冊と旧型パワーブック。これで待つこと5時間なり。


その後裏板(バック)を貼って、はみ出た部分の切り取り、サンドペーパー仕上げをする。それは明日かな。明日はネックとボディのジョイントまでいけたらうれしいぞ。もう頭痛が限界だぁ。

  

「心の翼が折れてしましまわれたのでしょうか」


前任校のボランティア活動で、地域のガイドヘルプボランティアの活動をずっとされていながら、年賀状で「昨年東京から(奈良へ)転居しました」というご挨拶をいただいていた方がいた。ことしのお正月にご紹介した方だ。

「寒中見舞いでご返事を書こう」と思いつつ春になり、「暑中見舞いでご返事を書こう」と思いつつ、もう8月も終わろうとしている。

そこで今日、思い切ってメールをしてみたのだ。幸いその方のメールアドレルは仕事上教えていただいたものが残っていたし、幸いなことに今もそのアドレスをお使いであった。

メールには、年賀状のご返事ができずに申し訳なかったこと、そして昨年9月から病休、そして休職をしていいることなどを、携帯なのに長々と書いてしまった。

そうしたら、すぐに返事が来た。

「心の翼が折れてしまわれたのでしょうか。そう言う時はなにも考えず、のんびりするのがいいのでしょう。」

とあった。それを読んですぐに「心の翼が折れた」ことがあるんだなと思った。そうしたらその後に近況が書かれていて、

「夫の実家へ帰ってきて、文具店の手伝いの仕事を頼まれてやっていたのですが、20年以上店長をしている人からパワーハラスメントを受け、心が折れました。自分が情けなくなりとても辛かったです。辞めることができ1ヶ月経って、ようやく落ち着いてきました。」

とあった。その方はこう結んでいた。

「折れた翼をゆっくり休ませてあげて下さい。本当に人生いろいろありますね。つらい経験も、してよかったと思えるようになりたいです。」

やっぱり辛さを耐え抜いてきた方だから、言葉が重い。
早く元気になって奈良まで会いに行きたいなぁ。

 

ウクレレ製作奮闘記 04 <中付の貼付け>

完全休養日宣言をしたものの、ウクレレ製作だけは続けたい。

サイズが合うまで削り込んだり、ボンドが乾くまで待ったりと、それぞれの行程に時間がかかるから少しでも作業を前進させておきたいのだ。

朝も早目に目が覚めたりしてるので、ちょっと睡眠障害気味か。熟睡間ないし。それに腰の痛みと頭痛とのぼせたような不快感もあるけど、「熱さまシート」貼ったまま、今日は中付(ライニング)という部分の作業を行った。

ボディとなるサイドボードの接着面を広くするために、縁に沿って補助の細い板を張り付けるのだ。すると表版、裏版をサイドボートと張り合わせる時に、のりしろ部分に若干厚みができて、接合強度が増す、ということらしい。

取りあえず乾燥待ち。

次の作業はなんと、ネック側とテール側のサイドボートの高さを変えるんですと。ネック側を削ってボディが出来上がった時に、下の方に向って若干ボディの厚みが増えるように作る。そうすると鳴りが良くなるらしい。次々と高いハードルがやってくる。

その前に昼寝かな
このまま作業してたら、完全休養日にならないかならぁ

 

2009年8月25日火曜日

ウクレレ製作奮闘記 03 <手作りクランプ作成>

 
遅々として進まないウクレレ製作でありますが、今日は手作りクランプ作りで終わってしまった。

同じクランプ(固定器具)でも、接着剤の圧着固定用のものではなく、ボディのくびれ部分を固定して、その後の作業の下準備となる大きなもの。これは市販のものではなくて、ウクレレサイズに合わせて自作することになっているのだ。

まず角材を必要な長さまで縦に2等分して、横に切り取り、細長い板を2枚作る。この部分がボディのくびれ部分にあたるから、薄くないと行けない。その2枚を角材でつないでできあがり。

設計図では5mm厚くらいの1枚の板で作るように指示されているのだが、それほどの技術はない。それどころか角材を縦に2等分するのも一苦労。ノコギリなんて普段使わないから、まず真っすぐ切るのに苦労する。そしてなかなかうまく切れたぞとか思っても、裏側は中央線からずれていたり、うねっていたりするのだ。

要するにノコギリの刃をを真っすぐに動かせていないっていうこと。だからこのネジ止めクランプも、ノコギリの技術なしで何とかならんものかという苦心の作なのだ。

それ以外にも、サウンドホール回りのロゼッタが表版より盛上がっていたら削るように書かれていたのでカッターで削っていたら、勢いで刃が深く入ってしまって一時ロゼッタ部分のセルロイドが浮き上がり、一部を切らなければならなくなった。

だから今は3カ所で結合されているのだこのロゼッタちゃん。まぁサンドペーパーできれいにするからね。

なかなか進まないが、それもまた楽しいからいいのである。

  

2009年8月23日日曜日

ウクレレ製作奮闘記 02 <ブロック&ロゼッタ>

小型クランプを買ってきて、サイドボードにネックブロックとテールブロックを木工ボンドで貼付けた。クランプは圧着面の押さえなんだけど、ブロックはそのままでもいいとしてサイドボードは板を噛ませないとクランプの力が一点に集中してしまう。

そこで手作りU字クランプ用にと買ってきた木を使うことにした。手作りU字クランプは厚さが3mm〜5mmとあったのを覚え間違えていて、厚さ3cmくらいの角材を買ってきてしまったのだ…

あ〜バカバカバカと思っていたのが、これが役に立った。先が思いやられるが今回は結果オーライだ。乾燥には約3時間。

ついでにこの木材でU字クランプも作れないか思案中。

サウンドホール周辺の飾りであるロゼッタは、本来なら一周したところで切り口を合わせてできあがりなんだけど、最後のあわせが上手く行かず、あれこれやっているうちに長さが足らなくなってしまった…

そこで半分の長さのセルロイドを2本組み合わせて上下2カ所で止めることになした。まぁサンドペーパーかけちゃえばもう少しきれいに見えるかなぁ。明日はサンドペーパーとマスキングテープ買いに行かなきゃ。

そして明日は「ドラム体験レッスン」も待っている。忙しいぞ〜!

 

ウクレレ製作奮闘記 01 <キット確認>

職場完全撤収が動き出した日に、ウクレレキットHOSCOUK-KIT-5製作開始。これも何かの巡り合わせかもしれないねぇ。とは言っても作業には入らず、まずは製作キットの確認だ。

出来上がった楽器を見るとスゴくしっかりした木工品ていう感じがするけど、こうして加工前のものは本当にただの薄っぺらい木だなぁ。


それでもボディはマホガニー単版だし、ネックに貼付けるフィンガーボード(指版)と、弦をボディ側で留めておく駒はローズ材、そしてサウンドホール回りにセルロイドのロゼッタをはめ込むというこだわり。

各部品の確認が終わったら、必要な道具を揃えなければならない。木工用ボンド、カッター、サンドペーパー、ヤスリ、キリ、プラスティックハンマー、クランプ、マスキングテープ、ドリル、のこぎり、ドライバー、ニッパー、50cm定規、そして塗料。そしてボディのくびれ部分を固定する木製U字型クランプは自作しなければならない。
一気に必要な道具を揃えるよりは作業を進めながら、必要に応じて揃えていった方が確かな気がするので、まとめ買いはしないことにした。

ボディとネックの接着に、双方にドリルで穴をあけダボを使ってピタッと合わせる必要があるのが作業工程上一番の難所かな。でもむしろ細かな調整作業やサンドペーパー磨きなどの地道な作業が重要なんだろうな。

まずクランプ(接着面を固定する器具)だけは買いに行かないとかな。

 

「職場完全撤収」ついに開始

ご迷惑をかけっぱなしなまま
それでも気持ちのリセットをしたいと
わがままを言わせてもらってお願いしていた
職場の私物の完全撤収

こちらから行くことが無理なので

いろいろお世話や
お気遣いをしていただいていた
同じ部活の顧問の方に

頼んでいたのだけれど
今日
その作業をしていただける連絡をいただいた
やさしいやさしいメールで
ココロがひどく痛む

自己嫌悪の痛みではない
恐らくもうお会いすることも
一緒に働くこともないだろうと思う
寂しさと辛さの痛みだ

でもこれで
きっとまた一つ
気持ちの整理が付くことになるだろう

どこかで
全然別のかたちで
また会えるといいなぁ

 

2009年8月22日土曜日

「摩訶不思議生物型録」阿部代里子

  
縁は異なもの味なもの、それもにゃ〜こがあってのもの。

昨日わずかな時間をにゃ〜こと買い物に出かけ、「カオナシ」の根付けを手に入れてニハニハしていたら、オリジナルプリント風のTシャツが置いてあった「NMT(No More Tears)」というお店の前を通りかかった。

普段ならきっと素通しただろうと思うのだけど、レッド・ツェッペリンがプリントされたTシャツが気になりちょっと足を止めたところ、それに目ざとく気づいたにゃ〜こが「ロックTシャツ、中にもあるって書いてあるよ」と声をかけてくれたのが縁の始まり。

Tシャツもそれなりに面白いものがあったのだが、その奥の棚の本の一角になぜか数体の部気味なオブジェが並んでいて、その横に本書が置かれていた。Tシャツとはまったく関係ない一角。

並べられていたオブジェは「人形作家」という肩書きをやめ「奇怪生物生み出し人」として石粉粘土(せきふねんど)によるオリジナル造形作品を生み出している、阿部代里子さんという方の作品であった。すべて一点ものの作品であった

その一点もののオブジェを集めた作品集が本書「摩訶不思議生物型録」(阿部代里子、木耳社、2006年)である。オブジェたちの横にひっそりと置かれていたのだ。

そこにいるのはこの世の陰や影に生きている妖怪である。しかしいわゆる水木しげる的な、歴史・伝統・民話・語り伝えなどによる長い歴史の中の妖怪ではなく、阿部氏が

「その存在は、大昔から存在していて、それはまだみんなに知られていないだけ。じっと目を凝らし、自然の息吹きに耳を傾け、ラジオの周波数を合わせるように神経を中秋させればいつか必ず出会えるかもしれない」

と言う、まったく独自の妖怪たちである。

デザイン事務所で働いていたのだが体調を崩して退社し、デザインの仕事をあきらめかけた時期もあったとか。でももともと興味のあった空想生物を作り出して人形作家、そして「奇怪生物生み出し人」になったという経歴にも魅かれるなぁ。

作品はちょっと不気味でどことなく愛嬌があり、生き物の暖かさと金属的な質感、そして微細な模様が特徴。オブジェにはかなりの重みがあり、それが見た目の異形さにさらに存在感を与えている感じがした。
  
   
「もっと置いてあったんですけど、今はこれだけになっちゃったんですよ」と5〜6体の不気味なオブジェを指して店員さんがうれしそうに説明してくれた。(よくぞ見つけてくれました!)っていう感じの喜びが伝わってきた。

オリジナルTシャツ屋の奥の棚で出会った不思議オブジェと、思わず購入したその紹介本。不思議な出会いである。

かつては薄暗い電球の下には、光がともることによって逆に多くの陰や影が現れ、そうした濃淡のある世界で人は暮らしていたことを思い出した。

わたしにも見えるかもしれないなぁ。石粉粘土(せきふねんど)かぁ。面白そうだなぁ。

  

2009年8月19日水曜日

横浜廃墟の旅 09夏<オモシロ写真編>

 
「廃墟の旅09夏」オモシロスナップ集でございます。
山の手のお宅は美しく大きな作りが特徴
でもそれだけでなく
こまごましたオモシログッズが置かれているのも
なかなか楽しゅうございました

まずはドア横で出迎えてくれるネコの執事さん
すっと背筋の伸びた立ち姿がステキですね

こちらはストリートミュージシャンのフクロウくん
サックスフォンとアコーデオンの二人組ユニットです
上のネコの執事さんの手元にいるフクロウくんとは
別ユニットでございます

門の中から外をうかがっているのは
色違い、体形違いのうさぎくんです
トトロではありません

ネコくん必死です
でも目の前でのんきにかまえているのは
ネズミくんでしょうか犬くんでしょうか

商店街で見つけた古き良きタバコ屋さん
軒先を思いっきり伸ばして
歩道の屋根にまでなっています
桟の入った木の柱も味がありますね

商店街で見つけた水だし煎茶の宣伝
「ちょと出しすぎ」がインパクト大です
「ちょっと」じゃなくて「ちょと」
「出すぎ」でも凄いのに「出しすぎ」です
実は誰かへの苦情でしょうか
にゃ〜こ大ウケの逸品です

最後はとっておきの1枚
え?ただネコが壁よじ上ってる写真じゃないかって?
ノンノンノン
実はこのネコくん、寝ています お昼寝中です
にゃ〜こも顔負けのダリャダリャ加減です
お宅側からでないと顔が撮れなかったのが
返す返すも残念でございました

 

横浜廃墟の旅 09夏<ドルフィン&廃墟編>

 
元町の駅を出て「港の見える丘公園」へと山の中の階段を上った二人は早くも息切れ。わたしなんて1年前までは4階建ての校舎を、日に何往復も上ったり下りたりと走り回っていたのだから、相当体力落ちてることにショック。

でも大好きな横浜の散策路を彼女と歩けるのがうれしくて、最初からハイテンション。シルバーマリンタワーにはショックだったけど、山道
から「港の見える丘公園」を見上げたのは始めてだったので、きれいなシルエットに、またまたテンションアップ。良い天気。陽射しは強いが風が心地よい。つないだ手がうれしい。
そこから外人墓地を眺めながら、ハイカラ洋館と高級住宅が建ち並ぶ山の手の道を、炎天下の陽射しを避けながらテクテク歩く。景色を楽しみながら、目指すは廃墟。

やがて山の手から
坂を下り、街並は昭和風情の地元商店街へと変わる。時間の流れが止まったような感じ。ひなびた商店街だけれどそれなりに活気があるのがいい。

この商店街で通りがかった自転車に乗ったおっちゃんに「この郵便局ってさ、前はあっちにあったやつ?」って突然聞かれたのだ。知らないって。わたしは「道聞かれマン」か。あたしゃアンタ以上にここではストレンジャーなんだよ。

さて、道は再び上り坂になり、目指していた「根岸公園」に到着。この段階で二人してすでにかなりの距離を歩いている。それもサンダルで。ちょっとバテ気味。遠くに廃墟の頭が見える。あの廃墟は木々の上に首だけ出している姿が不気味だ。日常の中の非日常だからだな。
その廃墟に行く前に腹ごしらえをしようということになり、懐かしのユーミンの荒井由美時代の名曲「海を見ていた午後」に出てくる「山手のドルフィンは〜静かなレストラン〜♪」のドルフィンで食事。オムレツ最高でした。
この日もライター&カメラマンという女性2人組が取材に来ていて、「ソーダ水の中を〜貨物船がとおる〜♪」のソーダ水を頼んで写真を撮ったりしていた。

ホントに坂の途中の何もないところにあるレストランだし、背の高い建物が増えて、だぶん以前ほど海も見えなくなっているんだろうけど、未だに人気のスポットなんだなぁと実感。
食事も楽しめて、お腹もいっぱいになり、いよいよ廃墟へ向う。廃墟に行くにはこの広い広い根岸公園を反対側まで突っ切らなければならない。サンダルで。でも真ん中あたりまで来ると、そこは周囲を広大な緑に包まれた別世界のような空間。もう少し涼しくなったらゴロンと転がって時を過ごしたい場所だな。
そしてついに廃墟が視界に入る。驚いたことに廃墟は、夏の陽射しを受けたツタの緑に包まれて、今だけ息を吹き返したように活き活きとした姿でわたしたちを迎えてくれた。

廃墟というよりも歴史的巨大モニュメントって感じ。そこに異界への口は開いていなかった。

またまた新しい顔を見せてくれた廃墟、魅力倍増である。これから秋になり冬になり、ツタの生気が消えていくに従って廃墟は廃墟としての妖しい魅力をまた見せてくれるだろう。
二人して「すごいねぇ〜」と言いながら周囲をぐるっと回ってたら、近くにあったちょっとした公園が目に入った。遊具が並んでいる。誰もいない。「大人になったらなかなか滑り台とか滑れないから行ってみようよ」と彼女が言うので、一緒に行ってみる。

すでにわたしも興奮状態。紐にぶらさがって結び目におしりのせてシャ〜って滑る遊具に飛びつく。気持ちいい〜。後からにゃ〜こも滑る。続いて子供用の段差がある滑り台をがくんがくんと滑って大笑い。

さらにコロコロ回る金属棒が並んだ長〜い滑り台に挑戦。白のスラックスのにゃ〜こから「ズボン汚れるかもだから先にすべってみて」と言われてGパンのわたしは喜んで滑ると、ガタガタする振動でなぜか笑っちゃう。笑っちゃう自分がまた可笑しい。下に着いて「ズボン大丈夫だよ〜」と言おうと振り向くと、もうにゃ〜こがウヒウヒ笑いながら滑り降りてきてた。またまた二人で大笑い。

廃墟に見守られて幸せになれた一日だった。

 

2009年8月18日火曜日

横浜廃墟の旅 09夏<予告>

一泊旅行の翌日にもかかわらず
今日は一日
横浜の山手から廃墟を巡る
日帰り散歩旅行に
にゃ〜こと二人で行ってきた

いきなりマリンタワーが
シルバーになっていて度肝を抜かれた

夏の陽射しが戻りながら
湿度が高くならなかったため
かなりの距離を
二人でニコニコしながら歩いた

いろいろおしゃべりしながら
面白い写真も撮れた

わたしはまた道を聞かれたし

今回の旅のオモシロ写真は
明日ご報告できると思う

今日はもうクタクタだぁ
   

これはショック!マリンタワーは赤だろやっぱり
 

2009年8月13日木曜日

友人宅訪問

高校来の友人からお誘いがあり
きのう
約2時間電車を乗り継いで
彼のアパートへ遊びに行ってきた

以前のアパートに16年住んでいたが
昨年春から
司法試験を受けるための予備校に通い始め学校近くの今のアパートに移ったという
閑静な場所にありなかなか風通しの良い
こざっぱりした
落ち着ける感じのアパートであった

昨年の夏に会ってからちょうど1年
昨年会ったときは
わたしの方が社会的には安定した立場にあったが
今年は少なくとも先の見通しがあるという点で
彼の方が安定していると言える
立場逆転だ
昨年会った時には夢にも思わなかったこと

でも会えばそんなことは関係なく
昔話から最近の話まで
6時間くらいぶっ通しで話し続けた

わたしは
自分でも不思議なくらい
昨年の病休以来の自分のことを
理路整然と自己分析を交えながらしゃべり続けた
こうして文章にすることはあっても
リアルタイムで頭の回転を必要とするおじゃべりが
とても新鮮だったのかもしれない

きっとどう見ても「うつ」には見えなかったろう
「躁」状態には近かったかもしれないけれど

まぁわかってもらえないことも多かったと思う
でもそれでもいいのだ
話したい気持ちにさせてくれただけで
とてもありがたい

気持ちがすっきりして帰ってきたのだった

 

2009年8月10日月曜日

ラブホテル事情

いつものように本屋立ち読み散歩である
今日の話題は「ラブホテル」
いわゆる男女の“
ナニがナニしてなんとやら”なホテルだ
今はオシャレに「ブティックホテル」となどとも言うらしい

かつてラブホテルと言えば
回転ベッドや壁や天上に張られた大型の鏡
あるいはブラックライトにミラーボールと
非日常空間が様々なかたちで
演出されていた

それはとても面白い空間だったと思うのだ

やっぱり空間が変わる事で
人は普段の自分を解放できるってことは
旅行を考えてもわかる

まして普通は目にできないような
非日常的な空間
つまり人工的な“
ハレ
”の場が
日常世界のすぐ隣りにひっそりと息づいているなんて
面白いではないか

ところが最近のラブホテルは
シティーホテル化しているという
奇抜なものが飽きられたのかと思いきや
実は1985年に施行された新風営法の影響だというのだ

回転ベッドや鏡は
「寝るための施設として必要ない」ということで
新たに作る場合は許可が下りなくなったのだとか
だからラブホテルは
今どちらかというとリゾート風な空間に
ならざるを得なくなったということらしい

だから変わり種なラブホテルって
古いところを探すしかないっていうことになる

なんだろう
そこまで行政が口を出す事じゃない気がするんだけど
日常から“ハレ”の空間を消しちゃダメだよ
回転ベッドが好きなわけじゃないけどね
 

永井博子(大木理沙)様

ProgGuide100」サイトをちまちまと作り続けていて
せっかくだから
「メロトロン選集」とか
「ヴァイオリン選集」とか
「泣きのギター選集」とか
「女性ボーカル選集」とか
いくつかの切り口を用意して
100枚を様々な角度から楽しんでもらおうと
ちょっと工夫してみたのだ

大木理沙ブログ「群青楼」より
そして今日「女性ボーカル選集」を書いていて
あらためて永井博子(現在は大木理沙)の声に
圧倒されたなぁ
ということを思い出した

ページェントの「螺鈿幻想」しかり
ミスター・シリウスの「ダージ(DIRGE)」しかり

そこで彼女のブログを探したら
あっさりと見つかった

アニメ関係の仕事で歌っていることは知っていたが
ファイナルファンタジー」とかでも
あの声を披露しているんじゃないですか

そして同い年であることもわかった
学年は違うけど

さらにブログの中に

「弟に
「姉貴の存在感は、
バス停で普通にバス待ってるトトロに似てる」
と、言われた。。??。。。?」

とあって、笑った
アネゴタイプな人なんだろうか

 

2009年8月5日水曜日

早くもメイラックス効果か

思い立ったらやりたくなってしまう性格なため
昼にさっそく「メイラックス」を飲んで人体実験開始だ

朝は比較的調子が良かったのだが
精神科検診後少し頭痛がし始め
首のあたりが苦しく
気持ち悪くなりそう予感がし始めたので
試せるものは試そうと思ったのだ

ついでに頭痛薬も飲んでみた

そうしたら夕方には
頭痛も首の重苦しさも気持ち悪さも
みんな消えてしまった
まさかね
そんなに速く効果が現れるなんてね
とは思うけれど
「メイラックス」は意外に侮れない

その効果は24時間以上持続し
半減期は120時間
つまり5日間

それはなんと「メイラックス」断薬から
前夜のビールが残って頭痛がし始めた日数と一致

もちろん断薬前はきちんと飲み続けていたので
血中濃度はかなり上昇していたはずだから
完全に切れるまでは時間がかかったはず

だから5日目というのは
「メイラックス」が切れた時期じゃなく
血中濃度が久しぶりに一定レベルから下がった日ということか
完全に切れたのは
大不調前だったのかもしれない

実際に不調への効果はまだはっきりしないが
「メイラックス」にかなり依存していたことは
確かなようである

さて夜も「メイラックス」を飲んで寝る
明日からは寝る時に一錠のペースで試してみよう

人体実験続行中である

 

「メイラックス」服薬再開

3週間ぶりの精神科定期検診日。ちょっと混んでいたので離れたところに座っていたら名前を呼ばれたことに気づかなかったらしく、ジェロ先生自らわたしのところまで呼びに来てくれた。いい先生だなぁ。


【ジ】で、どうでしたかにぃ〜。

【も】気持ちの方は安定した状態が続いていい感じなんですが、カラダの調子が安定しなくて。特に前回の検診後に頭痛と吐き気で2日ぐらい寝込みまして。その後も寝込むほどではないんですが、低空飛行が続いている感じです。
【ジ】そうですか〜。気持ちが安定しても体調が不安定だとなかなか自信が持てないし、気が滅入っちゃいますよね〜。
【も】そうですね〜。
ウクレレ友だちと会って長話をしたり、一泊の温泉旅行に行ってくることもできて、気持ちの面ではずいぶんと落ち着いてきてるし前向きになっている気がするんですけど…。こういう風にストレスが心理面じゃなくて、体調面に大きく出ることもあるんですか?」

【ジ】ありますね。気持ちの面では何の問題もないのに
、体調が悪いということで最初内科を受診されて、その後にこちらにまわって来られる方もいますね。でも『うつ病』に比べるとその方がいいんですよ。薬でガッチリ抑え込み易いですし。
 そういうことでいきますと「メイラックス」は身体的なストレス症状にも効果がありますから、前回で一旦服薬を止めてますけどまた使ってみるのも悪くないと思いますよ。あと「デパス」も。まぁ次回までに様子を見ながらお考えいただくということで。」


考えてみたら、心理的なストレス面での治療をお願いしていた状態が続いていたのだけれど、今回お互いの気持ちが、ストレスからくる体調不良への治療にシフトした感じがした。気持ちの不安定さや落ち込みを防ぐのではなく、カラダの不調をどうするかが中心になった感じ。

う〜ん、面白いものである。自分としてはそのことを伝えたかったんだということに、後から気づいた。でもそれは前々回あたりから心理的感情的な安定度が高まったという話をしていたからこそ、自然に体調不良の話題が中心になっていったわけだ。

そこで再浮上した抗不安剤「メイラックス」。ブログとはありがたいもので、いつ個人的に「メイラックス」を断薬したかが記録をたどればすぐわかる。ちょうど発疹が出てそのための抗アレルギー薬「タリオン」を飲み始めたため昼間眠気が残ることから、「メイラックス」の断薬に踏み切ったのが6月27日であった。それは6月半ばがかなり体調的にも安定していたからだ。

 6/24 「タリオン」服薬開始
 6/27 「メイラックス」断薬
 7/ 2 朝から頭痛(前夜にビール)
 7/ 5 「タリオン」断薬
 7/ 6 朝から頭痛(前夜にビール)、禁酒宣言
 7/15 大不調襲来

ストレスがカラダの不調として出るのであれば、やはり“カラダの不調にも効く”「メイラックス」を復活させてみようか。今回処方はされなかったけれど、断薬してからの「メイラックス」が一ヶ月分以上ある。

こうして振り返ると、「タリオン」の服薬時期があったので分かりづらくなった感があるが、精神的な安定のための薬だと思っていた「メイラックス」は、実は体調面で効いていたのかもしれないという気がしてきた。

とにかくまたまた人体実験開始だ。どうしていいかわからないではなく、とにかく何かトライする道が開けているのはありがたいことである。