2010年10月13日水曜日

チリの救出劇に宗教を思う

“世紀の一大ショー”として
色々な思惑が見え隠れする部分は確かにある
それは計算されたものかもしれないし
結果的にそうなったものかもしれない
長々としたチリ大統領の演説
ドラマチックに盛り上げる実況放送
遠くからも動きが一目てわかる巨大な滑車
カプセルから出てくる作業員をTVカメラ前で待つ家族
SFチックな地下カプセル到着場所のざらついた映像
作業員に用意された招待状の数々
映画化が決まったという話

それでも
それでもそうした“演出”的なものを蹴散らすほどの
圧倒的な事実の重みがそこにはある
作業員全員と救助員全員が出てくるまでは
かたずを飲んで見守らずにはいられない
生と死の間の張りつめた緊張感がある
  
そういう自分がすでに
世紀の“ショー”の観客なのかもしれないにしてもである
  
むしろそうやって“ショー”化できることが
チリの人たちの強みなのかもしれないという気もする
  
もし同様なことが日本で起こったら
もっといろいろな配慮がなされ
至る所がブルーシートで覆われ
深刻で重苦しい雰囲気につつまれるだろう
そしてそれは結果的に
救出を待つ作業員の気持ちにも大きく影響するだろう 

この大らかさが大きな救いになっているんだろうな
  
そして思ったのだ
こういう極限状況におかれた時
「神よ」と言える人は強いんじゃないかと
そして
「神を信じて」団結できる人たち
そして奇跡を待てる人たちは強いんじゃないかと
   
神に祈りを捧げ
神に希望を託し
神に感謝する人たちを見ていて
宗教の存在意義みたいなものを
ちょっと感じてしまったのだった