2011年1月31日月曜日

久々の学校の夢

真新しい校舎は複雑に入り組んでいて
教室がいろいろな場所に散らばっているので
目指すクラスが見つけにくい

すでに授業は始まっていて
今通り抜けようとしているクラスでは
英語のプリントが配られているところだ
前回の続きらしい

「もうこんなに進んでいるクラスもあるんだなぁ」

それを見ながらちょっと焦りつつ
上の階へと続く階段を上る

卒業したはずの懐かしい生徒たちが集まって
廊下の手すりから吹き抜けの玄関を見下ろしている
相変わらずあの生徒は目立つなぁ
それなりに美人なんだけど言葉が下品なのが玉に傷で
複雑な家庭に生まれながら根は素直な子だったなぁ

ふと我に返ったように思う

「いや、わたしは授業の準備をしなくていいんだ。
   もう教員辞めたんだもの。」

わたしは校舎を出る

気づくと実家の街に来ている
でもそこは一面の大洪水で
目の前を濁流が走っている
かろうじて実家の方向がわかるぐらいだ

見知らぬ親子三人家族がクルマでやってきて声をかけてくれる
ありがたいことに
困っているなら途中まで送ると言うのだ
  
見たことのない人たちだけど
元ヤンキー風な雰囲気が妙に懐かしい
どこかで教えた生徒の卒業後の姿だったのかもしれない

家の近くまで送ってもらって彼らと別れる
ここで川を渡るゴンドラのようなものに乗らねばならない
ゴンドラはすでに帰宅途中の生徒たちで一杯だったが
何人かがわざわざ降りてわたしを乗せてくれた
目の前に座っている生徒もたぶん知っている生徒で
まるで付き添ってくれるかのように
ニコニコとこちらと見て微笑んでくれる
相変わらず髪を染めてるから
学校では注意されてるんじゃないかなとか思う

ゴンドラが動き始める
向こう岸へ着けば実家はすぐそばだ

という夢

学校の夢を見たのは疲労とストレスのせいだろう
実際首の苦しさと頭痛で眠りが浅く
朝方どうにも苦しくて起き出して
安定剤メイラックスと頭痛薬を飲んだ

でも不思議と
生徒たちがわたしをいたわってくれる
何かこれはとてもスゴいことだ
例え燃え尽き自分の一部が“死ぬ”ほどだったにせよ
その苦労はきっと報われているのだ
そんな気がした

薬を飲んでちょっとウトウトしたらもう朝だった
重いカラダをベッドから引きはがして
朝のルーチンワークに取りかかる
でも学校の夢は“悪夢”ではなかったと思った
むしろ場面ごとには大変な状況でありながらも
ほのぼのとした温かみを残してくれていた

そのせいか
体調が良くないにも関わらず
気持ちは落ちていない
  
でもまたなんで体調が良くないのかもわからない
昨日から少し首が重く頭痛っぽい感じはあったけど

朝が頼んだ薬が効いてくれることを祈ろう

2011年1月29日土曜日

ドリル環境整いました〜

自宅で“ドリル環境”って何だよって感じであるが
整いました〜のは
ハンディタイプのドリル&ドライバーではなく
なんと卓上用ドリルなのである

ハンドルを下げて穴あけするのが“本格”っぽくて楽しい!
HOZAN(ホーザン)[K-21]デスクドリルという
まるで町工場か工業高校かっていう感じの工業用ドリルの
家庭用卓上版19,992円也なのである
やっぱり金属の穴あけには最高に使い易い
 
取りあえず文字盤のムーヴメント取り付け用と
ガワの巻き芯通し用の穴をあけるために使うのだが
ガワは意外と厚みのあるモノも作りそうなのだ
 
そうするとハンディドリルでは
真っすぐ穴あけするのは難しいし
特に丸形の場合など滑る可能性があるから危険である

しかしこれなら安心・安全なので
とっても気が楽だし楽しい!
さっそく1.5mmのドリルを買ってきて取り付け
0.3mmの真鍮板の端に穴をあけてみた
ブレルこともなくサクッとあいた
完璧です〜

しかしミニ版とは言え
こういう工業用機械に感激するとは思っていなかったなぁ
 
ドリルのサイズを変えれば
デザインにも使えるかもしれない
もちろん木工もOKだし

さて明日は少し時計作りをしてみようかな
あっウクレレのオブリガードの練習もするけどね

2011年1月27日木曜日

最近のキライなCMスキなCM

同じTOTOのCMなのだが
小林聡美が子ども二人と踊る
  
「こんなキッチン欲しかった、にゃ〜」 
  
っていうシステムキッチンのCMと
 三石研がやはり子ども二人と踊る
  
「お〜しり〜が、ほっほっほっ」
  
っていうバスルームのCM

振り付けの雰囲気が良く似ているだけでなく
どちらも演出のアザトサが伝わり過ぎてキライなのである
小林聡美も三石研もキライな俳優さんではないんだが…

「にゃ〜」がちょっとインパクトあるでしょとか
「ほっほっほっ」がかわいいでしょとか
  
振り付けのくねくねした手の動きとかもクドいし
3人の振り付けをここまで良く合わせたでしょ的な感じもなぁ…

この振り付けと同じ雰囲気を他のCMでも感じる時がある
もしかして「今引っ張りだこな振り付け師」がいるんだろうか

逆にあまりにバカバカし過ぎてスキなのが
「ダイワハウチュ」も味があったけど
ダイワハウスと全く関係ないダイワマンのシリーズ

役所広司のすっとぼけた演技や
ワケの分からない役どころも珍妙である
主要人物3人そろい踏みからミュージカルになる最新版は
バカバカしさの頂点を極めた感すらするな
それから上野樹里の声が
途中から大滝秀治になっちゃうD-Roomもいい
おもわず上野樹里に代わって
大滝秀治の声に口パクしたくなっちゃう

そして最近の注目は
「何か似てるなぁと思って。孤独とゴトク。」

という
すでにバカバカしさ一杯のモノローグで始まる
この連続不条理ラブストーリー

第2段や第3段で突然出てくる東幹久が
野球のボールを持っているのも可笑しいし
第4段でそれを妻夫木聡にサウナで手渡すのも
あまりにバカバカしくてうれしくなる

もちろんダイワハウスだって東京ガスだって
アザトサに溢れているんだけど
その見せ方がうまいんだな
役者の力や存在感の活かし方の違いとも言える

単純に面白がりながら
見せることの難しさもちょっと考えてしまったのでした


2011年1月26日水曜日

「時計教室2ndステージ」第5回&第6回

結局1月は3週連続となった時計教室
今日は時計を一から作るいわゆる「時計職人」ではなくても
「職人」的な熟練したワザが必要なことを思い知らされた

“ハンドクラフト”な時計だからと言っても
すべて“味”だとか“個性”だとかで
ごまかしてしまうわけにはいかない
採寸や溶接や成形などもろもろの部分に
やっぱり稚拙さや熟練さが現れるのだ

今回のメインの四角時計は実は
寸法の点ですでに設計図と違っている
3cmの正方形のはずが
3cm×3.2cmの長方形になっているのだ
このあたりも次の課題だなぁと思っているのだ

そしてすでに課題として強く自覚しているのが
レンズ作りが苦手であることなのだ
アクリル板を熱してゴム型の上に起き
上からガワで押して曲面がしっかりついたレンズを作る
これがダメなのだ…ヘタなのである
  
アクリル板は冷めるのが早いので
電熱器の上で十分にそして全体にムラがないように熱し
頃合いを見て一気に手元で作業をしなければならない
でもわたしはそこで焦ってしまうのだ
するとアクリル板が十分曲がらないうちに
固まってしまうのである

今日は四角時計用として
なんと8枚もレンズ作りに失敗した…

熱しているうちに縮んだり気泡が入ったりしちゃうけど
それでも1枚につき数回やり直しができる
ということは40〜50回くらいトライしたことになるのだ…
結局失敗続きのまま「第5回」は終わってしまった
  
でもさすがに少しずつタイミングがわかってきたのか
休憩で気分転換した後の「第6回」の時間に入ると
部分的に成功する率が高くなり
最後には四角型も丸型もなんとか型抜きすることができたのだった

 奇跡のような完成品:丸より四角の方が型抜きはかなり難しいのだそうだ

もの凄い労力である
ガワをあまりに何回も押しつけたので指先が痛い
これを講師の人は難なく1回でやってしまう
もう一人の店員さんなどは
ずっとこの型抜き作業を今日はやっていたくらいだ

レンズを平らなものにすればこの作業は避けて通れる
でもこのワザを修得したい
だって曲面のレンズの方が絶対カッコいいもの

残り時間も少なくなった「第6回」の時間帯は
レンズをガワの内側にはまるギリギリのサイズまで削る
という作業をひたすら行なった
ガワの内側で止まる程度に合わせられれば
あとは接着剤で固定すればOKなのだ

レンズのバリ取りからヤスリでのサイズ調整も根気がいる作業である

四角版がほぼ完成したところで時間切れとなった
でも今回でなんとかレンズのメドが立った
これはわたしにとって制作進行上とても大きなことだ
  
そしてレンズ作りに何度も挑戦した
まだまだこれは修行しなきゃならないことだけど
十分意義のある一日であった
さて次回にはボディが完成するように
また自宅でボチボチと
ボディ装飾や文字盤作りを進めてみようかな

アクリル板レンズならオレにまかせろって
言えるようになりたい〜
  

2011年1月24日月曜日

わたしはなぜブログを書くのだろう

なぜわたしはブログというか
文章をこうも書くのだろう 
  
芸能人のように
ファンに皆様へのサービスとか
近況報告やイベントなどの告知や
裏話などがあるわけじゃなし

“適応障害”や“うつ病”について
自分なりの体験や研究結果を
お伝えしようという意図も使命感もない

“プログレ”と小さく銘打ってはいるけれど
プログレの話題は実はそんなに多くないし

非常に不遜な言い方を許してもらえるなら
文筆家などに似ているのかもしれない
もちろん読者のことや評価のことも気にはなるけれど
たぶん書くこと抜きでは生きられない人
好きとか嫌いとか以前に
書かずにはいられない人
文筆家とはそんな人な気がするのだ

わたしは“生きられない”まではいかないけど
書くのを止めろと言われたら
かなり落ち着かなくなるだろうと思う
  
文章を書いていると
自分がちゃんと生きている気がする
何とか“世界”と繋がっているような気がする
仕事をしていないから
“世界”とつながりたいという焦りもあるかもしれないけれど
むしろ仕事をしていたら気づかなかった
“世界”との繋がり方を見つけた気がするのだ

自分はここにいるという実感を得る
自己表現の場であり自己の記録の場
そして生きている証
だからこれだけ続いているんだろうなぁ

逆に言えば
事情があって書けない時はともかく
時間が十分あるのに
ブログが書けなくなった時は
けっこうヤバい時かもしれない
どういうふうにヤバいかはわからないけれど

2011年1月23日日曜日

残りの人生はプレゼントのようなもの

2年前の9月に突然仕事に行けなくなって
以来病休から退職に至ったわけである

そしてこうして不調の波に未だにもまれながらも
漂流した船は元の港へ戻ることなく
新しい陸地を探しているのだ

そして思う

わたしはあの時きっと“死んだんだ”と
少なくともわたしの中の大きなものが“死んだ”
それほどギリギリまで自分を追いつめて
壊れてしまったんだと思う 

だからあの時自分のことを
着陸することなく空を飛び続けて
ボロボロになりながらも飛び続けて
ついに空中で大破してしまったという思いは
とてもとても当たっていたと思う

飛び続けていたわたしは
その時“死んだ”んだと思う

それはいわゆるうつ病の自殺念虜とは違う
死にたいと思ったことは一度もない
でもわたしの何かは“すでに死んでいた”のだ
一種の“バーンアウト症候群”なんだろう
一度灰になったわけだ
だからもう元のように飛ぶことはできないし
飛ぼうとも思わないのだ

そしてまた思う

その後の今に至る2年半を含めて
“第2の人生”とか言っているこれからの時間は
言わばプレゼントのようなもの
あるいは“おまけ”のようなものじゃないかと

だからいつ終わっていもいいように
淡々と生きていこう
欲張らずに少しずつ
やれることをやっていこう

もう一旗揚げようとか
別の世界で成功しようとか
次の夢を目指してがんばろうとか
やめよう

自分の気持ちに逆らわず
自然に悠然と日々を送っていこう
今までとは違う時間を行きていこう

今日はなんだかそんな気持ち

2011年1月22日土曜日

ART-Meter実店舗に行ってきたのだ

自由が丘の「ART-Meter」に行ってきた
初めての訪問である
しかし何たって休日の自由が丘である
もう駅前は人だらけだ
確かにオシャレなお店があちこちにあって
ぶらぶら歩いているだけでも飽きない

と思っていたら
地図があるのに自分の場所を見失ってしまった…
仕方なく駅へと戻って仕切り直しだ

そして着きましたART-Meterリアルショプ。
前庭のボードに「1/22(土)『王様のブランチ』にて放送」
と書かれている
でも訪問した14時の時点では閑散としていた
“祭の後” だったのか…
  
 前庭はちょっと美術館風なおしゃれな感じ

わたしが店に入った時点で
他のお客さんはただ一人だけ
2人の男性スタッフが作業していて
何かまだ開店早々みたいな雰囲気が漂っている

ここでわたしの“人寄せパワー”が
次第に発揮されるのである
なぜかわたしが店に入ると
その店が次第に混み出すということを
良く感じるのだけど
今日もそうだったのだ

自分の作品が3枚か4枚まとめて
クリップで吊るされていたので
一番インパクトの強そうな絵を一番上に並べ替えたり
入口近くにハデな色の絵を起き直したり
コソコソと自分の絵を目立たせるための
ささやかな小細工をしつつ
狭い店内を一周した

やっぱりこうして実物が飾られているのを見ると
A3サイズぐらいの迫力でないと対抗できないなぁとか
A4でも額入り(フレーム付)で売れば
かなり見栄えが違うなぁとか思っているうちに
店内に人が増えてきたのである
  
 すでに店内には7〜8人のお客さんがいるのだ

そしてわたしが店を出る頃は
こんな感じに…

 彼女たちも入っていったのであった
  
よしよし…
これでわたしの絵を買ってくれれば
もっとうれしいのだが
そこまではわからないまま
帰路についたのだった

どうもこのリアルショップでの展示期間は
ネットでの販売は行なわれないようで
店で売られていた新作は
まだネットでは販売されていないのである
だから売れたかどうかはわからないのだ

まぁちょっとしたお散歩気分で
楽しかったので満足であった
  
  

2011年1月21日金曜日

ロウ付け環境ほぼ整いました〜

「モンさんは熱いの忘れて触っちゃうから、家でロウ付けする時も気をつけてくださいね。火傷しないのと、家事にならないのと。まず近くに水を用意しておいた方がいいですね。」

と講師の先生から心配されたわたしである
まるで子どもに諭しているようだが
実際火傷しちゃったわたしには返す言葉がない

そこで整えましたおもいっきり
それがこの写真である


一番下が「カーボンプロテクター(耐火シート)」
その上が「レンガ(取りあえず赤を使用)」
一番上が「ロウ付け作業台(ハニカム構造セラミックボード)」
という布陣である
  
取りあえず上に作業途中のガワを乗せてみた
お〜作業したくてウズウズするぜ

上に写っているのがハンディバーナー(ハンディートーチ)
銀ロウは先日の教室で買ってある
これでピンポイント溶接作業の環境が整った
あとは溶剤フラックスとバーナーのガスボンベ待ちだ…

それと水
「図工」で使うような小さなバケツでいいんだけど
100円ショップとかに売ってないかな

ちなみにレンガは9色から3色選べる
アンティーク調レンガサンプル【送料無料】1155円
から「ライトグレー」「レッド」「マンガンブラウン」
を選んだ
 

気分で変えてもいいかも〜

  

「わたしいに残された時間はもうあまりないんです」

パソコンを使って英語の授業をしていた学校へ
わたしは舞い戻っている 
  
生徒ははるかに従順で
授業は見るからにスムーズに進んでいる
でもやっていることは当時わたしがやっていたまま
何も変わっていない
  
「帰ってくるの待っていたんですよ。」
  
と顔見知りの英語教師に言われる

「そろそろパソコンも古くなってきて、何か新しいこと始めなきゃいけないと思っていたところだったから、助かります。」

他のベテラン風な年配の教師からも声をかけられる

「先生が中心になって一つ何か英語の研究部会作ってよ。」
  
高英研の人かしら
それとも指導主事かな
知らない顔だ

わたしは両者の話にちょっとだけ耳を傾け
生徒のいる場所へ行く
楽しそうにしている生徒たちといっしょに話をする
もうここに来ることはないなと思う

「わたしに残された時間はもうあまりないんです。それを新しいことに使いたい。この世界はわたしにはもう過去のものなんです。」

わたしはそう言ってその場を立ち去ろうとする

(わたしに残された時間はもうあまりない…)

自分で言った言葉が
自分の中で奇妙にこだまする

そんな夢

真夜中の3時
体調は酷くはないけどまだ良くはない
気持ちが悪く頭が痛い

でも“教師”だった自分は
どんどん過去のものになっていっていることを
実感した夢

   

2011年1月19日水曜日

「時計教室2ndステージ」第3回&第4回

風邪が治りきっていないせいか
カラダはダルく
できることなら寝ていたいところだが
これだけは行きたいと自分にムチ打って
幕張まで時計を作りに行ってきたのだ

行きの電車も
できることなら座りたいと思いつつ
目的地へ向うなんて
仕事をしていた頃の“終盤”を思い出す

でも行った先の魅力に引っ張られて
無理してでも行こうと思えるのは全然違う

今日も作業ははかどらなかった
ガワにベルト通し部分を溶接するのに
1回分の2時間かかってしまった
ガワを厚くしたためバーナーの熱がうまく伝わらず
銀ロウが接着剤の役目を果たしてくれないのだ

でも講師の先生がやるとできちゃうんだよなぁ
ポイントは全体を温めることにあると言うんだけど
やっぱり経験とコツなんだなぁ
回数をこなさねばならないということだ

そして失敗を重ねた末に出来上がったのが
重量感溢れるスクエアのガワである

ベルト通し用の取っ手がついて金ぴかになったのである
本体に合わせて太い真鍮棒を曲げて付けてみたが
ベルトを通すスペースは細身にした
かなりスクエアな感じを保てているのがうれしい

最後は粗い棒ヤスリと細かい棒ヤスリで
表面の凸凹をならし
バリ取りや面取りをして仕上げた
1mm厚の板を重ねたとは思えない一体感
そして2mm幅の厚みがかもし出す重厚さ

無心で磨いていたら
次の2時間(第4回)も終わってしまった…

でもこの“無心で”っていうのが醍醐味なのだ
無心でやっていたらちょっと火傷もしたが…

「モンさんは熱いこと忘れちゃうんですね〜」

と講師の先生に言われてしまったりもしたが…
さらに今回は制作物を持ち帰り
家でもできる作業を進めることにしたのだ
だから真鍮線と真鍮版と銀ロウを購入した

次はちょっと自宅制作期間を取って
2週間後に予約をした
さてどこまで家でできるかお楽しみである
併せて「自宅版」も進めてみたいものだ

と気持ちだけはウキウキであるが
風邪状態は悪化し
実は帰りの電車は立っていられないほどだった
  
まずは体調をしっかりと治さなきゃ…

  

2011年1月16日日曜日

ベース練習用の小道具

ウクレレのチューニングは
手前からG-C-E-Aとなっている
レギューラー弦だとGはオクターブ高い音になるから
実質的な最低音はCということになる

これに対してベースの場合は
手前からE-A-D-Gとなり
低い方から高い方へ順に並んでいる

同じ4弦の楽器でありながら
ちょっと迷ってしまうのが
このチューニングなのである

迷うのはチューニングの音ではなく
解放弦の時の音の間隔なのだ

ウクレレの場合は
G-C-E-Aだから4度-3度-4度とあく
でもベースの場合は
E-A-D-Gだから4度-4度-4度となる

そうするとフレットの位置がずれるのである
ウクレレの感覚でベースを弾こうとすると
フレットを間違え易いのだ
  
ただしベースの方が規則的である
だから恐らく慣れ易いんだろうとは思う
でも今はごちゃごちゃで
勘で弾いているような感じなのである

そこで秘密兵器アンチョコカードの登場である
フレットの音を記したものをL版写真用紙に印刷
適当な大きさにカットして
電子チューナーの側面に両面テープで張ったのである
  

紙をはさむクリップ類は文房具として多いけれど
ヘッドをはさめる余裕のあるものを探すのは難しい
でもクリップチューナーなら余裕ではさんでくれる
 
使っているチューナーの一つが
角度を変えられるタイプだったこともラッキーであった

どうですこれ
われながら大発明品な気分である

2011年1月15日土曜日

「J-Total Music」でウクレレ弾き語り

多感なる若かりし頃を
フォークソングを聴いて育ったこともあり
あの70年代フォークの
ドロドロした感じとか意外と好きなのである

フォークソングっていうと
フォークギターメインのシンプルな曲っていうイメージがあるが
実際の当時のアレンジは結構凝っていて
バンドサウンドやオーケストラアレンジ
さらにはメロトロンなんかも使われていたりする
バックミュージシャンなども超一流だったりするのだ

例えばかぐや姫の「僕の胸でおやすみ」の間奏など
メロトロン・チェロとメロトロン・フルートのアンサンブルだ
これがなんともいい味を出しているのだ
さすが70年代って感じである

それはともかく
今日のウクレレ教室は今年の練習曲のリクエストをする日
せっかくだからハワイアンだけでなく
フォークソングの名曲をリクエストしてみたい

そこで歌詞&コード表だけの簡単なものだけど
「学生街の喫茶店」と「竹田の子守唄」の譜面を作った
世代的にかなり有名な曲じゃないと知らない方が多そうだから
ちょっと難しい面はあるんだけど

コード表だけなら取りあえずギターと変わらないから
ギターコードをそのまま使った
そんな時そても役になったのが
「J-Total Music」というサイトだった
無料で歌詞とコードが簡単に検索できてしまう
ありがたいサイトである
  
歌う場合やメロディーを弾く場合のキーの問題があれば
あとから移調してみてもいいだろうしね

さて今日はのんびり楽しく
ウクレレを弾いてきたいものである
  

2011年1月12日水曜日

「時計教室2ndステージ」第1回&第2回

幕張は遠いなぁ
でも今日は良い天気なので
京葉線から見える海がきれいだったのである

さて今日から「デザイナーコース」で2本目に取りかかる
ここからはもう全て自由である
材料費は実費となるので
それさえ注意していればなんでもありだ
もちろん持ち込みもOK

講師の方と2本目の構想について話していて
オリジナル製作のノウハウだとか
JHA(Japan Handcraft Watch Association)の話だとか
講師の方が個人的に作った時計を見せてもらったりしてたら
それだけで1時間経ってしまった
講師の方はそれだけ時間が経っていたことに驚いていたが
わたしにとってはそのくらい話し込むのは普通である
っていうか意識して色々な話を引き出した感じかな

講師の方の時計は面白かった
文字盤が革でそこにスタンプを押したものとか
小さなカギ(差し込む方)がジャラジャラ付いているものとか
あぁ本当になんでもありなんだなぁというのが実感できた

2本目は前から考えていたように
スクエアタイプでいこうと思ったのだが
ガワに厚みを持たせるのが意外と大変なことが分かった
厚さ2mmというような真鍮板は
固過ぎて手作業での加工には向かない

そこで1mm板を加工したものを2枚作り
張り合わせるという方法をとることにした

まず6cmの板を4枚切り出す
そして真ん中で折って2枚1組で張り合わせる

本体の大きさは3cm四方の予定だったのだが…
この張り合わせ作業が大変だったのだ
銀ロウは基本的に「点」での接合がし易い
こうした「面」での接合だと
両側からすき間に流し込むように銀ロウを付けていく
  
しかしガワの厚みがある分
ハンドバーナーでなかなか溶けて染み込んでくれないのだ
最後は固まりになっている銀ロウを
両手バーナー戦法で加熱し
なんとか溶接することができた

手や顔は目の前のバーナーの火の熱さにさらされるし
バーナーが押し続けるタイプなので
指がプルプル震え出して的を外し始めるし
もうたいへんである

でもこの真鍮と革の臭いに包まれて作業をしているのって
何だかとっても楽しいのである

そして2つの「への字型」のガワ部品を再度溶接し
厚さ2mmのスクエアでがっしりしたガワが完成した

実際は3.2cmくらいになってしまった…まいっか

今日はお話に1時間
構想をまとめるのに30分くらい
そして約2時間半かけてここまでで作り上げた
ちょっと作業する度に
磨いたり微妙に成形し直したりするから
どうしても時間がかかってしまうのである
 
まぁそこが手作りの面白さだし
出来上がった手作り時計の魅力なんだろう
だから時間がかかるのは別に構わないのだ
それが充実した時間ならいいのである

次回はまた来週行くことにした
次はどこまで進められるだろうか
とても楽しみである

こういう風に黙々と何かに集中してるのって
向いている気がするなぁ
何とか“仕事”にできないものだろうか…

今日の検診

今日の病院は
正月明けの週を外して一週遅らせたにもかかわらず
超混雑していたのであった

それでもがんばって朝一番で診察券を出したおかげで
1時間少しで名前が呼ばれた
もちろんその間は立ちっぱなしであった

基本的にひどい不調にはならなかったことで
ジェロ先生は安心したようで
やり取りも少ないまま終わってしまった
それどころか
いつもならその場で書いてくれる書類も
今日は後で取りに行くことになってしまったのだ
よっぽど混んでいて忙しかったんだろうなぁ

でも書類待ちがなかったせいか
その後の流れはスムーズで
時間的には幕張へ行く十分な時間が取れた
よかったのである

ちなみにいつも会計待ちの時に
自販機でコーヒーとか飲んで受診の疲れを癒すのだが
今日そのコーナーで初めて
“温かいブリックパック”なるものを見てしまった
あるんだねぇ
初体験である

ストローで飲む温かいお茶っていうのもオモシロイかも…

2011年1月11日火曜日

U-Bassベグ不具合情報 from YAMAHA

マイ・U-Bassのペグが壊れた件で
ネットで情報収集している時に
不具合に関するインフォーメーションを見つけたことは先日ここに書いた
  
それがどうも気になったので
思い切って「お問い合わせ」に
詳細はどのくらいわかっておられるのかとメールしてみたのだ
  
そうしたら非常にご丁寧なご回答をいただいたので
ここにご報告したい。

「平素ご愛顧下さいまして、誠にありがとうございます。お問い合わせの内容には下記の通りお答え申し上げます。

メーカー型番: KA-UBASS-2-FS、KA-UBASS-2-FL
(上記のモデルより以前の型番に関しては弊社では把握しておりません)

ペグに関して: メーカーからは単に“違うペグを使用している”としか報告は受けていません。外見は同じとありますが、正規品はHipshot製のペグを使用しております。また同じ外見(メーカー)のペグでも材質が違う場合があります。(私の見たものは少し軽かったので、弊社取り扱いの物より柔らかい金属を使用しているのではないかと思います。)

メーカー対応: 初期不良と言う形の発表ではなく、テンションのきつい弦に対してチューニングポストが折れたり、曲がったりするケースが発生している、との報告でした。後日、必要なディーラーにはポストが曲がりにくい弦の巻き方を実演する動画を配信すると言う連絡があり、特に仕様変更や商品回収と言った報告は受けておりません。

以上が弊社で把握している情報でございます。」

ということなのである
とてもありがたいご対応である

やはり型番で限定できるような一部の製品というよりは
U-Bass 2(スプルース・トップ)になった時に
ペグを新しくしたようだ
ちなみにFSとFLはフレットのある/なしの違いである

ご対応いただいた方の推測も含まれているので
断定することはできないけれど
やっぱり新しいペグは軸に使われている金属が
柔らかくなったか細くなったかしたんじゃないかな

確かに太い弦なので
巻き方にも注意が必要なのはわかる
わたしが家で問題なくチューニングできていながら
当日うまくチューニングできないままペグを壊したのも
巻き方がまずかったかもしれないのだ

ゴムっぽい弾力性の高い弦なので
余分な長さのままグルグルと巻いていくと
巻き加減次第では弦がヘッド側に圧着することになり
結果的にシャフトがロックされてしまう
すると巻けば巻くほどチューニングできないままに
ペグのギア部分に負荷がかかる
そして最後にはじけ飛ぶ…
例えばそんな感じだろうか

巻き方の実演動画は
「必要なディーラー」だけでなく
ぜひ一般に公開して欲しいものである

ちなみにわたしはその後
自分が購入したお店に
破損した無償の1個に加え残り3個も注文した
つまり1セット分が届く予定である
でこの1セットって
普通に買うと価格が14,700円するのだ…
いやぁそうですか…もう絶対壊しませんから

2011年1月7日金曜日

iPodバッテリー交換に挑戦!

超必需品であるiPodであるが
iPhoneにもiPod Touchにも今のところ興味がないので
2005年に購入した30GのiPod(たぶん第5世代)を
5年以上使い続けているし
今後も使い続けていきたいと思っているのである

基本的に音楽を聴ければよいので
ちょっと不満なのは30Gという容量であるが
それでもまぁまぁ何とかなる

と思っていたのだが
動画を再生することがちょっと出てきて気づいたのが
バッテリーの持ちが悪くなってきていると言うことであった
音楽を聴く上でも一日充電を欠かすと
もう気が気ではない状態になってしまう
  
ということでバッテリーのみの交換に挑戦することにした
手に入れたのは「Apple iPod 5G 6G 550mAh互換 充電池
5Gとか6Gとかはgeneration(世代)のGだ
価格は1800円送料込みでも2500円かからないので
これでスタミナを復活させられれば
買い替えるよりもはるかにお得である
  
made in Chinaな輸入品なので説明は英語だけだ

自己責任でバラしてバッテリー交換するのは
旧機種ですでに経験しているが
かなり大変だった記憶がある
さて今回はどうなりますやら

まず付属プラスチックの先を
iPodのプラスチックと金属のすき間に差し込む
そしてグイッとすき間を広げる

いよいよ分解開始〜!

前回も苦労したがやっぱりここが最難関である
腕時計の裏蓋はずしの感覚にちょっと似てるなと思いながら
プラスチック部分を少しずつ持ち上げながら一周
最後に取り外すことに成功した

基盤むき出しの図

ところが分解した図が説明書と違う
バッテリーが見えるはずなのに見えない
そうわたしはここでミスっていたのである

iPodはプラスチックの表面と基盤その他の中味と
金属の裏蓋の三層から成っていた
バッテリーは裏蓋側にあるので
プラスチックと中味をそのまま外せば良かったのだ

そうすればプラスチックの留め具を取って
基盤をむき出しにする必要もなかったのだ
案の定留め具の何カ所かは欠けてしまっていた…

しかしそんなことにはメゲズに作業をさらに行なう
リボンケーブルに気をつけながら本体と金属部分を離す

ここでもう表のプラ部分を付けて作業すべきであったか…

裏蓋上部の青い部分がバッテリーだ
これをリボンケーブルごと新品に取り替える
リボンケーブルは本体下に差し込むだけだ

最後にケースに本体を収めプラスチックで表から蓋をする
留め具がちょっと欠けていて心配したのだが
一応問題なくもとの状態に戻った
クリックホイール部分もちゃんと反応する
よしよしバッテリー交換作業は成功したようである
ふ〜

ということでただいま充電中である
後は実際に交換しただけの効果があることを祈るのみだ
「純正のバッテリーより容量がアップします」はずなのだけど

これで寿命はあと何年伸びるのかしら?

2011年1月5日水曜日

実家でカミングアウト

お正月2日に実家に年始に寄った際
実は今は仕事に行っていないことを
それとなく母様と弟クンに話したのだ
  
あらかじめ決心して臨んだわけではない
実家であれこれ雑談しているうちに
何となく話しちゃおうかなぁという気になったのである

ただ前々から
何かの拍子にいきなり退職した話になると
恐らくひどくビックリさせるんではないかと思い
話しておかなきゃだろうなぁということは
心に引っ掛かってはいたのだ

ただし少しずつ心の準備をしてもらおうということで
ここ半年ほど休職していることにしておいた

だって変な話だが
身内の葬式があったりした時
“職場の人”は恐らく誰も
「お手伝い」にも「弔問」にも来ないわけだ
父は84歳で両目失明で半身不随の車椅子生活で
介護施設に入所の身であるから
それは突飛な話ではないのである

でも“うつ病”になりかけたから
そうなる前に休むことにしたとも伝えた
そのあたりの仕事を続ける精神的なキツさは
わりとストレートに伝えた

どういう反応を示すだろうかということも知りたかった
そういうストレス性のキツさに
どれくらい理解を示してくれるのか
あるいはくれないのか

そうしたら

「“なりそうなところ”で休めたんだから良かったじゃないの。あの雅子様と同じようなヤツでしょ?無理することはないじゃない。何かここのところ静かだったから、家族の誰かに何かあるんじゃないかって心配はしてたんだよ。でもあんた本人がマイッテいたとは思わなかったけど。」
  
そう言えば去年の春には「実家ビフォー・アフター」とか言って
多い時には週に何回も実家に行き
ゴミ屋敷化していた部屋の片付けをしていたのだった
それがパタッと止んだ後
ずっと満足な連絡も取っていなかったのだ

80歳になる母様であるが
さすがにそのあたりのカンは鋭い

弟も

「オレの職場にもたくさんいるよ。特別なことじゃないよ〜。これを機会に料理でも習ったら?」

と言ってくれた
料理の話は聞かなかったことにしたい

このまま仕事に復帰しないかもという話をしても
大して動じることもなく聞いていたので
しばらくしたら退職したことを伝えようと思う
時代は違うけど教員の大変さを知っている父様にも
伝えておいてもらうことにした

事後報告のように淡々と話ができたから
少なくとも今こうして伝えている姿からは
病気で苦しんでいるとか
気持ち的に追い込まれているとかいったことは
まったく感じられなかったと思うから
聞く方も落ち着いて聞けたんだろうという気はする
  
こういうことも“時期”というか
“タイミング”っていうものがあるんだと思った

退職の話を伝える時には
何か新しい「仕事」が
少しでも見えているといいなぁ