2011年1月5日水曜日

実家でカミングアウト

お正月2日に実家に年始に寄った際
実は今は仕事に行っていないことを
それとなく母様と弟クンに話したのだ
  
あらかじめ決心して臨んだわけではない
実家であれこれ雑談しているうちに
何となく話しちゃおうかなぁという気になったのである

ただ前々から
何かの拍子にいきなり退職した話になると
恐らくひどくビックリさせるんではないかと思い
話しておかなきゃだろうなぁということは
心に引っ掛かってはいたのだ

ただし少しずつ心の準備をしてもらおうということで
ここ半年ほど休職していることにしておいた

だって変な話だが
身内の葬式があったりした時
“職場の人”は恐らく誰も
「お手伝い」にも「弔問」にも来ないわけだ
父は84歳で両目失明で半身不随の車椅子生活で
介護施設に入所の身であるから
それは突飛な話ではないのである

でも“うつ病”になりかけたから
そうなる前に休むことにしたとも伝えた
そのあたりの仕事を続ける精神的なキツさは
わりとストレートに伝えた

どういう反応を示すだろうかということも知りたかった
そういうストレス性のキツさに
どれくらい理解を示してくれるのか
あるいはくれないのか

そうしたら

「“なりそうなところ”で休めたんだから良かったじゃないの。あの雅子様と同じようなヤツでしょ?無理することはないじゃない。何かここのところ静かだったから、家族の誰かに何かあるんじゃないかって心配はしてたんだよ。でもあんた本人がマイッテいたとは思わなかったけど。」
  
そう言えば去年の春には「実家ビフォー・アフター」とか言って
多い時には週に何回も実家に行き
ゴミ屋敷化していた部屋の片付けをしていたのだった
それがパタッと止んだ後
ずっと満足な連絡も取っていなかったのだ

80歳になる母様であるが
さすがにそのあたりのカンは鋭い

弟も

「オレの職場にもたくさんいるよ。特別なことじゃないよ〜。これを機会に料理でも習ったら?」

と言ってくれた
料理の話は聞かなかったことにしたい

このまま仕事に復帰しないかもという話をしても
大して動じることもなく聞いていたので
しばらくしたら退職したことを伝えようと思う
時代は違うけど教員の大変さを知っている父様にも
伝えておいてもらうことにした

事後報告のように淡々と話ができたから
少なくとも今こうして伝えている姿からは
病気で苦しんでいるとか
気持ち的に追い込まれているとかいったことは
まったく感じられなかったと思うから
聞く方も落ち着いて聞けたんだろうという気はする
  
こういうことも“時期”というか
“タイミング”っていうものがあるんだと思った

退職の話を伝える時には
何か新しい「仕事」が
少しでも見えているといいなぁ