2016年7月30日土曜日

「シン・ゴジラ」の凄まじさ

庵野秀明&樋口真嗣コンビだから成し得た傑作。
そして日本にしか作れない怪獣映画。
どれほどお金をかけても、
どれほどCGクオリティーを上げても、
ハリウッドではこの映画は超えられない。

政府の〝無能〟ぶりを滑稽に描いて、

したり顔で批判したり笑い者にしたりするのは簡単だ。
でもそこで真面目に必死になって
対応していた人々がたくさんいることは
曲がりなりにも公務員をしていた経験からもわかる。
そんなことも考えされられた。

ゴジラのバケモノ感、ゲテモノ感が凄い。

これは着ぐるみでは無理だっただろう。
クトゥルーか?というほどの登場の仕方だ。

そのゴジラを遠景で捉えて、

  
「怪獣映画って、ものすごく暴れているようでいて、引いてみれば実際には点と線で超局地的に動いているだけで、すぐ隣には日常があるんだよな。」

という、ちょっと冷めた印象を抱かせておいてからの、

それをくつがえすほどの大都市破壊映像に震えた。
昨今、CG技術を駆使することで、
大規模な破壊場面が数々作られるようになりながら、
この「うわっ、ヤバイ!」という感じを抱かせる映像は、
それだけでも観る価値が十分にある。
  
それはさまざまなバリエーションを作りながら
それでも連綿と受け継がれてきたゴジラという意匠を
すでに逸脱していると言えるかもしれないが、
〝不気味で圧倒的な恐怖〟というゴジラの本質は
ここに見事に復活している。

具体的な人の死や個人的なドラマは描かれない。

でも、それこそが先の大震災で
当事者でない多くの人々が
その悲劇を、間接的に知ったり想像したりする中で抱え込んだ、
悲しさや、苦しさや、閉塞感や、
重苦しい絶望感なのだ。

つっこみどころはあるだろう。

あれだけの大破壊で建物も道路も一面瓦礫と化した中で、
最後のあの作戦は無理だろうとか。
でも、だからこそ、
官民一体となった決死な作戦であることが伝わって来るのだ。

悲しみとか喜びとか

簡単に説明できるものではない涙が出た。
映画を思い出すと、いまだにわけのわからない涙が出る。 
  
ちなみに怪獣映画で主人公が、
被害現場を前にきちんと手を合わせるって
初めてじゃないだろうか。

とにかく、傑作。