2009年4月5日日曜日

もし昔の彼女だったら

睡眠薬と安定剤と催眠剤を飲んだんだけど、
まだ効いてこないので、
こんな夜中だけどちょっとおつきあい下さい。
まぁ起きてる人もあんまりいないと思うけど。


昔つき合っていた女性がね、とってもおしゃべりな、
一緒にいる時はほとんどニコニコと
相槌を打っていればいいような、
相槌しか打たせてもらえないような人だった。

わたしは、自分から面白い話とか
シャレた話とかするのは苦手だったし、
彼女は彼女で、そうやってしゃべりまくれることも
一緒にいる楽しみの一つみたいだった。

彼女はいつも仕事のことを話していた。
でも不快にはならなかった。
いろいろ上手くいかないことの怒りや焦りや不満を、
わたしにぶつけようとしているわけじゃなかったから。
ただ自分の中にしまっておけないから
吐き出してるみたいな感じ。

それも身振り手振りを交えて話すから、
第三者として聴いてると面白くて笑ってしまう。
そうすると
  
「あ〜、そうやって笑い飛ばしてくれるとスウっとする」
  
と言って喜んでくれた。
ヘタにアドバイスとかすると逆に怒られてしまう。
信念のある人だったから、
よく頑張ってるって自分の決断と行動を
ただただ認めて欲しかったんだ。

そんな彼女がある時、こんな話をしてくれた。
   
「このないだお友達とお茶したんだ。でもその人、実は今『うつ病』で、面白おかしく仕事で失敗したこととか話しても、そのことじゃなくて、話してるわたしを見て『前向きでいられてうらやましいな』って言うんだよ。どうしていいかわからなくなっちゃった。」
福祉の世界で働いている人だった。 
でも精神障害ではなく、知的障害、肢体不自由な方の専門家だった。
その分野では利用者とのコミュニケーションが抜群にうまい人で、
他の職員からは食べないものも、
彼女の声かけとスプーンコントロールだと食べられてしまう。
  
「『神の手』とか言われちゃった」
  
なんて言っていたけど、
実際そうなんだろうと思った。

今のわたしが、その彼女と今もつきあっていたら、
いったいどうだったろうと思うんだ。
彼女はとにかく前向きな人だった。
そして現場を愛しながら上昇志向のある人だった。
わたしが主任や主幹になったと言ったら、
さぞかし喜んだろうと思う。

さすがにこんなわたしに向って
  
「気合いだ、がんばれ」
  
とは言わなかったろうけど、
どうしていいかわからなかったかもしれないし、
一緒にいることに疲れてしまったかもしれない。

だからね、今そばにいてくれるのが、
な〜こだっていうのがうれしい。
と、まあそれが言いたかったわけでね。

しかしこうして毎日、何かしら書き綴っているのは、
自分が何かしていないと
生きている実感が持てないからかもしれない。
  
この半年間、
こうやって今しか書けない自分の歴史を
書き残しているんだって思うことで、
何もできない自分、
職場や社会からはみだしてしまった自分のプライドを、
かろうじて保ってきたんだと思う。
  
それも読んでくれている人がいるから励みになったんだ。だから半分はな〜こに感謝、
残りの半分は読んでくれいているみなさんに感謝だ。
   
おかげでなんとかここまでやってこれたし、
いろいろなことを振り返ったり考えたりする
大切な機会をもらえている。
ありがとう。勝手なことばかり書いているのに、
本当にありがとう。

ビールが効いてきた。少し眠くなってきたかな。
話を聞いてくれてありがとう。
そろそろ寝てみようか。