2009年6月29日月曜日

「封印作品の闇」(安藤健二)と「オバQ」復活

藤子・F・不二雄の数あるマンガの中で、なぜか具体的な理由がはっきりしないまま“封印”されていた作品がある。それがあの有名な「オバケのQ太郎」なのだ。絶版状態が続いていたのである。

「ドラえもん」は書店の児童マンガコーナーに所狭しと置かれていて、オリジナル作品以外にも映画のマンガ版など、次々と増え続けているというのに。

「ウルトラセブン」の第21話「遊星より愛をこめて」など、シリーズの中で特定の話が封印されている場合があることは「封印作品の謎―ウルトラセブンからブラック・ジャックまで (だいわ文庫)」(安藤健二、大和書房、2007年)に詳しい。ハードカバー時のタイトルは「封印作品の謎」(太田出版)だ。

しかしシリーズ全体がまるまる“封印”状態というのもある。「オバケのQ太郎」もそれにあたり、封印作品の闇―キャンディ・キャンディからオバQまで (だいわ文庫)」(安藤健二、大和書房、2007年)で、かなり執拗に理由を追っている。ちなみに、ハードカバー時のタイトルは「封印作品の謎2」(太田出版)だった。
  
   
特定の話が封印されて現在入手不可能な場合というのは、“差別表現に抵触する恐れがあるための自主規制”と思われるような場合が多いが、それでも突き詰めると、なぜそこまで過敏に自己規制することになったのか不明な点が多い。

それに比べシリーズ全体が“封印”されている場合は、内容の問題というよりは、どろどろしたビジネス上の利権やら著作権上のコジレやらが関係している傾向が強く、読者や作品時代とは直接関係のないところでの問題なのだ。

「オバケのQ太郎」もそんな、結局明確な理由はわからないままに(著者なりの見解は示しているが)、読者の手もとに届かなくなっていたのだ。気づかなかった。事は静かに、しかし断固として死守されていたのだ、20年以上にも渡って。

ところが遅ればせながら、この7月の「藤子・F・不二雄大全集」で「オバQ」がめでたく“封印”を解かれ復活すること知った。

そこに至るまでにどんないきさつがあったのかにもとても興味が湧くけれど、まずは復活おめでとう!である。だって「オバケのQ太郎」の初回(前夜祭)はアニメじゃなくて舞台だった記憶をうっすらと持っている人ですから、わたし。
   
    

2009年6月27日土曜日

パソコンでウクレレ練習

今日はウクレレ・レッスンの日ではない。だから自宅で自主練。
洗濯干しも終わったし。眠いけどガマンだ。

「Guitar Pro 5」で、「上を向いて歩こう」に引き続き、「Pua Lili Lehua」の入力が完了。こちらはメイン・メロディーと、ハイ・パート、ロー・パート、そしてコードと、4つの弾き方がある。
   
   
コードを除くと3つの旋律がハモることになるので、この3パートを楽譜にした。ソフト的には3トラック(3段)での入力ということになる。こんなことも可能で、表示の時に1パート表示かマルチトラック表示かで選べる。

マルチトラック表示でボリュームを調整すれば、特定のトラック音量を0にして演奏させることができる。つまり練習したいパートを自分が弾き、ハモるパートを「Guitar Pro 5」に任せて、合奏ができるというわけだ。演奏版カラオケって感じだ。

GarageBandとは違うから、譜面通りの音しかでないけど、他のパートを聴きながら弾くにはこの方がいい。ハモり具合が聴き取りやすい。
で、これ、面白いです。自分勝手に弾くんじゃなくて、リズムを揃えて、他の音に合わせようっていう気持ちになるんです。間違えても曲は進んでいくから、途中から復帰するっていうワザの練習にもなるし。

譜面作りに時間を費やした介があったってもんだ。
     

2009年6月26日金曜日

メイラックス断薬計画

やはり医者に行って見てもらうというのは大事だと実感する。カラダの湿疹は結構あちこちに出ていて、カユミもあるから困ったものなのだが、医者にかかって塗り薬と飲み薬で手を打っているという安心感がある。

不安定になる心配がまだ消えた訳ではないことを思えば、
これは大きい。

ただ服薬が増えた。たぶんそのせいで頭がボ〜っとしてしまう感じが日中も残る。でも抗アレルギー薬のタリオン錠は飲まない訳にはいかないからなぁ。現在の服薬は、
   
・タリオン(抗アレルギー薬)10mg×2回
・ロヒプノール(睡眠薬)1mg×1回
・メイラックス(抗不安剤)1mg×1回
      
ということになる。レンドルミンは必要に応じて、というか、まぁ持っていると安心ていう程度で、実際に服用はしなくて大丈夫。

さてそこで、次の断薬はメイラックスかと思うのだ。メイラックスは就寝時に睡眠薬と一緒に飲んでいるものだけれど、結局スムーズに入眠するのが目的だと思われる。そして効果が24時間以上持続するという長期型。だからタリオンと一緒になって昼間も眠いのかも。

でもタリオンが結果的に副作用として、眠気を引き起こし、睡眠薬の作用を強めてくれるなら、良いタイミングかも。今日は勢いで飲んでしまったけど、明日からメイラックス断薬でいこうと思うのだ。

そして発疹の様子を見つつ、タリオンの必要がなくなったら、睡眠薬一本で体調管理できるといいな
ぁ。

     
       なんとか風邪は乗り切って咳もでなくなった。今日は音楽聴きながら、今年の「ウクレレ・マガジンVol.3」でものんびり読むとしようか。音楽はジャネット・サイデルの「マナクーラの月」かな。
     
       ハワイアン集ではないんだけど、ウクレレが結構効果的に使われているんですよ、これが。ぜんぜん無理をしない自然な歌声。抜群のリズム感と音程に支えられた柔らかな歌声。ウクレレにも合うなぁ、この優しい声。

「Guitar Pro 5」でウクレレ譜完成

さっそくウクレレ練習曲のメロディー・パートを「Guitar Pro 5 日本語版」で作ってみた。ソフト・キーボードがあるからマウスクリックで鍵盤をクリックしながらメロディーを入力。細かな音符は後から調整。

タブ譜もOK。ウクレレは1弦から2弦、3弦と低くなっていくが4弦では高くなる。だから4弦もメロディーに使えるんだけど、わたしは頭の中がこんがらがっちゃうので、同じ音なら1〜3弦で弾きたい。

ところがこのGuitar Proなら、音を変えずに使用する弦を変えることも可能。ちゃんとタブ譜が自分好みの運指に書き換えられるのだ。

コード名やダイヤグラムと呼ばれるフレットの押さえ位置を示した図も表示可能。上に一覧で並べることもできるし、小節ごとにコードと一緒に表示させることもできる。あぁなんて便利。

でも残念なことに日本語歌詞の入力でエラーになってしまう。英語だと問題ないんだけどなぁ。ま、いっか。

しっかし頭が重い感じで眠い。やだな。
   



だぶん「タリオン」で眠かった1日

 発疹治療のために飲み始めた「タリオン錠」という薬。ネットで調べて、その特徴を確認してみた。

・抗アレルギー薬
・アレルギー性鼻炎、じんましん、皮膚のかゆみを緩和する
・第二世代の抗ヒスタミン薬として、
 眠気、口の乾きなどが比較的少ないとされる
・副作用として、眠気、倦怠感、めまいなど
・眠気が強いという評判があるらしい
・抗精神病薬(鎮静薬,催眠薬など)併用すると、相互に作用が強まる
・アルコールと併用すると眠気が強まる

実は今日(というかもう昨日か)はかなり眠かったのだ。確かに前日にベッドに入るのが遅めではあったから、基本的に寝不足ではあったのだが、朝起きてからの眠さの雰囲気が違う。そう、ちょうど花粉症の時期に鼻炎薬を飲み始める頃の眠さに似ている感じ。

「眠気は少ない」とされていながら、実際には「眠気が強い」と言われているようなので、きっとタリオン錠の影響だろう。まして抗精神病薬(鎮静薬、催眠薬)と併用すると相互に作用が強まるというのだから、なおさら眠くなってもおかしくないか。
     
市販の鼻炎薬もそうだけど、日によって効き方が違うみたいなこともあるので、また思うようにカラダが動かない日が出ないことを祈りたいものである。それと、次第にカラダが慣れてくる場合もあるからね。今は新しい薬がまたまた入ってきて、カラダもビックリしているんだろう。

まぁ眠れないよりは眠った方がいいんでしょうから、眠い時は寝ちゃおうっと。

しかしお医者さんも薬剤師さんも、副作用についての説明が少な過ぎるんじゃなかと思うんだけど。確かに人によっては、必要以上に過敏になったり、不安になったりするかもしれないから、難しいところではあるけど。



2009年6月25日木曜日

「GarageBand」と「Guitar Pro」

秋のウクレレ発表会用に今練習している曲は「上を向いて歩こう」と「Pua Lili Lehua」の2曲。ウクレレの家での練習も、どうせやるなら楽しくやろうと思い立ち、Mac用音楽ソフト「Garageband(ガレージバンド)で、バックの演奏を作ってみようと挑戦を始めた。

「GaregeBand」は使いやすいMac用作曲ソフトで、市販品としては「iLife」という写真、ムービー、音楽統合ソフトの中に入っている。でも最近のMacには最初からこの「iLife」が入っているのだ。
ウッドベースとジャズドラムでリズムを刻んでもらえば、味気ない電子メトロノームのクリック音よりはるかにステキでしょ。

ジャズバンド
をバックにコード弾きやメロディー弾きの練習ができると、やりがいもあるってもんだ。ハワイアンならスチールギターとか入れてもいいし。
よし、「門絵門ウクレレ・トリオ」、略してMUTだ。おお、妄想は広がる。でもなんか怪獣退治のチーム名みたいだな。

それにGarageBandには生音を入れることもできるから、「Pua Lili Lehua」のメロディー&ハイ・パート&ロー・パートを一人多重録音もできるわけだ。さらにコードも入れて、一人ウクレレ四重奏、「門絵門ウクレレ・カルテット」、略してMUQだ。あら、こっちの方がジャズバンドっぽい。

もう一つ「Guitar Pro 5 日本語版」という、ギターにフォーカスしたソフトもちょっと試している。こちらはMac&Win対応ソフトだ。

大分前に手に入れたのに、なかなか使う気力がなかったのだが、こちらはメロディー譜を入れると自動的にタブ譜を作ってくれるというもの。コード名、歌詞も入れられる。

Windows用フリーウェアならそれなりに使えるものがあるんだけど、Mac版はいいのがないので買ってしまったのだ。もちろんウクレレ対応だから、4弦用のタブ譜も作れる。

どちらもそれぞれに用途に応じて使い分けるって感じだ。練習用にはGaregeBand、譜面作成にはGuitar Pro。

夢、というか妄想が広がり過ぎてますね。ソフトでのデータ入力に力を注ぎ込んで、肝心のウクレレを練習する時間がなくなるという、本末転倒状態が目に見えるようでございます。

まぁ、それもまたのんびりやっていく楽しみかな。

2009年6月23日火曜日

iTunes Storeダウンロード曲の再生制限

Tia Carrere(ティア・カレル)のアルバムをiTunes Storeからダウンロードしたことを思い出したら、気になったのでちょっと調べてみた。確かダウンロードした曲には再生できるコンピュータの台数制限がついていたはずなのだ。

「アップル-サポート」によれば最大で5台であった。コピーして再生しようとするとアップルIDとパスワードを要求され「認証」作業が行われる。ネットでiTunes Storeの購入記録に照合が行われ、今回が何代目の使用になるかの確認がなされる。

この5台というのは、そこまでコピーすることはないだろうと思いつつも、場合によっては制限回数を使い切りそうな感じもする微妙な数だ。

メインマシンに入れて、音楽専用機にした旧ノートに入れて、ネットブックに入れて、彼女のパソコンに入れて、メインマシンを買い替えて入れ直して、これで5台。う〜ん、微妙。

そこでさらに詳しく見てみると、特定のマシンで再生するのを止める場合には「コンピュータの認証の解除」手続きを取れば、その分の使用台数を復帰できるという。つまりメインマシンを買い替えたのなら、旧マシンで「認証の解除」をしておけば、その分の台数カウントはされなくなるということだ。

さらに

「認証できるコンピュータ数が 5 台に達した場合は、Apple アカウントの情報画面で「すべての認証を解除 (Deauthorize All)」をクリックすると認証数をリセットすることができます。注記:この機能は 1 年に 1 回のみ使うことができます。「すべての認証を解除 (Deauthorize All)」ボタンは、認証されたコンピュータ数が 5 台未満のときや、過去 12 ヶ月以内にこのオプションを使った場合は表示されません。」

ですと。つまり年に一回リセットをかけることができて、今実際に使われているマシンで再認証をすることで、「認証の解除」をしないままコピーデータを消しちゃったりして、再生マシン台数が足りなくなることを防いでくれる機能があったのだ。知らなかった。

もちろんiTunes Plusミュージックという新しいタイプのものならコピー制限はない。音質は良くなるが、ちょっとお高くなるんだけど。

今までダウンロード購入したもので、Plusへのアップロードを安価にできるサービスもあるんだよなぁ。高音質になってコピー無制限になるのは魅力だけど。悩ましいなぁ。

ウクレレとハワイと「リロ&スティッチ」

ウクレレを始めたのは、単純に“自分に合った楽器探し”をしている中でのこと。だからハワイにもハワイアンにも正直なところ知識も関心もなかった。

いや、でも全然なかった訳ではない。自分がウクレレを始めるなんてこれっぽっちもまだ考えていなかった頃。ハワイと言えば風光明媚な観光地で芸能人がオフに行くところ。ハワイアンはムード音楽で、フラダンスはちょっと失礼な言い方かもしれないが、お年寄りの間でブームのゆっくりしたダンス。

そんな偏見のかたまりのハワイ・イメージを崩してくれたのは、なんとディズニーのアニメーション「リロ&スティッチ」(写真右)なのだ。自分から見ようと思って見た訳ではない。前任校の時、ちょうど話題となっていたので、私費で購入して英語の時間に字幕で生徒に見せたのだ。

リロは両親を交通事故で亡くし、姉のナニと二人で暮らしている。友だちからは仲間はずれにされ、やがて福祉局のソーシャル・ワーカーによって、養育能力がないと見なされた姉のナニからも引き離されそうになるという設定。まさに現実の世界でのリロの悲しみやナニの悲しみが、日常的なやり取りの中でリアルに描かれる。

一方スティッチは別の惑星で「破壊」のためだけに作り出された人工生命モンスター。物語は、地球に逃げてきたこのスティッチとリロの交流を中間部に、そして逃亡モンスターであるスティッチを追いかけてきたエイリアンたちを交えてのドタバタを後半部に配した構成となっている。

全体としてのまとまりは欠ける。中盤から話がドタバタコメディー色が入り込んできて、あまりに世界観が変わっていくので興ざめしてしまうのだ。でも前半部分のシリアスな流れが秀逸。

この舞台がハワイなのだ。フラダンスを踊る場面が描かれる。これが素晴らしい。とてもきれいな動きを丁寧なアニメーションで再現している。短い場面なのだがずっと見ていたいほど美しいのだ。わたしの中でフラダンスのイメージが大きく変わった。何かこう神秘的で神聖なものになった。

そしてもうひとつ、結局、保護者としての能力に欠けると判断されたことで、リロが姉のナニのもとから引き離されることになる前の晩、ナニはリロに、言葉にならない言葉として、ハワイアンソングの「Aloha Oe(アロハ・オエ)」をアカペラで歌う。物語的にも全編中最高の場面だと言えるが、この歌がまた素晴らしかった。

歌っているのはナニの声を担当しているTia Carrere(ティア・カレル)という女優さん。わたしはサウンドトラックではなく、彼女のこの「Aloha Oe」が入っているアルバム「Hawaiiana」を探し、当時は廃盤だったのかCDでは見つからず、最終的にはiTunes Storeで見つけてダウンロード購入してしまったくらいだった(左写真)。

「リロ&スティッチ」は物語としては前半部分の丹念な日常描写が良かっただけに、エイリアンが追いかけてきたあたりからの、落ち着きのないギャグと、非現実的な展開がなければ傑作になったのにと思わずにはいられない。

でも自分の中でのハワイのイメージを一新させ、フラダンスとハワイアンソングの魅力に目覚めさせてくれた点で、わたしに取っては思い出深い大切な映画となった。それがやがて今のウクレレへとつながっているのかもしれない。だから今ウクレレ・レッスンでハワイアンの曲をやっていても、それほど抵抗がないのだ。

余談だけれど、どうしても前半のシリアスな展開で物語を見ると、スティッチの登場あたりからは、孤独なリロが妄想の中で遊んでいる姿に見えてしまうのだが。ストーリーのぶっ飛び具合といい、エイリアンの子どもっぽいキャラクターといい。実はリロはすでに福祉局によってナニからも引き離され、施設で暮らしているんじゃないか。すべては弧度のリロの作り出した世界なのではないか。

そう思うせいか、リロが痛々しいほど可愛い。

2009年6月19日金曜日

「職場撤収計画」第一弾「Mac」

とにかく職場にあるものが1年近く放置されたままでいるのは忍びない。もったいない。不衛生。そして危険。

危険というのは私物もあるからなくなったらどうしよう、っていうのと、机の中にすでに担任で無くなった生徒の資料など、場合によっては個人情報になるうるものが残っているっていう、2つの面から言えるのだ。

このうち個人情報はしっかりと机の引き出しのファイルに入っているから、わざわざ引き出しをあけてごそごそ物色されることはないだろうから、まあ大丈夫。職員室だし。

一番心配なのは個人的に持ち込んだノートパソコンMacBookだ。机上に置きっぱなし。Macだから需要は少ないから持ち去られる恐れはないにしても、机上にあったら何かの拍子にモノを乗せたり、落としたりされるかもしれない。

病休があまりに急だったから机上にはMacと名札が出しっぱなしになっているはずなのだ。

あとは机上の本立てに「ねこむらさん」が3冊、そして個人的に集めた「軽度発達障害」関係の書籍が並んでいるはず。WISC-Ⅲについても、本を買って一人で勉強していたのだ。定期的にいらしていた臨床発達心理士の方と、そんな話で盛上がったこともあったなぁ。

しかし今手元にまず取り戻したいのはMacである。さっそくまた元副担任の方にお手伝いいただけるようお願いした。ありがたいなぁ。

あ、あとメトロン星人もまだ主人のいない机上を守っていてくれているはず。ごめんね、メトロン星人。きっと埃だらけだろうが、君と再会できるのはもう少し後になってしまう。待ってておくれ。

今年度初の職場からの郵送物

今年度初の、職場からの郵送物が届いた。デカイ。6月末までだった「休職」を、さらに延長する書類を出したから、その反応が返ってきたという感じかな。もちろん申請の手続きをしていただける旨を、すでに副校長からメールでもらってはいたけれど。

これはシラフでは見る勇気が出ないと思い、ビールを飲もうかと思ったらストックが切れていた。代わりにアルコール8%のストロング・チューハイ飲んでと。村上春樹の小説の主人公のようにスマートにはいかないのが現実というものだな。
   
さて、その中身であるが、
   
「給料等支給明細書」
「平成21年度 給与所得等に関わる市民税・県民税 特別徴収額の決定・変更の通知」
「東京都福利厚生事業団からの保険加入の案内
  
はぁ、何をいまさらって感じだな。
   
「長期の就業不能に備えた『療養給付保自宅療養も補償!」
   
なんてのもあるのか。でもそんなことなってみるまで考えないよな、普通。

そしてもうひとつA4版の封筒が入っていた。なんだろうと思ってドキドキしながら開けてみる。すると中に入っていたのは、東京都福利厚生事業団で出している冊子「いぶき」(6月号)と、公立学校共済組合からの医療費の支払い状況のお知らせ、だけ、であった。拍子抜け。笑っちゃうくらい。

新しい教職員名簿も、
学年団一覧も、
座席表も、
年間行事予定表も、
分掌一覧も、
業務に関するものは一切入っていない。
復帰へ向けての方針とか流れがわかるような文書もない。
「どんな感じですか。」の一筆すら入っていない。
いや~バッサリって感じ。
よく取れば、「病休延長」の申請を受けて、学校のことは一切思い巡らさずに済むように気を遣ってくれているということか。現実的には、戦力外メンバーに気を遣えるほどの余裕が無いくらいに忙しいが正解かな。現職場にいた経験的に言えば、それは大いにあり得る。でもそれはいい訳にはならないと思うけどね。
だって、もし一日も早く復帰しようと思っているとしたら、これは相当不安だろう。「窓際」どころの騒ぎではない。無視。放置。こちらから動かない限りは、先は全然見えない。誰も何もしてくれない。心配すらしてくれていないって感じ。

年度の途中で、学年主任でありながら全てを放り出してしまったということは、相当な「恨み」を買っているんだろうかと邪推すらしてしまいそう。別にズルしたわけでも、子供じみた行為に走ったわけでもないんだけどなぁ。

それどころか、ギリギリまで倒れそうになりながら他の先生方を支えようと、がんばったんだけどなぁ。そこは誰も評価してはくれなかったってことか。自分で自分を誉めてやるしかないってことか。悲しい職場だなぁ。共に戦う中で、倒れていった戦友ではないんだなぁ。

誰も自分を待っていてくれるわけではない場所へ戻る気持ちにはなれないだろう。こうして病休になったのが、「戻る気の無い」わたしであって良かったと思う。「戻る気のある人」や「戻らざるを得ない人」の身代わりに倒れたんだよ、きっと。

もちろんもう落ち込まないし、動揺もしないけどね。
しかし変な話、不登校の生徒に対して、自分がいかに気を掛けていたかを思い出した。

わかった。ぼちぼち撤収の作業に入ることにしよう。
そう思った夜中の2時。

2009年6月14日日曜日

プログレTシャツ

前任校で夏に公開講座を開いていたのだが、
「オリジナルTシャツ作り」を行った年があった。

すきな絵を描いたり
写真を持ち寄ったりして、
白の無地のTシャツにアイロンプリントし、
世界で一着のマイ・Tシャツを作ろう!というものだ。

わたしは、講師のアシスタントということで
その講座に参加することになった。
もう4〜5年前になるのか。

公開講座なので、
生徒に混ざって一般の方も参加する、
5日間のコースだった。

ちょうど韓流ブーム最盛期で、
ヨン様の写真をド〜ンと印刷したおばさまがいた。

せっかくの機会だからと
わたしも自分用のTシャツ作りに挑戦、
出来上がったのがこれだ。

    

    
プログレ関係のアルバムジャケットを並べて
「POWER」という文字をレイアウトしてある。

夏物の服をあさってたら出てきた。
当時も今と変わってないなぁ〜。

でも今ほど切羽詰まって
プログレ頼みにはなっていなかったな。

ちなみに現任校でも夏休みに部活で
オリジナルプリントTシャツを作っていたが、
自分のものを作る気持ちの余裕はなかったな。

こうした活動を、自分が楽しめた頃の、
懐かしき一着だ。
だいぶ
ヨレヨレでしわくちゃだけどね。

今年は久しぶりに、またTシャツ作ろうかな。
  

   

2009年6月13日土曜日

「ガーデンバリア」人間版

ラジオのニュースにて。

深夜若者がたむろして騒いだり器物破損行為を行ったりと、被害や苦情が多かった東京足立区の公園で、20歳前半くらいまでが聞こえる高周波(超音波)を流すことで、こうした行為を行う若者を公園から遠ざけようという試みを始めたという。全国から問い合わせが相次いでいるとのこと。

「ガーデンバリア」人間版でしょ、完全に。面白いこと考えるなぁ。

ただ、この高周波って結構年齢だけじゃなくて、個人差で聞こえたり聞こえなかったりするから、近所に住む人や破壊行為と関係ない人がイヤな思いをしないといいなと、ちらっと思った。

あとネコと違って器物破損する若者だと、その器物破損の対象にならないかな。効果のない若者もいるだろうし。

「アンノウン、最終防衛ライン突破します!」
「本部撤収。われわれに打つ手はないのか…」

っていう感じか。そう言うときは

「最終手段だ。
 撤収後、敵をできるだけ引きつけて、本部を遠隔爆破する。」

っていうのはないのかな。ないな。
   
ちなみに、わが家のガーデンバリアは完璧に防衛ラインを死守している。ネコ寄り付きません。

2009年6月12日金曜日

人の身体は左右対称ではないのだ

カイロプラクティックで腰の痛みが消えたことに感激し、そう言えば昔カイロプラクティックの本を買ったなぁと探してみたら見つかった。懐かしの「ワニの本」新書シリーズで「左回り健康法則」(監修/山根 悟、亀田修、KKベストセラーズ、1992年)だ。

様々な事例を紹介しながら、人を含めた自然界には「左回り」という大きな法則があるとし、人の身体にも左回りを基本に考えることで、身体の不調を取り除いて行こうという主旨の本である。確かに陸上競技も自転車競技、オートレースも左回りだし。地球の自転も惑星の運行も左回りだ。

そして人間は「左足で立っている」。だから心臓は左足に重心がかかっている時の身体の中央に来る。
つまり人間は実は左右対称ではないのだという。そして筆者は、人間の背中に4大治療ポイントがあり、それをBBP(Body Bearing Point)1〜4と呼ぶ。

この4つのポイントの引っ張り合いの中で人間は生活し、行動している。バランスが崩れた時に、色々な症状が現れる。

「イラスト(左図)A〜Bにかかっている糸は弾力性のあるゴムと考える。この代表的なBBPに緊張が生じた場合、それぞれのポイントの輪は大きく、また外方へ引っ張られる。(中略)BBP3の緊張が高まれば、当然BBP2、4で緊張度が増え、ポイントにかかる負担が大きくなるため、2と4に症状が出る。(中略)結論を言えば、3の治療をすることが2、4の緊張を取ることになる。」

おぉ、確かにわたしの身体で痛みが出るのはBBP1と4なのだ。理論は難しい部分もあるからよく理解できていなくても、この図の示す身体のバランスは感覚的にわかる気がする。

確かに今通っているカイロプラクティックでの治療は、腰痛なのに、基本的に首のねじりがメインなのだ。

「左回り健康法則」では、この治療に左回りという考え方を取り入れると治療効果が現れるという。具体的な治療例や、地磁気との関係で北枕が実は身体に良いとか、話はカイロプラクティックから大きく広がっていく。

でも、わたしは「人間は左足で立っている」ということと、「もともと人の身体は左右対称ではない」ということ、そして4つのBBPポイントが引っ張り合っていて、それぞれの緊張緩和が大事だと言う視点でカラダをみることが出来るようになったことだけでも、スゴく安心した。

やっぱり何か不安になった時や苦しくなった時、今どういう状態なのか、なぜそうなったのかを説明してくれることって大事なんだなぁと、つくづく思った。

「適応障害」とストレスため込み状態については、自力で分析、自力で説明、自力で回復を目指しているけれど、そのための考察や実験観察の場がこのブログだったりするんですけどね。

「恋恋風歌」つじあやの

   
恋恋風歌」は、ジブリのアニメ「猫の恩返し」の主題歌「風になる」を含む、つじあやのの2003年の作品。わたしも「風になる」で“つじあやの”という歌い手を知ったクチなのだけど、アルバムを買ってしまうほど気に入っていたんだとは買うまで気づかなかった。

そして実際にアルバムを手にして、「風になる」も確かに良い曲だけど、アルバム全曲が良い曲なので、その中の一曲に過ぎないと言うことにとても驚いた。

最初から最後まで聴き入ってしまう。それも肩の力が抜けて、イヤなことも忘れて、けっこう素直な気持ちになれて、聴いてしまうのだ。

ウクレレを始める前だから、特別そういう視点で興味を抱いた訳でもない。ウクレレの音に特に魅かれた訳でもない。今はウクレレを習っているから、「あ〜、この雰囲気はウクレレだから出せるんだなぁ」とかいう聴き方もするけど。

何と言っても彼女の声。天性の声。柔らかな声の魅力と、それを活かしたストレートな歌詞、そして美しいメロディーとシンプルな演奏。ウクレレの魅力そのもの。ウクレレの良さを歌で表現したらこうなりましたっていうような、自然でやさしい歌。

最初の曲「桜の木の下で」はしっとりと低音から始まり、サビは高音に移る。しかしゆったりした声のやわらかさは変わらない。低音も高音も力まない。これは聴いていると聴き流してしまいがちだけど、凄いことだ。

技術的にも表現力の点でも、もちろん声質においても、天賦の才能だと思う。小細工のないナマの音で勝負している。極上のポップス。傑作アルバム。

個人的には、こうしてハワイアン以外で、ウクレレの魅力が聴けるのもうれしいんです。

2009年6月11日木曜日

「ウクレレ上達100の裏技」いちむらまさき

    
ウクレレはちょっと触った感じだと簡単な楽器に思える。小さくてかわいくて、楽器というよりオモチャみたいな感じすらする。

フォークギターのように大きくないから、ボディーを固定するのに苦労しないし、ネックも細いから弦を押さえるのに指が届かないこともない。逆に細すぎてコードを押さえる指が窮屈なことはあったりするけど。

弦の数もギターの6本に対して4本と少ないし、さらに通常のHigh-G仕様だと、向って1番左側の弦が1番低い音域ではないため、メロディーはほとんど残りの3本で担当するという身軽さ。その独特な弦の張り方が、ウクレレの軽い音色を作り出す訳だけど。

ところがやっぱりウクレレも楽器。だからやり始めると奥が深い。以前にいかりや長介の著書「だめだこりゃ」(いかりや長介、新潮文庫、2003年)からの引用として紹介した

「ホントはウクレレって大変な楽器だと思う。弦が多い方がごまかしも利くし、弦が長い方が音が低くて失敗を気取られにくいし。非常に繊細で、難しい楽器なのだ。」

というくらい、実は結構難しいのだ。少ない音でコードを聴かせる、正確な技術を求められる楽器なのである。でも、一方で楽しめればいいんだっていう考え方が強いのもウクレレのいいところ。だから堅苦しい入門書はウクレレには似合わない。もちろん上達には必要ではあるけどね。

そこでお勧めなのがこの「ウクレレ上達100の裏ワザ 知ってトクする効果的な練習法&ヒント集」(いちむらまさき、リットーミュージック、2008年)である。「100の裏ワザ」シリーズ共通なのだが、花くまゆうさくのイラストがいい味を出している。思わず拍子を見てるだけで力が抜ける。

中味も深い。裏ワザと言ってもウクレレの持ち方や弦の張り替え時期のような基本的なことから、コード進行の理論や難しいコードの押さえ方、さらには「覚えたプレイを確認するには→仰向けに寝て練習せよ」なんていう楽しいワザも紹介されている。

最初から全てを理解する必要はない。ウクレレを練習して行くと、ここに書かれているようなことが気になり出したり、課題になってきたりするのだ。その度ごとにページをめくって、「あぁ、こんなやり方や考え方をすると楽なんだな」って思えればいい。

でも次の一文はちょっとイタかった。

「筆者としては、本格的に活動をしない人ならば10万円以上のウクレレは必要ないと思います。ウクレレはチープであることが魅力の一つであり、あまりにも完璧過ぎるとギターに近づいてしまうからです。」

う〜ん、許してください、High-Gにこだわりますから。チープさはありませんが、ギターっぽくはないですよ、ほんとに。

まだまだ末永く、折に触れて役立ちそうな本である。

2009年6月9日火曜日

懐かしのセキピタン

ノドの痛みが取れない。咳が止まらない。ちょうど昨年春の入学式での「新入生呼名」前に、苦しんでいた時と同じだ。

懐かしくもあり、思い出したくなくもあり。まぁ、あの呼名をやり遂げたところまでで、自分のできることは実質終わっていたのかもしれない。その後、自己評価できる事はほとんどなかったからなぁ。

その後もがんばったよ、もちろん。それこそ「適応障害」で動けなくなるくらいまで。でもそれはがんばったけれども、結果がついてこなかった。“達成感”や“充実感”とにつながるがんばりにはならなかった。

その「呼名」前に、何とかしないとと思って買った咳止め薬が残っていた。ポンプタイプの咳止め内服薬「セキピタン」だ。

ポンプタイプだから水無しでシュッシュッと「のどぬ〜る」のように飲めるのが便利だと思って買ったのだ。これなら「呼名」直前まで使えるだろうと。
咳止めと言えば「ブロン」だっけ。麻薬成分コデインが含まれているからって、一気飲みしてトリップしちゃうとか、「ブロン」中毒になっちゃうとか。確か、中島らもも「ブロン」飲んでたって書いてたし。

うわっ、これにもリン酸ジヒドロコデインが入ってるじゃん…。まぁ一気飲みはしないけど、依存性が高くなる可能性はあるってことか。

睡眠薬を常用していると、なんかこう服薬に過敏になるな。肝心の睡眠薬では効き目をあまり実感することがないのが悔しいけど、抗うつ薬では「性機能障害」を実感したからなぁ。

「呼名」を何とか無事に乗り切らせてくれた「セキピタン」だ、飴もなめてたけど。よろしく頼みますです「セキピタン」さま、たぶん飴もなめるけど。

2009年6月2日火曜日

NHK「突然の暴力 抗うつ薬副作用」

昨日のNHK「クローズアップ現代」(09.06.01)は、『突然の暴力 抗うつ薬副作用』というタイトルだった。内容は、抗うつ薬として使用頻度が高いSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の副作用として、反社会的暴力性が高まる場合があるというものだった。実際に4件の傷害事件で、SSRIの副作用が要因として絡んでいるとの判断が出されているという。

う〜ん、おそろしい。やっぱり脳に直接働きかける薬だからね。「何か言われてカッとなるとかと違って、腹の底から怒りが沸き上がってくるような感じだった」とか「自分が自分でなくなったみたいだった」というコメントが恐かった。特に医師の見誤りから、双極性障害(躁鬱病)でSSRIを服薬してしまうと、暴力性を誘発することがあるという。

以前、やはりNHKスペシャルという番組「うつ病治療が変わる」で、このSSRIは、過剰摂取するとうつの症状が治まると同時に、意欲・やる気を出すドーパミンが減ってしまうという話が出ていた。それが「薬が効いてない」と誤解され、さらに抗うつ薬が増えるという悪循環が恐くなって、「不服薬計画」をスタートし、現在は「抗うつ剤」は飲まず、「抗不安剤」と「睡眠薬」だけを服用している。特に問題はない。

もちろん適切に使用し身体に合えば、とても効果のある薬だということも理解しているつもりだ。だからいたずらに副作用の恐さを強調して、SSRIへの不安感や恐怖心を煽ったり、信頼性をおとしめたりするつもりはないし、SSRI使用者に差別的な目が注がれるようなことになってはならないと思う。

ただ、
わたしは自分はうつ病ではないだろうと思っているし、さらに双極性障害ではないだろう。そして、こうした暴力性 が引き出されるのも必ずしも全ての服薬者からというわけでもないだろうし、それなら逆に双極性障害でなくても、どこでどんな副作用が出てくるか心配だとも言えるわけだ。つまりできるだけ不必要な服薬はしない方がいいということだ。
人体実験の結果、「抗うつ剤(SSRI)」を止めてもやっていけることがわかり断薬したのは、こうした番組を見ると、われながら賢明な選択だと思う。

しかしよくがんばっているなぁ、わたし。ちょっと自分を誉めさせて。

いろいろ考え、もがきながら、人体実験を繰り返し、ふてくされることもなく、八つ当たりすることもなく、黙々と自分を何とかコントロールしようと、前へ進もうとしている。いや、本当はそんなにがんばっちゃいけないのかもしれないけど。

でも、誰もが「何も先のことは考えず、日々好きなことだけやって暮らし、
ストレスを発散し、主治医の先生の薬をしっかり飲んで、カウンセリングや認知療法を受け、ストレスをため込まない性格作りをし、ココロとカラダが自然に回復していくのを待つ」という理想的な養生生活を、何の苦もなく送れる訳ではないのだ。
昨日の「クローズアップ現代」を見て、自分で自分を守っていくことも大事だと、またまた思ったのでありました。

2009年6月1日月曜日

マスク品薄とフランク・ザッパ

 

さすがに一時のヒステリックさは収まったものの、まだまだ続いている“インフルエンザ狂騒曲”。妊婦の方とか抵抗力の弱ってられる方のご心配は当然のことだから、決してインフルエンザ対策を軽んじているわけではない。

ただやっぱり変に騒ぎ過ぎて混乱をきたし、先に触れたような“犯人探し”とか、誹謗中傷が飛び交うようなことはあってはならないと思うわけだ。そのためにメディアがきちんとして欲しいと思っているのだ。

しかし今度はマスクだ。「マスクが品薄です。今後夏に向けて増産体制を取って、できるだけ早く消費者の皆様へ供給できるようになる予定です」的なコメントがされているが、これもどうなんだろう。

店頭でマスクを買いに来たのに売り切れて困っているお客さんのコメント「えぇ?ないんですか? 困ったわねぇ〜、どこに行っても売ってないのよね〜。」をただ垂れ流す、その意味はどこにある。「やっと入荷したマスクがわずか7分で売り切れてしまいました。」と驚きを持ってレポートする意味がどこにある。
やっぱりメディアがかなりオカシクなっていないか。
「さぁ、大変です、皆さんの健康、あるいは命を守るためのマスクが、今手に入らない状況です。インフルエンザの脅威は広がっていると言うのに、いったいわたしたち一般市民はどうしたらいいのでしょうか」
   
って、不安を煽ろうとしているとしか思えない。結果的にであっても。

ちょっと街を歩けば、確かにマスクをしている人は増えて入るけれど、むしろ接客業で店員さんたちがみんなマスクをしている方が目につく。つまりスーパーやデパートみたいなところで、大量にマスクを消費されたら、そりゃあすぐに品薄になるだろう。

マスクをすることには、ウイルスのキャリアからの感染を防止するのと、知らないでキャリアになっている人が自分が他人へ感染させないようにする意味がある。接客業で大量採用して後者側に今マスク供給が偏ってしまったということだろう。

それはある意味、社会全体としては防護体制がアップしているとも言える。そこまで考えなくても、ただただ騒ぎを煽るだけではなくて、状況を冷静に伝える必要があるんじゃないのか。一方で「マスクが手に入りません!」と騒ぎ、一方で「冷静に対応しましょう!」と連呼する。これ結果的に両方とも不安を煽っているだけだ。

不安を煽られると、誰も彼もがとにかくマスクを買わなきゃみたいになって、
妊婦の方たちなど、本当にマスクの必要性を感じている人へ行き届かなくなる可能性も高くなるというのに。

必要なのは、きちんとした情報の提供と、その裏けの下に提示される的確なアドバイスである。落ち着いて状況を見つめ、判断する目が、メディアに感じられない。ニュース番組がワイドショー的になり過ぎている。

そんなことを考えていたら「フランク・ザッパ自伝」(フランク・ザッパ+ピーター・オチオグロッソ、河出書房新社、2004年)に次のような一節があるのを思い出した。

「俺たちが住んでいた場所から1マイルも離れていないところに、マスタード・ガスの貯蔵タンクがあった。そのため陸軍住宅の全体が、家族の人数分だけガスマスクを常備するよう義務づけられていた。 俺の家でも、廊下のいちばん奥の壁に家族全員のガスマスクが掛けられていた。俺はしょっちゅう自分のマスクをかぶり、裏庭で遊んだ。ガスマスクは、俺を宇宙飛行士にしてくれるヘルメットだった。」
今後もし首都圏で被害者が増え、あいついで休校になるような騒ぎになったら、どこかの会社が、簡易防毒マスクを売り出してみるといい。きっと売れるぞ、メディアが飛びつくから。そしてこどものオモチャが増える。

(カットは「フランク・ザッパ自伝」より)