2009年6月1日月曜日

マスク品薄とフランク・ザッパ

 

さすがに一時のヒステリックさは収まったものの、まだまだ続いている“インフルエンザ狂騒曲”。妊婦の方とか抵抗力の弱ってられる方のご心配は当然のことだから、決してインフルエンザ対策を軽んじているわけではない。

ただやっぱり変に騒ぎ過ぎて混乱をきたし、先に触れたような“犯人探し”とか、誹謗中傷が飛び交うようなことはあってはならないと思うわけだ。そのためにメディアがきちんとして欲しいと思っているのだ。

しかし今度はマスクだ。「マスクが品薄です。今後夏に向けて増産体制を取って、できるだけ早く消費者の皆様へ供給できるようになる予定です」的なコメントがされているが、これもどうなんだろう。

店頭でマスクを買いに来たのに売り切れて困っているお客さんのコメント「えぇ?ないんですか? 困ったわねぇ〜、どこに行っても売ってないのよね〜。」をただ垂れ流す、その意味はどこにある。「やっと入荷したマスクがわずか7分で売り切れてしまいました。」と驚きを持ってレポートする意味がどこにある。
やっぱりメディアがかなりオカシクなっていないか。
「さぁ、大変です、皆さんの健康、あるいは命を守るためのマスクが、今手に入らない状況です。インフルエンザの脅威は広がっていると言うのに、いったいわたしたち一般市民はどうしたらいいのでしょうか」
   
って、不安を煽ろうとしているとしか思えない。結果的にであっても。

ちょっと街を歩けば、確かにマスクをしている人は増えて入るけれど、むしろ接客業で店員さんたちがみんなマスクをしている方が目につく。つまりスーパーやデパートみたいなところで、大量にマスクを消費されたら、そりゃあすぐに品薄になるだろう。

マスクをすることには、ウイルスのキャリアからの感染を防止するのと、知らないでキャリアになっている人が自分が他人へ感染させないようにする意味がある。接客業で大量採用して後者側に今マスク供給が偏ってしまったということだろう。

それはある意味、社会全体としては防護体制がアップしているとも言える。そこまで考えなくても、ただただ騒ぎを煽るだけではなくて、状況を冷静に伝える必要があるんじゃないのか。一方で「マスクが手に入りません!」と騒ぎ、一方で「冷静に対応しましょう!」と連呼する。これ結果的に両方とも不安を煽っているだけだ。

不安を煽られると、誰も彼もがとにかくマスクを買わなきゃみたいになって、
妊婦の方たちなど、本当にマスクの必要性を感じている人へ行き届かなくなる可能性も高くなるというのに。

必要なのは、きちんとした情報の提供と、その裏けの下に提示される的確なアドバイスである。落ち着いて状況を見つめ、判断する目が、メディアに感じられない。ニュース番組がワイドショー的になり過ぎている。

そんなことを考えていたら「フランク・ザッパ自伝」(フランク・ザッパ+ピーター・オチオグロッソ、河出書房新社、2004年)に次のような一節があるのを思い出した。

「俺たちが住んでいた場所から1マイルも離れていないところに、マスタード・ガスの貯蔵タンクがあった。そのため陸軍住宅の全体が、家族の人数分だけガスマスクを常備するよう義務づけられていた。 俺の家でも、廊下のいちばん奥の壁に家族全員のガスマスクが掛けられていた。俺はしょっちゅう自分のマスクをかぶり、裏庭で遊んだ。ガスマスクは、俺を宇宙飛行士にしてくれるヘルメットだった。」
今後もし首都圏で被害者が増え、あいついで休校になるような騒ぎになったら、どこかの会社が、簡易防毒マスクを売り出してみるといい。きっと売れるぞ、メディアが飛びつくから。そしてこどものオモチャが増える。

(カットは「フランク・ザッパ自伝」より)