ウクレレ講座で知り合ったお友達から
「ウクレレ3本お持ちなんですよね?
ぜひ1本をLow-G仕様にしてみて下さい。広がりますよ〜。」
とメールをもらった。新しいウクレレを購入され、
それにLow-G弦を張ってみたら良かったそうなのだ。
ウクレレって不思議なチューニングで、
正面左からソ、ド、ミ、ラなんだけど、
1番左のソはド、ミの下のソじゃなくて、上のソ。
だからギターみたいに弦の並びが
低い音から高い音に並んでいない。
それがウクレレ特有の軽くて柔らかな音につながる。
でも、これだと右から3番目の弦のドの音が一番低い音となる。
音域は実質右3弦分で丁度2オクターブ。
これはコードを鳴らして
歌の伴奏に使っている分にはいいんだけど、
メロディー弾く時には音域が狭い。
そこで、1番左のソを、
ド、ミより低いソに弦を張り替えることで、
少しでも低い方の音域を増やすという方法がある。
ソ、ド、ミ、ラは同じなんだけど、
ギターのように低い方から高い方へ順に並ぶことになる。
この低いソ(Gの音)を出すための専用の弦がLow-G弦だ。
ということで、今日突如思い立って、
いつもウクレレ講座では使ってない、
ApplauseウクレレのLow-G化に着手したのであ〜る。
実は、Low-G弦は買ってはあったのだ、ふふふ。
種類はフロロカーボンという、
釣り糸などで使われている素材を使ったWorth弦。
弦の色も他の3本と同じクリアカラーだから、
張り替えてみても見た目全然わからない。違和感なし。
さて音が落ち着くまで1週間くらい。
どんな鳴り方をしてくれるようになるか、楽しみ楽しみ。
病院の待ち時間に突然ふと考えた。ゴジラと並ぶ超有名怪獣ガメラ。昭和時代に8作品、平成に入って4作品が作られている。平成の4作品目はちょっと別物だけど。で、何を考えたかというと、大好きな平成ガメラシリーズに感じる、ちょっとした物足りなさについてなのだ。
平成ガメラは「ガメラ大怪獣空中戦」(1995)、「ガメラ2 レギオン襲来」(1996)、「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」(1999)と、ガメラの造形がどんどんスマートになっていく。頭部は小さくなり、より戦闘的な重心の低い体形に変わっていくのだ。そして基本的に二足歩行で歩く。
これに対して昭和ガメラの、特に評価の高い「ガメラ対バルゴン」(1966)、「ガメラ対ギャオス」(1967)では、頭部が大きく足は短くずんぐりむっくりしている。また相手との対決時にも四足歩行を基本にしていることが多い。
で、思ったのだ。昭和ガメラは爬虫類っぽい。そして平成ガメラは、敢えて言ってしまえば人間ぽいのだ。イリスと闘うガメラは生物型戦闘マシン的ですらある。その最大のポイントは、二足歩行か四足歩行かというところも大きいのだけれど、ズバリ目だと思う。
昭和ガメラの目は基本的に黒目が真横を向いている。あるいは少し上に上がって三白眼状態だ。この目がギョロギョロと動くこともある。しかし平成ガメラのように相手を見据えることはない。平成ガメラの目は人間の目なのだ。
昭和ガメラの目が相手を見ていない、感情を映していないところが爬虫類的であり、そこに怪獣としての不気味さも宿っている。そしてこの不気味さが、相手の怪獣にとどめを刺す時に首を狙って噛みつくという、動物的行為への説得力にもつながる。
平成ガメラ3部作の金子修介監督は「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」(2001)で、目が白い不気味なゴジラを作り上げた。しかしあの昭和ガメラの何を考えているのかわからない目には、敵わなかったと言いたい。怪獣映画ファンとして、そして平成ガメラファンとして、あの昭和ガメラの目の復活を切に願う。
ちなみに「ガメラ対ギャオス」で両怪獣が対峙する二子山山麓の、夜の張りつめた空気感。いつも思うんですが、絶品です。
8月最後の週は夏休み気分も終わり、
職場でも会議や準備が始まる時期だ。
その週にわたしは職場へ行けなくなった。
もちろん夏休み最後なんて、
誰にだって仕事を思い出したくない最悪の週だ。
でも普通は嫌だからと言って休むことはしない。大人だし。
しかしわたしは結局大事な会議が組まれていた水、木、金と
3日間行くことができなかった。大人なのに。
行かなければとは思っている。
大事な日だというのも重々わかっている。
でも動けない。家を出られない。
カラダがダルくて仕方なかった。
でもさすがに3日目の金曜日、
何かしなければと思った。
そしてフラフラと家を出て向かったのは、
電車で1時間半から2時間かかる、
実家のある山に囲まれた町だった。
何かにすがろうとしていたのだろう。
実家には寄らなかった。どこへ行くともなく、
駅から川へ向かう道を選んだ。
橋の上から見た川は、前日のゲリラ豪雨で薄ネズミ色に変わり、
流れの速い水は激しくうねっていた。
川は力強かった。
橋を渡り山側へ進む。
小学生の頃に来ているはずだ。
1月には毘沙門様(びしゃもんさま)のダルマ市があって、
古い映画のように屋台が沿道の両脇にたくさん立ち並ぶ。
その山には分け入らないで川沿いを歩いていると、
見たことのない公園への入り口があった。
入り口は広く舗装され、山の奥へと伸びていた。
入って行ってみると途中で道が大きくUの字を描いて
山の上へと上っていく場所があった。
中央が芝生のように短い草だったので、
元気な草木がまるで身を乗り出した観衆のようで、
小さなスタジアムの中央に、
サポーターの応援を受けて一人立っているような気分だった。
木と草の匂いがした。
木々の緑が回りを取り巻き、優しく包んでくれていた。
自分の行きる世界は、
ここだっていいじゃないか、と思った。
9月に入り授業が始まった。
どうにも行けなくなる前の、
新学期の2週間はきっちり仕事をした。
放課後、他の教員に付き添って病院まで行き、
生徒のことで主治医と相談までした。
わずか2週間だったけれど、
この2週間を乗り切れたのは、
生まれ育った土地の川や木や山たちからもらった
力のお陰だったと思っている。
いや〜ネットで調べてびっくりした〜。
抗うつ剤として服薬しているジェイゾロフト。
副作用として、性機能障害があるんじゃないですかぁ。
具体的には射精障害(射精遅延、射精困難)なんですと。
医者も薬局もそういうことは教えてくれないからなぁ。
もう、早く教えてよって感じですがな。知らないとこっちからは聞けないし。
やられたぜ、ジェイゾロフト〜。
焦ったぜ、ジェイゾロフト〜。
まぁ、わかって安心したので、
この話題は以上ここまで。
昨日は久しぶりに彼女の部屋でくつろぐ。
夕方眠くなってきて彼女のベッドで眠る。
バイブ設定にしてある携帯の音で目が覚める。
えっ? メールが2通来ている。
っていうことは最初のバイブで起きなかったってことか。
目の前に携帯置いておいたのに。
眠りの浅いわたしには考えられないことだ。
びっくりだ。
帰って来彼女が言った。
「もんちゃん気を遣い過ぎるし、いろいろガマンし過ぎるんだよ。
その疲れがたまってるの。
だからもんちゃんの今のお仕事は、寝ること。
今日はしっかり仕事できてよかったね。
だんだんお仕事に慣れてきたかなぁ。
お仕事だから、
気兼ねなくダリャダリャお休みしていいんだよ。」
ここが一番安心できる場所だからだよ、
ありがとね。
友人が『ツレがうつになりまして。』
(細川貂々、幻冬舎)を紹介してくれた。
ありがたい。わかってくれているなぁ。
実はこの本はすでに持っていた。
マンガで面白おかしく描いてはあっても、
本当に大変なんだなと思う。
でもとても勇気づけられる本。
不安や自己嫌悪や体調不良があっても、
あぁ、いいんだって思える。
何回も読み返して自分を安心させている。
そのツレが書いた『こんなツレでごめんなさい』(文藝春秋)も、
より本人の内面がわかって興味深い。
実は『ツレがうつになりまして』はある意味、死と再生の物語だ。
夫の突然のうつ病で奈落の底に落ちた夫婦が、
試行錯誤しながら新しい生活、新しい人生を手に入れる。
本の最後にはうつ病とつき合いながらも
明るく前向きな二人がいる。
『こんなツレでごめんなさい』では、
無理だと思っていた子供まで授かった喜びで終わる。
そこがこの本の良いところでもあるし、
不安になるところでもある。
ハッピーエンディングは
多くのうつ病の人に希望を与るだろう。
でも自分も同じような再生の物語を描いていけるのだろうか、と
心配になる人もきっといるはずだ。
それでも、今苦しんでいる人は、救われる。
自分が一人ぼっちじゃないと
言ってもらえるからだろうな。
明日の日曜日はウクレレの大きな会がある。
グループ演奏ばかりだけど、4曲も出演する。
個人の演奏会とか発表会ではなく、
団体の交流会的な集まりなのだが、
“団体”も“交流”も今の自分には相当に辛い。
でもウクレレを弾きたいのだ。
アロハシャツも買ったのだ。
ところがすでに緊張しているのか、
今日は朝からカラダがダルく、
妙に落ち着かず、気持ちも不安定な感じで、ちょっとアセる。
起きているのが辛いのだが、横になっても眠れない。
交流会を楽しみにしている自分と、
不安な自分がくるくる入れ替わる。
昼に安定剤を倍飲んで、
午後やっと2時間ほど眠れた。
夕方起きたら背中が痛く、また気持ちも不安定で、
これはちょっとマズいんじゃないかと思っていたら、
6時頃から急に復活しだし、
買い物、洗濯、洗い物と次々とこなす。
自分のことがうまくコントロールできない。
先週病休延長が決まってから、
今週は寝てばかりだった。
カラダがやっと少し安心して、
本当は辛かったんだってことに気づいたのかな。
カラダよ、もう一日がんばっておくれ。
その後はいっぱい泣き言言ってもいいからさ。
買い物に出る。
人混みや騒音が嫌だと思うことは、
今までもあったけれど、
カラダが嫌がっている感覚はやっぱり今ならではかな。
ピリピリと鳥肌が立ちそうな感じで、いたたまれなくなる。
特にパチンコ屋の前とか、食品売り場みたいなところは、
カラダがひどく緊張する。
職場での追い詰められ感がよみがえる。
できるだけ人混みを避けて歩いていたら、
両手に買い物袋を下げて黙々と歩いている人がいた。
首に「半額」の札を下げて。
歩く姿に
ウケ狙いとは思えない“ひたむきさ”みたいなものが感じられて、
一瞬の間に、
「売られているのかあなた?」
「半額ってなに?」
「定価っていくら?」
「半額でも買わないでしょ」
「買ってどうする?」
「ただならもらうのか?」
とかいろんなことが頭をよぎったような気がする。
今日のちょっとクラクラした脱力タイム。
朝、仕事に出る彼女をドアまでお見送りする。
あ、そうだ、忘れ物!
そう思って台所に戻り、冷蔵庫を開ける。
そこにはデイパックが入っている。
そのデイパックをドアの前に立っている彼女に渡す。
彼女はうれしそうに受け取り、
「ありがと。じゃ行ってくるね~」
と微笑む。
目が覚める。
でもまだ半分寝ている。
どうして、冷蔵庫にデイパックが入ってるんだ?
あのデイパックには何が入ってるんだ?
そして思う。
アイスクリームだ!
なぁんだ、そうか。
そのまま納得してまた寝てしまう。
平和な夢。
もちろんアイスクリームは
彼女の大好物。
体調が悪くなるとお世話になっている
カイロプラクティックがある。
そこの先生の言葉。
「ストレスがとても強くなると首の髄液の流れが悪くなる。そうすると頭が緩まずにずっと締め付けられた状態になって、気持ち悪くなったり、何も考えられなくなったりしてしまう。うつ的な症状の物理的な原因は、ここで強制的に頭を緩めることで、ある程度解消できるよ。
でも、そもそものストレスが続く限り、常に同じ症状になる可能性があるわけだから、できるなら今は何もしないで、ただ好きなことだけして過ごすっていうのが必要だね。
ストレスで体もゆがむ。あなたの場合右鎖骨から対角線上に捻じれて、十二指腸を圧迫する。その結果胃液過多になって、そこからも吐き気や腹痛が起きる。
どんな仕事も大変な部分はある。大事なのはそれとともに喜びが感じられる部分があるかってことだよね。それがなくなったら辛いよね。
僕もこういう仕事がらいろいろな人を見てるけど、正直今のあなたの仕事は大変だよね。ベテランで辞める人をたくさん見てる。それに、あなたは社会人ではあるけれどもサラリーマンには向いてないんじゃないかなぁ。思い切って仕事を変えるっていうのもありだと思うよ。」
彼は昔、「新月」という日本のプログレッシブ・ロックバンドで
ベースを弾いていたという経歴を持つ。
バンド名がそのままタイトルになった
「新月」というアルバムは名盤の誉れ高い。
不調の原因や仕組みを説明されると安心する。
そして最初に
今の仕事に戻らない選択肢もありだと言ってくれた。
治療台に横になっていて、ちょっと涙が出そうになった。
昼間によく寝た。
夜熟睡できなかったけど、
明け方薬で頭痛が消えると、
午前中2時間、午後3時間寝続けた。
寝られるということは、疲れているということだ。
でもその疲れていることがわからない。
だって熱も出ないし、痛いところもないし、動けば動けるし。
「からだ動くのに怠けてしまった〜」
と思いそうになる。
「みんなが働いている時に、楽をしてしまった〜」
と自分を責めてしまう。そこが適応障害の難しいところなんだな。
でも今は
「あぁ自分は疲れていたんだなぁ」
と思えるようになってきた。
こうして適応障害とつきあっていると、
体調や気持ちの浮き沈みや緊張と解放の針の触れ具合に、
けっこう細かな波があることがわかる。
だから休めると感じた時に、
しっかり休むことが大切だなあと思う。
朝だろうが昼だろうが、
寝られる時に寝る。
眠れるだけ眠る。
一昨日の夜、
睡眠薬を飲んで寝たにもかかわらず、
明け方目が覚めて眠れなくなった。
ベッドの上でしばらく悶々とし、
重い頭で起き上がって時計を見たら
6時10分。
鈍い頭痛が取れず、寝たり起きたりの一日。
寝るといっても、
うつらうつら寝返りを繰り返すばかり。
自分に負荷をかけ過ぎたかな。
エネルギー切れた感じ。
夕べも睡眠薬を飲んで寝たのだけど、
頭痛で何度も目が覚める。
我慢できずに頭痛薬を飲もうと、
起き上がった時間が
6時10分。
病休に入って一ヶ月半。
でもまだまだ休めていないんだな。
6時10分。
仕事に行く時に起きていた時間。
昨日、手作り時計の「くるき亭」の
『オリジナル時計制作コース』に行ってきた。
「くるき亭」の時計は、
手書きながら緻密で繊細な文字盤や、
“歴史”や“記憶”を感じさせるような
味のある作りがお気に入りなのだ。
電車に乗り継ぎ、
始めての場所で、始めての人と、始めてのことをする。
今の自分には結構キツいハードルだが、
モノ作りしたい一心で出かけた。
始めてみると、
ひたすら作業に没頭するという予想ははずれた。
考えたら当たり前なんだけど、オリジナルを作るということは、
自分で決め自分が動くということだ。
大きさはどうします?
文字盤はどう作ります?
色はどうされます?次々と決断と実行を迫られる緊張の3時間。
特に文字盤をドリルで掘る作業は、息が止まるほど集中した。
でも、人を相手にする仕事を22年間続けていた自分にとって、
一人きりでモノを作る仕事は、とても新鮮で魅力的だった。
完成品は満足いく出来映えだった。
自己嫌悪と自己否定の毎日での、ささやかな自信回復。
ポイントは秒針の赤、かな。
時計作りには彼女が付き添ってくれた。
リハビリのトレーナーか保護者のように見えたかもしれない。
作業は口をはさむことなく、そばで気遣っていてくれた。
帰りには疲労困憊し、電車の混雑がいたたまれなかったけど、
彼女がそばにいてくれたので、落ち着いていられた。
彼女の名前は〝な〜こ〟と言う。
昨年のクリスマスに衝動的にウクレレを買った。
そしてこの春からウクレレ教室に通い始めた。
ダウン直後の一回をのぞいて、
隔週のウクレレ教室には、休むことなく通っている。
15人前後の生徒の皆さんと一緒にいるのは、
正直なところ今の自分には辛い。
レッスンは1時間半。
でも最初から最後まで休憩もなく、
みんなで一緒に様々な練習曲を弾き続け、歌い続け、
時間が来るといきなり終わる。
雑談の余地はほぼない。
テクニック向上が目的なら、きっと物足りない。
和気あいあいを楽しみたい人には、たぶん退屈だ。
でも、課題や目標に向かっていくエネルギーも、
人と接する喜びを感じる余裕もない今の自分には、
無心になって、音楽を奏でる楽しみに浸れる
この時間がうれしい。
6弦のギターの音は豊かで深い。
でも今は重い。
4弦のウクレレの素朴な音は軽やかで、
自分のためだけにあるように愛おしい。
自分で弾くたどたどしい音に癒される。
でも、今日は疲れた。ちょっと横になろう。
■「ずーっと全力で走ってこられたわけですから、 きっとおてんとう様が『ここらでじっくり休まねばたいへんなことになりますよ』とおぼしめしたんですよ」
■「とにかく今は、復帰とか辞めるとかは忘れて、ゆっくり寝ることをおすすめします。 休むのも、今はりっぱなお仕事だと思います。」
■「教員だからいつも元気ってわけにはいかないですよね。休んでとまってというのが今のタイミングなのだと思います。」
■「メールはとてもうれしいです。わたしのつまらない経験でも、少しでもお役に立てるなら、病気になった甲斐があるというものです!」
■「悪いなぁとか思う必要、全然ないっすよ。風邪と交通事故と台風が来たようなもんですから…あまりによくわからない例えでしたが…(苦笑)」
■「リセットに何か役に立てれば、私も幸せです。」
■「まじめなんらからあんまり一生懸命になっちゃダメにゃん」
誰一人として「どうして?」とも「がんばれ!」とも言わないでくれた。
本当に幸せだと思う。
いや、一人いた。
■「どうして来てくれないんですかぁ~(涙)」
っていう、生徒からのメール見て
寝込んだんだった。
彼女の寝言で夜中に目が覚める。
彼女の寝言は、起きているみたいに自然だ。
「う~ん、なんて言ったっけ、あの人~」
なんだ、なんだ?
あ、寝言か。
あの人って誰だ?
朝一番に彼女に言う。
「桜塚やっくん、だよね?」
「ん? あっ、そうそう、よく思い出したね~」
数日前に
「最近見かけないねぇ。あの、男なのにスケバンの格好してた人」
「あ~、スケバン恐子ね。あの人なんて言うんだっけ?」
「あ~、思い出せない~」
「なんだっけねぇ~」
という会話をしていたのだ。
「夕べ寝言で質問されて、思い出した。」
と言ったら、
突っ伏してウケていた。
幸せな時間。
家の電話が鳴っている。
職場からだ、きっと。
出たくないけど、でも仕方ない。
ワイヤレスの子機を取る。
穏やかな男性の声が聞こえる。
やっぱり職場からだ。
近況を報告する。
新しい診断書と一緒に近況報告送ってあるのに。
テレビの音がうるさい。
相手の声が聞こえない。
切れたかな?
全然聞こえない。
実家の、今はなくなった薄暗い階段を上り、
二階へ行く。
昔の職場の卒業生とその彼女がいる。
誰だっけ?
うれしそうに話しかけてくる。
私もうれしくて、なぜかとても安心する。
そうだ、電話だ。
「今電話中だからちょっと待って。」
でも受話器がなくなっている。
受話器を探す。見つからない。
一階へ降りる。
あった。よかった、まだ切れていない。
「もしもし、もしもし」
でも聞こえてきたのは、
聞いたことのない、お婆さんの声。
そこで目が覚める。
病休の延長をお願いする手紙を、
新しい診断書と一緒に職場に送った日の夜の夢。
その飛行機は、
一人のパイロットを乗せて、
着陸して休むことをせずに、
空中給油を繰り返しながら、
ずっとずっと大空を飛び続けていました。
あちこちの部品が悲鳴を上げ始めても、
前へ前へ、
機体が嫌な音を立て始めても、
前へ前へ、
飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで、
飛び続けて、
そして
とうとう空中分解してしまったのでした。
今、パイロットは広い広い海の上、
救命ボートに傷ついたからだを横たえて、
飛行機を壊してしまったことを悔やみ、
飛行機に乗れなくなったことを悔やみながら、
一人波間を漂っています。
船酔いにも苦しめられながら。
パイロットよ、悔やむことはないのだ。
それがあなたの生き方だったのだから。
通勤途中で辛くなって、途中下車した。
三日休んだ。
職場の最寄り駅に着いて、そこから先へ行けなかった。
また三日休んだ。
職場の一日を思い浮かべる。
一つ一つ考えれば、大したことではなさそうなのに、
それなのに、行けなかった。
やがて一週間最後まで休まずに行けるか、
不安に思うようになった。
そして
「今年度で仕事やめよう!来年の3月で終わりにしよう!」
と、自分に言い聞かせながら出勤するようになった。
そうやって職場まで、
重い足を一歩一歩前へ動かす。
そのうち、職場で同僚と一緒の部屋にいられなくなった。
理由もなく、ただただいたたまれなくて、
空いている部屋を探して、仕事を持っていった。
仕事が終わっても、続けているふりをした。
トイレの個室に入って何度も深呼吸をして、
気持ちを奮い立たせた。
そんな時、何の理由も亡く突然涙が出そうになった。
動揺した。
さすがに自分はマズいことになっていると思った。
その日は午後から休暇をもらい医者を探し、
翌日午前中に受診、
「適応障害」と診断され、すぐに病休に入ったのだった。
誰にも気づかれず、誰にも相談せず、
一人で戦っていた毎日。
こうして振り返ってみると、けっこうえぐい。
今日は
安定剤と睡眠薬を飲んで寝ることにする。
ここ数日、薬を飲まないでがんばっていた。
ちょっと急ぎ過ぎた。
脱力しきれていない背中を、
「力抜いて〜、抜いて〜」
って言いながら
さすってくれた彼女の手を思い出す。
あたたかい気持ちになる。
それから腕の中で幸せそうに目を閉じて、
余韻にひたりながらヨダレをたらす彼女を思い出す。
ちょっと元気が出る。
脱力のお手本。
細くジグザグに伸びる山道を登っていた。
ジグザグの折り返しのところに、職場の同僚が二人いた。
「だいじょうぶ?」
と声をかけてくれた。
もちろん山登りのことではなく、
久しぶりに会っての挨拶だ。
二人ともとても気をつかってくれているのがわかる。
二人だけで世間話とかもしている。とても自然に。
それがいたたまれない。
そろそろ給食だ。
二人は教室に行く時間だ。
この場から逃げられる。
そう思いながら、すでに山道を降り始める。
早く帰ろう。帰ろう。
道端に落ちている段ボール箱に、
持ち帰らなければならない書類が入っている。
いつものデイパックに書類を押し込む。
早くこの場を去りたい。
書類がくしゃくしゃになる。
段ボールにはビン牛乳が3本入っている。
このままだと無駄になる、教室に持っていかければいけない。
「誰か、誰かこの牛乳を持っていってください!」
そこで目が覚めた。
心臓がドキドキしていた。
部屋の暗がりから何か出てきそうだった。
復職は無理だと思った。
私はお腹をすかせている。
いつものように立ち食いそば屋を探す。
駅構内と思われる雑踏の奥に見えたお店に立ち寄ると、
カウンターの向こうで白い割烹着を着たおばちゃんが、
壁に寄りかかりながらこぼしている。
「どうしてラーメンが売れないんだろうねぇ…」
立ち食いそば屋でラーメンってめずらしいけど、
売れないのはメニューに
「ラーメン」って書いてないからじゃないかな、
そう思いながら「ラーメン」を注文する。
「ちょっと時間かかりますけど、いいですか?」
と聞かれ、
時間がないと思っている私は
「それはちょっと…」
と言いよどむ。
すると
「じゃあこれをどうぞ」
と、なぜか、シラスの乗ったご飯を出されるのだ。
「これはサービスです。」
とか言われて。
そんな夢を見たと彼女に話すと、
シラスご飯に吹き出した後、
「夢の中でも気をつかって、ラーメン注文してあげてるんだね〜」
と言われた。
なるほど。
今日は一日雨。雨の日は落ち着く。
病休に入る前くらいから晴れた日が嫌になっていた。
それまでは逆に、ギラギラのうだるような夏の陽射しをうけながら、
Tシャツやタンクトップでいるのが大好きだったのに。
でも今は晴れた日は、
「さぁ、いい天気だ!アクティブに行こうぜ!」
って、動くことを当然のように急かされてるようで
今は居心地が悪い。
思うように動けない自己嫌悪を刺激される。
子供のころ母親が
「土曜の夜に雨が静かに降っていて、
お布団の中で、あぁ、明日はみんなお休みだし、
雨でお洗濯干さなくてもいいから寝坊できるって
雨音を聞きながら思ってるのが幸せだね〜」
って言っていた。
雨にはそんな安心感を抱く。
そうか、当時母もひどく疲れていたのかもしれないな。
それでも最近晴れの日もいいなと思えるようになってきたかな。
それはきっと、季節が秋になって、
陽射しが柔らかくなったからかもしれない。
こうしている間にも、季節が変わっていくんだなぁ。
あっ、また少し自己嫌悪。
仕事をすることがどうにも苦しくなり、職場へ行けなくなり、
近くの精神科へ駆け込み、「適応障害」と診断され、
病休生活を始めて、はや一ヶ月となった。
体調の悪さと、ひどい自己嫌悪と、
仕事への復帰不安などを抱えながら、
まずはよくこの劇的な生活の変化によく耐えた。
思えば今まで働き詰めだった22年間、本当によくがんばったなぁ。
この一ヶ月でいろいろな人に励まされて、やっとそう言えるようになった。
今までのように、心にため込むことをやめて、
自分の好きなこと、楽しいこと、うれしいこと、
そして悲しいことや、辛いことも含めて、
自分の気持ちを綴ることで、
自分の新しい世界を見つけていきたい。